島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

東海道11.

2024-11-29 | 京都へ、京都から

 又小川君の地図を借用してます(わかりやすいですね)。

 神宮道の南は粟田口と呼ばれていて、昔は刑場があったようですし、ここから東海道(青線)はゆっくり右にカーブしていきますが、本来の東海道は地図の粟田口の粟から都ホテルまでの薄緑の道だったようです。

 写真は三条通から南に入る山裾にある粟田神社の参道入り口です。

久しぶりに見ますが(この奥にママ友の大きな家が有って、よく家族で押しかけてました)、えらく綺麗に整備されてました。

道中の安全を祈って、東海道を行き来する旅人たちの信仰もあつかったようです。

 日ノ岡峠に向かう道は緩やかな登りになりましたが、右手山側にこの都ホテルが有ります。

私達世代はこの都ホテルでの結婚式が一番だったようですが、特にここの葵の間での披露宴はステイタスシンボルだった気がします。

近鉄系のホテルだったんですが、今は外資系のウエスティン都ホテル京都です。

 道はゆっくりカーブして蹴上(ケアゲ)です。

この蹴上浄水場は1914(明治45)年に日本初の急速濾過式浄水場として給水を開始していますが、ツツジの名所でも有ります。

 小学生の頃はバスでここを通過する時は、全員が自分の髪の毛をつまみ上げて、「けあげ」の大合唱でした。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Toitenlaさんへ (島の医者になって)
2024-11-30 19:14:15
 私は子供の時に知ったので、今でも毛上げの感じですね。

 飲み会や宴会に行かなくなって5年ぐらいですかね。
少しの酒でめちゃをしてましたが、今はほぼアルコールは飲んでいません。
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Unknown (Toitenlabee)
2024-11-30 14:54:06
大人になってから、この地名を知ったので、蹴り上げる…としか思わなかったのですが、、、。けあげ←で、髪の毛をあげて、盛り上がるとは、子どもって、すごいですね!笑
姪も我が娘も結婚式をせず、写真だけの時代でした。残念のような、まあ、それでよかったような。式は簡素化、忘年会も昔のみたいに、はしゃいだりしないんでしょうね。
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frozenroseさんへ (島の医者になって)
2024-11-30 08:55:13
 たぶんホテルの中を山に沿って通過してるんだと思います。

 東海道と言っても大津宿までも行かずに、逢坂山ぐらいで終わるのですが、逢坂山周辺には茶店は有ったと思いますが、宿屋が有ったかどうかは知りません。

 コメントありがとうございます、励みにして頑張ります。
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京都案内、ありがとうございます (frozenrose)
2024-11-30 08:14:58
東海道はやはり昔の道らしく緩やかに蛇行していますね。都ホテルの敷地の中を通っていたのでしょうか。

この付近から東へ向かうといよいよ山に差し掛かり、東から来た人は都に入ってホッとしたことでしょう。

数年前、逢坂の関跡へ行きましたが、昔は宿泊所もあったのでしょうか?源氏物語の関屋を思い出しながら寂しくなった関所跡を歩いてみました。自分の話でごめんなさい。

東海道の旅、これからも楽しみにしています。
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花水木さんへ (島の医者になって)
2024-11-29 18:31:36
 私の家近くには結婚式場がたくさん並んでいます、さすがに新型コロナの頃は閑古鳥が鳴いていましたが、今はまた復活して晴れ着姿の若い人が目につきだしました。

 大人になっても、オコメ券をオ〇コ券と読み違えて、ドキドキしてる私です。
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Unknown (花水木)
2024-11-29 18:21:15
まだ、そちらでは、結婚式場が残っているのですね。
沼津駅前に2軒おおきな結婚式場ありましたが、今は跡形も無し。
他の人気の式場も三軒廃業。
その代わり、葬儀場は、増えました。
今時は、昔ながらの結婚披露宴する人少なくなりました。

子供の頃って、純真無垢で可愛いですね。
ウコンの看板見て、う〇こと、連呼する子供がいて笑いました。
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