2024年5月3日
沢沿いを登って行きます。
シダは一層深くなり断念…
南さんも同じく!
ここにも粘土を採取した痕跡が!
ここからは岩場を登って行きます。
この尾根は8:20に歩いた尾根の北になります。
木馬路も残っているので更に進みます。
この炭窯跡を分岐点として前軍は西(中ノ越)へ、中軍は北(可愛岳山頂)へ向かったようです。
ここは足場も脆く歩き難い場所でした。
全員足元を滑らせながら歩きます。
写真中央を登って行くと六首山に行きます。
右上の盛り上がりが長尾山からの尾根です。
林道から可愛岳を望みます。
2回目の薩軍可愛岳突囲における前軍経路の探索をしました。
今回のメンバーは牧野会長・南さんの3人です。
牧野会長と南さんは3月31日にも探索しているので3回目となります。(自分は都合が合わず不参加)
3月31日の探索では途中で滝に阻まれ中断したとのことで2月11日の探索ルートと結合できなかったようです。
そのため今回の目標はルートの結合で経路探索達成することでした。
午前7:00俵野の西郷隆盛宿陣跡に集合。
会長の車で三足の林道に入りスタート地点に向います。
7:17 準備も完了してスタートします。
今回の探索全貌地図
スタート地点から林道を100mほど下った場所から山に入ります。
いつもながら入口からして普通の登山とは違う雰囲気がしてきました。
沢沿いを登って行きます。
3月31日の探索に参加していないので探索状況を把握できていないのが現状でした。
とりあえずメンバーに付いて行き、自分の軌跡を繋げることが大事だと思いながら歩きます。
7:32 標高293m 炭窯跡①を発見。
木馬路をそのまま進むと林道に出ました。
その先で林道が分岐したので左側に進んでみます。
すると左側の上に林道が出てきました。
先ほど分岐した右側の道が迂回した形で現れたようです。
上に行くため左上の林道に移ります。(林道のショートカット!)
林道が終わり路を探し出して進むと高畑山・小橋山からの尾根に出ました。
7:53 標高354m 尾根に到着。
尾根の両サイド(かなりの急斜面です)
この辺りには明治10年8月18日官軍第二旅団の半数が居ただろうと牧野会長は話していました。
第二旅団本隊は18日午前2時可愛岳北側の牙営を出発、六首山南から俵野の薩軍殲滅に進軍しています。
しかし、森木ノ坂を下りた所で六首山にて可愛岳突囲戦が始まり半分が六首山方面に向い、半分は俵野へ向かっています。
こんな山の中でも西南戦争の痕跡があると思えば感慨深いものがあります。
第二旅団薩軍本営殲滅進撃路予想図
(円の場所がこの尾根)
尾根から路を探し更に東へ進みます。
しばらく進むと別の尾根に出ました。
ここでも路を探しながら進んで行きます。
結構険しい路です…
そして恐れていた事が…
路がシダに覆われてしまいます。
牧野会長は迂回路を探しに崖をよじ登り、自分はナタでシダを払い通れないか模索していました。
シダは一層深くなり断念…
牧野会長から迂回できるとのことでしたので崖をよじ登り上に行きます。
上には路があり、先ほどのシダで覆われていた路と繋がっているようです。
人が使わないと自然に還る。
自然の力とは凄いものですね…
9:19 標高359m 炭窯跡②を発見。
ここの炭窯は完全体で残っており感動しましたが、牧野会長からこの炭窯は北川町が延岡市に編入する記念に復元したものと教えてくれました。
復元とはいえ、元々炭窯があった場所に作られたとのことです。
炭窯から東へ木馬路を進みます。
木馬路も崩壊していて険しいです。
路が崩落している場所もありました。
少し迂回して牧野会長が記念撮影!
南さんも同じく!
路の斜面には人工的に掘られた跡があります。
炭窯を作る際に粘土を採取するため掘ったと牧野会長が教えてくれました。
粘土を採取したという事は近くに炭窯があったと考えられます。
ここにも粘土を採取した痕跡が!
右下に林道が見えてきて、林道に下りると開けた場所に出ました。
ここは可愛岳南登山道の『ザレの頭』で、俵野・薩軍本営からの経路と繋がりました。
9:38 標高340m ザレの頭
スタート地点からザレの頭までのルート
これからは標高を少し上げて西へ進み、2月11日に探索した経路と繋がる路を探していきます。
『ザレの頭』表示板左下の斜めに上がっている路が可愛岳南登山道です。
しばらくは南登山道を進みます。
小橋山(右手前)、高畑山(中央左寄り)
10:08 標高433m 水のみ場
ここからは岩場を登って行きます。
可愛岳はこの様な岩場が多く、百間ダキの絶壁もある岩だらけの山です。
それは環状岩脈(リングダイク)という特殊な地形からなるものでマグマの貫入で形成された花崗岩や花崗斑岩から成り立っています。
オレンジが環状岩脈(リングダイク)
10:18 標高471m 炭窯跡③に到着。
ここは登山道沿いに復元された炭窯跡ですが屋根部分は崩壊しています。
登山道を歩くのはここまで。
これからまた木馬路・樵路を探して進みます。
11:11 標高479m 尾根に出ました。
この尾根は8:20に歩いた尾根の北になります。
ここで全員位置確認!
木馬路を進みます。
どんどん斜面が急になっていきます。
大きな岩が目立ってきました。
11:35 標高439m 炭窯跡④を発見。
木馬路も残っているので更に進みます。
11:41 標高422m 炭窯跡⑤を発見。
この炭窯跡を分岐点として前軍は西(中ノ越)へ、中軍は北(可愛岳山頂)へ向かったようです。
自分達は前軍経路を進んで行きます。
ここは足場も脆く歩き難い場所でした。
12:14 標高366m スタート地点から4.9kmの場所で昼食休憩。
何気に背にしている岩も凄いです。
昼食休憩地点の景色
昼食休憩地点までの経路
20分の休憩を終え出発。
木馬路から…
再び足場の脆い樵路へ。
全員足元を滑らせながら歩きます。
ようやく2月11日に探索した経路と結合できました。
これでザレの頭から中ノ越まで前軍経路を繋ぐことができました。
俵野の薩軍本営からザレの頭までの薩軍経路は可愛岳南登山道なので次回歩きたいと思います。
次の課題は中ノ越から浜砂までです。
2月11日に探索した中ノ越から浜砂までは官軍第二旅団の経路(浜砂からの経路)なので薩軍前軍が実際に向かった六首谷方面(高橋信武氏ブログ・延岡郷土史 二六会 可愛岳激戦記参照)を探索したいと考えています。
※第二旅団の経路は浜砂からと桑平からの2通りあります。
3Dて見る探索済と未探索経路
前軍経路の探索も終え、時間があるので牧野会長から森木ノ坂に行かないかと提案があり、森木ノ坂へ向かいました。
森木ノ坂へは林道で行くことができます。
森木ノ坂は官軍第二旅団本隊が俵野の薩軍本営を殲滅すべく進軍したと思われる経路です。
第二旅団が森木ノ坂を下ったところで六首山付近で戦闘が始まります。
戦闘を知った第二旅団は兵を2分して1隊は俵野へ向かい、1隊は六首山へ向かいますが森木ノ坂は急斜面で容易に登ることができません。
それに薩軍前軍は戦闘が始まると森木ノ坂に橋頭堡を構築して第二旅団援隊の進撃を防いでいます。
13:53 森木ノ坂に到着。
ここは長尾山からの尾根になります。
写真中央を登って行くと六首山に行きます。
牧野会長の推測では第二旅団は窪地を作り、大砲を斜めにし、傾斜をつけて六首山へ砲撃したのではと語っていました。
森木ノ坂の窪地
塹壕のようなものもありました。
下に見えるのが林道、かなりの急斜面です。
森木ノ坂を後にして林道で長尾山からの尾根と並走しながら歩いて大峡町に向かいます。
右上の盛り上がりが長尾山からの尾根です。
林道から可愛岳を望みます。
中央の崖が百間ダキです。
15:33 林道が終わり大峡町に出てきました。
今回の探索はこれにて終了です。
【今後の探索】
黄色ラインが今後の探索経路
俵野~ザレの頭
薩軍前軍・辺見十郎太、河野主一郎経路(六首谷)
第二旅団経路の一部(浜砂~中ノ越)
薩軍前軍・相良長良経路
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