ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

日陰名栗沢の遡行は僕にとっての山体力復活作戦の第2ステージです

2022年06月21日 | 沢登り/多摩川日原川水系

昨年の11月からスタートした僕の山体力復活作戦。11月21日ゴンザス尾根~本仁田山~大休場尾根が最初でした。それから7ヶ月近く経ちました。自分自身の山体力の復活レベルですけれど、最盛期の自分と比べたら5割くらいだと思います。でも、加齢による必然的な衰えもあるでしょうから、7割くらいまでは戻ったのかもしれません。まだまだ後3割はアップさせねばなりませんね。

沢登りシーズンに入りましたから、一般登山道を『標準コースタイムで歩く』シリーズ№6までで止まったままです。ただ、コースタイムで、否、それ以下で歩くことは出来るようになったと感じています。ですから、僕は次のステージに進むことにしました。それは「これまでよりもコースタイムが長いコースを歩く」ことです。これまではコースタイム数時間のコースがほとんどでした。それを7~9時間に長くしてみたいのです。それをコースタイムとあまり変わらない時間で歩きたいのです。

『少し長い距離を歩く』シリーズ№1に選んたのは日陰名栗沢でした。アプローチが2時間、沢中3時間30分、下山2時間30分で、トータル8時間です。

同行してくれるYYDの仲間3人も屈強なメンバーばかり。マラソンを最近になって何十回と完走しているSRさん、トレラン得意なS上さん、地図読み名人のT橋さんです。T橋さんは今年の1月8日湯久保尾根~御前山(登頂できず)~境橋を誘ってくれました。その時はコースタイム4時間40分7時間20分(休憩込み)もかかっています。

 

2022年6月18日(土) 東日原~日陰名栗沢~峰谷

▲9:48。東日原バス停を9時ころにスタートし、途中のトイレを利用しました。前方の橋は八丁橋ですが、ここまでのコースタイムは1時間です。T橋さん(左)とSRさん。

 

▲10:00。マタタビです。蕾が葉の下に隠れていました。白い花は2cmほどの綺麗な花ですが、葉の下で下向きに咲くので目立ちません。目立たない花の代わりに、この白い葉で昆虫などを呼び寄せているのだそうです。

 

▲10:19。日陰名栗沢への下降点の目印がこの距離標識です。これは日原林道の起点からの距離だと思います。林道が右にカーブしていますが、そこから左へ下っていくのです。

 

▲10:19。下降点にはカーブミラーもあります。

 

▲10:20。山側にはこの看板も付いています。昔昔、40年近く前になりますが、日陰名栗沢への下降点を間違えて、ずっと下流に下りてしまったことがありました。出合まで日原川を遡行し、何とかその日のうちに日陰名栗沢を遡行したことがありました。

 

▲10:20。カーブミラーの左には明瞭な踏み跡があります。

 

▲10:31。でも、途中から踏み跡はあるもののとんでもない急降下になってしまいます。今回の下降ルートが今までで一番シビアだったような気がします。(撮影:S上)

 

▲10:34。日原川本流の小さな広場に降りました。写真はS上さんですね。

 

▲10:59。この岩のことを光石と呼ぶのでしょうか? いよいよ遡行スタート。

 

▲11:00。光石のほんの少し上流に日陰名栗沢の出合があります。この日は梅雨シーズンなのに水量は特に多くはないようでした。

 

▲11:05。日陰名栗沢は日本庭園のように美しい沢です。大滝はなく、小滝ばかりです。しかも、ナメやナメ滝が多いのです。岩はを纏い、緑に輝いています。

 

▲11:18。今日のメンバーは僕の『少し長い距離を歩く』シリーズを理解してくれています。長い距離を歩くということは、僕にとっては少し速いペースで歩くということでもあります。僕が自分なりのペースで歩けるように、僕が先頭を歩くことを優先してくれています。右から、T橋さん、S上さん、SRさん。SRさんはほとんどの山行で先頭を行くのですが、この日はラストで歩いてくれています。

 

▲11:19。2条の小滝ですね。

 

▲11:26。綺麗な滝です。どこからでも登れそうですね。

 

▲11:27。左から登ったようです。

 

▲11:30。SRさんが滝の上に立っています。

 

▲11:32。直登できなくもなさそうですが・・・・

 

▲11:37。高巻くことにしたようですね。

 

▲11:40。休憩するのかな? (撮影:S上)

 

▲11:48。最初の休憩ですね。(撮影:S上)

 

▲この写真の撮影時刻は分かりません。でも、僕の遡行中の写真は珍しいので、掲載させてもらいました。右上はT橋さん、左は上から僕、S上さん。(撮影:SR)

 

▲11:56。岩にはもちろん、流木にもむしています。

 

▲12:05。一ヵ所、沢の右岸が崩壊していました。

 

▲12:20。ちょっとシビアな高巻きをしました。沢床に降りる直前です。皆、倒木を伝って慎重に降りて来ましたが、ラストのSRさんはカモシカのように山の斜面を飛び跳ねて降りて来ました。

 

▲12:27。T橋さんが切り傷を作ったみたいで、S上さんがテープで止めてあげています。

 

▲12:36。沢登りの好きな風景。もちろん水の風景は第一かもしれませんが、僕は沢の途中で見る森の美しさが大好きです。

 

▲12:43。むす風景と巨樹の存在感。

 

▲12:46。巨樹の正体がこれです。カツラの樹でしょうか?

 

▲13:30。支流の水を飲むSRさん。

 

▲13:44。ワサビ田の跡が出て来ました。

 

▲13:47。おそらくここに作業小屋が建っていたのでしょうね。幾つもワサビ田跡がありましたからね。

 

▲13:55。そこが二俣だと思います。標高1380mくらいでしょうか? はこの二俣を左に入ったものです。左の方が沢床が低く(水はすでにほとんど流れていません)、沢の名前が日陰名栗沢ですから、どうしても日陰名栗山のある方へ引き寄せられていきますよね。すると、上部での猛烈な笹藪漕ぎが待ち受けているのです。しかも、笹藪漕ぎ前半は山腹をトラバースするように進まなくてはなりませんから、笹を束ねて掴み、滑りやすい笹竹の上を歩くのです。発表されていた遡行図がそうなっていましたから、「右俣に入ったらもっと大変なんだろうな」と思い込んでいたんです。その後、右に入る遡行図も発表され、「あれ? 右に入ると楽みたいだ」と思ったものです。実際、藪漕ぎもなく、実に楽なんですよね。

 

▲14:05。すでに源流と言ってもいい場所なんですが、傾斜が緩やかですね。

 

▲14:13。水は伏流しています。沢の上流を眺めると、時々低い位置にが見え始めます。

 

▲14:24。伏流していた水が姿を現わすこともあります。飲むと冷たくて美味しい水ですよ。

 

▲14:30。普通の沢なら最後の詰めの急登になっても可笑しくないのに、まだなだらかです。

 

▲14:45。石尾根登山道がある稜線がはっきりと見えて来ました。

 

▲14:48。すぐそこです。

 

▲14:51。S上さんが駆け上がって行きました。

 

▲14:52。SRさんも駆け上がって行きました。この日陰名栗沢は超短い駆け上がり斜面ですけれど、沢登りの最後の詰めで駆け上がれるだけの体力があることが大切だと僕は思っています。ちなみに僕自身はというと、駆け上がれる体力は残っていませんでした。もっと体力つけねば!

 

▲14:53。最後に稜線に出たのは当然僕でした。3人とも座り込んでいますね。心地よい草地だということもありますが、やっぱり体力使いましたからね。(僕は疲労困憊ですが)。14時30分にここに着いていれば最高だったのですが、遅くても14時台と考えていましたから、ギリギリ許容範囲でした。急いで装備解除して、15時05分に下山開始。

 

▲15:18。いつ来てもこの辺りの景色には感動します。水墨画のような山並みが美しいのです。

 

▲15:19。本当は巻き道を通りたかったのですが、尾根通しの登山道を歩きました。その結果、日陰名栗山1725mに登頂です。僕はピークに拘らない人間なんですが、とりあえず記念撮影。右からT橋さん、SRさん、僕。(撮影:S上)

 

▲15:20。僕のカメラでも記念撮影。左からSRさん、S上さん、T橋さん。

 

▲15:22。時間があれば、近寄って綺麗に撮りたかったのですが、ヤマツツジ2株、咲いていました。もう少し雲取山寄りにはヤマツツジの群生している場所もあります。

 

▲15:23。鷹ノ巣山1736.6mが見えています。その直下の鷹ノ巣山避難小屋から石尾根を離れ、浅間尾根を右へ下っていくのです。

 

▲15:35。鷹ノ巣山避難小屋。2、3度泊まったことがあります。なかなか良い避難小屋です。奥多摩に点在する避難小屋は自由に泊まってもいいのだそうです。以前、東京都の避難小屋を管轄している部署に電話をして聞いたことがあります。「最初から宿泊目的で使用してもいいですよ」と言われました。

 

▲15:56。浅間尾根の途中で巨大な椎茸の栽培場が広がっていました。登山道脇だけでも、写真の広さの10倍以上あったと思います。ほだ木が並べられ、種菌がほだ木に打ち込まれていました。

 

▲16:25。峰谷の奥集落に出て来ました。東京都でいちばん標高の高い集落です。

 

ここまでも山道を時々走って降りて来ました。可能なら、峰谷バス停発16時55分に間に合いたいのです。そのバス停からは午後はその1本しかありません。それを逃すと、車道を40分ほど先まで歩いた峰谷橋バス停まで行かなければなりません。そこで18時08分のバスに乗ることになります。

峰谷バス停にはこの写真の場所からもまだ3km以上あります。それを30分で行かなければなりません。山道でもそうでしたが、僕が一番足が遅い訳ですから、僕が間に合えば皆が間に合います。3人とも僕に気を遣ってくれて、「無理はしないでくださいね」と言ってくれます。無理はしていないのですが、頑張りどころです。

舗装道路になると、少しきつい下り坂は走ると膝への衝撃が激しくて、走るのは無理です。緩やかな坂道が走り易いのですが、それでも100mも走ると疲れてしまいます。昔だったら何kmでも走ったものですけどね。早歩き、ちょっと小走りの繰り返し。まだ、上の写真から2度ほどは山道に入ったりします。その山道は谷側が崖なので走れません。車道はくねくねとしていて、長いですしね。

S上さんがトイレに行きたいというので、峰谷バス停にトイレがあることを教えてあげました。S上さんはひとり走って先行します。彼女はトレランもしますから、走るのは得意なんですね。SRさんもその後、先行しました。「先に行って、バスに待っていてもらうよう頼む」と言います。

でも、途中でSRさんが道端でザックを置いて佇んでいました。「間に合わない。無理だよ」と言います。後、5分もなかったと思います。僕は最後の力を振り絞って、スピードは遅いですけれど、走りました。

すると、前方に建物が見えて来ました。そして、バスがいます。T橋さんが走って向かいます。16時54分に乗車。16時50分に着いたというS上さんも乗車。16時55分に僕とSRさんが乗車。バスはほぼ同時に発車しました。

ふ~~う、ふ~~う、ふ~~う! はあ、はあ、はあ! いつまでも荒い息が終わりません。でも、SRさんとS上さんは全然息が上がっていません。普通の呼吸です。凄いですね。

まさか間に合うとは思っていなかった16時55分のバスに乗ることが出来ました。東日原バス停が9時ころ、峰谷バス停が16時55分。8時間かかりませんでした。休憩等込みで、コースタイムと同じ時間で歩き切ることが出来ました。僕にとっては予想外の好結果です。

 

▲17:37。奥多摩駅前の天益にて。僕は焼酎のオンザロック、SRさんはコーラと梅酒です。下山後の天益でのひと時は本当に心が落ち着きます。(撮影:S上)

 

▲17:41。天益名物の餃子。今の女将さんのお母さんの時代から僕は天益のお世話になっています。お母さんの時は、メニューは餃子と冷奴だけでした。それで十分でした。餃子を何皿も何皿も食べました。中国仕込みの餃子なので、ニンニクが入っていませんから、いくらでも食べられます。今は女将さんがいろいろと他の料理も作ってくれます。この日も臭みのない新鮮なレバニラや肉野菜炒め、大根とキュウリの糠漬け、みんな美味しかったです。(撮影:S上)


YYDの山行で、鷹ノ巣谷を大滝まで往復して来ました

2022年06月02日 | 沢登り/多摩川日原川水系

鷹ノ巣谷へはもう10回以上は入渓していると思います。でも、遡行回数だけではなく、僕にとって鷹ノ巣谷が特別なのは、鷹ノ巣谷が僕が沢登りをした最初の沢だった、ということなんです。

本当のところは、鷹ノ巣谷の前にカロ―川谷に入ってはいます。普通のハイキングの格好で入り、裸足になってナメ滝を登り、次の滝を高巻こうとしましたが、危険と判断してそこで終了しました。

その直後から本屋さんで「僕がやろうとしている、沢沿いに山へ登る行為は一体何なのか?」知ろうと思い、本を探しました。そして、それが沢登りだということを知ったわけです。沢登りの解説本を1冊、沢のルート図集を1冊購入しました。ルート図集の方は、当時はそれしか販売されていなかったと思います。そのルート図集は『東京周辺の沢』(昭和54年5月10日 初版発行 草文社)でした。

そして、1980年5月3日、僕は単独で鷹ノ巣谷へ行きました。地下足袋に草鞋、それだけの装備でした。ハーネスもヘルメットも、もちろんザイルなんて使い方が分かりませんから、持っていません。シュリンゲとカラビナは1つずつ持っていたかもしれません。解説本で投げ縄のことが書かれていましたから、それ用に持っていたかと思います。今は投げ縄なんてしませんが、当時は幾度か実践した記憶があります。

高巻ける滝はすべて巻いて、大滝も右から高巻きました。大滝はその後、滝の右斜面が崩れましたから、巻きづらくなりましたが、当時は比較的楽に高巻けたのです。さらに、上流では金左小屋窪に入り、水が消えてからは猛烈な笹藪漕ぎになりました(その後、増えた鹿の影響で笹藪は消滅しました)。この深くて長い笹藪漕ぎで凄く不安になったことを今でも覚えています。このまま永遠にこの笹藪から脱出できないのではないかとの恐怖に囚われたのです。もちろん、登れば必ず稜線に飛び出します。稜線に出た瞬間、僕の眼前に富士山の姿が飛び込んで来ました。感動しました。

それで、僕は沢登りの虜になってしまったわけです。

以下、沢登りを初めてやり始めた1980年の遡行記録です。

5月3日 鷹ノ巣谷

5月5日 鷹ノ巣谷

夏    川苔谷逆川

9月15日 水根沢谷

9月21日 盆堀川棡葉窪

10月10日 盆堀川千ガ沢石津窪

10月26日 海沢

ほとんどは単独行ですが、山に一緒に行っていた友人(沢登りは未経験)を誘ったこともありました。沢登りの危険性が全然分かっていなかったからです。

 

僕の鷹ノ巣谷思い出話はここまでとして、YYDのY山さんが鷹ノ巣谷の計画を出しました。大滝までの往復です。Y山さんの山行には出来るだけ参加したいと思っています。それに今回は怪我が快復したS藤さんの復帰山行でもあります。お祝いの気持ちを込めて参加したいと思いました。

 

2022年5月29日(日) 鷹ノ巣谷/大滝までを往復

▲9:43。日原川の本流に鷹ノ巣谷が右から出合っています。

 

▲9:51。沢装備を準備して出発です。

 

▲9:59。先頭を行くのはN坂さん。続いて、前の週に長尾谷で一緒だったK田さんが続きます。

 

▲10:05。みんな水線通しに攻めてますね。僕はと言うと、濡れるのがあまり好きではありませんから、ひとり水線から離れて遡行しています。

 

▲10:23。この日は都心は真夏日、奥多摩町も真夏日の暑さ。陽射しも暖かです。でも、沢の中は別天地で涼しいですね。

 

▲10:29。この日のリーダーのY山さん。凄い勢いで流れる滝にも突っ込んでいきました。

 

▲10:34。K藤さんがへつりにチャレンジしています。失敗してもドボンするだけですから、危険はありません。でも、みんなドボンせずに突破してました。

 

▲10:43。K田さんはどこもすべてチャレンジします。

 

▲僕もK田さんに続きましたが、この先で右から高巻いたような記憶が微かにありますね。みんなが辿ってないルートを辿ろうと思う気持ちもあったりしますしね。この写真に写っているのは僕です。(撮影:Y山)

▲10:52。上の2枚の写真の最上部かなと思います。Y山さんが念のためにザイルを出しているみたいですね。

 

▲11:02。沢らしい光景が続きます。

 

▲11:09。A宮さんもどんどん水の中に入って行きます。僕は水から離れて高みの見物。

 

▲11:12。シャワーを浴びるのが好きなんでしょうね。僕はさほど好きではありませんけどね。すぐ左にはY山さんも待機して、順番を待っています。

 

▲11:21。ここは僕も水線通しに行ったような記憶があります。でも、さほど濡れずに突破できました。

 

▲11:49。S藤さんが触っている岩の下から登るのですが、N坂さんがリードして、ザイルをセットしました。それほど難しい岩場ではありません。この写真でこれから水流を渡るのですが、水の勢いが強い時は足が弾かれ流されそうで怖いのです。1ヶ所のプロテクションの箇所でザイルの向きが変わるので、そこではカラビナの掛け替えをしなければなりません。それを外してしまうと、以降の人が万が一落下した場合、滝の流れの中に振られて落ちてしまいます。長尾谷の時もそうでしたが、このような状況で共通の判断が出来るメンバーが増えなければ駄目ですね。そのためには、実戦経験を数多く積むことはもちろんですが、他人事ではなく自分事として考え体得していかなければ、何回経験しても頭の上を素通りしていくだけだと思います。

 

▲11:54。支沢に美しい滝がかかっていました。2日前に雨がたくさん降ったので水量が多いせいなのでしょうね。

 

▲12:15。こんなところあったかな? と思いました。残置シュリンゲが何本もぶら下がっています。N坂さんがリードして、他のメンバーはザイルで確保されて登りました。僕も残置シュリンゲは使わずに登ろうとしましたが、やっぱり残置シュリンゲに頼ってしまいました。

 

▲N坂さんの確保の様子。(撮影:Y山)

 

▲僕が最後だったのかな? これから登り始める僕。(撮影:Y山)

 

▲12:41。大滝が見えて来ました。

 

▲12:45。この日の鷹ノ巣谷は平水よりも少し水量が多いですから、大滝も美しく飛沫が舞い上がっています。

 

▲12:53。この滝をリードするのはA宮さん。

 

▲12:56。大滝自体は1段20mですが、登攀する右壁には途中に広いテラスがあって2段になっています。土が流されてしまったようで、そのテラスには水が溜まって釜のようになっていました。A宮さんは順調に登攀していきます。写真では姿がよく見えませんけれど、もうすぐ上に抜けるところです。

 

▲13:23。他のメンバーは固定されたザイルにフリクションノットで登って行きました。

 

▲13:23。ラストの僕は途中のテラスで大滝の飛沫をパチリ。

 

▲13:38。大滝の上でこの日初めての休憩。

 

▲僕は対岸にひとり渡って休憩。(撮影:Y山)

 

▲13:49。いつもはさらに上流へ遡行し、稜線まで詰め上げるのですが、この日はこの大滝から下降する計画です。早速、懸垂下降です。順番を待つ間もちゃんとセルフビレイを取って待ちます。

 

▲13:58。K藤さんが懸垂下降します。

 

▲14:04。S藤さんも懸垂下降します。

 

▲14:16。僕はこの日初めてルベルソ5を使った正式な懸垂下降を実践してみました。赤いシュリンゲを使ってルベルソ5の設置位置を体から離れた場所に置き、体のすぐそばにマッシャ―結びでフリクションノットを作るのです。

 

ATCでの懸垂下降は慣れているのですが、正式な方法ではありませんでした。つまり、フリクションノットを使っていなかったのです。懸垂下降の途中で何事かが発生した場合、体がそれ以上下がらないように仮固定しなければならないことがあります。8環での懸垂下降なら簡単に仮固定が出来ます。ATCで懸垂下降していた際に、「どうやって仮固定するんだろう?」と疑問に感じていましたが、常にフリクションノットをセットしておくのですね。これなら何時でも両手を離すことが出来ます(もちろん正式固定もしなければなりませんが)。

ところが、です。

実際にこれで懸垂下降してみると、体がまったく下がって行きません。マッシャー結びが固すぎて、制動が効きすぎるのです。そのマッシャー結びの部分にザイルへの重みが全部かかってしまうので、ルベルソ5には僕の体重が1kgもかからなくなります。結果的にまったく体が下降していかないのです。

ですから、力づくでマッシャー結びを下げていかなければなりません。ゆっくりゆっくりしか、下降できませんでした。

たっぷり時間がかかって下まで降りると、僕はY山さんに聞いてみました。「マッシャーが効きすぎて動かないんですよ。どこが駄目なんでしょうかね?」。Y山さんは「マッシャーが巻き過ぎなんじゃないでしょうかね?」と言います。天覧山あたりで繰り返し練習して、適切なフリクションノットを見出さなければならないようですね。

ブログを書きながら思ったことがあります。ルベルソ5をセットしている赤いシュリンゲとマッシャー結びの黄色のシュリンゲが同じ安全環付カラビナにセットしてあることが間違いかなと思いました。マッシャー結びに遊びがないんですよね。遊びがないと緩む余地も乏しいのかもしれません。これも試してみたいですね。

この日は、それ以降の懸垂下降ではマッシャー結びはセットせずに懸垂下降しました。

 

▲14:24。大滝ともサヨウナラですね。

 

▲14:46。大滝に続く2ヶ所目の懸垂下降です。K藤さんですね。

 

▲14:56。登りでは滝を直登したんだと思いますが、高巻きで下ります。

 

▲15:23。3ヶ所目の懸垂下降。S藤さんですね。

 

▲16:07。4ヶ所目の懸垂下降は木にセットしました。S藤さんとK藤さんかな。

 

▲16:13。最後にA宮さんが懸垂下降していますね。

 

3回目の懸垂下降まではY山さんと僕とでセットしたザイルを回収し、束ねました。1度ならともかく、2度目3度目ともなると、Y山さんと僕とは苦笑いを交わすようになります。この日の女性メンバーには沢屋として自立してもらいたいとの願いがありますから、ルートファインディング、滝のリード、懸垂下降のセット等々、Y山さんは彼女たちにほとんどを任せているのです。僕もそれは分かっていますから、邪魔をせずに口出しも控えています。(まあ、高齢者ですから連れて行ってくれて、一緒に遡行させてくれるだけで感謝ですけどね)

ですから、4回目の懸垂下降のセット回収には僕は関わらないことにしたのです。

 

▲16:24。小滝をクライムダウンし、釜の脇をへつり(トラバースし)ました。

 

▲16:51。日原川本流の流れが見えて来ました。鷹ノ巣谷出合です。木橋が見えていますね。以前は渡れましたけれど、今はほぼ垂直に傾いています。

 

▲16:53。巳ノ戸橋を渡ります。この橋は日原川に架かっています。巳ノ戸沢は鷹ノ巣谷の支流でここからは離れた場所にあります。どうしてこれが巳ノ戸橋なのか、不思議ですね。個人的には鷹ノ巣橋がいいと思いますけどね。

 

▲16:59。中日原の集落に出て来ました。先頭を歩くのはK田さん。

 

▲17:07。東日原バス停に到着です。右の薄黄色の建物はトイレです。以前に比べると、とっても綺麗になっていました。

 

▲17:07。日原川の下流側を眺めると、谷の隙間に遠くの山が見えています。地図で確認すると、どうやら本仁田山1224.5mのようですね。奥多摩駅の裏山です。

 

上の写真で本仁田山の右、日原川に落ち込んでいる尾根(カラ沢尾根)に白っぽい岩場が見えますよね。緑の木々の中に埋もれているように見えますが、この岩場は尾根を形成している岩峰なんです。地元ではトゲ山と呼ばれているのですが、奥多摩の山岳救助隊員の間ではまってろ岩峰と呼ばれているそうなんです。この岩峰でそれ以上降りられなくなった登山者(遭難者)に、日原から拡声器で「いま救けに行くからそこを絶対に動くな。そこでまってろ~と呼びかけるからなんだそうです。

何故、登山者がこんな岩峰の上で立ち往生してしまうかと言うと、石尾根を奥多摩駅へ下る予定の登山者が石尾根上の城山で道を間違えて、カラ沢尾根に入ってしまうんだそうです。そして、この岩峰まで来るのですが、ここからの下り方が分からない。日原の集落からはこの岩峰にいる登山者が見えるので、駐在さんに通報するという訳です。

でも、今はほとんどそんな登山者はいません。山岳救助隊が城山のカラ沢尾根入口に「通行禁止」のロープを張ったからです。

カラ沢尾根への取付はちょっと複雑です。日原集落から対岸へ橋で渡り、カラ沢を過ぎて、東隣りのタル沢尾根の山道に入ります。カラ沢出合のすぐそばにある直登不可の滝の上流にその山道は続いています。カラ沢を渡り、渡った場所から斜面を登ればカラ沢尾根に出ます。記憶だけを頼りに書きましたから、不正確あるいは間違っているかもしれません。

 

17時30分のバスに乗りました。前の週の長尾谷の時と同じバスですね。この日はS藤さんの復帰祝いでもあるので、彼女の希望や都合に合わせることになっているみたいです。18時14分の電車に乗るとのことなので、僕は天益に挨拶だけしに行きました。

 

▲18:06。電車の中ではA宮さんが撮影した動画を見せていました。今は本当に性能がいいですから、コンパクトなデジカメくらいの大きさでも凄く精緻な動画が撮れるんでしょうね。詳しくは分かりませんが、カメラをスマホに接続して、スマホ画面で観ているのかな?

 

青梅駅で乗り換え、河辺駅で下車。駅前の河辺温泉 梅の湯でお風呂に入りました。僕はここは初めてですね。ここまで戻って来たら、家に帰った方が早いですしね。8時に全員がお風呂から出て来て、館内の立派な居酒屋さんで集合。楽しいひと時を過ごしました。


久し振りの長尾谷。易しい沢というイメージでしたが、今の僕にとってはタフな沢でした

2022年05月26日 | 沢登り/多摩川日原川水系

沢登りの復帰第2戦多摩川日原川倉沢谷の支流、長尾谷です。僕の沢登り感覚、そして沢登りに必要な体力を取り戻すための沢としては最適な沢のひとつだと思ったからです。沢のガイドブックでは「水平距離1800m、標高差600m、遡行時間2時間30分」となっていました。ちなみに、シダクラ沢「2000m、700m、3時間20分」ですから、シダクラ沢の方が長くて高くて傾斜も強いことが分かります。

ところが、沢登りの難易は数字通りにはいかないのが面白い所です。今の僕には長尾谷の方がシダクラ沢よりもずっとタフな沢と感じられました。ですから、復帰第2戦の沢としては良い選択だったと言えるでしょうね。

 

2022年5月22日(日) 倉沢谷長尾谷~棒杭尾根

▲9:39。奥多摩駅発8時35分の東日原行バスに乗って、倉沢バス停下車。そこから倉沢林道を歩きます。奥の方では林道や林道脇の山の斜面が崩れたりしています。まだ、徒歩では危険と言うほどではありませんが、そのうち危険レベルにまで崩れて、通行禁止になるかもしれません。写真は最初の林道陥没現場です。

 

▲9:49。長尾谷に沿った林道に入りました。

 

▲10:32。林道の終点から沢沿いの山道を進んで沢に下り、遡行準備をしました。そして、のんびりと出発。元気者が先を歩いて、僕は最後尾から付いて行きます。

 

▲10:40。長尾谷には大きな岩がゴロゴロと転がっていますね。

 

▲10:45。2条の滝です。先頭がどうしていいか迷っているようだったので、行ってみると、左端に残置のロープが設置してありました。

 

▲10:48。その残置ロープを使って登ります。

 

▲10:55。僕はすぐに高巻いてしまいましたけれど、S藤さんとK田さんは直登にチャレンジしています。

 

▲10:59。曇りがちだった空も光が溢れることの方が多くなって来ました。

 

▲11:00。鹿の骨がありました。この冬くらいに死んだのでしょうか?

 

▲11:02。両サイドが岩場のゴルジュですね。沢らしい気分の高揚する風景です。

 

▲11:08。頭の上に木橋が架けられていました。横板が隙間だらけですから、使われてはいないようですね。渡るのなら這いつくばって渡らないと怖いですよね。

 

▲11:25。ゴルジュも好きですけれど、少し広々としたこんな風景もいいですね。木漏れ日が素敵です。

 

▲11:31。S藤さんとK田さんはずっと滝の直登にチャレンジし続けています。K田さんはYYDでは僕に次いでの年長者。ここ最近は家庭の事情で山に行けなかった日々が続いていたはずなのに、足取りはしっかりしていますし、滝の登攀もS藤さんより達者です。凄いですね!

 

▲11:41。相変わらず大きな岩がゴロゴロしています。

 

▲11:44。こんな岩滝も出て来ました。

 

▲11:47。何人もが雨宿りや泊りが出来そうな岩屋もあります。

 

▲11:51。写真ではよく分かりませんが、透明感抜群の光景だったので撮りました。光が当たって白く輝いている場所は水の下の石ころが透けて見えています。

 

▲11:57。S藤さんがを渡って滝の直登にチャレンジしました。

 

▲12:05。20mほどの岩峰です。里の近くにあれば、登攀対象になりそうですね。

 

▲12:11。こんな山奥にがありました。

 

▲12:44。S藤さんがチャレンジ中。少し苦労して登ると、K田さんがあっさりと登ってしまいます。S上さんもちょっとだけ苦労しながら登り切りました。

 

▲13:01。この滝は直登が難しいので高巻きます。8mm×30mのザイルを持っていましたが、ギリギリの長さでしたね。反対側(右岸)の方が小さく高巻けそうでしたが、泥と枯葉が載っていて嫌らしそうでしたから、左岸を高巻くことにしました。こちらの方が灌木や木の根があって安全に感じたからです。ザイルの末端を固定しているので、僕は写真を撮りました。ザイルをく塗っています。先頭はS藤さん。ただ、こちら(上)のザイルの固定に信頼感が持てないので、僕もザイルの末端を持つことにしました。S藤さんが上がって来たら、彼にザイルを腰絡みで持ってもらうことにしました。

 

▲13:04。S藤さんがフリクションノット(多分プルージック)で登って来ます。

 

▲13:13。T原さんも登って来ます。後方のS上さんの場所でザイルは直角に向きを変えています。しっかりした木でプロテクションを取ってあります。その木のプロテクションでカラビナの掛け替えをしなければならないのですが・・・・

 

今回の遡行で1点だけ今後へ向けてのYYDへの注文が見つかりました。今回はここで1回だけ高巻き時にザイルを出して、固定し、プルージック(フリクションノット)での高巻きをしてもらったのです。 プルージック結びは出来たのですが、途中、直角に向きを変える場所でのカラビナの掛け替え方法がよく分からなかったようなのです。 僕は滝の上に来ていますから、詳細の指示は声が届きません。 カラビナの掛け替えの意味がよく分かっていないとは、僕も予想外でした。

状況にもよります。 片手で、一瞬たりともザイルからカラビナが離れないように操作する方法もあります。 ヨーロッパのヴィア・フェラータ(鉄の道)のように人間側のセルフビレイを2本セットしておく方法もあります。 プロテクション側を2つセットしておく方法もあります。 でも、今回はしっかりした木にセットし、その場所も比較的安定していましたから、一瞬カラビナを外して、プルージック結びの後方に移し替えても大して危険ではない場所です。 その、一番簡単でいい加減なカラビナ掛け替えがすぐには理解できていなかったのです。 僕が滝の上にいますから、滝の下にいる5人の中で、一人でも指示を出せるメンバーがいて欲しかったな、と思いました。

 

▲13:21。ラストはK田さんにお願いしました。ザイルの末端で来てもらいます。K田さんの後方の木で取ったプロテクションを外すと、危険な状況になります。万が一滑り落ちると、滝の下まで落ちてしまいます。ここまでの沢での歩き方を見て、K田さんが一番安心できそうに思えましたから、ラストに指名しました。

 

▲13:32。二股です。水量はほんの少し左の方が多いと思いますが、右の方が沢床が低く、本流だと思います。標高1050mほどの地点でしょう。左に入ってもいいのですが、蕎麦粒山近くに突き上げたい気持ちが強いので、右を選びました。

 

▲13:50。稜線が近づいて来て、空も広がって来ました。天気予報は曇りでしたが、綺麗な青空が広がっています。

 

▲13:56。ヒメレンゲだと思います。あちこちにたくさん咲いていました。

 

▲14:11。水も完全に消え、枯葉のラッセルをしながら急登を喘ぎます。

 

▲14:29。沢形も消えそうなので、左の支尾根に移ることにしました。手(と言うよりも指)も使わないと登れないほどの急登で、爪が泥で真っ黒になってしまいました。

 

▲14:40。僕とK田さんが最後尾です。この二人がYYDの1番と2番の年長者なんです。これくらいの急登を駆け上がるくらいの山体力を取り戻したいものです。

 

▲15:01。稜線に到着しました! 装備を解除します。達成感と言うか、安心感と言うか、もうこれ以上、急登を詰める必要がない解放感に満ち溢れています。ここから上へちょっと登ると蕎麦粒山1472.8mです。すぐ近くなんですが、誰も頂上まで行こう、とは言いません。

 

▲15:25。蕎麦粒山には登らずに下山開始です。4時台のバスは無理そうなので、5時台のバス目指して、それなりに急ぎます。

 

▲15:31。登山道の標識が出て来ました。今日初めての標識なので、何故かホッとしますね。

 

▲15:31。奥多摩ビジターセンターの登山道道路状況一覧表には次のように書かれています。 「蕎麦粒山南分岐から踊平北までの巻き道」「通行止」。 ただ、「尾根筋の登山道をご利用ください」となっていますね。 詰めの最終局面で、その巻き道に出会ったのですが、最近歩かれていないでしょうから、登山道だとの確信が持てませんでした。 その結果、稜線まで詰め上げたのですが、僕とK田さんの老体には堪えましたね。

 

▲15:35。いつも思うことですが、登山道ってなんと歩き易くて楽なんでしょう!

 

▲15:57。この日は棒杭(ぼうくな)尾根を下降します。蕎麦粒山から南へ派生している鳥屋戸尾根を下ってもいいのですが、この尾根は下りでは迷いやすいのと、死亡事故も起きているザレ場があるので、嫌なのです。ヨコスズ尾根まで行くと遠回りですから、棒杭尾根になります。便利な尾根なので、僕はよく使いますね。倉沢林道が荒れている旨の注意書きがぶら下がっていました。

 

▲15:59。この巨樹は何の樹でしょう? この付近はシロヤシオミツバツツジが綺麗なのですが、今年はもう花の時季は終わったようですね。ミツバツツジは葉っぱも茂っていましたし、シロヤシオの花が地面に落ちていました。

 

この棒杭尾根を僕は地図も見ずにいつも適当に仕事道っぽいところを拾いながら降りて行きます。でも、T橋さんとT原さんはきちんと地図読みしながら下降していました。でも、植林地帯で道を失ったみたいだったので、僕は先頭へ行って、これまた適当に方向を定めて進んで行きました。すると、しっかりした仕事道に出て、林道まで僕が先導。

 

▲16:47。林道へ出て来ました。皆ホッとします。

 

▲16:54。魚留橋に出て来ました。ここまでは林道も荒れていました。ここからは1ヶ所の陥没だけで、他は問題のない林道です。17時36分のバス目指して、急ぎます。

 

▲17:23。思いの外、早くバス停に到着しました。

 

倉沢バス停から天益に電話が繋がりました。「早ければ5時には着きます」と言ってあったので、「今バス停に着きました。奥多摩駅には6時前になります」と伝えました。T橋さんは家庭の事情でそのまま帰りましたが、5人は天益のカウンターに座って、楽しい反省会。K田さんが結構いじられていましたね。愛すべきお人柄です。とりわけネパールへの新婚旅行がいじられていましたね。その内容は秘密ですけどね。

 

ところで、僕はこの長尾谷へは1990年5月初めて入渓しています。 当時はこの沢の遡行図も記録も見つからず、地形図だけを持っての入渓でした。 1981年発行の『日本登山体系4 東京近郊の山』にも文章による記述さえありません。 1960年発行の『奥多摩の山と谷』にも隣りの塩地谷の遡行図は出ていましたが、長尾谷の情報は一切ありません。 (もっともこの本のコピーを戦前から沢登りをしていた大先輩から頂いたのはずっと後になってからでしたが)  長尾谷の遡行図が一般に広まったのは1996年『奥多摩・大菩薩・高尾の谷123ルート』が発行されてからです。 ただ、以前所属していた山岳会の30周年記念出版として1991年に発行した記念誌の中に僕が書いた長尾谷の遡行図は掲載されています。 東京の大きな書店や図書館にも置いてもらえましたから、目にした沢屋さんもいたと思います。 もちろん、昔から長尾谷は沢屋さんに遡行されてはいたと思います。 さまざまな山岳会の年報等を探せば、その記録も出て来るでしょう。 でも、現在と違ってネットもありませんから、そんな情報はなかなか目にすることが出来ないんです。 ただ逆に、探検冒険的喜びがたくさん残されていた時代とも言えますね。


何度遡行しても、鷹ノ巣谷は奥多摩を代表する素晴らしい沢です

2016年06月17日 | 沢登り/多摩川日原川水系

2016/5/15  今春、YYDに入会したのは沢登りに行くためです。単独で入渓するほどの実力はありませんから、仲間はとても大切なのです。

YYDでの初沢登りが奥多摩の鷹ノ巣谷になったのもとても不思議な巡り合わせのように感じます。何故なら僕自身の初めての沢登りも鷹ノ巣谷だからです。草文社発行の『ルート図集2東京周辺の沢』(昭和54年発行)を沢登りを始めるにあたって購入し、その中から鷹ノ巣谷を選んで単独で入渓したのが1980年5月3日のこと。ルート図に書き込まれたメモを見ると、歩き始めが6:50、戻って来たのが14:20となっています。
沢装備は地下足袋、草鞋のみで、ヘルメットもザイルも持っていませんでした。大滝は当時まだ左岸が崩壊していませんでしたから、楽に高巻きすることが出来ていました。金左小屋窪に入り、詰めは猛烈な笹薮漕ぎでした。笹の中に閉じ込められて、周囲がまったく見えませんから、とっても不安になり途中の木に登って上部を眺めたりしたものです。やっと尾根に出た際の解放感や達成感に追い打ち(?)をかけたのが眼前に出現した富士山でした。
これで沢登りの魅力の虜になってしまったのでしょうね。

 


▲東日原バス停から鷹ノ巣山登山道に進みます。毎度、稲村岩尾根が出迎えてくれます。9:16ころ。


▲日原川を渡る吊り橋から鷹ノ巣谷出合が見えます。9:22ころ。


▲出合で沢装備を整え、いよいよスタート。9:47ころ。


▲地蔵の滝です。9:55ころ。

今日の歩く順番ですが、トップはT口さん、続いて初心者の女性が3人続きます。N本さん、S木さん、SS木さん。その後ろに僕が入り、続いて今日が沢登り初めてのK藤さん、ラストをしめるのがS原さんです。


▲森の緑と苔の緑で、水も緑に映えています。こういう沢歩きが心地いいですよね。10:09ころ。


▲水と戯れながら登って行きます。10:15ころ。


▲水の中にも入っていきます。10:16ころ。


▲水の流れが美しいですね。10:30ころ。


▲僕の後ろを歩いているK藤さんとS原さん。K藤さんが倒木渡りで遊んでいます。10:33ころ。


▲登山道とは違って、一歩一歩に細心さと大胆さが必要です。10:35ころ。


▲前の会では(と言うよりも僕がリーダーの時は)ザイルを出していた滝です。T口さんがお助け紐を出してくれました。いま登っているメンバーのこれから、水の流れを渡る箇所がちょっと嫌らしいのです。10:46ころ。


▲T口さんが滝の右端を登ろうとしましたが、ちょっと難しかったみたいで、結局右岸を小さく高巻きました。10:52ころ。


▲ヤマツツジが咲いていました。ここには沢の中では珍しく陽射しが差し込んでいました。11:03ころ。


▲大滝が見えて来ました。11:10ころ。


▲大滝20mです。2人パーティーがザイルを出して登っていました。11:12ころ。


▲先行パーティーの登る様子を見上げるYYDパーティー。11:16ころ。


▲今日の水量は平常並みだと思います。水が多いとここにいても水浸しになりますから。11:17ころ。


▲T口さんがリードします。11:21ころ。


▲続いてN本さんがフォロウ、この写真では確保するT口さんのすぐ下に二番目のS木さんが、右下には次のSS木さんがいますね。11:39ころ。


▲苔の緑が美しいですね。このころからだったでしょうか、K藤さんが前の方を歩くようになりました。沢歩きに慣れて来たようですね。12:07ころ。


▲ワサビ田跡が現われました。12:15ころ。

今日は水ノ戸沢に入りました。僕にとっては初めての支流です。小滝が多く、けっこう飽きさせない支沢ですね。


▲ついでに倒木も多く現われるようになりました。12:30ころ。


▲久し振り(初めて?)の休憩です。12:54ころ。


▲次第に源流の雰囲気になって行きます。13:21ころ。


▲水量も減って来ます。そろそろ水も完全に涸れてしまうかもしれません。支沢に水が流れていましたから、ここで給水しました。13:39ころ。


▲予想通り、しばらくすると水は涸れてしまいました。13:52ころ。


▲シカの白骨が転がっていました。何が原因で死んだのでしょうね。まだまだ生臭いにおいが充満していましたから、この冬に死んだのでしょうね。13:54ころ。


▲いよいよ源頭です。14:06ころ。


▲沢型地形からも離れ、支尾根を登って行きます。一般登山道を歩く限りは、これほどの急登はありませんから、沢慣れていないメンバーは手こずっています。14:17ころ。


▲稲村岩尾根の登山道に出ました。14:27ころ。


▲YYDには山頂を踏む慣習があるようですね。僕ならそんなことはせずに、稲村岩尾根をそのまま下ってしまいますが・・・・ 14:50ころ。

鷹ノ巣山山頂で沢装備を解除しました。


▲稲村岩尾根を下って行きます。ミツバツツジの最盛期でした。15:29ころ。


▲ミツバツツジの中を下って行きます。15:30ころ。


▲どんどん下ってもやっぱりミツバツツジ。15:39ころ。


▲巳ノ戸沢にかかる橋が見えて来ました。16:44ころ。


▲稲村岩下部の岸壁が出てくるあたりで、遭難者がいました。すでに救助隊が来ていて、搬送方法など検討していますヘリコプターを呼ぼうとしているようでした。どこで滑落したのかは知りませんが、10~20mくらい落ちたようです。外見ではさほど大事ではないようなのですが、ヘリを呼ぼうとするほどですから、骨折もあるのでしょうね。16:51ころ。


▲消防の救助隊がさらに駆けつけていました。17:01ころ。


▲警視庁(奥多摩山岳救助隊)も。17:02ころ。

山で事故を起こすことは本当にたくさんの人々に迷惑をかけます。多くの人々が助けてあげようと一生懸命活動してくれます。今後も山で事故を起こさないよう、細心の注意を払っていきたいと思いますね。


▲東日原バス停にギリギリセーフで間に合いました。17:15ころ。

奥多摩駅では全員で天益へ入りました。いつもは女将さんに遠慮して、あまりあれこれ注文しないのですが、YYDのメンバーと入っていますからお客様の一員として一緒に扱ってもらえます。いつもよりはいろいろと頂けました。

やっぱり多くの沢仲間と行く沢登りは楽しいですね。これからもYYDで楽しませてもらおうと思いました。


奥多摩の家入沢は入渓方法に配慮が必要でした

2013年09月16日 | 沢登り/多摩川日原川水系

2013/9/14  8月の湯場ノ沢以来、一ヶ月以上振りのA野さんとの山行。三連休なんですが、明日、明後日の天候が台風のために良くないとあって、電車は満員。僕たちが乗る東日原行のバスも臨時バスが2台も出るほどでした。
家入(いやいり)沢は僕としては今日で3回目なのですが、印象はあまり良くありません。最初にS子と行った際に沢用のバイルを高巻き最中に落としてしまい、失くしてしまった恨みもあるのかもしれません(笑)。2度目の遡行も以前所属していた山岳会の仲間とだったのですが、印象は薄く、あまり記憶がありません。それにこんなこともあったのです。その時の仲間がその後会山行として計画・実施し、詰めの最後、登山道に飛び出す手前で、人の死体を発見したというのです。そんなこんなで、あまりいい沢だというイメージはなかったのですが、沢登りのガイドブックでは★5つが最高ランクで★★★ですから、まずまずいい沢だという評価なんですね。

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▲過去2回はこの柵を乗り越えて右下に流れる家入沢へ入りました。でも、どこかが変わっているようで、以前と比較して侵入し辛くなっているように感じます。9:31ころ。

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▲そこで、一段下の道路脇から階段を降り、沢に入りました。9:36ころ。

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▲ところが、ちょうどこの写真を撮影した時、下の二人が何やら叫んでいます。9:40ころ。
内容はすぐに分かりました。どうやらこの沢に入ったら駄目だと言われているようです。少しして、右の通路から男性二人が駆け付けて来て、「ここに入ってもらうと困るよ」と言われました。彼らの言うには、僕たちがここを歩くと下流の釣場の池に泥水が流れ込むのだそうです。最悪の場合は魚が死んでしまうとか。それでは仕方がありません。確かに、この辺りの流れの底には細かい泥が堆積していて、歩くとうわ~っと泥が舞い上がっていました。
きちんと謝り、じゃあどこへ転進しようかなどと考えていました。
でも、「もっと上流から入ってよ」と聞こえて来ます。「あそこに鳥居が見えるでしょ、あの日野明神社から山道があるから、それを辿って先から入って」と言っています。あ~あ、良かった!

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▲駐車場わきの日野明神社です。神社の左奥から山道が上へと続いています。9:44ころ。

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▲山道を忠実に登って行くと、この作業小屋に出くわします。このすぐ先で山道が分かれているのですが、右の道を選び、沢の方へ進みました。9:49ころ。

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▲山道を辿ると、この滝の下に出ます。先ほどの場所からは100mくらい上流になるのでしょうか? この滝は左側を高巻きました。9:58ころ。

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▲まずまずの渓相が続きます。10:26ころ。

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▲過去2回の遡行の際には感じたことがなかったのですが、家入沢は森と苔の緑が美しい沢だったのですね。おそらく別の季節に入ったのでしょう。10:29ころ。

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▲岩の上から蔓植物が垂れ下がっていました。名前を調べましたが、まったく分かりません。10:32ころ。

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▲いろいろな形状の小滝が出て来ます。10:41ころ。

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▲家入沢は石灰岩が多い沢。大きな岩がゴロゴロあります。写真の左の岩峰は20m以上ありました。10:46ころ。

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▲2条の滝です。10:52ころ。

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▲滝の直登に果敢にチャレンジします。10:54ころ。

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▲とちのきの実と殻です。沢の中にた~くさん落ちていました。10:57ころ。

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▲岩を積み上げて出来たような滝もありました。11:02ころ。

030
▲沢の中央に大きな逆三角形の形をした岩がド~ンとあります。こんな造形は頭で考えて出来るものではありませんよね。11:05ころ。

031
▲右に落ちる滝はこんな様子。直登は困難そうなので大岩の左を登ることにしました。11:07ころ。

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▲頭の上にのしかかっているのが、あの逆三角形の大岩です。11:10ころ。

035
▲まあるいお饅頭みたいな岩にすだれ状の水が流れ落ちます。この滝は右から巻きました。11:14ころ。

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▲巨岩ゴロゴロの滝です。11:18ころ。

043
▲送水パイプが出現しました。どこへ水を送っているのでしょうか? パイプから水が漏れ、噴出しています。11:28ころ。

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▲滝の高巻きです。生きている藤の蔓(多分)があったので助かりました。11:32ころ。

045
▲先ほどの送水パイプの取水口です。11:38ころ。

048
▲次第に流れる水の量が減って来ました。2度目の休憩を取った後なので、時間が進んでしまっています。12:09ころ。

049
▲毎度、渓流のマスコット“ひきがえる”です。小心者のようで、足音に気付き岩の隙間に逃げ込んで行きました。でも、全然隠れきれていません。12:13ころ。

052
▲これが最後の滝、8mなのでしょうか? 僕の記憶にある滝とは大分違います。12:28ころ。

054
▲高さはありますが易しい滝です。12:32ころ。

057
▲パッカリと割れた大岩がゴロンと横たわっています。すでに水流はなく、涸れ沢になっています。12:57ころ。

058
▲沢もガレ場の様相を呈して来ました。写真のゴムパイプが出て来たのですが、パイプの中を水が流れる音がしています。パイプに沿って踏み跡があるようなので、気になってそちらへと向かってみました。13:03ころ。

059
▲山道は実にしっかりと踏まれた道となり、こんな立派な小屋まで現れました。このパイプは石尾根北面中腹にある林道へつながっているに違いないと推測、興味が湧いたので、この山道を歩くことにしました。13:04ころ。
つまりは、先ほどのパイプの場所で遡行終了。詰めの急登の楽しみが奪われるのは残念ですが、この山道のことが興味津々です。

062
▲トリカブトです。花の盛りが過ぎ、ちょっと枯れかけていました。13:09ころ。

063
▲トリカブトの横に奇妙な実がなっていました。調べましたが、まったく分かりません。13:10ころ。

064
▲ゴムパイプに沿って山道がしっかりと付けられています。13:12ころ。

066
▲気持ちのいい広葉樹林がずう~っと続いていました。13:38ころ。

067
▲予想した通り、石尾根北面の林道に出ました。この林道終点にはこんな檻のようなものがありました。13:42ころ。
左に都知事から発行された許可証が貼り出されています。ニホンジカ6頭をこの檻で捕獲するのだそうです。捕獲したら、体重等を計測し、機器を装着して後、再び放つのだとか。

この山道の存在は知っておいて損のないものだと思います。家入沢からはゆっくりと歩いて40分で林道に出たのですから。
この林道を進むと、石尾根からの登山道(林道部分ですが)と合流しました。後はいつも通りの登山道です。
途中、雨が強く降ったりもしましたが、氷川に近づくころには雨も止み、氷川の街に入る手前で着替えも済ませて、天益へ向かいました。
朝の登山者の多さがあったものですから、天益の席が空いているか心配でしたが、意外と空いています。どうやら、朝の登山者のほとんどが川乗橋で下車し、川苔山へ向かったんだそうです。登山者の多くが鳩ノ巣駅へ下山したのですね。

天益の座敷では消防署の方たちが宴会を催していました。カウンターの僕たちにまずはお通しを出してくれたのですが、ミョウガの酢の物でした。お通しとしてだけではなく、途中でも追加でたくさん食べさせていただきました。でも、何と! このミョウガ、山野井家の畑で出来たものだったのですね! 山屋としては茗荷冥利に尽きる光栄でした。僕は昔から妙子さんの大ファンですが、おそらく妙子さんが精魂込めて(大袈裟過ぎるかな)作ってくださったんでしょうね!