職場の前庭に色鮮やかな紅葉が。
「イロハモミジ」。
リハビリ通いにも屈伸運動が加わって、年末まで。
そして、コロナ禍の頃の、
「夏の神保町まつり 一之輔一門会」より。
楽屋話ばかりで本題に入らないので、師匠に怒られる。
師匠登場。人情話の中でも笑いと涙で聞かせる「子別れ」を。
枕で弟子達の話をからめ、先代師匠の話から、師匠として弟子のかわいさを淡々と思い出話風に語り出します。
「子別れ」人情噺の大ネタです。
上は「強飯の女郎買い」、下は「子はかすがい(鎹)」の名で呼ばれることがあります。一之輔師匠は、この下の部分を。「大酒飲みが下では酒を断って改心したのか、どうも分からない、」とか、ぼそぼそつぶやきながら。
上。熊五郎は腕のいい大工だが酒好きなのが玉に瑕。ある日、泥酔して帰ってくると妻のお光に向かって女郎の惚気話まで始めてしまい、夫婦げんかの末にお光は一人息子の亀を連れて家を出てしまう。
中。熊はお光と離縁して女郎を身請けし、一緒に暮らし始めるが、彼女は一切の家事をせず、朝から酒を飲んでは寝てばかり。結局他所に男を作って出ていってしまう。
そして下。家から出て行った親子と別れてから3年。熊は酒を断って心を入れ替え、懸命になって働いたおかげでなんとか身を持ち直し、親方の身分に。
ある日、熊五郎はお店(たな)の番頭と茶室に使う木口を木場へ見に行く。途中で前の花魁の悪妻女房のお島、その前の亀吉の母親の良妻賢母のお徳の話や、亀吉が好きだったまんじゅうの話などする。
話ながら歩いていると番頭が亀吉が歩いてくるのを見つける。熊五郎は番頭を先に行かせ亀吉に話かける。
熊五郎 「今度のおとっつぁんは、おめえを可愛がってくれるか」
亀吉 「おとっつぁんは、おまえじゃないか」
熊五郎 「おれは先(せん)のおとっつぁんだ。新しいおとっつぁんがあるだろ?」
亀吉 「そんな分からない道理があるもんか。子どもが先に出来て、親が後から出来るのは芋ぐらいのもんだ」
母親のお徳は独りで仕立ての針仕事をして、貧乏暮らしをしながら亀吉を育てているという。
足元を見ると貧乏生活で、クツも履いていない、また虐められて、額に傷まで出来ている。
熊五郎はこれまでのことを亀吉に詫び、50銭銀貨の小遣いをやり、ウナギを食わせるから明日また会おうと約束する。
家に帰った亀吉は母親の糸巻の手伝いをしている時にお金を持っているのを見つる。
お徳 「なんだい、こりゃあ、まあ、50銭銀貨じゃないか。どうしたんだい、お使いを頼まれたのかい。どうしたんだい?・・・おまえまさか悪い了見出して盗んだんじゃないだろうね。はっきりとお言いな、言わないと、おとっつぁんの玄翁(げんのう)で叩くよ」、ついに亀吉は泣きながら父親に会ったこと、小遣いをもらったことを話し出す。
あくる日、亀吉は約束通りに鰻屋へ行って父親とウナギを食べていると、鰻屋の前を母親が行ったり来たり。亀吉は母親を座敷へ引き入れて両親が再会するが、二人ともかしこまって堅くなり、他人行儀でもどかしい。
熊五郎 「えへん、えへん、じつは昨日ねえ、亀坊に会ったんだよ。で、ウナギが食いてえって言うもんだから、じゃあ、食わせてやろうじゃねえかってことになって、・・・えへん、えへん、じつは昨日ねえ・・・」なんども同じことを繰り返していて埒があかない。
亀吉の「元のように3人で一緒に暮らそうよ」の一言で熊五郎はお徳に頭を下げ、元の鞘に収まることになります。
お徳 「こうやって夫婦が元の鞘に収まれるのも、この子が有ったればこそ。お前さん、子は夫婦の鎹(かすがい)ですね」。
亀吉 「え、あたい鎹かい、それで昨日、おっかさんが頭を玄翁(げんのう)でぶつと言ったんだ」。
約45分。父親と母親、子供と使い分けながらの熱演でした。
鎹。玄翁(げんのう)。
春風亭一之輔
1978年1月28日生まれ、千葉県野田市出身。2001(平成13)年3月 日本大学芸術学部卒業。
2001(平成13)年5月 春風亭一朝に入門
2001(平成13)年7月 前座となる 前座名「朝左久」
2004(平成16)年11月 二ツ目昇進 「一之輔」と改名
2012(平成24)年3月 真打昇進
プロフィール
主な持ちネタ:不動坊 茶の湯 鈴ヶ森 初天神 など
趣味:程をわきまえた飲酒 映画・芝居鑑賞 徒歩による散策 料理 喫茶店めぐり 洗濯
自己PR:自他共に認める「十八番」のある噺家を目指し、精進致しております。ごひいきのほど宜しくお願い申し上げます。
ホームページ:https://www.ichinosuke-en.com
Twitter:ichinosuke111
今や「笑点」の看板に。
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