おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「一ノ割駅」。その4。古利根橋。起点から10㎞。旧日光街道。川の駅ふじつか。藤塚橋。(「中川」を遡る。第3回目。)

2022-06-13 21:23:21 | 中川を遡る

               水管橋と並んで「古利根橋」。

     対岸は、越谷市。

下流を振り返る。

「始点(中川合流点)から8.13㎞」。

先に見える橋が「古利根川橋」。

国道4号線バイパス。             

古利根橋を振り返る。

古利根川橋をくぐります。橋のたもとにうどんのお店が。土手沿いに幟がはためく。

水原秋桜子の句。青葭の そよぎて禽は 水に入りぬ

                              ※「青葭」夏の季語

釣り人一人。

植え終えたばかりの田んぼ。

ここにも小舟。

                     うち捨てられたまま。

「起点(中川合流点)から10㎞」。東武線「一ノ割駅」まであとわずか。

          

「川の駅ふじつか」案内図。

①大落古利根川周辺には、流作場と呼ばれる田んぼがありました。流作場とは、河川堤防内の田んぼのことで、洪水のときは収穫がありません。ハンノキは、かさがけ(木の間にロープを張り稲を干すこと)に利用されました。

②むかしは川でカラスガイ取りが行われていました。

③藤塚地域では、河畔砂丘が形成されました。河畔砂丘は、大きな河川の平野部に作られる特殊な地形で、川の氾濫と季節風によって作られます。

                  この付近の今昔。

                                                                   

1880年代のようす。渡船場がある。川沿いが旧日光街道。     2010年代のようす。藤塚橋が架かっている。

                                                                          1880年代のようす。自然堤防があり、微耕地が広がっています。

「藤塚橋」。この橋を渡って「一ノ割駅」へ。

「起点から11.24㎞」。

川の中央に木がポツンと。

東武伊勢崎線「一ノ割駅」。

「一ノ割」は、古くは「下総(しもうさ)の国」に属し「市野(いちの)割(わり)村」と呼ばれていました。 その後、田畑となっている土地を、一ノ割、ニノ割と分けて呼んだ事から、明治時代には「一ノ割村」となったそうです。 大正15年、東武伊勢崎線の新駅開設時には、地名から「一ノ割駅」と命名されました。

今回は、ここまで。

次回、「大落古利根川」の起点まで歩くことに。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« JR武蔵野線「吉川駅」~東... | トップ | 東武伊勢崎線「一ノ割駅」~... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

中川を遡る」カテゴリの最新記事