先ほどの分かれ道に戻り、そのまま右へ進んで行くと、「仙台坂」へ。
この付近の案内図。
中央の斜めの道が「仙台坂」。右上部の広い緑のところは、「有栖川記念公園」一帯。公園をはさんで「木下坂」、「南部坂」があります。
「本村公園」の先にあった古い木造の建物。
この付近は、坂道が多く、区画が細かく入り組んでいて、民家も多い。昔懐かしい雰囲気のある町並みです。将来、大きな開発事業が始まれば、すっかり変貌しそうな地域(「六本木」界隈のように)。空き地もある中で、昔からのおうちもまだまだあります。
「仙台坂」。
坂の南側一体が仙台藩伊達氏の下屋敷であったところからその名に呼ぶこととなった。
坂の途中から坂下を望む。
「仙台坂」の右手に「韓国大使館」があるため、坂周辺にも現代版見附・検問所が設置されていて、機動隊員があちこちに配置されています。
坂の上部にある標識。そばに機動隊員が立っていたので、顔が写らないようトリミング。
この右手側の坂が「一本松坂」(から「大黒坂」「暗闇坂」へと通じる坂道)。これから北の方面の坂は「麻布十番駅付近の坂」編で紹介済み。
坂下を望む。
仙台坂を上って、「運動公園」のところを左折すると、「南部坂」。
南部坂
有栖川宮記念公園の場所が赤坂からうつってきた盛岡城主南部家の屋敷であったために名づけられた。(忠臣蔵の南部坂は赤坂)
ここにもあるように、『忠臣蔵』の名場面のひとつ、大石良雄が瑤泉院に暇乞いに訪れた「南部坂雪の別れ」の舞台としても知られる「南部坂」とは別。
坂の左手に「ドイツ大使館」。その壁には「ベルリンの壁」にかかわる歴史パネルが掲示されています。
同一の場所にこける、東西に分断された「ベルリンの壁」が存在していた頃とベルリンの壁の崩壊、東西ドイツの統一後のようすがパネルで紹介されています。
ブランデンブルグ門。
年表。 壁の構築。
坂下から坂上を望む。
「有栖川宮記念公園」を右に回り込むと、「木下坂」。
木下坂
北側に大名木下家の屋敷があり、その門前に面していたために、呼ばれるようになった坂名である。
坂の途中から。左側が「有栖川宮記念公園」。 坂下。
広尾駅付近の商店街。
この付近は、老若男女、さまざまな言語が飛び交う街でした。
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