今回は、JR「お茶の水」から「市ヶ谷」まで。淡路公園。錦華公園。西神田公園。上六公園。
④淡路公園。淡路小学校(廃校)
この辺りの変貌も著しく、久々に来てびっくり。古い校舎の小学校もなくなり、静かな緑の公園もまるで面影なし。
1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。右端に「小川女子小学校」とある(旧淡路小学校沿革史の赤字部分参照)。なお、地図の中央は、現在のニコライ堂付近。
上とほぼ同じ場所の1970年代のようす(「同」より)。右の赤い↓が「淡路公園」「淡路小学校」。中央の↓がニコライ堂。
《旧淡路小学校 沿革》
明治 8(1875).11. 4 神田小川町1番地に開校、当時小川小学校と称す
明治 11(1878). 2.26 小川女子小学校と改称
(錦華小学校と男女児入れ替え本校は女児のみ収容)
明治 11.10. 1 神田淡路町2丁目(旧校地)に移転
明治 32. 5. 9 東京市淡路女子尋常高等小学校と改称
明治 41. 4. 1 東京市淡路女子尋常小学校と改称
(高等科児童全員神田高等小学校へ移籍)
明治 44. 3.23 新校舎落成(木造3階建)
明治 44(1911). 4. 1 東京市淡路尋常小学校と改称(男女共学化)
大正 12. 9. 1 関東大震災により校舎全焼
昭和 2. 3.22 新校舎落成
(「昌平小」HPより)
※「震災復興校舎」としては、その後、1993(平成5)年、統廃合で廃校になるまで現役の校舎。
その跡地には、再開発プロジェクト「WATERRAS/ワテラス」が2013年4月に開業。
超高層ビルに大変化。
説明板。「淡路小学校」が平成5年、117年の歴史を閉じたことなどが記されている。
赤い印が淡路公園。
淡路小の校歌。モニュメントとして保存されている。
公園には、かつての「園公路淡市京東」と記された銘板と建設年月が記された記念碑があるなど、千代田区内のこれまで訪れたところよりも歴史を継承するためのモニュメントが置かれている、ような気がした。
かつてあった「開成学園発祥の地」の碑もそのまま(むしろ目立つ位置に)置かれている。(西日暮里への校舎移転は関東大震災により校舎が壊滅したため。)
北側に同じ頃完成したテナントビル「お茶の水ソラシティ」。
公園も一体としての再開発の対象でした。
開放的な芝生の広場に。
農産物の即売会が開かれていてそこそこの賑わい。「ワテラス」から下に公園を望む。
もともと段差がある公園なので、それを生かしたつくり。しかし、こんもりした雰囲気がない。帰宅後、かつての公園のようすが、
(公園探訪:公園の良さをじっくり観察「park.tokyo1970.com/data/149.html」)様のblog
に掲載されていましたのでお借りします。
この表示はモニュメントの一部として残っています。
今となっては実に貴重な写真になりました。
④淡路公園。淡路小学校(廃校)
この辺りの変貌も著しく、久々に来てびっくり。古い校舎の小学校もなくなり、静かな緑の公園もまるで面影なし。
1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。右端に「小川女子小学校」とある(旧淡路小学校沿革史の赤字部分参照)。なお、地図の中央は、現在のニコライ堂付近。
上とほぼ同じ場所の1970年代のようす(「同」より)。右の赤い↓が「淡路公園」「淡路小学校」。中央の↓がニコライ堂。
《旧淡路小学校 沿革》
明治 8(1875).11. 4 神田小川町1番地に開校、当時小川小学校と称す
明治 11(1878). 2.26 小川女子小学校と改称
(錦華小学校と男女児入れ替え本校は女児のみ収容)
明治 11.10. 1 神田淡路町2丁目(旧校地)に移転
明治 32. 5. 9 東京市淡路女子尋常高等小学校と改称
明治 41. 4. 1 東京市淡路女子尋常小学校と改称
(高等科児童全員神田高等小学校へ移籍)
明治 44. 3.23 新校舎落成(木造3階建)
明治 44(1911). 4. 1 東京市淡路尋常小学校と改称(男女共学化)
大正 12. 9. 1 関東大震災により校舎全焼
昭和 2. 3.22 新校舎落成
(「昌平小」HPより)
※「震災復興校舎」としては、その後、1993(平成5)年、統廃合で廃校になるまで現役の校舎。
その跡地には、再開発プロジェクト「WATERRAS/ワテラス」が2013年4月に開業。
超高層ビルに大変化。
説明板。「淡路小学校」が平成5年、117年の歴史を閉じたことなどが記されている。
赤い印が淡路公園。
淡路小の校歌。モニュメントとして保存されている。
公園には、かつての「園公路淡市京東」と記された銘板と建設年月が記された記念碑があるなど、千代田区内のこれまで訪れたところよりも歴史を継承するためのモニュメントが置かれている、ような気がした。
かつてあった「開成学園発祥の地」の碑もそのまま(むしろ目立つ位置に)置かれている。(西日暮里への校舎移転は関東大震災により校舎が壊滅したため。)
北側に同じ頃完成したテナントビル「お茶の水ソラシティ」。
公園も一体としての再開発の対象でした。
開放的な芝生の広場に。
農産物の即売会が開かれていてそこそこの賑わい。「ワテラス」から下に公園を望む。
もともと段差がある公園なので、それを生かしたつくり。しかし、こんもりした雰囲気がない。帰宅後、かつての公園のようすが、
(公園探訪:公園の良さをじっくり観察「park.tokyo1970.com/data/149.html」)様のblog
に掲載されていましたのでお借りします。
この表示はモニュメントの一部として残っています。
今となっては実に貴重な写真になりました。
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