ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

岩国に泊まって、また獺祭を味わいました。『旬彩料理 Zen』は素晴らしいお店でした

2017年04月21日 | 帰省の途中旅

2017/3/16  今日は移動だけの日です。とは言え、岐阜市から山口県岩国市への移動ですから、岩国ではお楽しみが待っています。
岐阜を出発する前に、パンやヨーグルトを購入しました。今日は乗り換え時間がどこの駅でも短いのです。岐阜駅を8:23に出発し、大垣、米原、草津、姫路、相生、岡山、糸崎と乗り換えながら、岩国駅には17:52に到着です。


▲前回のこともありましたから、獺祭を販売している駅の改札口そばの小さなお土産屋さんに直行しました。熊本へのお土産に『獺祭 純米大吟醸磨き二割三分』を購入します。多分、ほとんどは僕が飲んでしまうのでしょうけれど。(三分の一くらいは僕が飲んだかな?)
右の『獺祭 酒ケーキ』は獺祭をしみ込ませているケーキなのだそうです。前回もお土産で買っていったのですが、食べるチャンスがなかったので、どんなのだろうと興味がありましたから、また購入しました。しっかりと島から帰ってから食べましたよ。普通のちゃんとしたケーキでした。ほんのりと日本酒の香りがしますが、微かなものです。酒飲みとしてはもっとびちゃびちゃでもいいのですが・・・・(笑)。

前回は『ZenZen』という居酒屋さんに入りましたけれど、その幾年か前、初めて『獺祭』を飲んだお店が忘れられずに、今回はそのお店『旬鮮台所 Zen』へ行きました。


▲まずは何が何でも『獺祭』! 39とか23は高いので、50を頼みます。一合で850円。やっぱり旨いですね。19:53ころ。


▲手前はキノコベーコンサラダ750円、向う側は名物刺身盛り合わせ690円。この量でたったの690円ポッキリ! 最初は店の人が間違えて二人分持って来てくれたのかと思いました。正真正銘、これで690円でした。19:54ころ。


▲6種類のお刺身が楽しめます。7段の階段みたいになっていて、見ても楽しいですね。19:55ころ。


▲グラスは雲丹烏賊ソーメン290円、その右は蓮根チップス290円。グラスの中身はもちろん美味に決まっていますが、超薄くスライスした蓮根のチップスが実に美味しかったです。そして、この安さ、驚異的ですね。20:00ころ。


▲これは豚角大根650円。味が染みていて美味しかったですね。右の徳利ですが、もう一合だけ他の純米酒を頼みました。これも特別純米酒ですから旨い酒なのですが、『獺祭』の後で飲むと可哀想ですね。水っぽく感じてしまいます。20:43ころ。

他にも、まぐろの山掛け290円、揚げだし豆腐390円を食べました。
このお店のファンになってしまいますね。美味しくて安い!

帰る時に、お店の方に尋ねました。それで分かったのですが、このお店と前回訪ねた『ZenZen』とは全然関係がないそうです。

熊本への青春18きっぷの旅で、毎回岩国に泊まってこの店で夕食を食べたくなってしまいそうです。


青春18きっぷの旅です。犬山城で国宝になっている現存天守にすべて訪れたことに

2017年04月18日 | 帰省の途中旅

2017/3/15  今回は通常の熊本への旅とは違います。いつもは夏休みと正月休みですからね。今回の旅は「島旅」なんです。たまたまその島が鹿児島の島ですから、熊本をベースに、それに子供たちも春休みになりますから、おまけで熊本に長逗留することにしたと言うわけ。まあ、詳しく裏事情を話せばもっといろいろある訳なんですけれど。

熊本へはもちろん青春18きっぷを使います。本当は「ムーンライトながら」に乗りたかったのですが、17日からしか運行していませんでしたから、僕の計画とはちょっと都合が合いませんでした。
それで今回は、愛知県の犬山城を訪ねることにしたのです。


▲拝島駅を5:44に乗り、途中で小田急線も利用しながら名古屋には12:42に着きました。名古屋で昼食にし、その後名鉄で犬山遊園駅まで行きました。13:52ころ。


▲犬山城に向かう手前に三光稲荷神社がありました。織田信長の叔父・信康に尊崇され、江戸時代の犬山城主・成瀬氏にも守護神と崇められた神社だそうです。14:12ころ。


▲お稲荷さんですから、狛犬ならぬ狐の神使が阿吽で並んでいます。14:15ころ。


▲縁結びにも神徳がある神様のようで、ハートの絵馬が若い女性に人気なのだそう。14:16ころ。


▲この赤い鳥居の回廊も綺麗ですし、ミステリアスですよね。14:17ころ。


犬山城の天守閣です。桜が満開になると、いっそう綺麗なんでしょうね。14:25ころ。


▲犬山城は震災や台風などで幾度も破損し、そのたびに修復されてきました。現存天守ですから元のままの姿をとどめています。階段もご覧のようにとても急です。14:28ころ。


▲一階には中央に上段の間など四室があり、周囲を板の間(武者走り)が囲んでいます。14:41ころ。


▲犬山城の模型です。14:43ころ。


▲屋根瓦に何の木の実でしょうか? 飾ってありました。14:48ころ。


▲ここは三階です。全部で四十一畳あるそうです。14:52ころ。


▲三階にはこの唐破風の間もあります。14:53ころ。


▲四階の高欄の間からは木曽川の流れが見渡せます。橋の上流には鵜飼の乗船場もあるそうです。14:58ころ。


▲高欄の間は半周ほど出来ます。木曽川の下流の景色です。「夕暮れ富士」とも呼ばれている伊木山にも山城があったそうです。14:59ころ。


▲現存天守だけあって、木組みの骨格は武骨で力強いですね。15:01ころ。


▲この写真の上部は屋根なのですが、もうこの大木は命絶えているのです。『大杉様』と呼ばれ死後も大切にされている理由が立て看板に記されていました。「犬山城築城頃からの老木で、天守閣と同じくらいの高さがあり、落雷には城の身代わりに、台風の時には風よけにもなったりして城を守る御神木としてあがめられてきました。しかし一九六五年頃枯れてしまいました」。
樹高は枯れる前には約24mあったそうです。樹齢は650年ほどだったとか。15:05ころ。


▲お城の前のお店でおぜんざいを頂きました。この写真も毎度のことですが、食べている途中で気付いて写真を撮ったんですね。15:16ころ。


▲本物のお城は纏っている雰囲気が独特です。よくぞ残っていてくれた、そんな感謝をしたくなりますね。15:36ころ。

今回犬山城を訪れましたから、現存12天守の中でも国宝になっている5つの天守閣にすべて訪れたことになりました。後の4天守は松本城、彦根城、姫路城、松江城ですね。しかも、現存天守の中でも犬山城が最も古いのではと言われているのです。


▲木曽川沿いの遊歩道をJR鵜沼駅へ向かいます。15:55ころ。


▲カモもたくさんいました。15:58ころ。


▲犬山橋から犬山城を振り返りました。シルエットも実に美しいですね。16:06ころ。


▲望遠で撮るとこんな感じ。北面は木曽川と崖で要塞化しているのですね。東側も川と崖がありましたから、守りに強いお城だったのでしょうね。16:09ころ。


▲岐阜行きの列車が入って来ました。今晩は岐阜市のホテル泊です。16:44ころ。


▲ホテル近くの『風来坊』というチェーン店で夕食にしました。手羽先の唐揚げが名物料理になっているらしく、注文して食べました。美味しかったですよ。19:22ころ。


ムーンライトながらで赤穂浪士の里を訪ね、岩国では獺祭を味わい、青春18きっぷの旅を楽しみました

2017年02月13日 | 帰省の途中旅

2016/12/24  今年の年末年始も熊本へ帰ります。職場には長めの休暇願を申請し、一ヶ月前に購入しないとすぐに売り切れてしまうムーンライトながらの指定席券を確保しておきました。


▲ムーンライトながらがホームに入って来ました。23:05ころ。


▲これに乗るのも久し振りです。全席指定(一人520円)です。23:06ころ。


▲車内の様子。座席はリクライニングになっていて、寝やすいとは言え、朝までとなると、けっこうきついですよ。23:10ころ。

東京駅を23:10に出発します。ほとんどの乗客は青春18きっぷと併用しています。ただ、小田原駅までの切符は別途購入しなければなりません。青春18きっぷは0時から24時までの間で使用できるので(降車時に関しては例外もありますが)、0時を越えて初めて停車する小田原駅から青春18きっぷを使うことになるのです。

2016/12/25  ムーンライトながらの終着駅の大垣駅には5:50に着きました。その後は米原と相生で乗り換え、順調に赤穂へ向かいます。


▲播州赤穂駅のホームです。左を歩いているのはS子。9:42ころ。

駅ビル内のパン屋さんでモーニングを食べました。
今日はここ赤穂市で泊まりですから、気分はすでにのんびりです。


▲心地の良い快晴です。播州赤穂駅。10:43ころ。


▲さすがですね。駅前には大石内蔵助の像が。10:44ころ。


▲「吉田忠左衛門兼亮 君がため思ひぞつもる白雪を散らすは今朝の嶺の松風」と小さな石碑に記されています。また、左のは店の看板代わりなのでしょうか? 「珈琲館 礒貝十郎左衛門正久」10:47ころ。 


▲すぐ隣りには「堀部安兵衛武庸 梓弓ためしにも引け武士(もののふ)の道は迷わぬ跡と思はば」。私は武士の道を貫いて、迷うことなく死んでいく。だから、後世の人々はこのことを手本として見習って欲しい。と言う意味なのだそうです。辞世の句ですね。10:49ころ。


▲次々、歩道沿いに小さな石碑が出て来ます。「潮田(うしおだ)又之丞高教 武士(もののふ)の道とばかりを一筋に思い立ちぬる死出の旅路に」。10:51ころ。

この小さな石碑は駅前のメインロード沿いにたくさん並んでいました。四十七士の辞世の句がすべて並べられているのでしょう。さすがにすべての石碑を撮ることはすぐに諦めました。


▲「江戸時代、日本三大上水道といわれた 旧上水道」とあります。10:51ころ。

この時にはまだ、この遺跡の意味がよく分かっていませんでした。その後も幾つかの上水道関係の遺跡を見たり、赤穂市立歴史博物館で展示物を見たり、説明を読んだりして、その価値がだんだん分かって来ました。
赤穂市は井戸を掘っても海水しか出てこないようなデルタ地形の平野なのです。それで、赤穂城から7km上流の千種川から取水し、城下町内では道路下に暗渠の配水路を設置し、各戸に給水しました。各戸にまで配水している点ではロンドンよりも3年早いのだそうです。
ちなみに、他のふたつは江戸神田上水と広島県福山水道だそうです。


▲左に見えているのが「息継ぎ井戸」。浅野内匠頭による刃傷事件を国許の赤穂へはや籠に揺られて急いだ二人の藩士がお城に入る直前にここの井戸の水を飲んで一息ついたことから、そのように呼ばれるようになったそうです。
手前の時計台ですが、もうすぐ11時ですよね。この直後に驚きが・・・・ 10:59ころ。


▲からくり時計だったのです。扉が開いて、小さな舞台の中では松の廊下での刃傷事件が再現されています。11:00ころ。

籠に乗って駆け付ける様子も出て来ます。それで終わりかと思うと・・・・


▲時計が持ち上がるではありませんか! 場面は討ち入り! 11:01ころ。


▲さらに、再び下の扉が開いて、そこでも討ち入り場面が再現されます。なんとも面白いからくり時計でした。11:02ころ。


▲花岳寺です。浅野家、永井家、森家、歴代藩主の菩提寺で、大石家や義士の墓があります。11:09ころ。


▲何故か亀の背に乗った忠義塚の背後に義士墓所がありました。11:23ころ。


▲中央に三基並んでいますが、中央が浅野内匠頭、左が大石主税、右が大石内蔵助です。11:23ころ。

義士宝物館にも入り、花岳寺を後にして、赤穂城へ向かいます。
途中、お昼を食べました。『あこうぱん』という、一風変わったパン屋さんでした。


▲大手隅櫓です。12:27ころ。

今日泊まるホテルへ行き、チェックインはまだ出来ませんが、重い荷物だけは預けました。


▲お堀に人懐っこい黒鳥がいました。いつまでも、僕たちの方へ寄って来ます。12:57ころ。


▲水手門から城内に入り、すぐにS子の後ろの米蔵がありました。これは復元されたものですが、往時は二棟か三棟もあり、大量の米が備蓄されていたそうです。13:00ころ。


▲昔もここでお花見をしていたのかは知りませんが、サクラを植えて花見広場にするようですね。13:02ころ。


▲遊水池に橋が渡っていました。13:05ころ。


▲塀の向こうはニ之丸庭園や本丸です。塀を越えることが出来ませんでしたから、前方に見える土手に登って左へ戻って来ました。13:10ころ。


▲お堀に今度は白鳥です。13:14ころ。


▲土手の上ではカモも遊んでいました。13:16ころ。


▲本丸を囲む内堀を反時計回りに歩いています。13:23ころ。


▲山茶花が綺麗に咲いていました。13:26ころ。


▲厩口門(うまやぐちもん)です。森家の時代には台所門と呼ばれていたそうです。本丸に付けられた三つの門のうちのひとつ。2001年に復元されたものです。13:29ころ。


▲本丸に入り、天守台に登りました。眼下には本丸御殿が広がっています。もちろん現在はないのですが、その見取図通りの部屋割りを見ることが出来ます。台所、居間、縁側、茶部屋、物置、玄関、納戸、書院などがあります。13:35ころ。


▲本丸庭園です。1990年に復元されたようです。13:35ころ。


▲北を望みました。現代の家々が建ち並んでいますけれど、江戸時代と同様の自然の風景も感じられます。13:35ころ。


▲天守台から降りて来ました。中央のこんもりとした石組が天守台です。天守台はあるのですが、実際には天守閣が建造されることはなかったそうです。13:43ころ。


▲本丸門です。明治時代初期にこの門は取り壊されたのですが、平成になって復元されました。13:43ころ。


▲大石内蔵助の大叔父にあたる大石頼母助良重の屋敷の門です。家老でした。発掘調査などによって分かったことを参考に復元したものです。13:50ころ。


▲二ノ丸庭園です。大規模な廻遊式庭園ですが、現在、復元整備中です。13:54ころ。


▲山鹿素行の座像です。彼は儒学者として高名ですが、赤穂藩と深いつながりがあるとは知りませんでした。赤穂藩に召し抱えられた時期があったり、その主張が幕府に睨まれた際には、赤穂藩に配流されたりしたようです。14:00ころ。


▲赤穂市立歴史博物館に入りました。館内は撮影禁止ですから、中の様子は見てもらえません。赤穂の塩、赤穂城と城下町、赤穂義士、江戸時代の上水道など、興味深い内容でした。14:09ころ。

ホテルにチェックインし、暗くなってから居酒屋さんへ行きました。ほとんど記憶にありませんが、残っているレシートを見ると、「神戸唐唐亭」へ入ったみたいです。鍋料理が中心の店のようで、牡蠣鍋を食べていますね。

2016/12/26  翌朝はまず喫茶店に行ってモーニングセットを食べることにしました。と言うのも、前日気付いたことですが、この赤穂市には喫茶店が多いのです。ホテルから駅へ向かうコースにある昨日から目を付けていた喫茶店に入りました。まあごく普通のモーニングなのですが、安い! お客さんも地元の人々が多いようでした。

今日の青春18きっぷの旅はさほど疲れる旅ではありません。乗車時間はせいぜい5時間と少しです。

明るいうちに岩国に到着。観光地を巡ることもなく、ホテルへチェックイン。しばらくして、居酒屋を探し始めました。
本当は前回岩国に泊まった時に訪れた居酒屋さんに行きたかったのですが、詳しい場所も店の名前もよく覚えていません。駅周辺の飲み処MAPを手に探しました。
それで入った店が、「隠れ里 Zen Zen」。


▲でも、いきなりの先制パンチ! 岩国ですから、美味しい『獺祭』を飲むのは当然なのですが、いちばん廉価な「獺祭50」を頼もうとすると、「いま、品切れなんです」「獺祭39しかありません」と。それでは「獺祭39」を頼むしかないのですが、それが一杯1300円! ウッヒャ~~!
写真がその「獺祭39」です。量も多くはな~い! でも旨い! 18:21ころ。


▲このお店オリジナルのサラダです。18:22ころ。


▲レンコンのはさみ揚げです。岩国はレンコンの産地としても有名です。左下の白いレンコン模様はお塩。18:30ころ。


▲広島産のカキフライ。18:30ころ。


刺身の盛り合わせ。右上の赤身のお刺身は何と! マンボウだそうです。お店には悪いですが、とりわけ美味しくは感じませんでした。硬いスジ部分もありましたし。他のお刺身はとっても美味しかったですよ。18:33ころ。


▲岩国駅前はこんな感じ。地方都市ですね。20:04ころ。

2016/12/27  今日は熊本へ向かいます。お土産に「獺祭」を買っていこうと探したのですが、なかなか見つかりません。昨晩の居酒屋さんでも「獺祭50」が品切れになっていましたし、有名になり過ぎて地元でも品薄になってしまったようです。
諦めて駅へ向かいました。ところがびっくり! 改札口そばの小さな、キオスクよりも小さなお土産屋さんで売っていました。しかも「獺祭23」。正式名は「獺祭純米大吟醸磨き二割三分」。ただし、300mlです。それでも2000円以上しますから、一本だけ買いました。そして他に、「獺祭酒ケーキ」も。これは獺祭50をたっぷりとしみ込ませたケーキなのだそうです。

【青春18きっぷの旅のまとめ】

ところで、僕とS子がふたりで新幹線を使って熊本へ行くと、交通費だけですから、50960円かかります。
青春18きっぷでは今回、17900円かかりました。宿泊費が2泊を二人分で、14444円。合計で32344円です。
その差額は18616円です。その分を博物館等への入場料やら美味しい地元料理や地酒に回すことが出来るというもの。

お金をかけずに、時間をかけてのんびりと旅するのがいいですね。


青春18きっぷの旅/帰京編。三日目は京都の鞍馬と貴船を歩きました

2016年10月13日 | 帰省の途中旅

2016/8/22  今年の1月に大原を訪れて以来、次は鞍馬だとずっと思っていました。夏の暑い京都ですから、少しでも涼しい場所を、という気持ちももちろんありますけれど、季節に関係なく鞍馬は訪れたい場所でした。


▲阪急電車、京阪本線、叡山電鉄鞍馬線と乗り継いで、緑に溢れた鞍馬へ近づいて来ました。9:51ころ。


▲鞍馬駅は有名な割には意外と簡素な駅でした。でも、雰囲気だけは持っている駅ですね。9:54ころ。


▲鞍馬は天狗でも有名なところです。9:54ころ。


▲鞍馬駅前のお店で朝食をいただこうと考えていたのですが、ほとんどの店がまだ開いていないか、食事は出していません。角の小さなお店、『心天狗』が食事を出してくれることに。少し待つことにはなりましたけれど、のんびりした旅ですからいっこうに構いません。10:11ころ。


▲鞍馬寺への最初の入り口です。11:01ころ。


▲仁王門(山門)。明治時代に再建されたものですが、中に祀られている仁王像は湛慶作と伝えられているそうです。湛慶は鎌倉時代の仏師で運慶の嫡男です。11:02ころ。


▲のんびりと登って行きます。11:08ころ。


▲「放生池(ほうじょういけ)」です。亀や魚など、生き物を逃がしてあげて功徳を積み、滝に打たれて修行する。そんな意味ある池なのです。11:14ころ。


▲途中、鳥居に小石がたくさん載っていましたから、S子もチャレンジ。S子は駄目でしたが、僕が1個載せました。11:22ころ。


▲この由岐神社は940年に勧請されたのが由来ですが、この建物自体は1607年に豊臣秀頼によって再建されたものです。これは拝殿。11:30ころ。


▲由岐神社の本殿です。11:31ころ。


▲しばらくは静かな森に囲まれた山道です。11:40ころ。


▲中門に到着。質素な門です。11:43ころ。


▲再び静かな道。11:44ころ。


▲貞明皇后行啓御休息蹟で僕たちも少し休憩しました。また、静かな道が続きます。真夏ですが、日陰が多く、風もときおり爽やかに吹き、思いのほか心地よい山歩きです。11:58ころ。


▲ゴールが近そうな雰囲気がしてきました。12:01ころ。


▲翔雲臺。ここから京都を見守る北方守護の浄域です。中央の石は本殿後方から出土した経塚の蓋石だそうです。12:06ころ。


▲鞍馬寺の本殿金堂です。12:07ころ。


▲本殿隣りの光明心殿。ここでは護摩供養をするのです。12:08ころ。


▲本坊金剛寿命院。鞍馬寺の事務部門のような場所だそうです。ところで、この建物が4階建てと聞いても信じられませんよね。実は見えているこの階が4階で、後方で下に向かって3階、2階、1階とあるそうです。12:09ころ。


▲本坊の横から奥ノ院参道へ入りました。12:11ころ。

霊宝殿は残念なことに休館日でした。


▲義経公息つぎの水。牛若丸が毎夜ごと僧正ガ谷へ剣術の修行に通った際、この清水を汲んで喉を潤したと言われています。12:17ころ。


▲階段の山道が続きます。12:22ころ。


▲木の根道。けっこう有名で、写真でもよく見ましたが、ほんのわずかな広さなんですね。12:25ころ。


▲大杉権現社。大杉は昭和25年の台風で折れてしまったようです。12:28ころ。


▲今日初めて、どんどん下って行きます。12:37ころ。


▲僧正ガ谷不動堂。鞍馬天狗が牛若丸に会った場所だとか。12:40ころ。


▲義経堂。奥州の合戦で自害されたと伝わる義経の魂がこの山におられ、遮那王尊として祀られているのです。12:43ころ。


▲奥の院魔王殿。ここに祀られている魔王尊は650万年前に金星から鞍馬山に降り立ったと言われている。なにかしらとてもミステリアス! 12:51ころ。


▲急坂をどんどん下って行くと、シカがいました。人をぜんぜん怖がっていません。鞍馬山一帯は神聖な聖域ですから殺生は固く禁止されてるはず。そのせいで人間を恐れないのでしょう。13:02ころ。


▲まだ斑点が残っていますから、若いシカですね。13:03ころ。


▲鞍馬山の西門です。鞍馬山参詣終了。13:08ころ。


▲鞍馬山を降りると、そこはもう貴船でした。貴船神社もすぐでした。13:09ころ。


▲雰囲気がありますね。でも、やたら女性が多い。13:10ころ。


▲貴船神社には高龗神(たかおかみのかみ)が祀られています。日本の代表的な水の神様だそうです。水の供給を司る神様だとか・・・・ 13:12ころ。


▲そのせいでしょうか? 脇にはこのような水の流れが。女性がおみくじを水に浮かべています。
女性の前の説明板には日本語のほかに、英語、中国語、韓国語でおみくじでの占い方法が書かれていました。まずは水に浮かべ、次にQRコードを読み取り、その中で占いが進行していくのだそうです。日本の神社って進んでますね! 13:13ころ。 


▲この光景を見て、「あっ、そうだった! 貴船は川床料理だ!」と思い出しました。体験できるものなら、今日ここで体験したいなぁ、と思います。13:20ころ。


▲でも、料理メニューが書いてある看板とかを見ると、最低額でも6500円もします。それに、満席で、予約を入れてないと無理そうです。13:25ころ。


▲貴船神社の奥宮へ行きました。13:31ころ。


▲「反正天皇の時代(五世紀初頭)に、玉依姫命(たまよりひめのみこと:神武天皇の母)が黄船に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼって当地に上陸し、そこに祠を営んで水神を祀ったのが当宮の起こりである」と説明板にありました。13:36ころ。


▲奥宮を参拝後、また、貴船川沿いに帰りました。こんな感じで川床が続きます。14:06ころ。

バスもあるのですが、それほど遠くありませんから、駅までのんびりと歩きました。


▲貴船口駅に到着しました。駅のそばに喫茶店でもあれば入ろうと思っていたのですけれど、ありません。そのままホームへ。14:48ころ。

帰路、四条大橋のそばの和菓子屋「寛永堂」で東京へのお土産を買いました。

ホテルに戻り、今日こそは京都らしい料理を食べようと、近くで昨晩見つけていた(でも昨晩はすでに閉店していたのです)お店に向かいます。


▲湯葉料理のお店です。毎度そうなのですが、食欲の方が先走って、写真を撮るのを忘れてしまいます。この写真ももちろんもっと湯葉の量はたくさんあったのですよ。これは多分「生湯葉の刺身」。18:41ころ。


▲この写真も同上。「湯葉出し巻」かと思いますが、写真の4倍はあったかと・・・・ 18:56ころ。


▲これもだいぶん減ってしまっていますが、鱧(はも)の天麩羅が入っている天麩羅でしょう。18:57ころ。


▲これはなんだったか? サラダですけれど・・・・ 18:57ころ。

他にも美味しい料理をたくさん食べて、上等の日本酒も飲んで京都の料理を堪能しました。


▲ここが店への上り口。誰もいませんから、ちょっと躊躇してしまいますね。19:47ころ。


▲入り口からの通路。雰囲気があります。19:48ころ。


▲店の名前は『京料理 かめや本家』。19:48ころ。

やっと、京都らしい食事もいただけ満足です。同じホテルに連泊ですから、気持ちのゆとりもあります。連泊はいいですね。

翌日、この夏最後の青春18きっぷの旅は京都から東京の我が家まで、10時間ほどの旅です。
ただ、帰るだけですが、自分たちの家に近づくにつれ安心感というか、ゆったりとしたくつろぎ感が生まれてくるものですね。これが「我が家」というものです。


青春18きっぷの旅/帰京編。二日目は明石城と東経135度の天文科学館を訪ねて、京都へ

2016年10月02日 | 帰省の途中旅

2016/8/21  8月の土曜の夜はホテルの宿泊代が高騰します。本当は京都に泊まりたかったのですが、仕方なく都落ちして明石のホテルに泊まりました。今日もさっそく京都へ向かって、京都観光をしてもよかったのですが、せっかく縁あって明石に泊まったのですから、この明石を歩いてみることにしました。明石と言えば、東経135度の子午線が通っていて、日本の時刻を決める基準になっているということくらいしか思いつくことがありません。調べてみると、駅から近いところに東経135度線が通っていましたから、歩いて行けるようです。

今朝はのんびりです。ホテルをチェックアウトし、駅ビルの喫茶店でモーニングをいただきました。


▲駅前には明石城跡のお堀が広がっています。そこに何かが蠢いていました。カメです。よく見ると、あのアカミミガメ(幼名はミドリガメ)です。要注意外来生物に指定されていますから、こんなにたくさんいては駄目なんですけれど。10:00ころ。


▲お堀で囲まれた右が県立明石公園。左にすぐ明石駅があります。10:03ころ。


▲東から公園に入り、東のへりを北へ向かって歩きました。10:13ころ。


▲だんだんお城らしくなってきました。10:17ころ。


▲南側の眺望がよく見えるように、木の舞台のようなものが作られていました。10:22ころ。


▲遠くに明石大橋が見えますね。左にちらっと見えているのは巽櫓(たつみやぐら)。10:22ころ。


▲ヤマモモの見事な大木がありました。10:25ころ。


▲これは坤櫓(ひつじさる)櫓。ここは中へ入れます。10:28ころ。

明石城には天守閣がありません。焼け落ちたとかではなく、最初からないのだそうです。築城命令が下りたのが1617年だそうですから、結局、天守の土台だけしかできなかったのだそうです。ですから、この坤櫓が天守閣の代わりのような存在だったようですね。


▲昔の木組みがまだそのまま残っています。10:39ころ。


▲隣りの巽櫓が坤櫓の窓からよく見えます。10:45ころ。


▲柱の木の痛んだ部分が新しい木で継がれて修理されていました。10:47ころ。


▲これは白アリに喰われた跡でしょうか? 10:47ころ。


▲下に降りて来ました。中を見学した坤櫓。右には日時計が・・・・ 11:07ころ。


▲築城のころ、宮本武蔵がこの地に客分として留まっていました。明石の町割り(都市計画)や城内の樹木屋敷の設営に関わったのだそうです。この写真の庭園はその樹木屋敷の庭園を再現したものとか。でも、樹木屋敷がどのようなものだったか、資料はほとんど残っていなかったようですから、あくまでも想像して作った庭園です。そんな訳あって、この庭園の名称は「武蔵の庭園」なのです。11:10ころ。


▲ふたつの櫓と手前の武蔵の庭園を振り返りました。11:12ころ。

そろそろお昼をいただくことにします。実は昨晩のお店で隣りに座っておられたオハラさんという方から勧められた店に行くことにしたのです。お昼時間には満席になるかもと言われたので、少し早めに行きます。


▲このお店一番のおすすめが「明石海鮮丼」780円。明石名物の鯛、蛸、穴子がのっています。美味しくて、安い! 11:37ころ。


▲お店の名前は「藤原」。とっても狭いお店でした。もうお客さんが並んでいます。12:04ころ。


▲藤原を出て左へ少しで、魚の棚(うおんたな)商店街です。明石駅の少し南です。こんな商店街は、日本中探してもないのではないでしょうか? 12:05ころ。


▲昨晩の店がありました。新しいお店だそうですが、なかなか美味しくて安い店です。おすすめです。12:09ころ。


▲活きた蛸が売られています。12:10ころ。

そう。この魚の棚商店街はほとんど全部が魚関係のお店なんです!


▲この酒屋さん「たなか屋」も昨晩のオハラさんが教えてくださったお店。店の奥に立ち呑みのコーナーが隠されているのです。営業時間は昼の12時から。明石のビールや地酒、日本のワインもたくさん。酒の肴も地元の食材だそうです! ワオ~ッ! 入ってみたかったのですが、さすがにこの時間では。いつかまたここに来たら、夕方から入りたいものです。12:15ころ。


▲魚の棚商店街を通り抜け、北へ向きを変えました。明石公園の東端で「時の道」に入ります。この時の道は明石駅から山陽人丸前駅までの約2kmの散歩道です。
この写真は「亀の水」。12:56ころ。


▲「亀齢井(かめのい)と稱する霊泉あり 掬(きく)するに清冷氷の如し 昭和二十年六月八日 永井荷風」と彫られていました。「亀の水」のことでしょう。13:03ころ。


▲こんな自然の道もありました。13:04ころ。


▲トンボの標識が出て来ました。ここを東経135度線が通っているのです。日本の古称「秋津島」とトンボの意の「アキツ」を重ねて、日本の時刻の基準となる子午線の標識にトンボを飾ったのでしょう。13:10ころ。


▲明石市立天文科学館に着きました。13:20ころ。


▲館内の展示をじっくりと見て回りました。途中、プラネタリウムの公演があったので、見ました。僕にとっては初めてのプラネタリウムでした。よくは知らないのですけれど、おそらく古いタイプのプラネタリウムなのだと思います。終了後、機械だけを写しておきました。明石の街の夜空ですから、明石大橋も見えていますね。15:24ころ。


▲4階の日時計広場からだと思いますが、明石大橋が見えています。15:35ころ。


▲山陽人丸前駅と向うには淡路島が見えます。15:45ころ。


▲14階の展望室に上がってきました。S子の足元には日本標準時子午線と記された赤い線が。15:47ころ。


▲下を見下ろすと、先ほどのトンボの標識が。15:47ころ。

この後、明石駅まで歩き、京都へ向かいました。今夜の宿は阪急京都線の大宮駅そばです。ほんの少しずつですが、京都市内の交通網が分かりかけつつありますね。

ホテルで少し休憩後、夕食を食べに出ました。京都らしい食事を食べたかったのですが、思いのほか見つからず、結局、九州料理の店に入る羽目に。でも、それほどの店ではありませんでした。残念。