満州に近い羅南での生活した家に竹林を思い浮かべたとおもっていたが、日本語版刊行によせたヨーコ・カワシマ・ワトキンズの文章から、北海道と同じく厳寒の地羅南には竹はなく、父が青森の実家の竹2,3株を羅南の屋敷に移植した林でないまばらな竹を、また見たこともない青森の竹林と重ねた望郷のことばと分かった。
陸軍病院の負傷兵慰問で、舞台で踊り終えた後食事を拒否する患者伍長と巡り合い、擁子から生きる希望がでた伍長さんからの指示で1945.7.29の真夜中に羅南を脱出、羅南から病人が乗る赤十字の貨物列車の壮絶な旅を克明に描いた。
しかし、貨物列車は元山で機関車2両が爆破、病人でない母、16才の姉好、作者擁子は貨物列車降りて、昼は寝て夜中に歩き、共産軍に爆破、運よく命拾いはしても、擁子は耳と胸を破片でケガしも、歩き通し京城で耳から破片を除去入院して、兄を待つが逢えず釜山から船で博多につきやっと祖国の土を踏んだ。母の裁量で焼けない京都の駅で生活、ここで母を亡くし、この家族を見ていたご婦人からの好意で離れの倉庫の2階で生活空き缶拾いやお手玉を作って売り姉は靴磨きで生計を立てた。
強姦を避けるための、髪を切り坊主頭に、軍服を着ての脱出であった。
この話は、満州からの引き揚げた仙台の方からも聞いているので、納得して読み進めた。次回に続く。
陸軍病院の負傷兵慰問で、舞台で踊り終えた後食事を拒否する患者伍長と巡り合い、擁子から生きる希望がでた伍長さんからの指示で1945.7.29の真夜中に羅南を脱出、羅南から病人が乗る赤十字の貨物列車の壮絶な旅を克明に描いた。
しかし、貨物列車は元山で機関車2両が爆破、病人でない母、16才の姉好、作者擁子は貨物列車降りて、昼は寝て夜中に歩き、共産軍に爆破、運よく命拾いはしても、擁子は耳と胸を破片でケガしも、歩き通し京城で耳から破片を除去入院して、兄を待つが逢えず釜山から船で博多につきやっと祖国の土を踏んだ。母の裁量で焼けない京都の駅で生活、ここで母を亡くし、この家族を見ていたご婦人からの好意で離れの倉庫の2階で生活空き缶拾いやお手玉を作って売り姉は靴磨きで生計を立てた。
強姦を避けるための、髪を切り坊主頭に、軍服を着ての脱出であった。
この話は、満州からの引き揚げた仙台の方からも聞いているので、納得して読み進めた。次回に続く。