資本主義が最終局面に近づいたとの分析に基づいて非正規労働の問題を読み解き、さらには成長路論批判を展開していく水野和夫氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」がおもしろい。
きかっけは今年5月24日付け朝日新聞である。
女性の派遣労働を取り上げたオピニオン欄のなかに水野氏のインタビュー記事「資本主義がつくった国内の『周辺』」があった。
この中で水野氏は、「資本主義は利潤を得る主体の「『中心』と、利潤を獲得する場である『周辺』で構成される。かつては先進国にとって多数の途上国が『周辺』だった。だが地球上での地理的フロンティアは、もはやアフリカしか残されていない」とし、先進国の資本はこれまで通り利潤を追求しようとして90年代以降、自分たちの国内、地域内に新たな『周辺』をつくることになったとする。
米国ではサブプライムローン層、日本では非正規労働者がその「周辺」に該当する。
非正規労働を巡るたたかいが資本主義の最後の延命策に対するたたかいという歴史的な意義をもつことを端的に指摘している。
こりゃおもしろいと記憶の残っていた中でたまたま書店で見つけたのがこの「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書・水野和夫著)である。
資本主義が階級闘争による革命で終わりを告げるという勇ましい話ではないが、この中で水野氏はバブル経済やゼロ金利政策の歴史的な意味も含め、米国、西欧(EU)、日本、さらには新興国の危機を明らかにし、資本主義が終焉に近づいているとする。
問題はここで次なるシステムへとソフトランディングできるか、あるいは資本主義のさらなる暴走を許すかにある。
地理的な「周辺」を失いつつある資本は、国内の「周辺」からの収奪にとどまらず未来からの収奪にも踏み込んでいく。
そのわかりやすい例が電子・金融空間であり、原発も半永久的に続く事故被害や核廃棄物という意味では未来からの収奪と言える。
ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレの日本は次なるシステム(水野氏は「定常状態」とだけ示す)へ移行する資格を備えるが、アベノミクスは資本をさらなる暴走へと走らせるだけだと警鐘を鳴らす。
私の理解の及ばぬ論旨もあるが、三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストや内閣府大臣官房審議官などを歴任した著者の主張だという点を加味するとさらに本書は興味深くなる。
きかっけは今年5月24日付け朝日新聞である。
女性の派遣労働を取り上げたオピニオン欄のなかに水野氏のインタビュー記事「資本主義がつくった国内の『周辺』」があった。
この中で水野氏は、「資本主義は利潤を得る主体の「『中心』と、利潤を獲得する場である『周辺』で構成される。かつては先進国にとって多数の途上国が『周辺』だった。だが地球上での地理的フロンティアは、もはやアフリカしか残されていない」とし、先進国の資本はこれまで通り利潤を追求しようとして90年代以降、自分たちの国内、地域内に新たな『周辺』をつくることになったとする。
米国ではサブプライムローン層、日本では非正規労働者がその「周辺」に該当する。
非正規労働を巡るたたかいが資本主義の最後の延命策に対するたたかいという歴史的な意義をもつことを端的に指摘している。
こりゃおもしろいと記憶の残っていた中でたまたま書店で見つけたのがこの「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書・水野和夫著)である。
資本主義が階級闘争による革命で終わりを告げるという勇ましい話ではないが、この中で水野氏はバブル経済やゼロ金利政策の歴史的な意味も含め、米国、西欧(EU)、日本、さらには新興国の危機を明らかにし、資本主義が終焉に近づいているとする。
問題はここで次なるシステムへとソフトランディングできるか、あるいは資本主義のさらなる暴走を許すかにある。
地理的な「周辺」を失いつつある資本は、国内の「周辺」からの収奪にとどまらず未来からの収奪にも踏み込んでいく。
そのわかりやすい例が電子・金融空間であり、原発も半永久的に続く事故被害や核廃棄物という意味では未来からの収奪と言える。
ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレの日本は次なるシステム(水野氏は「定常状態」とだけ示す)へ移行する資格を備えるが、アベノミクスは資本をさらなる暴走へと走らせるだけだと警鐘を鳴らす。
私の理解の及ばぬ論旨もあるが、三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストや内閣府大臣官房審議官などを歴任した著者の主張だという点を加味するとさらに本書は興味深くなる。
それを拒否して資本主義を推し進めるとどうなるか。貧者を犯罪者として民営化刑務所に入れ奴隷化し、消費階層を奴隷として管理しつつ資本家は絶対者として王のように君臨する収奪社会になる。それが資本主義の到達点。