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池田先生の「指導メモ」より
「信心に関する問題の場合には、第六天の魔王との戦いであり
どこまでも勝負である。戦い切らなければならない。
ただし、応用、立体作戦の場合には強い敵にあたることは愚かである。
賢明にいくべきだ。負けるに決まっている場合には
逃げたほうが利口なのである。そして『時』を待つべきである。
逃げ切って勝ったのは、徳川家康である。其れも勝つために
『時』をかせいだのである。
この兵法の理を知っていたからだと思う。
だからといって逃げてばかりいたのでは、ひきょうな人間になる場合がある。
戦っていい時と、戦いをさける時と、これをわきまえられる人は賢人だ。」
・・・・・・・・・・・
寸善尺魔の原理により、魔王の勢力は、仏軍の十倍である。
正面からぶつかれば、ほとんど勝ち目がないのが現実である。
この前提を知っている人を賢人という。その上で、御書に
「悪は多けれど一善にかつ事なし」(P1463)とあるように
不動の信念を持つことが大事になる。
力なき正義は、結果的に悪を助長させてしまう。だからこそ
正義であるならば、勝たなければならない。負け戦ならば撤退し
時を待ち、創ること。魔王との戦いは、生涯を賭けた大闘争となる。
一朝一夕の戦いではなく、短期決戦でもない。言うならば
仏法は永遠に魔王との戦いであるので、終わりはない。
魔王に打ち勝つ智慧と生命力を具えた人間が仏なのである。
魔王との戦いにおいて、時を創るとは、人材を育成することを要とする。
組織悪に染まらず、魔王を見破ることのできる人間を育てることである。
私も現在、4人の人材を手塩にかけて育てている。それも
10年、20年単位のビジョンでの育成である。それこそが
魔王を打ち破る根本となるからだ。どこまでいっても大事なのは人材である。
善き人材がいなくなった時、学会は滅びる。
時をただ待っていたのでは、魔王に勝てないどころか、卑怯者になる。
魔王のエネルギー源は、「何もしない善人」に他ならない。
何もしない善人は、組織悪に染まり、魔王に利用される。
54年も、何もしない善人の集まりだったから先生は
「情けなく、また、私はあきれ果てた」(桜の城より)と述懐された。
であるならば、個々においての魔王の戦いは、何もしない善人からの脱却が重要となる。
戦うのであれば、負けないための準備を整えること
準備が不足しているのであれば撤退し、出直すこと
そして、時を待つ必要があるならば、時を創ること
何もしないという選択肢は許されない。魔王の寝首をかくための切り札を
どれだけ用意できるか。それが、弟子の時代の広宣流布の戦い
「信心に関する問題の場合には、第六天の魔王との戦いであり
どこまでも勝負である。戦い切らなければならない。
ただし、応用、立体作戦の場合には強い敵にあたることは愚かである。
賢明にいくべきだ。負けるに決まっている場合には
逃げたほうが利口なのである。そして『時』を待つべきである。
逃げ切って勝ったのは、徳川家康である。其れも勝つために
『時』をかせいだのである。
この兵法の理を知っていたからだと思う。
だからといって逃げてばかりいたのでは、ひきょうな人間になる場合がある。
戦っていい時と、戦いをさける時と、これをわきまえられる人は賢人だ。」
・・・・・・・・・・・
寸善尺魔の原理により、魔王の勢力は、仏軍の十倍である。
正面からぶつかれば、ほとんど勝ち目がないのが現実である。
この前提を知っている人を賢人という。その上で、御書に
「悪は多けれど一善にかつ事なし」(P1463)とあるように
不動の信念を持つことが大事になる。
力なき正義は、結果的に悪を助長させてしまう。だからこそ
正義であるならば、勝たなければならない。負け戦ならば撤退し
時を待ち、創ること。魔王との戦いは、生涯を賭けた大闘争となる。
一朝一夕の戦いではなく、短期決戦でもない。言うならば
仏法は永遠に魔王との戦いであるので、終わりはない。
魔王に打ち勝つ智慧と生命力を具えた人間が仏なのである。
魔王との戦いにおいて、時を創るとは、人材を育成することを要とする。
組織悪に染まらず、魔王を見破ることのできる人間を育てることである。
私も現在、4人の人材を手塩にかけて育てている。それも
10年、20年単位のビジョンでの育成である。それこそが
魔王を打ち破る根本となるからだ。どこまでいっても大事なのは人材である。
善き人材がいなくなった時、学会は滅びる。
時をただ待っていたのでは、魔王に勝てないどころか、卑怯者になる。
魔王のエネルギー源は、「何もしない善人」に他ならない。
何もしない善人は、組織悪に染まり、魔王に利用される。
54年も、何もしない善人の集まりだったから先生は
「情けなく、また、私はあきれ果てた」(桜の城より)と述懐された。
であるならば、個々においての魔王の戦いは、何もしない善人からの脱却が重要となる。
戦うのであれば、負けないための準備を整えること
準備が不足しているのであれば撤退し、出直すこと
そして、時を待つ必要があるならば、時を創ること
何もしないという選択肢は許されない。魔王の寝首をかくための切り札を
どれだけ用意できるか。それが、弟子の時代の広宣流布の戦い
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