「好文亭」。
解説板。
好文亭は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)が詩歌・管弦などの催しなどをして家中の人々とともに心身の休養をはかるために天保13年(1843年)に建てたものです。
好文というのは梅の異名で、「文を好めば則ち梅開き,学を廃すれば則ち梅開かず」という中国の故事にもとづいて名付けられました。
建物は木造3階建ての好文亭本体と北につながる奥御殿(平屋造り)からなり、全体を総称して好文亭と呼んでいます。斉昭はその位置から建築意匠まで自ら定めたといわれています。 奥御殿を設けた理由は、万一城中に出火などあった場合の立ち退き場所として備えられたためと、当時貼んないでは管弦など禁制であったので城中の婦人達の遊息の場所としたという配慮があったようです。
昭和20年(1945年)8月2日未明の空襲で全焼しましたが、昭和30年(1955年)から3年をかけて復元されました。昭和44年(1969年)9月落雷により奥御殿と橋廊下は焼失しましたが、昭和47年(1972年)2月に復元されました。
平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災では壁の剥落など大きな被害を受け閉館を余儀なくされましたが、平成24年(2012年)2月に復旧しました。
好文亭本体は柿こけら葺き、奥殿は茅葺で、調和のとれた素朴清雅な格調高い数寄屋造りです。
「芝前門」。 「中門」。
梅の木は花もさることながら、枝ぶりも大事。
満開ならさぞかし見事。
梅の下の小径をたどる。
表門の方へ進む。陽から陰へ。木漏れ日の中。
「一の木戸」。 「表門」。
あわただしく一巡して再び東門へ。3時過ぎ。東門からのバスをけっこう待って、水戸駅に戻りました。待っている間も自家用車が次々と訪れています。シーズン中はそうとう混み合う感じです。
水戸駅から3時半過ぎの常磐線・普通列車で帰京しました。
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