ずっと、父親とのふたり暮らしだったので。
漠然とではあったものの、父親の介護や看取りは至極当たり前のこととして考えていました。
ただし、それはドラマや物語で見聞きしてきた。
綺麗事で飾られた世界観でしかありませんでした。
父親の入院とともに。
病棟看護師、ソーシャルワーカーを経て。
介護申請を手助けして貰い。
地域包括センターのケアマネを当てがわれ。
三週間後と予定付けられた退院に向けて。
あれよあれよという間に、在宅介護プランが構築されていったのです。
その中で介護認定のための審査を受け。
誰もが、良くて要介護1か2辺りだろうと考えていて。
要支援認定だと、あまり介護サービスが利用できないから。
『認定審査の担当者には、とにかく困ることがたくさんある!とアピールしておけ』
とレクチャーされたりしてました。
当の私も、仕事は辞められないので。
週に2~3回のデイサービスを利用して。
入浴介助と食事(昼食)が受けられれば。
みたいな、託児所ならぬ託高齢者所みたいな感覚で青写真を描いていたのです。
その最中に父親は精神状態がキャパオーバーとなり。
受けた認定審査の結果は、要介護認定の最高峰。
要介護5を勝ち取ってしまったのです。
(大雑把にいうと、自力では身の回りのことがひとつも出来ない寝たきり状態)
それでも、父親を施設に入れて生活をしてゆくなど。
微塵も発想がなかったので。
そして、まだまだ在宅介護を甘く見ていたので。
半ば能天気な思考のまま。
父親を帰宅させるための準備に、入院が叶う3ヶ月をフルに利用して。
その時で出来る最大のプランで。
在宅介護に挑んだのでした。