あなたはフジタを知っていますか?
ええ、知っています。十分ではありませんが。
私ならそう答えるでしょう。
藤田嗣治の作品に出会ったのは何年も前です。
単独展ではありませんでした。
同時期に活躍した画家の作品とまとめてでした。
しかし、初めて聞く名前、初めて見る作品が新鮮でした。
そして何よりも本人の写真は衝撃でした。
昭和前半のお堅い日本人のイメージとはかけ離れていました。
オダギリジョーに拍手です。見事に再現されていました。
映画では、
フジタはすでにパリで成功した日本人画家として描かれていました。
下積みがあったかどうかはわかりませんが、すっ飛ばされていました。
彼に続けと渡仏して来た若手画家に対して、こう言い放ちます。
ここで勝負する覚悟があるか
単に留学で箔を付けようなどという甘い考えを打ち砕く言葉でした。
藤田嗣治という人は、
どんなことをしてでも絵を描きたいという人だったのではないでしょうか。
太平洋戦争中、日本でのフジタは戦争絵画の第一人者でした。
国民の戦意高揚を目的とする絵画展があったとは知りませんでした。
各地で活躍する日本兵を描いた作品(想像?)が展示されます。
フジタにとって、
戦争の支持不支持はどうでも良かったのではないかと思います。
支持協力することで絵が描けるなら、それが自分の進む道だと。
だとしたら、パリにあっても、
まずはポリシーより、金と力に擦り寄って行ったのかもしれません。
名前が売れれば、あとは好きなように動けますから。
芸能人が異業種に手を出すのに近いと言えます。
やがて終戦、
戦争絵画展に協力したことにより戦犯の汚名を着せられます。
再びパリへ。
絵を描けるところならどこへでも…どんな手段でも…
そんな純粋な画家だったのではないかと思うのです。