島から戻ってから始めた天皇陵巡り、7年間300回以上と予定をはるかに超えてしまいましたが、いよいよ最後の第124代昭和天皇(1901~1989)(在位1926~1989)にたどり着きました。
次のシリーズ予定が決まらずに延ばし延ばししていましたが、これ以上延ばしてもう1代天皇陵巡りを追加する事態になるのも嫌なので、この辺で終わらせます。
今年の暑すぎる夏も、終わってしまえば暑さを忘れて寂しく感じるかもしれないのと同様、不評だったこの天皇陵巡りも、終わるとなると寂しいと感じていただければ、私の立つ瀬もございます。
東京まで大正・昭和の天皇陵を巡って、この地図を写真に撮ってからもう5年ぐらいたってます
昭和はその年に25を足すと西暦になります(私は昭和23年生まれなので25足して1948年生まれ)し、大正は11足すと西暦になりますが、明治は何故か明治33年が3×3で西暦1900年と、高校の時は覚えました。
1901年(明治34年)4月29日生まれの昭和天皇は、20世紀を生きた人です。
天皇誕生日と言えば、4月29日と思いゴールデンウイークの1日と思って育ってきた私ですし、昭和天皇の在位期間は64年と長く、生まれてから40歳までは昭和だった私にとっては、天皇と言えば昭和天皇でした。
高尾駅から歩いてたどり着いた武蔵野陵(ムサシノノミササギ)(東京都八王子市長房町)は、大正天皇・皇后陵と同じところに有ります
天皇陵巡りをしてきた歴代天皇で、唯一私の生きてる時代と重なるのは昭和天皇だけですし、その生涯(後半だけですが)を実際に目撃した天皇ですが、戦後の昭和天皇しか知らない私には、まあ平和的な戦争を嫌う天皇として写っていました。
しかしながら私の父は、中国戦線から南洋のブーゲンビルまで軍医として地獄を見てきたようで、マラリアに罹患し捕虜になって、それでも何とか帰国出来たので私が生まれました。(ほぼ戦争の思い出は語ってはくれませんでしたが)
「天皇陛下万歳!」と言いながら死んでいった戦友などをたくさん見てきたと思われるので、正直昭和天皇に対する強い恨みはずっと持っていたようです。
私もせめて敗戦の時に、昭和天皇は責任を取って退位はしたほうが良かったと思います。
丁度陵の上空低く、たぶん米軍機が飛んでいましたが、昔なら撃ち落されていたかもしれません。
昭和天皇の最後は、なんか医者によって(宮内庁職員によって・政治家によって)無理矢理生かし続けられた感じがしますが、それも昭和の時代だったのでしょう。
今の平成や令和の天皇は、もうあそこまで無駄な延命策は取らない気はしますが、
もう一つ陵巡りが増えないうちに終われそうでほっとしています。
陵印は天皇・皇后共通でした。
これで残るは隣にあるその皇后陵だけになりました。
中村草田男が
「降る雪や 明治は遠くなりにけり」
と詠んだのは昭和6年だそうで、明治からまだ21年しかたっていません。
今私が、
「くそ暑い 昭和は遠くなりにけり」
と言っても、昭和からもう35年、昭和ははるか昔になりました。
特に祭日は今も覚えて居るので、最近の祭日はピンと来ません。
成人の日、建国記念日、天皇誕生日、敬老の日、体育の日等。今は土日に寄せて連休にするのですね。
天皇陵巡り、7年も続いていたとは、驚きました。先生のブログの定番でしたから。
平成、令和と目まぐるしく年号が代わり、出来れば公的な物は全て西暦にして欲しいと思います。
私はややこしいときもありますが、年号の方が分かりやすいですね。
と、思うと、結構すごいな、、。と改めて思います。今の陛下は年齢が近いので、次の時代は引退されない限りは、、、と思いますが、人間、振り向けば何十年、、、あっと言うまですね。
でも、先生は島からもっと前に帰って来てはると思ってました。笑
…私の時間感覚ってえ〜かげんなもんです。
だいたい50年前に結婚して、20年前に島に行って、10年前から京都に戻ってると言う感覚で今は暮らしていますが、来てる服は島に行く前に買った服も多いですよ。島に行く前に皆さんから貰ったポロのラガーシャツまだ着てますが、ユニクロでなかったので丈夫ですね。