ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

春の熊本城へちょっと散歩に

2018年06月16日 | 熊本起点の旅や遊びなど

2017/4/4  これを書いているのは1年以上経過した2018年6月ですから、記憶はすでにあやふや。思い出そうとしてもほとんど何も出て来ません。熊本に行ったときは必ず熊本城へは行くことにしていますから、この時は天気も良くて急に出かけてみたのかもしれませんね。


▲この日はいつもとは違う場所から巡ることにしました。14:09ころ。


▲前回、2016年の年の暮れにここを訪れた際、この長塀には工事用の柵がありました。でも、今回はありません。少しずつ何かが進んでいるのでしょうね。14:14ころ。

2016年12月28日の長塀の様子が下の写真です。


▲ここも崩れ落ちていた建物の破片や城壁の岩が片付けられていました。崩壊したところもそれ以上崩れないようにコンクリで固められています。14:25ころ。


▲場所によっては桜も満開です。14:27ころ。


▲このあたりの様子は変わっていませんね。14:35ころ。


▲大天守と小天守。小天守にクレーンが寄り添ってます。14:39ころ。


▲クレーンです。14:40ころ。


▲このあたりも変わりませんね。14:47ころ。


▲城壁の表面の岩や内部に詰められるより小さな石の保管場所です。前より増えているような。14:47ころ。


▲最後にもう一度。左から小天守、宇土櫓、大天守。14:51ころ。

毎回、少しずつではありますが、熊本城復興が進んでいるようです。


熊本地震の4ヶ月後、近見と熊本城の現状

2016年09月24日 | 熊本起点の旅や遊びなど

2016/8/16  今年の熊本への里帰りは短期間になってしまいました。行きには長崎の叔母さん宅に寄りましたし、帰りは京都を巡ったりしたいと思っていますから、結局、熊本では5泊しかできませんでした。

しかも、これまでは必ず実行していた熊本滞在中の登山も計画すらできませんでした。その理由は熊本地震です。地震の影響でいまだ熊本から阿蘇への鉄道が不通になっているからです。夏なので、せめて標高1000mくらいはある山に登りたいですよね。阿蘇方面以外で鉄道等を使っていける山は標高数100mくらいしかありませんから、暑くてたまらないのです。

登山は実行できませんでしたけれど、是非行ってみたい場所がありました。熊本城です。ですから、熊本に来た翌日すぐに訪れました。ともかく実際に自分の目で見てみたかったのです。

家を出て、バス停に向かう道々にも、地震の爪跡は残っています。

 
▲実家のそばの市道沿いの商店は大打撃を受けていました。12:15ころ。


▲歩道沿いの植木の囲いもこんなに砕けてしまっています。12:15ころ。


▲先ほどのビルのお隣りのビルですが、折れて、曲っています。12:15ころ。


▲この電柱、どこか可笑しいと思いませんか? 12:17ころ。


▲この電柱なら分かりますよね! そうです。沈んでしまっています! 住所表示は普通、目線の高さにありますよね。12:18ころ。


▲以前からこの石柱の表示の意味が分かりませんでした。「大正八年十月架?」「近見橋」と書かれています。確かに、幅1m半ほどの溝のような流れはあるのですが、それに架かっていた橋を記念して石柱を立てるとは思えません。今回、地震に付随して報道された記事を読んで合点がいきました。それは熊本市内を流れる大きな河川、白川と緑川、その二つを結ぶ流れがこの市道付近を流れていたそうなのです。そこに架かっていた、それなりの大きな橋が大正時代にはあったのでしょうね。12:19ころ。

この辺りを川が流れていたとすると、川砂が堆積しているのは当然のことかもしれません。それで、この付近に集中して地震による液状化現象が起きていたのです。


▲このお店も営業再開できないままなのですね。割れたガラスもそのまま放置してあります。12:21ころ。


▲残ってる溝のような流れがこれ。4ヶ月たっても路肩が補修されていません。12:23ころ。


▲日吉小学校の前にあった文房具屋さんには「危険」を示す赤い紙が貼られていました。「地盤の沈下。建物の著しい傾斜」がその理由です。12:25ころ。


▲建物と建物の隙間を覗いて見ると、大変なことになっています。12:27ころ。


▲日吉小学校の正門。一見、何事もないようですが・・・・ 12:25ころ。


▲玄関の様子です。だいぶん綺麗に整えたのでしょうが、盛り上がっていますね。12:28ころ。

バスに乗り、交通センターへ行きました。途中、工事中のシートで覆われた建物が普段より多いような気がしました。熊本随一の繁華街である通り街でも、地震の影響で閉店している店もちらほらとありました。
そして、熊本城へ向かいます。


▲最初に目に飛び込んで来た惨状がこれ。14:21ころ。


▲近づいて見ると建物も崩れ落ちたのですね。国指定の重要文化財、北十八間櫓、東十八間櫓、五間櫓です。14:31ころ。


東十八間櫓の南側石垣が民間駐車場へ落ちたのだそうです。その石をここへ運び、石の位置などを記録し、復旧に備えています。14:39ころ。


戌亥櫓と崩れた石垣。14:43ころ。


▲あまり人目につかない場所もこんな感じで崩れていました。14:43ころ。


▲このように観光客も通れるようにしてくれてあります。14:43ころ。


熊本城でいちばん好きな宇土櫓。昔のままの姿を保っている国指定の重要文化財です。右につながっている部分が潰れてしまいました。14:46ころ。


▲ちょっとした石垣もこんな状況でした。14:50ころ。


▲天守閣の周囲をドローンが飛んでいました。お城の現状を撮影し、調べているのでしょう。14:51ころ。


▲大天守と小天守。14:52ころ。


▲小天守の土台もこんな状態です。14:54ころ。


▲西大手門。角の石垣でかろうじて支えられていますね。14:58ころ。


▲戌亥櫓と石垣を先ほどとは違う角度から写しました。15:00ころ。


戌亥櫓も角の石垣で支えられていました。15:05ころ。


戌亥櫓から西大手門に続く長塀も崩れてしまいました。15:11ころ。


▲二の丸駐車場のトイレにも「要注意」の黄色い紙が。15:18ころ。


▲調べたのですが、この櫓がどこかは分かりませんでした。15:22ころ。


▲飯田丸五階櫓を支える工事が始まっていました。15:25ころ。


▲馬具櫓だと思います。15:32ころ。

お城のガイドさんがお客さんに「市役所の14階からよく見えますよ」と話すのが聞こえましたから、行ってみることにしました。


▲飯田丸五階櫓が見えていました。15:38ころ。


▲熊本市役所14階の展望ロビーに上がってきました。15:47ころ。


▲熊本城の全貌を見渡せます。レストランもあるので、思いのほか穴場ですね。15:49ころ。


飯田丸五階櫓は手前角の石垣一列だけでかろうじて支えられていましたから、応急処置が進められていました。15:49ころ。


▲本丸御殿大広間は外見だけを見る限りでは大丈夫そうでした。15:51ころ。

交通センターへ戻り、バスで家へ。


我が家のお墓はそれほどの被害はなかったのですが、周囲には大変なお墓があったようです。
まだ手付かずのお墓もあって、どうにかしてあげられないかと思ってしまいます。17:45ころ。


▲倒れたままになっている墓石がたくさんあります。元に戻すにも、確かに重くて大変。こんな実情なのも、仕方がないと思います。遠くに住んでおられたり、ご高齢だったりするのでしょうね? そのままなのを責めることは出来ません。17:50ころ。


▲近見神社の鳥居もこのありさまでした。17:51ころ。


▲鳥居の上のこれが落ちたのです。17:51ころ。


▲「支那事変記念碑」の大砲の弾でしょうか? 落ちてしまいました。17:52ころ。


やっぱり実際に自分の目で見ると、その大変さがよく理解できます。今後も長く見続け(見守り続け)て行きたいと思います。


Mちゃんも一緒に三人でスイーツを食べ、熊本城見学へ

2016年02月06日 | 熊本起点の旅や遊びなど

2016/1/4  もともとの心づもりでは、今日は3人で昨日より少しレベルの高いハイキングに行く予定でした。でも、自動車道路を2時間近くも歩かせてしまいましたから、Mちゃんは「足が痛い」と言って、行きたがりません。行けないこともないと思いますけれど、そんなに無理をする必要もありませんし。ハイキングどうのこうのと言うより、Mちゃんは昨日のスイーツに関する約束の方が大事なんです。
そんなこともあって、熊本の中心街に出て、久し振りに熊本城見物をすることにしました。

まずはスイーツです。交通センターからスタートし、下通のアーケイド街を進みます。Mちゃんに入りたい店を選ばせます。女の人にはありがちですけれど、Mちゃんも女の子。なかなか店を決めることが出来ません。やっと選んだかと思うと、普通のどこにでもあるチェーン店。それじゃあ詰まらないからと、本当はMちゃんが選んだ店なのだからそこでいいのだけれど、僕の一存で、却下! 結局、デパートの鶴屋に行き、スイーツのお店に入ることにしました。モロゾフのお店だったように記憶しています。僕もS子もランチを食べましたけれど、Mちゃんはここぞとばかりにたくさん食べていました。やっぱり女の子なんですね。スイーツは完全に別腹のようです。


▲S子とMちゃんが先を歩いています。須戸口門から入りました。15:03ころ。


▲時代劇でそのまま使えそうな場所がたくさんあります。15:07ころ。


▲これは何門というのでしょうか? 闇(くらが)り通路への入り口です。15:09ころ。


▲天守閣が出現しました。15:11ころ。


▲本丸御殿を見学しました。以前、出来てから比較的すぐに訪れた際には説明板などほとんどなかったのですが、今回は充実していました。ここは大広間。15:47ころ。


▲大広間の縁側です。15:48ころ。


▲縁側から左の建物を見ました。この建物の地下に闇(くらが)り通路が通っているのです。15:48ころ。


▲若松之間です。藩主が家臣と対面する部屋だったそうです。15:49ころ。

この再建された本丸御殿の素晴らしいところは、可能な限り昔と同じ姿に、昔と同じ方法で再現されている点です。柱も壁も襖も屋根もすべて江戸時代そのままの再現なのです。この絵も歴史学者や日本画家などの意見を集約し、「こんな絵であったろう」と言える絵を当時の手法そのままで描いているのです。


▲昭君之間です。中央の白馬に乗った女性が王昭君だと思います。中国4大美人にあげられるほどの美女。ただ、匈奴に政略結婚させられた悲劇の女性だったようですね。15:50ころ。


▲昭君之間。15:51ころ。


▲昭君之間の天井は漆塗りの折上げ格天井で、60枚の草、木、花が描かれています。薬用植物のようですね。復元調査の過程で発見された「御城内昭君之間格天井図」に基づき京都の絵師が描いたのだとか。本格的! 15:51ころ。


▲本丸御殿を出て、天守閣の最上階に行きました。そこから見た本丸御殿です。これだけ復元しても、まだ本来の本丸御殿の半分以下なのだそうです。16:10ころ。


▲天守閣から西方を眺めました。右に宇土櫓が見えています。西南戦争でも焼けなかった唯一の櫓です。天守閣はもちろん焼け落ちましたから、現在の天守閣は鉄筋コンクリート造りです。その先には西出丸や二の丸広場が見えています。16:13ころ。


▲宇土櫓です。国の指定重要文化財。この櫓だけが慶長年間(1596~1614)から残っている唯一の建物。僕は熊本城でもこの櫓がいちばん好きですね。16:37ころ。


▲西陽に映える天守閣。大天守と小天守です。風格のある城らしい城ですね。16:37ころ。

熊本に帰ると、何度かに一度は必ず熊本城へ行きます。本当は毎回でも行きたいのです。熊本に住んでいる市民は、忘れがちでしょうが、熊本城は本当に素晴らしいお城。誇らしい存在です。