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第一京浜との交差点を渡って、京急鶴見方向に進みます。だんだんと賑やかな商店街に入っていきます。これまで違って人通りも多くなってきました。
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「蛇族 まむしや 戸山生命堂」。もう廃業したようすの古い店先。
繁華街。
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駅前の交差点を越えて進むと、旧東海道の案内板。鶴見は川崎宿と神奈川宿との間の「間(あい)の宿」として賑わったようです。品川の先から川崎宿と少し内陸寄りに進んでいた「東海道」。この辺りから再び海岸に沿って南の方向、「神奈川宿」に向かいます。視界が開けるこの地は風光明媚な土地だったようです。
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1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。西側にある直線は東海道線。JR鶴見駅が「鶴見乗車場」と記されている。「杉山社」とあるのが、現在の「鶴見神社」。旧東海道は、現在の通りのまま。
「鶴居堂」跡。
ここには、せきの特効薬「苦楽丸」で街道筋に知られた「鶴居堂」を営む黒川四郎左衛門の屋敷がありました。・・・
正目奥が「鶴見神社」。
「身禄道」。鶴見神社の参道をいう。富士山信仰を広めた食行身禄の像がまつられていることによる。境内の奥に「富士塚」が残されている。
なお、「食行身禄」と「富士講」について、「『富士山コスモロジー』(藤原成一)青弓社」P109~に詳しく記載されている。
「富士塚」(「Wikipedia」より)
「富士塚」とは、富士信仰に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚のこと。都内にもいくつか残されている。神奈川県内にも多く残されているようだ。
鶴見神社は、古来、杉山大明神(杉山神社)と称された。「杉山神社」と称する神社は、全国でも横浜市と川崎市、特に鶴見川流域にのみ散在・鎮座し、数十社が現存する。
「鶴見駅」方向を望む。
案内板。↓が旧東海道(赤い線)。これから「鶴見川橋」に向かいます。
繁華街を抜けて静かな文教地区へ。この辺の道幅は旧東海道当時と同じようにいくぶん広くなっている。
道標「寺尾稲荷道」。
馬場稲荷社(寺尾稲荷)
寺尾城址の西山麓に寺尾稲荷が祀られている。現在は地名が馬場になったことから馬場稲荷と呼ばれているが、古くは寺尾稲荷と呼ばれていた。
江戸時代には馬術上達がかなえられる稲荷として有名になり、江戸からの参詣者も多かった。それを物語る奉納絵馬・石碑類が多数残されている。
正一位相国稲荷の位をもつこの寺尾稲荷は、『新編武蔵風土記稿』の「馬場村 稲荷社」に、「正一位相国稲荷と号す。相国の文字いかなる故と云ことを知らず。馬術を学ぶ人当社に祈誓して大いに感応ある由。いづれの頃か紀伊殿厩を預かれるもの信仰して相国の号を与へしと云・・・・」とあり、江戸時代に紀州藩や江戸城の馬回り役から信仰されていたことを裏付けている。
旧東海道鶴見村の東海道との分岐点(現鶴見図書館前)にある「寺尾稲荷道」の道標は3度も建て替えられている。
(
HPより)
この「古道」は、現・東横線菊名駅に通じていて、「寺尾稲荷(馬場稲荷)」はその途中にある。
「鶴見川橋」。もともとは「鶴見橋」と称したが、旧名は「第一京浜」に譲った。
「鶴見橋」絵図。
橋の手前にある旧家の表札に住所の変遷が記されている。
東海道武蔵国橘樹郡鶴見村字三軒家→神奈川県橘樹郡生見尾村鶴見三家→横浜市鶴見区鶴見町1,921→横浜市鶴見区鶴見中央2-17-18
(注:①橘樹郡(たちばなぐん)=かつて橘樹郡内であった現在の川崎市高津区子母口富士見台に弟橘媛の御陵とされる富士見台古墳があることによると伝えられ、日本武尊・弟橘媛を祀る橘樹神社がある。
②生見尾村=旧生麦村の「生」、旧鶴見村の「見」、旧東寺尾村の「尾」を合わせて「生見尾村」となった。)
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ここには、せきの特効薬「苦楽丸」で街道筋に知られた「鶴居堂」を営む黒川四郎左衛門の屋敷がありました。・・・
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なお、「食行身禄」と「富士講」について、「『富士山コスモロジー』(藤原成一)青弓社」P109~に詳しく記載されている。
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「富士塚」とは、富士信仰に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚のこと。都内にもいくつか残されている。神奈川県内にも多く残されているようだ。
鶴見神社は、古来、杉山大明神(杉山神社)と称された。「杉山神社」と称する神社は、全国でも横浜市と川崎市、特に鶴見川流域にのみ散在・鎮座し、数十社が現存する。
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馬場稲荷社(寺尾稲荷)
寺尾城址の西山麓に寺尾稲荷が祀られている。現在は地名が馬場になったことから馬場稲荷と呼ばれているが、古くは寺尾稲荷と呼ばれていた。
江戸時代には馬術上達がかなえられる稲荷として有名になり、江戸からの参詣者も多かった。それを物語る奉納絵馬・石碑類が多数残されている。
正一位相国稲荷の位をもつこの寺尾稲荷は、『新編武蔵風土記稿』の「馬場村 稲荷社」に、「正一位相国稲荷と号す。相国の文字いかなる故と云ことを知らず。馬術を学ぶ人当社に祈誓して大いに感応ある由。いづれの頃か紀伊殿厩を預かれるもの信仰して相国の号を与へしと云・・・・」とあり、江戸時代に紀州藩や江戸城の馬回り役から信仰されていたことを裏付けている。
旧東海道鶴見村の東海道との分岐点(現鶴見図書館前)にある「寺尾稲荷道」の道標は3度も建て替えられている。
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この「古道」は、現・東横線菊名駅に通じていて、「寺尾稲荷(馬場稲荷)」はその途中にある。
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東海道武蔵国橘樹郡鶴見村字三軒家→神奈川県橘樹郡生見尾村鶴見三家→横浜市鶴見区鶴見町1,921→横浜市鶴見区鶴見中央2-17-18
(注:①橘樹郡(たちばなぐん)=かつて橘樹郡内であった現在の川崎市高津区子母口富士見台に弟橘媛の御陵とされる富士見台古墳があることによると伝えられ、日本武尊・弟橘媛を祀る橘樹神社がある。
②生見尾村=旧生麦村の「生」、旧鶴見村の「見」、旧東寺尾村の「尾」を合わせて「生見尾村」となった。)
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