おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「日光道中」をゆく。総集編。 第3日目。(「春日部駅」から「幸手駅」まで)。

2016-08-02 21:18:20 | 日光道中
 5月20日(金)。(9:55)旧道に戻って再開。
埼玉県信用金庫春日部支店前の解説板。

日光道中粕壁宿
 日光道中は、東海道・中山道・甲州街道・奥州街道を合わせた、「五街道」と呼ばれる街道のひとつで、江戸時代初期には、日光街道あるいは日光海道と記されていました。しかし正徳6年(1716)に五街道に名称についての御触れが出され、日光街道は海のない国を通るため、日光道中と改められました。
 粕壁宿は、江戸時代元和2年(1616年)に日光道中千住宿から数えて第4の宿場に定められたとされています。寛永13年(1636)に日光東照宮が完成し、将軍や諸大名の参詣で日光道中の各宿場はにぎわい一段と発展しました。江戸時代の終わりの頃の記録よると、宿場は「名主3軒」「本陣1軒」「問屋場1軒」「寺院8軒」「旅籠45軒」をはじめ、米穀商・質屋・薬屋などの商店や農家の家並みで159軒を配し、新町橋より横町・寺町・上宿・中宿・新宿・三枚橋・新々田・下宿の8つの字に分かれていました。

その先に「日光道中粕壁宿 問屋場跡」

    
 その先右手には、「永嶋庄兵衛商店」。創業は「慶長年間」とか。「慶長」は、天下分け目の関ヶ原の合戦、豊臣の滅亡、徳川幕府の成立など日本史の上では激動の時代。お米などを扱うお店のようで、けっこう人の出入りがありました。

蔵造りの建物。裏手に長く家屋が続きます。

中央奥に「最勝院」。
 その手前の交差点を右に折れ、「新町橋」を渡ります。

その交差点のところに黒光りした蔵造りのおうち。 
高札場跡 浜島家住宅土蔵
 この十字路は、明治22年(1889)の岩槻新道が開通してからのもので、それ以前は日光道中と寺町通が分岐する三叉路だった。多くの人びとが集まる場所であることから、幕府からの触書(法令等)を掲示する高札場(高さ3.1m、幅4.6m、奥行1m)が設置された。通りの向かいにある黒壁の土蔵は、戦前まで佐渡屋の屋号で米穀商を営んでいた、浜島家の土蔵(国登録有形文化財)である。明治時代前期には建てられていたと推定され、1階は座敷、2階は使用人の部屋兼倉庫として利用された。 

    
                       「新町橋」と「大落古利根川」の流れ。

「新町橋」を渡ってしばらく先の交差点を左斜めに。
                      

その先、右手に「小渕一里塚跡」碑と「庚申塔」。

 前方にY字路。ここは、「日光街道」と「関宿(せきやど)往還との追分。
                         

(10:16)大小二つの道標があります。      

 そのすぐ先で「国道4号線」に合流し、さらに「国道16号線」と交差します。
                             

                       (10:22)「東京から37㎞」ポスト。

その先で、春日部市から杉戸町に入ります。

 (10:35)その先の駐車スペース手前には「北緯36度線」の地球儀のモニュメント。
                       

    
 「すきすきすぎーと36」。同じ緯度線上にはチンタオ、ナッシュビル、ラスベガス、グランドキャニオン、テヘラン、杉戸町、ジブラルタル、地中海、カラコルムがあるそうです。

しばらく進んでから、左の道に入ります。

 左手に「九品寺」。境内には「日光街道」の道標があります。
    

 また、道標の左下には几号水準点が刻まれています(○のところ。「不」)。草加宿のはずれの神社で見たものと同じです。
                  

真向かいのおうち。ここが立場だった家? 

 「堤根(南)」交差点で「国道4号線」に合流します。
(11:08)「東京から40㎞」ポスト。

(11:10)左側にちょうど満開を迎えたバラ園。

色とりどりのバラの花と香りに誘われて少し寄り道。店内はお客さんで賑わっています。たくさんの種類の苗木の販売を行っています。今回は鑑賞するだけですが。
    

 しばし堪能し、街道歩きを再開。「堤根」交差点のY字路で左の道に入ります。
    

 しばらく進むと、右手のおうちの生け垣に隠れるように「三本木一里塚」の解説板があります。つい見逃してしまいそう。
                           三本木一里塚 

いよいよ「杉戸宿」の中心部へ。

杉戸宿
 現在の埼玉県北葛飾郡杉戸町中心部に相当する。日光街道の江戸・日本橋から数えて5番目の宿場。
 古くから利根川(現・古利根川)の渡し場があり、日本武尊が東征を行った際にこの付近に上陸し、そこが杉の木が茂る港(水門)であったことから杉門と名付けられたとする伝説がある。
 宿場自体は五街道の整備に伴い、1616年(元和2年)に近郊の郷村を集めて成立した。宿場は街道に沿って町並みを構成し、5と10のつく日には六斎市が開かれ、近郷商圏の中心地となっていた。町中は新町・下町・中町・上宿に分かれ、それぞれに名主や問屋が置かれ、本陣・脇本陣はいずれも中町に置かれていた。
 天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、杉戸宿の距離1里21町、町並8町20間、道幅5間、人数1663人(男789人、女874人)、家数365人、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠46軒(大4・中7)、問屋場1軒、宿建人馬25人25疋であった。
 現在の町並みは、都市化の影響をさほど受けていないためか旧家も比較的よく残り、旧宿場街の面影を感じさせる。(以上、「Wikipedia」より)

 右手にお茶の老舗「いとや」さん。どっしりとした店構えです。
    

 (11:34)「杉戸町役場」の先には「関口酒造」。
     
                      豊嶋屋/関口式右衛門邸
 街道沿い、まさに江戸期を思わせるたたずまいの大きな古民家が豊嶋屋です。現在は屋号を関口酒造としています。
 創業1822(文政5)年とされ、現在で14代目。長きに渡り地域に愛されてきました。造り酒屋では現当主曰く、6代とも8代とも伝えられ、江戸期からの老舗です。

 その先、JA農協の前には遊歩道ができています。かつての用水路跡のようです。
     
南側用水路の由来
 南側用水路は、江戸時代初期の万治3年(1660年)、利根川筋・本川俣村に葛西用水の取水口が作られた際に、その支流として当時の幸手領南側一帯(幸手市から杉戸町を経て春日部市まで)に農業用水を供給するために設けられました。
 杉戸町を9.5kmに渡り流れる南用水路は、大切な農業用水路としての役割を果たすとともに、清らかな水に魚が泳ぎ、沿線の人々の生活に深く係わりながら、身近な水辺として親しまれてきました。
 しかしながら、農業用水のパイプライン化により、昭和63年3月に300年あまりに渡る用水路としての役割を終えました。
 南側用水路の跡地は杉戸町の貴重な都市空間であり、町民共通の財産でもあります。
 この遊歩道は、貴重な南側用水路の跡地を町民の皆さんにより親しんで頂けるように、遊歩道として整備したものです。

   平成6年7月

慎ましく営業している? 「銭湯」。

「本陣跡地前」交差点。

(11:48)三井住友信託銀行のところに「明治天皇御小休所跡」碑。

まだまだ古いおうちが残っています。古びた「板ガラス」の看板。

 宿場特有の舛型に近づく手前には道標が。「左 久喜方面 右 幸手方面」。

    
                 角穀跡/小島定右衛門邸
 宿場の特徴のひとつでもある町端の「枡型」。その道沿いに堂々たる風格を見せる古民家が「角穀」です。母屋と蔵が並ぶ優美さは道行く人の心にひときわ刻み込まれてきたことでしょう。
 かつて敷地内には、表の蔵(袖蔵)に続きさらなる他の蔵三つが連なっていました。敷地を囲む外壁にも収納空間があったといいます。屋内では大木を使った梁や柱が木材の美しさを際立たせています。また、母屋二階から見晴らす街道のほぼ全景には、ここからでしか味わえない爽快さが感じられます。
 創業は二代目小島定右衛門によるそうです。屋号は枡型の通りの「角」にある「米穀問屋」を意味しています。日本橋蛎殻町や門前仲町といった場所の、四つの商店と情報を共有し、相場の変動にあわせた米取引を行いました。米の輸送する際には、近くを流れる大落古利根川を利用していたそうです。角穀は、杉戸宿の面影を今に伝える貴重な建物です。

 「草加宿」の時と同じような「枡形(曲輪)」=「曲尺手(かねんて)」となっている道筋、建物も立派です。

「宝性院」。

電柱に巻かれた赤いテープ。
 これは、昭和22年カスリーン台風での実蹟浸水深を示すもの。ここは、0.4m。
 この先もこの赤テープが出てきますが、進むにつれてだんだん浸水水位が深くなっていきます。「日光街道」沿道も大きな被害にあったことが分かります。

道路の向こうの電柱にも浸水水位の赤テープ。1mを越えています。

(12:45)しばらく進むと、「国道4号線」に合流します。その先には、ペコちゃんポコちゃんが屋根の上に。この先は、3㎞近く、ひたすら国道歩き。
           

はるか前方に「山田うどん」の看板。「山田うどん」はこの辺りの定番。  

 (13:08)何の気なしに近づいてみたら、何と「茨島一里塚」解説板。
          
 この一里塚は、江戸・日本橋から11里目。

幸手市に入ります。

        (13:15)「東京から45㎞」ポスト。

 (13:23)ようやく国道から離れて左の道を進みます。
    

畑の向こうを東武線の電車が通過中。

東武線の踏切。

    
                  田植えを終えたばかりの田圃が一面に。

「上高野村道路元標」。「幸手市南公民館」正門脇にあります。

 その先の「圏央道」の高架下をくぐります。この付近の旧道は少し替えられたようです。
    

    

 (13:42)この先で、「日光御成街道」との合流点に。「ベルク」に突き当たります。左からの道が「日光御成街道」。

    

日光道中・日光御成道合流点

 日光道中は宇都宮まで奥州街道を兼ね、千住から草加・粕壁を通り幸手へと至り、ここで日光御成道と合流します。
 川口・鳩ヶ谷・岩槻を抜けて幸手に至る御成道は、家光の時代に整備され、徳川家康を祀る東照宮に参詣する代々の将軍が通行しました。
 また、地元で羽生道と呼ばれている道も合流しており、ここを多くの旅人が行き交ったことと思われます。

 幸手市教育委員会

       
     「日光道中」。                     「日光御成街道」。

 (HPより)

再び東武線の踏切を渡ります。遠くに「幸手」駅。

 沿道には「カスリーン台風」での浸水水位の赤テープ。
          軒下まで来ています。

    らき☆すた」のシール。
「小早川ゆたか」              「柊つかさ」

???

 『らき☆すた』は、美水かがみによる日本の4コマ漫画作品、およびそれを原作としたゲーム、アニメ、小説作品。KADOKAWA(角川書店ブランドカンパニー)の月刊ゲーム雑誌『コンプティーク』において2004年1月号より連載されているほか、『コンプエース』など数誌で掲載されている。
 タイトルはLucky Star(ラッキー スター)が原義であり、単行本表紙のロゴにもそうデザインされている。作者の美水によれば「女の子が学園生活を送る漫画のタイトル」としてイメージした結果、女優が演じるという意味合いの「スター」と、「幸運」や「気まぐれ」という意味を持つ「ラッキー」をあわせたとしている。

《主な舞台》
 アニメ版の舞台は埼玉県春日部市をモデルにしている。
陵桜学園高等学校(りょうおうがくえんこうとうがっこう)/陵桜学園高等部(りょうおうがくえんこうとうぶ)
 こなた達が通う学校。埼玉県内にあるという設定。こなた達の学年で13クラスもあるマンモス校。女子の制服はセーラー服で、スカートと襟の色が冬服は赤で夏服は青。プールはあるが、体育の授業になぜか水泳は入っていない。アニメ版では作者の出身校(春日部共栄高等学校)がモデルとなっている(エンディングクレジットの「スペシャルサンクス」で表記)。
鷹宮神社(たかのみやじんじゃ)
 柊姉妹の父が宮司を務める神社で、柊家はこの境内に居住する。家の電話機は古い黒電話で電電公社の600形電話機である。アニメ版でのモデルは埼玉県久喜市(旧北葛飾郡鷲宮町)にある鷲宮神社。こちらの最寄り駅は東武鉄道伊勢崎線鷲宮駅下車5分程度。埼玉新聞での掲載4コマなどでは鷲宮神社がそのまま登場しているが、あくまでもモデルとしてである。
糟日部駅(かすかべえき)
 アニメ版にのみ登場、鉄道会社は糖武鉄道(とうぶてつどう)と表記されている。モデルは東武鉄道伊勢崎線・野田線春日部駅。泉家の近所埼玉県幸手市と思われる。『陵桜学園入学案内書』の「らき☆すた関連マップ」でも東武鉄道日光線幸手駅が「泉家の最寄り駅」として記載されており、アニメ版では幸手市内や権現堂堤がモチーフとして用いられている。
 幸手市は作者の出身地であり、作者の旧居が2009年春に泉家を再現する形でギャラリー兼交流施設「きまぐれスタジオ 美水かがみギャラリー幸手」として2011年初めまで開館していた。

・・・

 「倉松川」に架かる「志手橋」を渡ると、「幸手宿」の中心部に入ります。
    

几号高低標(英国式水準点)。

 「幸手駅入口」交差点の右手角には伝統的な商家の趣のおうち。
     
 その脇には、
                               「幸手宿まちなみマップ」。

さらに、交差点の左手、一角には「明治天皇行在所跡」碑。

交差点近くにある古い商家。

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