雄一郎の半生

こんな人生もあるのですね。ノンフィクションの半生記
全ては、書けませんが。。。

5歳のころ両親が離婚

2020年11月16日 05時49分09秒 | 日記

5歳のころに

幼い記憶ですから、定かでは

ありませんが、私が5歳のころ

父の姿が見えなくなりました。

それまでは、父の膝に抱かれて

父のあごのひげを触った記憶があり

これが最後の記憶でした。

そして、私に、弟が出来ました。

 

のちに私の父と結婚した義母から

訊いた話によると、母は、5歳離れた

弟を、当時離婚して一人暮らしを

していた父の長屋に行き、

「離婚するなら、この子はあんたが

育てろと、」畳の上に放り投げたと

言います。父は、自分の子かどうか

分からない子供を、離婚して男一人では

育てる理由が見え出せずに、首を縦には

振らなかったそうです。

そこで、一緒に行った祖父が、「判った

それなら、俺がどんな思いをしても

育てる」と言い残して、弟を連れ帰った

ということでした。

次回につづく


5歳までの幸せな時、しかし。

2020年11月15日 19時38分59秒 | 日記

5歳ごろまでは

私が生まれてからの暫くは、

幸せな普通の家庭だっのですが・・

 

その時の家族は、おじいちゃんとおばあちゃん、

父と、母の5人住まいでした。

祖父母の間には、子供がおらずに

祖母の姉の一人娘が、19歳まで祖母の

実家で育てられており、成人した母を見た

祖父母は、祖母の実家に何とか母を養女にと

日参したそうです。しかし、祖母の母は、

祖父母に子がいなくて、初めて大きくなった

娘を養女にすることには、反対だったようです。

母も、幼いころに父と死別しており、その後は

母の母が育てていたのですが、その母も

病死して、幼いころに母の実家で育てられていました。

 

祖父母のもとに、養女として迎えられて

まもなく父が、母と結婚しました。

しかし、後で父に訊いた話では、父は婿ということもあり

あまり、良い扱いはされずにお金だけを全額

毎月、家庭に入れるだけの状態が続いたようです。

そんな父も、私にはクリスマスのプレゼントを

買ってきてくれたり、記憶にあるのは

初めての釣りに近くの小川に連れて行って

くれたりと愛してくれていました。

今考えると、そんな父に、祖母が普段父の事を

よく言わないことを感じていた私は、

わざと、釣竿を川に流してしまったりして、

父を困らせました。母は、父と結婚しても

男の人と平気で遊ぶような人だったのです。

父から聞いた話では、5歳離れた弟を母が

身ごもった時は、誰の子供かわからない

様な状態で、父は、本気で母を殺そうとまで

思ったそうです。しかし、周りの兄弟や

離婚のため弁護士に相談していたそうですが、

その弁護士からも、「今後の事をよく考えて」

と諭されて、思いとどまった

との話を聞きました。

 

次回に続く

 


昭和の中頃に生を受けて

2020年11月13日 22時25分00秒 | 日記

私の半生について書くことには、

ためらいもありましたが、何か残しておこう

と思いブログにすることにしました。

 
私が生を受けたのは、とある小さな村です。
初めの頃の記憶をたどりながら、
書いていきますが、嫌な気分になるかと
思いますが、そんな人生もあるかと、
失笑下さい。
 
5才ぐらいまでは、何も分からずこれから
どんな環境が待っているかは、
勿論幼い私には想像もつかなかったです。