水管橋と並んで「古利根橋」。
対岸は、越谷市。
下流を振り返る。
「始点(中川合流点)から8.13㎞」。
先に見える橋が「古利根川橋」。
国道4号線バイパス。
古利根橋を振り返る。
古利根川橋をくぐります。橋のたもとにうどんのお店が。土手沿いに幟がはためく。
水原秋桜子の句。青葭の そよぎて禽は 水に入りぬ
※「青葭」夏の季語
釣り人一人。
植え終えたばかりの田んぼ。
ここにも小舟。
うち捨てられたまま。
「起点(中川合流点)から10㎞」。東武線「一ノ割駅」まであとわずか。
「川の駅ふじつか」案内図。
①大落古利根川周辺には、流作場と呼ばれる田んぼがありました。流作場とは、河川堤防内の田んぼのことで、洪水のときは収穫がありません。ハンノキは、かさがけ(木の間にロープを張り稲を干すこと)に利用されました。
②むかしは川でカラスガイ取りが行われていました。
③藤塚地域では、河畔砂丘が形成されました。河畔砂丘は、大きな河川の平野部に作られる特殊な地形で、川の氾濫と季節風によって作られます。
この付近の今昔。
1880年代のようす。渡船場がある。川沿いが旧日光街道。 2010年代のようす。藤塚橋が架かっている。
1880年代のようす。自然堤防があり、微耕地が広がっています。
「藤塚橋」。この橋を渡って「一ノ割駅」へ。
「起点から11.24㎞」。
川の中央に木がポツンと。
東武伊勢崎線「一ノ割駅」。
「一ノ割」は、古くは「下総(しもうさ)の国」に属し「市野(いちの)割(わり)村」と呼ばれていました。 その後、田畑となっている土地を、一ノ割、ニノ割と分けて呼んだ事から、明治時代には「一ノ割村」となったそうです。 大正15年、東武伊勢崎線の新駅開設時には、地名から「一ノ割駅」と命名されました。
今回は、ここまで。
次回、「大落古利根川」の起点まで歩くことに。
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