従一位左大臣一条忠香の娘で、母は側室の新畑民子の一条勝子(マサコ)(1849~1914)は、美子(ハルコ)と改名して、1869年に第122代明治天皇((1857~1912)(在位1867~1912)に入内し女御宣下後皇后に立てられました。
陵は明治天皇陵とほぼ並んで同じような形で有ります
美子には子は産まれず、明治天皇側室の一人柳原愛子が産んだ嘉仁親王(ヨシヒト)を養子としました。
陵は丘陵地にあるので、眺めは良いです
明治天皇の崩御で、皇太子嘉仁親王が大正天皇として即位したので、皇太后になった美子ですが、2年後に沼津御用邸で狭心症の為亡くなりました。
Toitennさんに先に指摘されていた、陵の急こう配の階段ですが、手すりの無いこれぐらいの階段はもう降りるのは怖くなっています
その年に昭憲皇太后と追号され、夫の明治天皇と共に明治神宮の祭神とされましたが、陵墓は明治天皇陵の隣の同じ敷地、伏見桃山東陵(フシミノモモヤマノヒガシノミササギ)(伏見区桃山町)です。
あの辺、坂が多いですね。
子どもたちが歩いていたような坂道です。
車道に沿っての坂かなあ?