7月26日(日)、五島列島を直撃しそうだった台風12号は、勢力も弱まり東にもずれたので、五島にはそれほど被害も与えずに通り過ぎていきましたが、その日の朝9時、家内に看取られフークが息を引き取りました。
フークは2000年11月に盲導犬の優秀な家系に産まれ、パピーウオーカーをしてる家内の友人宅で1年間育てられた後、盲導犬の訓練を開始しましたが、やや臆病で物音に驚きやすい性格が直せないために盲導犬試験に不合格となりました。
(その頃はこのような犬はリジェクト犬と呼ばれていましたが、今はキャリアチェンジ犬と言っています)
それまではどちらかと言うと猫派である我が家に、キャリアチェンジ犬飼育ボランティアの命が友人から下り、2002年1月27日(日)に関西盲導犬センターからもらい受けたのがフークです。
フークと暮らし始めて、私の人生感は変わりましたし、車に乗せて信州や中国四国にも行きました。
そして10年前に五島列島に行こうと決心したのも、フークを飼ったおかげだと思います。
私自身も予想以上に五島(奈留島)の風土になじみましたが、フークは奈留島では「島一番の賢い犬」と子供からお年寄りにまで、又犬恐撫ヌや犬嫌いの島の人にも「フークだけは特別だ」と可愛がられ、私の鼻も高かったし、私以上に島では有名で皆さんに愛されました。
福江島の富江に来てからは、好きな車にも乗らなくなり(乗れなくなり)、この春頃からは散歩の距離も少しずつ短くなっていました。
1週間前に数回嘔吐し、その後はあれほど好きだった食べ物も受けつけず、2晩ほど夢の中で走り回ってるのか痙攣してるのか、足を動かして部屋中をはい回った後安らかに永眠いたしました。
14歳8ヶ月でした。
家内は泣いていますが、私は本当に薄情ものか、あれほど涙もろくなったと思っていたのに、肝心な時に涙は出ませんでした。
次の日火葬にして骨を拾ってきましたが、いつも寝床にしていた部屋の隅に布団がなく空虚なのを見ると、それでもやっぱり悲しいです。
このブログでも皆様に可愛がられていたフークです、
ありがとうございました。
ネタに困ったら時々思いだして、フークに登場してもらうつもりです。
返事
花水木さん:67歳、昔なら十分すぎるぐらい長生きですが、
あと10年のんびり目に働いて、その後5年元気に遊びたいのですが、予定は未定ですね。
和さん:25日は飛行機も飛んでいましたね。
大雪男さん:五島で10年過ごしましたが、
すごいなあと言う台風にはまだ遭っていません。
アケトンさん:ジョンも写真ではやや太ってきたようですが、
まだまだ大丈夫のようですね、大切にしてやってください。
福山市さん:実物の色はもっときれいなんですが、
なかなか写真にうまく出ません。
奈留の海で泳いでいた姿を思い出します。
先日、私も元はお隣のにゃんこだったチビを看取りました。その前に散々泣きましたが、当日は涙も出ず。
犬猫といえども家族と同じ。別れは辛すぎますね。
心より、フークちゃんのご冥福をお祈り致します。
船まで見送りに来てくれたのも懐かしいです。
体が動く内に遊びたいのですが、案外と厳しい仕事で苦労してます。
フークも、先生一家に出会えてよかったね
虹の橋を渡って元気に走ってることでしょう
犬生まっとうお疲れ様でした。
虹の橋を渡りました。兄弟も二匹とも五歳で逝きおまけの犬生
と思ってます。随分弱いこですが最近は50肩らしいです。
フークくん、良い犬生だったね。もいちど会いたかった
さよなら。
先生一家の優しい家族に巡り会えて、フークも幸せだったと思います。
私は奈留港で、ウォーキング後わざわざフークを見送りに連れて来てくれて、先生のブログで、いつもアップしていたフークに出会えて感動した事がいい思い出です。
いつもブログを拝見させて頂いているものです。
このたびはご愁傷様でした。いつもゆっくりと富江を散歩していた姿を思い出します。
先生もあまり気を落とされないようにしてください。
さびしいですね。センセ、強がってるでしょう?
さっき、電話、知らない人がとったのが残念。私たちにつないでほしかったな。まだ、つとめてるので、こんどは電話のご指名はまずわたくしに!
私は自分の頚椎症に悩んでおります。
カンガルーを見に行くのを楽しみにしています。ペットはまだ飼えませんね。というか、お別れを考えると、さらに飼えませんね。