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95. おほけなく うき世の民に おほうかな
わが立つ杣に すみ染の袖
前大僧正慈円(サキノダイソウジョウジエン)(1155~1225)
「身の程をわきまえないと言われてもしかたないが、つらいこの世に住む民を祈りで救いたい、比叡山で僧侶として住みはじめた私は。」
慈円は76番作者前関白藤原忠通の子供で、兄の九条兼実(カネザネ)は関白、91番作者後京極摂政前太政大臣藤原良経は甥になります。
4回も天台座主(テンダイザス)となり、更に大僧正という坊主の最高位まで上った人で、偉いとは思いますが、元々身分が高く家柄の良い人が坊主になって、どんどん位が上がっていくことに反発して、親鸞や日蓮は出てきたのでしょうね。
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95. アーメンと 奈留島の民に 祈るかな
わが立つ泉に 白色の袖
の民に・かな・わが立つ・に・の袖 14字 同じ
奈留島には今でも教会は三つありますが、実際に毎日ミサなどが行われていて、神父さんも常駐しているのは、この奈留教会だけです。
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奈留教会の中庭にあるルルド、聖母マリア出現のフランスのルルドの泉を模した石窟で、カトリック教会にはよく見られます。(私も何故かカトリック系幼稚園の育ちで、園庭にあったルルドのマリア像に小さな手を合わせていました)
前の94番で奈留島の寺を紹介したので、偏らないように、元歌は坊主の歌ですが、今回はなんとか無理矢理キリスト教関連施設の歌に変換してみた、それなりの一首です。
返事
花水木さん:少年時代の葬儀や法事は、なんとなく記憶があいまいで、
それでいて印象的な場面を妙にはっきり覚えていたりしますね。
やりたくないですが、やっぱり儀式は必要かなと思うときもあります。
大雪男さん:この本歌のような歌が良いとは、大人ですねえ。
日本、限りなく通過が困難になりましたが、私は明日のラクビーのイタリア戦のほうが気になります。
和さん:少し検索しましたが、PCで五島TVを見る方法はわかりませんでした。
面白い組み合わせですね。
キリシタン弾圧とか坊さんが政治に口出しするとか宗教絡みではいろいろありますが、本来宗教は、人々の安寧を願うもの。
根っこは同じですね。
コロンビアにはとても勝てないでしょう。
島の小さな集落の教会の維持管理は難しいですね。