きのうは午後から奥さんのお付き合いで家康の母:於大の方にゆかり
のお寺を訪ねて刈谷に行って来ました。
着いたのは「楞厳寺(りょうごんじ」・・・・利山和尚が応永20年(1413)に
開いたとされる曹洞宗の禅寺 (刈谷市天王町)
嫁ぎ先の松平家を離縁され、岡崎から刈谷に帰った於大の方がしばしば詣でた
お寺だそうです。
思ったよりも大きな山門・境内でした。
山門の屋根には、寒空の中ですが上半身裸で立っておられました。
山門を潜って境内に入りますと平成14年に改築をされた事もあり
新しくて清掃の行き届いたお庭が整然としています。
本尊:釈迦牟尼仏
お寺の屋根には水野家の紋「丸に立ち沢瀉紋」が至る所にあります。
このあと、「刈谷郷土資料館」に寄りまして見学することにしました。
昭和初期の亀城小学校旧本館が使われています。
私が通った小学校もこんな感じでしたね。
もう一か所 於大の方が刈谷に戻された時にしばらく住んでいた場所
である[椎の木屋敷跡」へ向かいました。
急な坂の下に石碑があり、この坂を登り詰めた所がその跡地。
小さな東屋が建っていて「於大の方」の座像がありました。
於大の方は14歳で岡崎城主・松平広忠(こちらも17歳)と結婚し
15歳で家康を生み、17歳で離縁されて刈谷の地で暮らし その後
尾張阿古比城主・久松俊勝と再婚して75歳で生涯を閉じたそうで
戦国の世は正に波乱万丈ですね。
お孫さん3人と賑やかで良いですね。
我が家は子供がまだ小さいですので、孫の予定は当~分無いですね。
自転車で出掛けるか、奥さんと出掛けるかの何れかですね。
忘れてました、時々インディアカですね。
良いですね~
我が家は、小生がインディアカ、奥さんは孫の守の為
しばらく二人でのお出かけは無理かも