おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「上小川駅」~「常陸大子駅」。「袋田駅」・袋田の滝。常陸大子駅・常陸大子町・茨城県の最北西端。ノーベル平和賞・「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」。(「水郡線」の旅。その4。)

2024-10-12 18:53:49 | 鉄道の旅

「久慈川」が間近に。

「奥久慈渓谷」。

名勝「袋田の滝」への最寄り駅「袋田駅」に着きます。

到着すると、袋田の滝に向かうバスに乗り込む観光客。

「袋田の滝」

日本三名瀑のひとつ 

久慈川の支流滝川に架かる袋田の滝は、日本三名瀑に数えられ、高さ120メートル、幅73メートルの大きさを誇ります。
滝の流れが大岩壁を四段に落下することから、別名「四度(よど)の滝」とも呼ばれ、また一説には、その昔、西行法師がこの地を訪れた際、「この滝は四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない」と絶賛したことからとも伝えられています。

四季折々に変化する滝 

四段の岩壁を流れる水のつくり出すラインは白糸のようになめらかに、そして時には激しく、さまざまな顔を見せてくれます。
新芽吹く木々の緑に縁どられた春、涼を求めての夏、あでやかな紅葉が滝のお化粧をする秋、厳しい寒さで滝が凍結する冬と、袋田の滝は四季折々に姿を変えてくれます。

冬の氷瀑の姿 

四季ごとにその姿を変える袋田の滝。厳しい冬には滝全体が真っ白に凍結する。※天候条件により凍結しない場合もあります。
また、冬季に開催されるイベント「大子来人~ダイゴライト~」では、自然と光が作り出す神秘の空間に、雄大に落ちる滝の流れが荘厳な墨絵のように浮かび上がります。

(この項「観光いばらき」HPより)

冬は、滝が凍結する「氷瀑」現象が発生することがある。全面凍結はかつては毎年のように見られたが、近年は2012年が最後で、氷瀑の脇を水が流れる

華厳滝那智滝とともに日本三大名瀑の一つに挙げられる場合もあり、日本の滝百選にも選定されている

袋田の滝は、久慈川の支流滝川の水が、何百万年もの浸食にも耐えてきた、かつての海底火山の噴出物が作る断崖から落ちることによって作られた。地形としては日光男体山の溶岩によって川がせき止められてできた日光華厳滝に似ているが、この溶岩は約2万年前のもので、地質学的には袋田の滝の場合よりもはるかに新しい。

(この項「Wikipedia」参照)

  

「久慈川橋」が遠くに。

「常陸大子駅」に近づきます。

※蒸気機関車C12 187静態保存されている

常陸大子駅(ひたちだいごえき)。

茨城県久慈郡大子町大字大子にある。水郡線における東京近郊区間、およびSuica首都圏エリアは当駅が最北端である。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅になっている[1]。互いのホームは跨線橋で連絡している。車両基地および乗務員基地である水郡線統括センターを有するため、留置線が多い。留置線奥には転車台が設置されているが、使用機会は少ない。

水郡線統括センター拠点駅。直営駅駅長配置)であり、管理駅として瓜連駅 - 磐城守山駅間の各駅を管理している。みどりの窓口自動券売機・簡易Suica改札機が設置されている。駅舎の半分にはヤマザキショップが入店していたが、2023年3月31日をもって閉店している。

また、当駅で後ろ3両を切り離し、前1両だけが郡山行きとして運行する水戸駅09:23発と13:15発の郡山行きなど 当駅で増解結を行う列車がある。

※今回(10月5日)は、2両編成で郡山へ向かいました。

        

常陸大子町

本町は茨城県の最北西端で、中心地(役場所在地)は海抜103m、東経140度21分、北緯36度46分に位置しています。北は八溝山系を境に福島県、西は栃木県、東は茨城県常陸太田市、南は茨城県常陸大宮市にそれぞれ境を接しています。
近隣都市との位置関係は、水戸市の北約55km、栃木県宇都宮市の北東約70km、福島県郡山市の南約80kmの地点にあり、水戸市と郡山市は国道118号及びJR水郡線で結ばれ、ほぼその中間点に位置し、宇都宮市とは国道,主要地方道などで結ばれています。

本町は、もと陸奥国白河郡に属し、「倭名類聚鈔」のいわゆる白河郡17郷のうち、八溝山東南の地で、10世紀前半には既に「依上郷」として成立しました。その後、「依上保(よりかみのほ)」と呼ばれました。
その地方は、下総の結城朝光の孫、祐広が白河に居住以来いわゆる白河結城氏の影響を受け、在地領主の勢力拡張の場であったといいます。
さらに永正年間に至り、依上保は佐竹義舜の支配下におかれ、文禄の太閤検地によって、佐竹義宣が領有するところとなりました。以来、この地方は常陸国に属するようになったわけです。
この依上保は、慶長7年に佐竹義宣が秋田へ移封されてから、水戸の徳川氏の所有になりました。そして、明治元年に徳川昭武が水戸藩知事になり、明治4年7月の廃藩置県のときに水戸県に属し、同年11月13日に茨城県に属するようになりました。

(この項「大子町」HPより)

附 今年のノーベル平和賞は、「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」に授与されました。「核兵器のない世界の実現に向けた努力」を評価されたものです。唯一の被爆国民として、被爆の実相を世界に訴え続け、核廃絶に向けた運動を長年リードしてきたことの証です。ノルウェーのノーベル賞委員会は被団協について「核兵器が二度と使用されてはならないことを証言を通じて示した」とたたえています。

ロシアのウクライナ侵攻イスラエルのガザ侵攻など、さらに北朝鮮の核・ミサイル開発で核の脅威が高まる中「核なき世界」に向けた機運を高めていかなければならない、と。

石破首相は、以前から「非核三原則」の撤廃などをはじめとして、戦争の出来る国づくりを声高に主張してきました。

今こそ、「ノーモアヒロシマ・ナガサキ」、「核廃絶」の国民運動を広げていくことが国民皆に求められています。

         (写真は、「共同通信社」より)


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