11月6日から7日にかけて石政連議員を中心に有志で長野県飯田市の環境行政、塩尻市の信州放射能ラボ、阿智村の満蒙開拓平和記念館を視察する。
飯田市は太陽光の市民共同発電所・おひさま進歩エネルギー(株)や、おひさまゼロ円システム、さらに小水力発電事業の取り組みなどで注目されてきたが、さらに今年4月、飯田市再生可能エネルギーの導入による持続可能な地域づくり条例を制定し、市民との協働で再生可能エネルギーの導入にさらに弾みをつけようとしている。
補助金をつけて再生可能エネルギーを普及させようとする条例はどこにもあるが、この条例の特徴は①地元の金融機関が融資しやすい環境を整える、②行政財産を活用して地域の新たな収入源を作り出すというところにある。
おひさま進歩にも関わってきた飯田哲也さんは限りある財源の中で補助金に頼る再生可能エネルギーでは本格的な普及は難しい、地域の資源を活用して地域に経済効果があるような仕組みをつくることが大事だと語っていたが、まさに飯田氏の考え方を条例として具現化したと言える。今後の再生可能エネルギーのさらなる普及に注目していきたい。
続いて飯田市がつくった「りんご並木のエコハウスを視察。パッシブソーラーシステムを導入している。
夕方の冷え込み始めた時間に寄ったがなかに入った途端、やわらかいあたたかな空気に包まれる。
まだ今シーズン使用されてはいないが、ペレットストーブも据えられている。
石川県には県がつくったエコハウスがあるが、ここは飯田市の施設。
環境モデル都市に認定され、地域環境権を掲げる自治体としての意気込みが伝わってくる。
エコハウス前のリンゴ並木の手入れは中学生のボランティアがおこなっている。
さて、しっかり日が落ちてからの次の視察先は塩尻市にある信州放射線ラボ。私の大学時代の友人が運営するが、施設設立の経緯や機器の説明、施設の運営状況などについて説明を受ける。隣の松本市の市長はチェルノブイリの救援活動にも参加してきた医師でもある菅谷市長。福島から多くの人たちを受け入れているが、環境や食べ物の不安をできるだけ取り除くことも受入の重要な条件であり、放射線ラボの存在は大きい。
機器についても説明を受けるが、難しい機器の仕組みを小中学生にもわかるように説明できるところが彼の特技でもある。
過小でも過大でもない、正確な測定で、事実をまず正確に知ることの重要性を説く。
さらに懇親会にも参加してもらい、3.11から2年8か月が経過する中での市民測定室の役割や今後の課題などについても聞く。
今日は方向を逆戻りして阿智村の満蒙開拓平和記念館へ。
この施設については以前紹介し、長野にはなかなか行く機会がないが是非寄りたいと書いていたが、こんなに早く訪問の機会が訪れるとは思わなかった。
1時間程度の見学かなと予想し訪れたが、結局滞在時間は2時間半。展示資料だけでなく体験記にも目を通し、次々と流れるインタビュー映像からも目が離せず、気が付くとお昼時間を過ぎて1時である。
まさに民衆の戦争史。
棄民政策としての満蒙開拓団の派遣。もう一つの側面は大陸侵略である。
8月9日のソ連参戦以降の筆舌に尽くしがたい逃避行。沖縄戦を連想させる青酸カリによる自殺、集団自決、親が子を、息子が祖父祖母を自らの手で殺していく生き地獄。まさかそこまでとは、という証言に一同衝撃を受ける。
難民収容所での過酷な労働、飢えと寒さ。大勢の人たちの病死。
いわゆる中国残留孤児問題。引き上げ後の新たな苦難の生活。
長野県は都道府県別にみると満蒙開拓団として派遣された人の数は圧倒的に多い。生々しい証言、貴重な資料を収集し、民衆の側から戦争を告発し平和への道を模索するこの施設は、ぜひ一人でも多くの人に訪れてほしい施設だ。
二日間の車での移動距離800キロという強行日程の視察だったが、それぞれの視察内容はとても充実したものだった。
飯田市は太陽光の市民共同発電所・おひさま進歩エネルギー(株)や、おひさまゼロ円システム、さらに小水力発電事業の取り組みなどで注目されてきたが、さらに今年4月、飯田市再生可能エネルギーの導入による持続可能な地域づくり条例を制定し、市民との協働で再生可能エネルギーの導入にさらに弾みをつけようとしている。
補助金をつけて再生可能エネルギーを普及させようとする条例はどこにもあるが、この条例の特徴は①地元の金融機関が融資しやすい環境を整える、②行政財産を活用して地域の新たな収入源を作り出すというところにある。
おひさま進歩にも関わってきた飯田哲也さんは限りある財源の中で補助金に頼る再生可能エネルギーでは本格的な普及は難しい、地域の資源を活用して地域に経済効果があるような仕組みをつくることが大事だと語っていたが、まさに飯田氏の考え方を条例として具現化したと言える。今後の再生可能エネルギーのさらなる普及に注目していきたい。
続いて飯田市がつくった「りんご並木のエコハウスを視察。パッシブソーラーシステムを導入している。
夕方の冷え込み始めた時間に寄ったがなかに入った途端、やわらかいあたたかな空気に包まれる。
まだ今シーズン使用されてはいないが、ペレットストーブも据えられている。
石川県には県がつくったエコハウスがあるが、ここは飯田市の施設。
環境モデル都市に認定され、地域環境権を掲げる自治体としての意気込みが伝わってくる。
エコハウス前のリンゴ並木の手入れは中学生のボランティアがおこなっている。
さて、しっかり日が落ちてからの次の視察先は塩尻市にある信州放射線ラボ。私の大学時代の友人が運営するが、施設設立の経緯や機器の説明、施設の運営状況などについて説明を受ける。隣の松本市の市長はチェルノブイリの救援活動にも参加してきた医師でもある菅谷市長。福島から多くの人たちを受け入れているが、環境や食べ物の不安をできるだけ取り除くことも受入の重要な条件であり、放射線ラボの存在は大きい。
機器についても説明を受けるが、難しい機器の仕組みを小中学生にもわかるように説明できるところが彼の特技でもある。
過小でも過大でもない、正確な測定で、事実をまず正確に知ることの重要性を説く。
さらに懇親会にも参加してもらい、3.11から2年8か月が経過する中での市民測定室の役割や今後の課題などについても聞く。
今日は方向を逆戻りして阿智村の満蒙開拓平和記念館へ。
この施設については以前紹介し、長野にはなかなか行く機会がないが是非寄りたいと書いていたが、こんなに早く訪問の機会が訪れるとは思わなかった。
1時間程度の見学かなと予想し訪れたが、結局滞在時間は2時間半。展示資料だけでなく体験記にも目を通し、次々と流れるインタビュー映像からも目が離せず、気が付くとお昼時間を過ぎて1時である。
まさに民衆の戦争史。
棄民政策としての満蒙開拓団の派遣。もう一つの側面は大陸侵略である。
8月9日のソ連参戦以降の筆舌に尽くしがたい逃避行。沖縄戦を連想させる青酸カリによる自殺、集団自決、親が子を、息子が祖父祖母を自らの手で殺していく生き地獄。まさかそこまでとは、という証言に一同衝撃を受ける。
難民収容所での過酷な労働、飢えと寒さ。大勢の人たちの病死。
いわゆる中国残留孤児問題。引き上げ後の新たな苦難の生活。
長野県は都道府県別にみると満蒙開拓団として派遣された人の数は圧倒的に多い。生々しい証言、貴重な資料を収集し、民衆の側から戦争を告発し平和への道を模索するこの施設は、ぜひ一人でも多くの人に訪れてほしい施設だ。
二日間の車での移動距離800キロという強行日程の視察だったが、それぞれの視察内容はとても充実したものだった。
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