又小川君の地図を借用してます(わかりやすいですね)。
神宮道の南は粟田口と呼ばれていて、昔は刑場があったようですし、ここから東海道(青線)はゆっくり右にカーブしていきますが、本来の東海道は地図の粟田口の粟から都ホテルまでの薄緑の道だったようです。
写真は三条通から南に入る山裾にある粟田神社の参道入り口です。
久しぶりに見ますが(この奥にママ友の大きな家が有って、よく家族で押しかけてました)、えらく綺麗に整備されてました。
道中の安全を祈って、東海道を行き来する旅人たちの信仰もあつかったようです。
日ノ岡峠に向かう道は緩やかな登りになりましたが、右手山側にこの都ホテルが有ります。
私達世代はこの都ホテルでの結婚式が一番だったようですが、特にここの葵の間での披露宴はステイタスシンボルだった気がします。
近鉄系のホテルだったんですが、今は外資系のウエスティン都ホテル京都です。
道はゆっくりカーブして蹴上(ケアゲ)です。
この蹴上浄水場は1914(明治45)年に日本初の急速濾過式浄水場として給水を開始していますが、ツツジの名所でも有ります。
小学生の頃はバスでここを通過する時は、全員が自分の髪の毛をつまみ上げて、「けあげ」の大合唱でした。
飲み会や宴会に行かなくなって5年ぐらいですかね。
少しの酒でめちゃをしてましたが、今はほぼアルコールは飲んでいません。
姪も我が娘も結婚式をせず、写真だけの時代でした。残念のような、まあ、それでよかったような。式は簡素化、忘年会も昔のみたいに、はしゃいだりしないんでしょうね。
東海道と言っても大津宿までも行かずに、逢坂山ぐらいで終わるのですが、逢坂山周辺には茶店は有ったと思いますが、宿屋が有ったかどうかは知りません。
コメントありがとうございます、励みにして頑張ります。
この付近から東へ向かうといよいよ山に差し掛かり、東から来た人は都に入ってホッとしたことでしょう。
数年前、逢坂の関跡へ行きましたが、昔は宿泊所もあったのでしょうか?源氏物語の関屋を思い出しながら寂しくなった関所跡を歩いてみました。自分の話でごめんなさい。
東海道の旅、これからも楽しみにしています。
大人になっても、オコメ券をオ〇コ券と読み違えて、ドキドキしてる私です。
沼津駅前に2軒おおきな結婚式場ありましたが、今は跡形も無し。
他の人気の式場も三軒廃業。
その代わり、葬儀場は、増えました。
今時は、昔ながらの結婚披露宴する人少なくなりました。
子供の頃って、純真無垢で可愛いですね。
ウコンの看板見て、う〇こと、連呼する子供がいて笑いました。