第二次パープル問題

<15代目フーシェ>が管理人のハンネです 

ルイ18世の野望 第14話「ウィーン会議 第二部」

2016年04月07日 | 日記
 フランスでワーテルローの総選挙、オーストリアでは<ウィーン会議>が開催されていたころ・・・・・・・フーシェはどこにいたのだろうか・・・・・・・・・・・・


 パリで猟官活動をしていたのだが・・・・・・・そもそもフーシェは幼女のころはジャコバンだろうがなんだろうがツッパリをやれたのだが、年齢を重ねるにしたがって活力を失い始めた

 20歳をこえたころから限界を見せ始めた。霊媒師で秘密警察の組織者であったのだが・・・・・・・どうも なにをやってもうまくいかない


 そんなときに 出会ったのが<ナポレオン・ボナパルト(八坂)>であった 1798年のブリュメール18日のクーデタで統領政府につづき<警察大臣(兼業でイタコで霊媒師)>に就任

 <フーシェ機関(陰陽師みたいなね)>は 選挙戦がなかったナポレオン時代でも ありとあらゆる時代を想定して 票読みを得意とする専門集団であった


 選挙がなくとも 選挙のことを1年中研究していた フーシェ警察大臣の特務チームは平民から嫌われていた タレーランは大貴族なのに平民から慕われていたし一定の支持者がいたのだが、フーシェは業界人からも嫌われており 嫌われてなんぼの職業だと言い張っていた・・・・・・・・

 それでも フーシェを恐れる平民の(テロル=恐怖政治)一部は フーシェになびいており フランス国民の平民の2割は彼女の票田となっていた

 生まれ故郷では支持は期待できず、船乗りや貿易商人からの支持は期待できなかった彼女は ひたすらナポレオンになびくしかなかった 男に興味がないわけではなかったが、ベルナドットが現れるまでは夫はもたなかった。

 フーシェは平民から好かれようとしていたのだが やっていた職業が警察大臣でこわかったので 本当は優しい女の子だったが 平民から畏怖された(ヘタリアのロシア)みたいな・・・・・・・・

 ベルナドット(男)と知り合ったのはナポレオンの紹介で ベルナドットは<ストックホルム症候群>で有名な スウェーデンの国王になった人物で 史実でもフーシェの子孫はスウェーデンの貴族として定住するのだが・・・・・・・2人ともフランスで大弾圧を受けていたので フランスから亡命する話ばかりを夫婦間で話していた。

 1813年 ライプツィヒの総選挙で票読みに失敗したフーシェは イリュシア州選挙管理委員会の委員長職を辞任し とっとと逃げ出した。

 1814年 ナポレオンがエルバ島に流罪になったあとは失職 

 1815年 ナポレオンがエルバ島から 脱出 旦那の ベルナドットはすでに別居 ベルナドットはすでにスウェーデンの王太子(皇太子)となっていた 夫婦の愛がなくなっていたわけではない

 1815年<武装中立(中立主義政策)>をモットーとしていたスウェーデンのベルナドット王太子(元帥)の意見が採用される。

 ***{フェートン号事件の解説}***
 「1800年代初頭 オランダはナポレオンの衛星国で存在しなかった オランダ国旗がひらめいていたのは日本の長崎の出島だけだった 時の長崎奉行は責任をとって切腹したが、長崎奉行といえば本来はエリートコースで 切腹などする部署ではない
 ナポレオン戦争の余波が 江戸時代の日本にも影響を与えていたことは フーシェとシャトーブリアンとビクトル・ユゴーなら知っていたはず」

 「ルイ18世の野望 出島出張編」では江戸幕府の百姓一揆なども題材となります

 


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