ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

『標準コースタイムで歩く』シリーズ№7 ――― 89% 真夏の奥多摩で雷轟く中、水根山に登りました

2022年08月08日 | ハイキング/奥多摩

山仲間との都合も合わず、ぽっかりと予定が空いた週末、僕は独り奥多摩を歩くことにしました。3ヶ月ぶりに『標準コースタイムで歩く』シリーズ№7を実践するためです。しかも、『少し長い距離を歩く』シリーズにもしたくて、倉戸口バス停~倉戸山~水根山~六ッ石山~奥多摩駅というコースにしたのです。コースタイムは7時間10分です。少し長い距離というのを7時間以上と考えていますから、ギリギリその範疇ですね。

『少し長い距離を歩く』シリーズはこれまでに3回行なっています。

1回目:日陰名栗沢

2回目:小同心クラック

3回目:ツルネ東稜

今回は奥多摩の一般登山道ですから、楽な山行ですね。

 

ところが、怖い怖いのせいで、石尾根を六ッ石山経由で下山することを断念しました。谷沿いの水根沢林道を下ることにしたのです。ですから、コースタイムは6時間44分。『少し長い距離を歩く』シリーズには該当しなくなりました。

 

2022年7月31日(日) 倉戸口バス停~倉戸山~水根山~水根

▲8:52。奥多摩駅から8時35分発の丹波山村行きバスに乗る予定でしたが、乗ったバスは鴨沢西行き。よく聞き取れなかったのですが、説明があって、どうやら道路状況の影響で鴨沢から西へは行けなくなっているみたいです。僕はずっと手前で降りますからいいのですが、どうしたのでしょうね。倉戸口バス停で下車し、トンネル手前の道路を左に進みます。

 

▲8:57。奥多摩湖はほぼ満水ですね。今日も暑くなりそうです。

 

▲9:04。温泉神社です。かつてまだ小河内ダムがない時代には、街道沿いのこの付近には古く(鎌倉時代?)から湯屋がありました。倉戸山へのもうひとつの登山口である女の湯(めのゆ)バス停には奥多摩湖湖底から汲み上げている源泉の汲み出し口があります。今でも幾つかの旅館に配湯され、利用されています。名称が温泉神社となったのは明治時代だそうですが、戦後にダムが完成し、集落も湯屋も水没し、小河内神社に合祀されたんだそうです。写真の温泉神社も湖底から移されたんでしょうね。

 

▲9:14。朝食がまだでしたから、14分間休憩して、食べました。サンドイッチとミルクチャイ。

 

▲9:59。3年ちょっと前にここを歩いていますけれど、こんなロープが張ってあった記憶はありません。確かに、この辺りは道型が明瞭でない箇所も多くて、迷いそうなところではありますが、過剰な保護のような気もします。

 

▲10:13。広葉樹林の広がる心地よい登山道が続きました。

 

▲10:28。倉戸山1169.3m山頂に到着しました。

 

▲10:41。夏の青空。

 

▲10:42。山頂でも13分間の休憩を取りました。さて、出発です。倉戸山山頂は広くて平らな場所です。ずいぶん昔のことですが、雪がたくさん積もっていた冬に、ここでテントを張ったことがありましたね。

 

▲11:05。またロープが出て来ました。他の箇所でもありましたが、迷い易い場所だから張られている訳でもなさそうです。

 

▲11:08。カラマツ林がありました。下草としてマルバダケブキが群生しています。鹿が食べない毒草ですから、鹿が増え過ぎた奥多摩では勢力を広げた植物です。

 

▲11:10。マルバダケブキの花は綺麗です。鹿が食べてしまって(多分)、見られなくなった花も多くあります。

 

▲11:15。またしてもロープ。

 

▲11:44。榧(かや)ノ木山1485mの山頂にも行きたかったんですが、見落としてしまいました。この写真のように尾根の左を巻いている、すぐ右に山頂があるのです。

 

▲11:47。ツキヨタケですね。割ってみると、柄に近い部分がっぽくなっているのが目印です。日本の毒キノコの中では最も中毒例が多いそうですね。シイタケやムキタケに似てますからね。真偽のほどは分かりませんけれど、実に美味なんだそうです。でも、時間が経過すると、猛烈に苦しみ始めるんだとか。

 

▲11:59。二重山稜っぽくなってますね。それとも船底地形かな。

 

▲12:07。この二重山稜ぽい場所で3度目の休憩です。16分間休みました。のんびり山行です。

 

▲12:21。榧ノ木山は通り過ぎて、水根への分岐まで来ました。思いの外いいペースです。

 

▲12:39。榧ノ木尾根最後の急登です。

 

▲12:43。石尾根登山道に合流しました。ただ、この少し前から雷鳴が轟き始めていました。どうやら奥秩父方面から聞こえているようです。雷が聞こえているということは、今この瞬間にこの場所に落ちても不思議ではないということです。とは言え、せめて水根山まではと思って、写真中央の尾根筋を急いで登ることにしました。

 

▲12:47。水根山1620m山頂です。写真を撮ったらすぐに引き返します。

 

▲12:55。雷が鳴っていなければ、水根山から尾根沿いの登山道を進んだんでしょうけれど、山腹を巻いている登山道を選びました。両方とも石尾根登山道です。この巻き道を15分歩くと、水根沢林道への分岐が現われました。雷鳴はまだ鳴り続けていましたし、少しずつ接近しているようでしたので、石尾根の下降は断念。谷沿いの水根沢林道を下ることにしました。

 

▲13:37。水根沢林道へ入ってすぐの辺りで、4回目の休憩。休憩の最中にが降って来ました。を差しながらの休憩です。すると、雷が真上で轟きました。尾根上よりは安全でしょうけれど、絶対ではありません。ちょうど逃げるルートがあったのでラッキーでした。雷様とは争う気はありません。逃げるが得です。

 

▲13:59。19分間の長めの休憩が終わるころ、雨も降り止みました。雨粒に洗われた苔が綺麗で、思わず写真に撮りました。スギゴケでしょうね。

 

▲14:03。本当はこの小屋で休憩したかったのですが、思いのほか下の方にあったのですね。

 

▲14:28。水根沢林道をどんどん下っています。林道と呼ばれていますが、完全な山道です。上部では水根沢谷の右岸を通り、下部では左岸を通るようになります。写真は水根沢谷右岸の支流ですね。榧ノ木沢は遡行したことがありますが、この写真の沢はないと思います。三本ケヤキノ沢かな?

 

▲14:38。先に見えている木橋で、水根沢林道は右岸から左岸に移ります。

 

▲14:58。大堀沢ですね。六ッ石山西方の大堀と呼ばれる場所に突き上げている沢です。遡行したことがありますが、一緒に遡行した仲間は2008年1月槍平での雪崩で亡くなりました。

 

▲15:30。水根沢林道の下部は急な斜面に付けられています。ですから、登山道が崩れると大変! 崩壊箇所を巻くのも困難になります。そんな崩壊箇所が現われて、巻き道も作られていました。

 

▲15:32。巻き道を上がっていくと、林道の終点に出ました。本物の水根沢林道です。少し歩くと、登山道へ降りる踏み跡がありましたが、僕は登山道に戻らず、そのままこの林道を進むことにしました。ここを歩いても水根に至ることを知っていましたから。

 

▲15:47。途中、こんな標識が林道沿いに立っていました。むかし道の休憩所に行くのですね。この山道を50mほど先まで歩いてみましたが、なかなか高度が下がらないので、元の林道に戻りました。

 

▲15:52。林道が終わり、舗装された道路に出て来ました。

 

▲15:56。奥多摩湖が望める場所に出て来ました。

 

▲16:06。水根バス停に到着です。バスの時刻まで余裕がありましたから、隣りの奥多摩湖バス停まで歩きました。そこなら時には始発のバスもあるからです。10数分後、バスが来ました。座ることは出来ませんでしたけれど、どうやら臨時バスのようでした。登山者が待っていたバス停に着いても、誰も乗せずに、後続のバスに乗るよう指示していましたね。

 

奥多摩駅に着くと、僕は天益へ向かいました。女将さんとご主人が店の外にいました。「もう終わりなんですよ」「コロナだから人も少ない」と。残念ですが仕方ありませんね。僕はそのまま電車に乗って帰ることにしました。

 

今日のコースタイムは6時間44分です。昭文社の登山MAPにはコースタイムが出ていない箇所も一部ありましたけれど、適当に時間を自分で決めました。大幅には間違っていないと思います。その上で、実際にかかった時間が6時間1分ですから、標準コースタイムの89%で歩けたことになります。ただ、休憩も込みだと30分多くかかっています。107%です。休憩も込みで標準コースタイムで歩けるようになりたいですね。


10年ぶりのシダクラ尾根。新鮮な感覚で感動できました

2022年06月09日 | ハイキング/奥多摩

YYDでは常時新入会員を募集しています。入会を検討している人のために時々体験山行を実施しています。体験山行だからと言って、易しいハイキングと思ったら大間違い。登山体験がさほど多くない人もいるのですが、そんな人にとってはかなりハードな山行を計画しています。YYDの常日頃の山行と比べれば、易しい方かもしれませんけれどね。

ちなみに僕の場合の体験山行は奥多摩のヤケト尾根(日陰名栗山北尾根)でした。僕はこの尾根を何回か登ったことがありましたし、積雪期にも登ったことがありましたから、問題はありませんでした。さらにもう1回、僕は体験山行に参加しました。丹沢の広沢寺での岩トレです。ここでも数多く岩トレしたことがありましたから、問題はありません。直後に僕は入会を決めました。

 

この日の山行にも体験山行参加者が5名もいました。YYDメンバーは5名、珍しく大所帯の山行になりました。

と同時に、この日の山行は地図読み山行でもありました。地図読みを練習する山行です。皆が地形図を手に常に現在地を確認しながら歩くのです。YYDでは最近とりわけ読図に熱心なメンバーが増えています。好ましい傾向だと思います。かく言う僕自身は読図は自己流でいい加減なんですけれどね。

 

2022年6月5日(日) シダクラ尾根~御前山~陣馬尾根

▲8:37。奥多摩駅発8時35分の丹波行きに乗る予定でした。でも、登山客が多くて、臨時バスが出て、この時刻に惣岳バス停に到着です。

 

▲8:40。S原さんが体験山行参加者に解けない靴紐の結び方を教えてあげています。僕も昔誰かから教えてもらったことがありますが、使わないまま忘れてしまいました。

 

▲8:48。惣岳バス停のすぐ横に下にある集落へ降りる道があります。

 

▲8:57。シダクラ橋を渡ります。

 

▲9:01。シダクラ橋を渡ると、左下へ降りる山道へ入り、下に見えているシダクラ沢を対岸に渡ります。シダクラ尾根シダクラ沢右岸尾根なんです。右岸とか左岸とかの呼び方は下流方向を見て、右側が右岸、左側を左岸と呼びます。

 

昔、多摩川土手を散歩していたら、確か橋脚に貼ってあったプレートだったと思いますけれど、左岸なはずなのに右岸と記されていました。ちょうど偶然に国の河川保全を担っている公務員さんが原付バイクに乗って調査中でした。彼にその間違いを指摘したら、その後そのプレートの記述が訂正されていましたね。

 

▲9:12。シダクラ尾根に取り付くと、しっかりした仕事道が付いていました。その山道を利用して、左へ回り込むようにしながら登って行きます。でも、あまり標高を上げないので、途中で山の斜面を直登していきました。写真の明るい広場はどうやらワラビ畑のようですね。

 

▲9:13。3人は右に見える送電鉄塔へ向かいました。そちらの方がシダクラ尾根のメインの尾根でしょうね。7人は直進しています。

 

▲9:22。立派な仕事道が現われて、そこで7人と3人が合流しました。

 

▲9:52。メンバーの内のひとりの軽登山靴の底が剥げたようです。応急処置として、ガムテープとかテーピング用のテープでぐるぐる巻きにします。他のメンバーはホッとひと息ですね。

 

▲9:59。杉の植林ですが、間伐材の切り口がまだ新しかったですね。今年や去年の作業のようですから、仕事道もしっかりしていたんでしょうね。山の仕事道は使わなくなって何年も経つと、荒廃してしまいます。

 

▲10:05。急登ですが、ジグザグに仕事道が付いていますから、思いの外が出来ます。

 

▲10:07。シダクラ尾根には岩場があちこちにあります。石灰岩だと思います。

 

▲10:08。仕事道があるので、本当にに歩けますね。

 

▲10:14。シダクラ尾根の主稜線に出たのですが、そのまま登らずに、ちょっと戻りました。810m標高点を確認するためです。

 

▲10:28。多分、810m標高点での地図での確認作業だと思います。

 

▲10:42。しばらく行くと、広葉樹林になりました。やっぱり杉の植林よりは気持ちよくなりますね。その代わり、仕事道は無くなりますけど。

 

▲10:45。岩場も時々出現します。やはり石灰岩ぽいですね。

 

▲10:49。地形図を読む限り、というほどではありませんが、少しだけ傾斜の緩む場所ではありますね。

 

▲11:14。広葉樹と岩場、バリエーションルートとしては申し分のないセットです。この日は一日中曇りの天気予報だったのですが(しかも午後3時くらいからは雨)、陽射しも時折あって、いい方向へ予報が外れてくれています。

 

▲11:16。また現在位置の確認をしていますね。急登一方のこんな尾根では写真のような傾斜が緩んだ地点が良いアクセントになりますね。地図上での確認が取り易いポイントです。

 

▲11:36。心地の良い広葉樹林帯の急登が続きます。こんな山の斜面を登っているとアドレナリンが出るのか、ハイカーズハイになりますね。幸福感が溢れます。

 

▲11:39。途中、見事な巨樹が生えていました。樹種は分かりませんが、葉っぱの形などからすると、トチノキでしょうか?

 

▲11:41。ベンチがあるということは、ここは体験の森でしょうね。アセビの広場かな?

 

▲11:49。また岩場が出て来ました。僕はこの岩場を直登しようと思ったのですが、上部で岩場がどうなっているのか分からなかったので、止めました。どうやら問題なくその先へ行けたようですね。

 

▲12:01。傾斜の緩む箇所も増えて来ました。もうすぐ惣岳山のようですね。

 

▲12:10。惣岳山1348.5m山頂です。

 

▲12:26。御前山1405.0mへ向かいます。こんな階段あったかな?

 

▲12:28。バイケイソウが群生してますね。以前はこんな所に生えていたかな? 鹿が食べない毒草なので増えたのかもしれません。そう言えば、御前山周辺のカタクリが激減している原因も鹿の食害によるものだと思われます。何も鹿が悪いわけではありません。悪いのは人間で、地球温暖化の余波で奥多摩の冬を死なずに越せる鹿が増えたので、鹿がカタクリの葉を食べているのでしょうね。鹿の天敵だったニホンオオカミが滅亡したのも、人間の仕業ですしね。

 

▲12:29。御前山1405.0m山頂です。

 

ここでしばし休憩です。山頂には別パーティーもいて、何故か300ccほどの水入りのペットボトルを大量に持っていました。要る人にはあげますよ、と言うことだったのでYYDのメンバーがたくさん貰っていました。

 

▲12:56。御前山からは再び先ほどの惣岳山へ戻って来ました

 

▲13:08。惣岳山からは小河内峠へ向かいます。写真中央の樹はホオノキのようで、白くて大きな花を咲かせていました。

 

▲13:18。ヤマツツジの咲き残りですね。

 

▲13:33。この日は小河内峠1040mまでは行かずに、途中から登山道ではない支尾根を下降します。1200m標高点の少し南西の1160m付近から南へ下ります。

 

▲13:44。この尾根を下っている人はいるようで、赤テープもけっこう付いていました。1100m付近だと思いますけれど、ここで尾根が二手に分かれますから、地図で確認しているところです。

 

▲13:56。登山道と合流しました。970m付近です。一般的にこの陣馬尾根登山道は小河内峠から出ていますが、尾根としてはこの日歩いた尾根こそが正しく陣馬尾根だと言えるようですね。

 

▲13:56。バス停まであと2.2kmです。この時点で(本当はもっと前からですが)藤倉バス停発14時39分のバスは諦めました。

 

▲14:04。「陣馬尾根 中ノ平遺跡    都道二〇五号線    コノ付近全体 縦穴式住居跡 約七~八千年前ト推定  桧原村教育委員会 外 考古学者ニテ判明 土器ガ出土シ出土品ハ桧原村郷土資料館ニ有リ    発見者 矢沢 小林    発掘協力 八株 小泉 新築(?)他    第一回発掘 昭和三十五年    第二回発掘 昭和四十九年    建  矢沢 十四代目 小林忠利」

この付近は大昔は海岸線の近くだったのでしょうね。

 

▲14:25。先ほどのも小林忠利さんが建てたものでしたね。周辺にお地蔵さんらしきものは見当たりませんでした。荷付場の読み方や意味を調べたのですが、分かりませんでした。僕の想像ですが、里から牛か馬で運んできた荷をここで付け直す作業をしたのかな? と想像しました。

 

戦国時代以前から古甲州道があったようですね。秋川沿いから檜原村、小菅村を通って大菩薩峠を越える道だったようです。檜原村の中心部は確か浅間尾根を通っていたんだと思います。谷底に沿って歩くのは危険ですからね。大菩薩峠へは牛ノ寝通りを通ったのかな、などと想像したくなりますね。

また、甲州裏街道(青梅街道)1606年に開設されたんだとか。数馬の切通しが出来ると、古甲州道よりは甲州裏街道の方が多用されたようですね。となると、北秋川沿いの集落からも陣馬尾根を越えて小河内村に出て、甲州裏街道を利用した方が便利なこともあったのかもしれませんね。

 

▲14:36。山腹に点在する民家にとって、このモノレールは必需品ですよね。モノレール軌道の下を山道がくぐります。こんなモノレールに乗りたければ、檜原村の重要文化財である小林家住宅に行くために乗ることが出来ますよ。

 

▲14:54。もう、ほぼ里に降りて来ましたね。

 

▲14:58。春日神社と御神木の巨樹です。杉でしょうかね? 雰囲気のある神社でした。

 

▲15:07。藤倉バス停に着きました。これから1時間半ほど待たないとバスは来ません。

 

▲16:12。いろいろな話題も尽きて、ザイルを使ってのミニ講習会が始まりました。半マスト結びでの懸垂下降とか、30mザイルで30mを懸垂下降するにはどんな方法があるのか等々。

 

▲16:13。こちらではストレッチ講習会でしょうか?

 

▲16:19。バスはけっこう早くから来ていて、待機していました。左の建物は公衆トイレです。

 

シダクラ尾根は過去に幾度か登っています。いちばん最近では2012年9月に登っていますね。

シダクラ尾根を登りましたが、久し振りに日没後下山となってしまいました・・・・反省

でも、ほとんどシダクラ尾根のことは忘れてしまっていたみたいで、この日のシダクラ尾根を新鮮な気持ちで楽しむことが出来ました。


『標準コースタイムで歩く』シリーズ№6 ――― 87% 六ッ石山を独りで歩きましたが、初めて標準コースタイム以下で歩けました

2022年04月20日 | ハイキング/奥多摩

『標準コースタイムで歩く』シリーズも6回目になりました。前回は88%で歩けはしましたが、それはYYDの仲間に必死について歩いた結果でした。小走りで何とかついて歩きました。でも、それは僕にとってはとっても良いトレーニングになりました。それくらいの負荷をかけて歩かないと、脚の筋力アップには繋がらないと思うからです。

でも、今回は自分一人で歩きましたが、標準コースタイム以下で歩くことが出来ました。87%でした。休憩時間を含めてのパーセンテージはピッタシ100%でした。この100%というのは嬉しいですね。と言うのも、以前は普通に自分のペースでとりわけ急ぐ訳でもなく歩くと、だいたい休憩込みでコースタイムくらいで歩けていたと思っていたからです。今回はまだのんびり自分ペースという訳ではなくて、自分としては負荷をかける意味で急いで歩きました。だんだんとこれが普通の自分ののんびりペースになって欲しいと思っています。

今回の六ッ石山の前にも3月27日と4月9日にも山歩きをしています。でも、この2回は一般登山道ではないので、標準コースタイムとの比較は出来ません。その2回の山行記録もブログに書き残したいと思っています。書くのが1ヶ月遅れになる悪循環を断つために、今回は順番通りでなく書きたいと思いました。

 

2022年4月17日(日) 水根~六ッ石山~石尾根~奥多摩駅

▲9:49。奥多摩駅からバスに乗り、水根バス停で下車しました。水根の駐車場にあるトイレに入りましたが、その後ろではが満開でした。ミツバツツジも満開でしたね。

 

▲9:49。水根の駐車場には車がいっぱい停まっていました。樹々の新緑若葉が柔らかく心地よい色合いで実に綺麗ですね。

 

▲10:08。坂の車道の法面にも春の花が。ヤマブキの黄色が輝いていました。ちょうど陽も当たって本当に輝いています。

 

▲10:08。小河内ダムと奥多摩湖。

 

▲10:14。六ッ石山への登山道は最初から杉の植林の中を歩くことになります。

 

▲10:16。ここを歩いたことは何度もありますけれど、いつもこの神社が何故こんな場所にあるのか不思議に思います。産土(うぶすな)神社と言います。

ウィキで調べると、「産土神は、神道において、その者が生まれた土地の守護神を指す。その者を生まれる前から死んだ後まで守護する神とされており、他所に移住しても一生を通じ守護してくれると信じられている」と記されています。地縁による共同体意識が強まるので、都市部で盛んになりやすい信仰意識だそうです。でも、ここは山奥の奥多摩です。ちょっと不思議ですね。

 

▲10:40。登山道は植林の中に続きます。けっこうな急登です。一部の登山者が言うには奥多摩三急登のひとつなのだとか。

 

▲10:47。暗い植林を抜け、広葉樹の広がる場所に出ました。ここで最初の休憩とします。いつもと同じコロッケとミルクチャイ。

 

▲10:54。今日の天気予報は曇りのち雨でしたが、青空も少しは広がって、時々陽射しにも恵まれました。僕の休憩中に同じバスに乗っていた単独の登山者が抜いて行きました。植林の中でも、後方に見え続けていました。今の僕は自分ペースよりは速く歩くことで負荷としていますから、こういう登山者の存在はとっても貴重でした。追い付かれないようにと思う気持ちで、自分のペースを上げることが可能になるからです。

 

▲11:01。山にあるこんなのいわれを知りたいと思いますが、手掛かりはありません。どなたが古くて壊れてしまった祠を新しくしているんでしょうね? 山仕事している方々がやってるんでしょうかね?

 

▲11:03。同じバスに乗っていたあの登山者です。僕が休憩した場所より少し先で休憩したようですね。追いかけてスピードアップして登るのも、僕にとっては良い負荷になります。急登が続いた登山道で僕は彼を抜かしました。

 

▲11:18。木の股の部分に洞が空き、そこに雨水が溜まっていました。この水溜りで水浴びする小鳥やここで水分補給する獣たちの姿を想像しました。

 

▲11:21。急な斜面ですね。唐松の林が見えます。この下で東京都水道局の杭を見ました。奥多摩は東京都の水源保水林ですから、水道局が管理しています。ここがそうなのかは知りませんが、水道局が植林する際、唐松を使うことが多いんだそうです。

 

▲11:25。急登が続いた登山道が次第に緩やかになって来ました

 

▲11:29。トオノクボです。この地名の由来とか、漢字ではどう書くのかとか調べてみましたが、まるで分かりません。東にこのトオノクボまで登っているハンノキ(榛の木)尾根があります。ただ、榛の木は低地の湿地や低山の川沿いに生える木だそうですから、何故この名前が付いたのかよく分かりません。

 

▲11:39。広々と平らな尾根すじの防火帯は枯葉で覆い尽くされていました。

 

▲11:52。そんな枯葉の絨毯の上で2度目の休憩を取りました。

 

▲11:58。太い幹の根元に洞が空き、さらに穴もたくさん空いて、不思議なオブジェになっています。

 

▲12:04。なだらかな防火帯の尾根が続き、山頂も近づいてきます。

 

▲12:18。六ッ石山1478.8m山頂到着です。左に見えている登山者は同じバスのあの人かな? と想像しました。ここは休憩しないで通過しました。

 

▲12:21。六ッ石山山頂は雲取山から奥多摩の氷川に続く石尾根の途中ですが、山頂は石尾根から少しだけ外れた場所にあります。この写真の場所で石尾根合流です。

 

▲12:24。幾つもある大きな石の間にがあります。ここが本来の六ッ石山だと、『奥多摩』の著者、宮内敏雄氏は書いています。いま六ッ石山とされているピークは小中沢ノ峰と呼ばれていたそうです。小中沢は僕も遡行したことがありますが、最後はこの1478.8mピークに詰め上がります。六ッ石山の名前の由来も調べましたが、分かりませんでした。ただ、この同じ石尾根にある七ッ石山には平将門にまつわる伝承があるので、六ッ石山も同様だと思います。この2つの山の間には将門馬場もありますし。

 

▲12:27。六ッ石山を過ぎたあたりから霧雨が顔に当たり始めました。雨具を着るほどではありません。ただ、急に気温が下がって来ました。アウターを着て、手袋もはめました。

 

▲12:34。石尾根も防火帯が続いています。

 

▲12:39。再び気温が元に戻って、暑く感じるようになりました。

 

▲12:43。さほど急傾斜でもない防火帯の登山道が淡々と続きます。

 

▲12:55。三ノ木戸(さぬきど)山1177mが前方に見え始めました。名前の由来はよく分かりませんけれど『奥多摩』には同名の集落が山の南麓にあったそうです。今も三ノ木戸林道が通っていて、家屋も数軒ありますね。

 

▲13:02。三ノ木戸山北側を登山道は巻いています。

 

▲13:05。ここは3年前、まだ林道工事中だった時に一度登っています。石尾根北面の十二天尾根から見通尾根にトラバースして、見通尾根にできていたホヤホヤの林道を登って来たらここに着いたのです。今は石尾根を越えて南側に延びていますが、どこへ行ってるんでしょうかね?

 

▲13:26。ここで3度目の休憩を取りました。休憩を終えたころ、登山者が通り過ぎました。

 

▲13:38。登山道の先にさっき通りかかった登山者の姿が見えますね。

 

▲13:42。午後からは青空も消えて、陽射しも無くなりました。新緑の輝きも見られなくなりました。でも、陽に当たって光輝かなくても、新緑の美しさが消えるわけではありません。写真からは伝わりませんが、しっとりとした美しさも格別です。

 

▲13:57。山道の左上に小さな神社(稲荷神社だそうです)がありました。すぐ先にはこの石仏が。調べてみると、中央は大日如来で、「甲子待供養」の銘が見えます。五穀豊穣や蓄財を祈願するものだそうです。右は風神なのだとか。風神の頭の周りのものは袋なんだそうです。僕には雷神の太鼓のように見えましたけれど。僕には真偽のほどは確かめようがありません。石仏に詳しい方のご意見です。左の石は何なんでしょうね?

 

▲14:04。登山道が林道に出ましたね。

 

▲14:12。集落のある場所に出て来ました。左奥に見える山は天地山981mでしょうね。中央少し左側の山は鋸山1109mでしょうか?

 

▲14:19。廃集落沿いの山道を歩いていると、僕の眼の中で不思議な現象が起こりました。濃い紫色の点が視界を横切ったんです。アレッ? と思って、すぐに立ち止まって、足元を注意深く見ると、眼の悪い僕にもだんだんとこのスミレが見えて来ました。ほんのりと薄い、ほとんど白い空色のような小さな小さなスミレが咲いていました。春ですから、スミレが咲いているのを見たいな、と願っていたのは確かなんですが、濃い紫色の点が眼の中に現われるなんて、生まれてこの方、この1回だけなんです。この可憐なスミレが僕を呼んでくれたんでしょうか?

 

▲14:21。羽黒三田神社です。860年に創立と伝わる由緒ある神社です。

 

▲14:28。愛宕山507mが見えますね。

 

▲14:37。この氷川大橋を渡ると南氷川から大氷川となります。

 

奥多摩駅前の天益に顔を出しました。最近は予約を入れないと、なかなか席に付くことが出来ません。地元の人にも登山者にも人気の店です。僕は天益に通い始めて35年にはなるでしょうか。今の女将さんのお母さんの時から贔屓にさせてもらっているお店です。一人だけだと、カウンターの空いている席にねじ込ませて座らせてもらえることもあるので、この日は時間的にも早いですし、期待していました。

カウンターには3名座っていました。6、7人は座れるカウンターです。「御予約席」というプレートも置かれていたので、「大丈夫だろうか?」と一瞬思いましたが、座らせてもらいました。僕と同年配くらいの女性の隣りに座りました。彼女もここの常連さんみたいで、なんと! 茅ヶ崎から来ているんだそうです。そのうち、カウンターは満席になり、この日は1名が地元の方のようでしたが、あとは皆登山者のようでした。いろいろと山の話題が飛び交います。僕は天益のこんな雰囲気が大好きです。地元の人が多い時も、地元の様々な話題を聞くことが出来ます。たまたま店のカウンターに集った者同士が初めて顔を合わせた者同士だったとしても、親しく言葉を交わす、そんな場所なんです。多分、中心にいる女将さんの人徳なんだと思います。

この日は滅多にない出会いも天益でありました。僕の右隣りの席に座った男性。上記ブログの中で何回も出て来る登山者がいますよね。最初のころは同じバスに乗っていた登山者と書かれています。後半は単に登山者としか書かれていません。どうやらこの全ての登山者は同一人物だったようなんです。それが僕の右隣りに座った男性なんです。僕より早く下山しましたから、お風呂に入ってから天益に来たんだそうです。彼が僕のことを覚えていてくれて、最初の急登をお互いに姿を見ながら登ったことや、僕が3度目の休憩する姿を見たこと等、話してくれたんです。六ッ石山山頂で休憩していた登山者が着ていたのと同じ緑色のアウターを着て天益に来ました。58歳だということですが、水根からの最初の急登での僕の登りを誉めてくれました。「速くて追い付けなかった」と。そう言ってもらって、僕はちょっと嬉しかったですね。少しは頑張って来た効果が出て来たのかなと。

今回のコースでは標準コースタイムの87%で歩くことが出来ました。ただ、昭文社のMAPのコースタイムも適当ですから、もっと様々なコースを歩いて、どんな時でもこの程度で歩けるようになっておきたいと思います。


『標準コースタイムで歩く』シリーズ№4 ――― 109% 高水三山の内、二山を歩きました。低山なのに思いのほか多くの雪が!

2022年03月12日 | ハイキング/奥多摩

3年間、僕は訳あって普通の山行はしていませんでした。最初の2年間はゆっくり短いハイキングでしたし、1年間はどこへも行けませんでした。昨年の11月から山体力復活山行と銘打って自分ペースで歩く山行をスタートさせたのですが、思いの外、山体力は戻りません。山を歩くのに必要な筋肉自体が衰えていることに気付いたのです。

そこで『標準コースタイムで歩く』ことを目標にしました。ですから、昭文社の登山MAPでコースタイムの載っている一般登山道を歩くことにしたのです。でも、それを繰り返してもなかなか標準コースタイムでは歩けません。どうして歩くスピードが上がらないんだろう? と考えたんです。多分、ただ歩くだけでは現状の自分のペースで歩くだけになってしまって、ほとんど負荷がかからないからだと思いました。

つまり、現状の自分のスピードより速く歩かなければならないということですね。そうでなければ、負荷がかかりませんから、負荷無しでは筋肉トレーニングにはならないということです。ですから、『標準コースタイムで歩く』ために、現状の自分のスピード以上で歩くことにしたのです。今の自分の感覚では、急いで歩く、と言うことですね。シリーズ№4から、急いで速く歩くことにしました。と言っても、走るわけではありません。現状の自分のスピードよりは少し速めに歩く程度ですね。

 

奥多摩の山にはそれなりの雪があるでしょうから、低山を選ぶことにしました。雪が多いとコースタイムとの比較が出来なくなるからです。それで選んだコースが、御嶽駅~惣岳山~岩茸石山~名坂峠~北川橋~川井駅です。

標高差は510m、コースタイムは3時間50分でした。ただ、北川橋から川井駅までのコースタイムが書かれていなかったので、幾つか残っている昔の昭文社MAPを調べてみたのですが、2010年のにだけ出ていました。その年のには岩茸石山から北川橋が45分となっていましたが、他の年のには25分になっていたり、載っていなかったり、1999年版にはそもそも名坂峠から北川橋に下る登山道自体が記載されていませんでした。もっと古いMAPもあったのですが、多分ボロボロに細かく崩れてしまったので捨てたのでしょうね。御嶽駅から惣岳山のコースタイムも、1999年と2002年は1時間45分なのに2010年は2時間になっていました。それぞれ45分と1時間45分を採用しました。

コースタイムは絶対的な標準などとは思ってはいませんでしたが、これほど混乱していたとまでは思いませんでした。でもまあ、人間のやることですからね。

 

2022年2月17日(木)

▲9:52。御嶽駅の側面です。左の山は多摩川の対岸になりますが、北面ですから積雪で真っ白ですね。

 

▲9:56。惣岳山登山口のある慈恩寺です。入って左前方に登山口はあります。

 

▲10:03。登山道に入ると、いきなりの急登が続きます。

 

▲10:11。最初の送電鉄塔。標高375m付近です。雪がちらほらと残っていました。

 

▲10:19。さすが人気の奥多摩入門コースですから登山道はよく整備されていますね。

 

▲10:23。2番目の送電鉄塔標高390m付近です。

 

 

▲10:29。四つ辻に来ました。標高は380mほどですね。最初の急登を登り切れば、このあたりまではほとんど高度を稼いではいませんね。

 

▲10:33。3番目の送電鉄塔です。標高は410mくらい。

 

▲11:05。途中、1回目の休憩16分間とりました。いつものコロッケとミルクティーのチャイですね。この日も日当りのいい場所はポカポカと暖かいです。

 

▲11:17。杉(多分)の巨木が現われました。根元に立札が置かれていて、よくは読めないのですがネットで確認してみると「御神域 しめつりの御神木 青渭神社」と書かれているようです。しめつりのことも調べてみたのですが、分かりませんでした。何となく、注連縄(しめなわ)を吊っている木なのかなという気もしますね。登山道を挟んでこの木の反対側にも少し大きな木が2本あって、その木との間に注連縄が張られたのかなという気がします。ネットで調べると、その反対側の2本の杉(多分)の木に注連縄が張られている写真が見つかりました。

 

▲11:19。日陰にはが見られるようになりました。

 

▲11:27。真名井天神の祠がありました。この祠の下は涸れることのない(とは言え、冬場は涸れていることが多いようだし、それ以外も湿っている程度で、湧き水とまでは言えない状況)湧き水があり、真名井の井戸(青渭の井とも)と呼ばれている。惣岳山山頂の青渭神社の名前の由来になっている。

 

▲11:36。青渭神社です。大国主命が祀られており、創建年代は不詳ですが、1世紀の崇神天皇の時代にまで遡れるとも言われています。10世紀には源経基が社殿を再建したと言われていて、三田、北条、徳川からも崇敬を受けたそうです。明治に入って、山麓に拝殿(今の里宮)が建立されました。保護のためなんでしょう、周りを別の建物で囲われています。山頂の青渭神社自体はとても小さなお社なんですね。

 

▲11:36。惣岳山756m山頂です。展望もなく、陽当たりもよくありません。静かな山頂です。雪も多く、寒いのでそのまま通過することにしました。

 

▲11:38。惣岳山の北側に出ると、高水三山のひとつ高水山759mが目に飛び込んで来ました。北斜面は真っ白ですね。

 

▲11:38。写真を撮っていたら、夫婦(多分)が僕を追い抜いて行きました。

 

▲11:45。北斜面には岩場の登山道が10mの高さほど続きます。足場が雪で埋まっていて、よく見えませんから慎重に下ります。

 

▲11:47。ここは雪が少ないですね。こんな感じで木の根っこと岩が続いています。

 

▲11:47。夫婦は下り切ったようですね。僕はもう少し緊張感が続きます。

 

▲11:51。北斜面の日陰ですから、積雪量も多いです。登山靴はすっぽりとはまってしまいます。軽登山靴ではなくて本格的な登山靴とスパッツの方が良かったですね。

 

▲11:52。右の山が高水山で左の山は岩茸石山793.0mです。

 

▲11:55。早く日当りのいい登山道に出たいですね。

 

▲11:59。ところが、日当りのいい登山道は所々がこんな感じです。雪が解けて泥んこ道になっていました。

 

▲12:00。東側(より少しだけ南)を眺めました。遠くで横に広がって見えている高層ビル群は東京都心なんでしょうね。新宿や池袋の。少し左の森の中には西武ドームが見えています。

 

▲12:10。樹々で陽光も遮られ、標高も700mほどはあるので、雪は消えていません。奥多摩の低山もちょっとした雪山になっています。

 

▲12:22。でも、日当りのいい南斜面になると、こんな感じです。

 

▲12:26。山頂に人の姿が見えます。陽当たりは良くても尾根筋は地面の気温が上がらないのでしょうね。雪がたっぷりとあります。

 

▲12:27。岩茸石山793.0m山頂です。中央の黒い山が黒山842.3mなんでしょうか? その左右に広がる尾根は東京都と埼玉県の県境の山々です。

 

▲12:30。中央ちょっと左の山は川苔山1363.2mです。どのピークだか、詳しくは僕には分かりませんけどね。

 

▲12:34。岩茸石山から北面を降りて来ました。

 

▲12:36。この日の登山道の中では積雪量が一番多かった場所です。ここを歩く登山者も少ないようですし。

 

▲12:46。名坂峠に着きました。標高は720mほどです。ここから左に下っていくのですが、誰も下りている様子はありません。一人か二人の足跡はこのまま先の黒山方面に向かっていました。

 

▲12:57。名坂峠から北川橋に下る登山道は分かりにくい山道でした。道型がはっきりしない箇所が時々出て来るのです。でも、それらしいルートを選べば、それが正解でした。

 

▲12:59。登山道が尾根筋に出て来ました。尾根筋のルートは分かり易いですね。

 

▲13:04。道標も下り始めて、初めて現われました。ホッとひと安心ですね。右の矢印には「ココカラ山頂まで約40分」と書かれています。

 

▲13:11。雪が消えた場所は登山道だとはっきりわかります。右に見える緑色のはシダの仲間のようでした。

 

▲13:21。林道が見えて来ました。

 

▲13:25。林道を下っていくことにします。

 

▲13:26。林道の雪もけっこう深いのです。

 

▲13:34。車の轍を歩くとけっこう滑りますから、圧雪されていない雪の上を歩きました。正面の尾根は赤杭(あかぐな)尾根の末端で、右奥に見えている尾根は真名井北稜でしょうか?

 

▲13:42。いよいよ雪のない舗装道路を歩けるようです。

 

▲13:46。も見えて来ました

 

▲13:48。北川橋です。

 

▲14:15。大丹波川沿いの道路を歩いて、本流の多摩川に合流する直前で電車が頭上の線路を走って行きました。僕が乗る上り電車ではなくて、下り電車でしたからホッとします。

 

▲14:18。川井駅到着です。次の電車まで30分くらい待つようです。

 

▲14:23。ホームの待合室でこの日2回目の休憩を取りました。山中では1回しか休憩しなかったんですね。食事もコロッケ1個だけだったのでお腹も空いています。買ってあったパンもここで食べました。

 

この日はコースタイムの109%で歩きました。休憩時間を含めると116%です。でも、この日は1回しか休憩を取らなかったんです。もし同じ時間もう1回休憩していたとすると、123%になりますね。

ただ、名坂峠から北川橋まで僕は81分もかかってしまいました。ルートファインディングに時間がかかったり、最近できたらしい林道の影響があるのかもしれません。コースタイムは45分なんですけどね。ちなみにこの箇所を省いて計算すると、91%になります。でもまあ、自分を甘やかすのは止めましょうね。今回は109%、まだまだ標準コースタイムでは歩けていません。


『標準コースタイムで歩く』シリーズ№3 ――― 119% 戸倉三山の一山、臼杵山だけ登りました

2022年02月14日 | ハイキング/奥多摩

前の週に左足の大腿四頭筋をちょっとだけ傷めてしまったので、日曜日はお休みにして、水曜日に歩いて来ることにしました。まだ微かに痛みは残っていますから、標高差こそ570mですが、コースタイムは短めの3時間のコース設定でした。問題発生したらそのまま引き返すつもりでした。元郷バス停~臼杵山~荷田子峠~荷田子バス停のコースです。

 

2022年2月9日(水)

▲9:22。元郷バス停が登山口です。

 

▲9:31。最初は山の凹部を登っ行きました。尾根が見えて来ます。

 

▲9:50。尾根筋に出ました。

 

▲10:10。最初の休憩を暖かそうな場所でしました。僕の軽登山靴の底をパチリ! 踵に穴が開きかけています。

 

▲10:15。この場所で12分間の休憩をとりました。

 

▲10:29。心地よい尾根道が続きます。

 

▲10:35。これは何の施設でしょう? ドラム缶が何個かありましたけれど、中の水は全部凍っています。

 

▲10:48。さほど急登ではありませんけれど、ロープが張ってある山道が長く続きました。

 

▲11:07。FM東京の檜原予備送信所だそうです。

 

▲11:08。あれが臼杵山山頂でしょうか? 多分違うでしょうね。この尾根では何度も偽山頂ばかりを見せられました。おそらくこの登山道上からは臼杵山山頂は望めないのだと思います。臼杵山は南北の双耳峰になっていて、高いのは南峰ですから、北峰が邪魔して見えないのでしょう。

 

▲11:21。臼杵神社のようですね。小さな祠でなくて、立派な建物があると思っていましたが、そんな建物はありませんでしたから、やっぱりこれが臼杵神社です。そして、ここが臼杵山北峰のようです。標高は南峰とほぼ同じで840m+αです。

 

▲11:21。新しい狛犬が置かれていました。狼の狛犬ですね。何やら巻物を咥えています。

 

▲11:22。反対側の狛犬です。怖い顔の狼ですね。

 

▲11:22。もともとあった狛犬が祠の横に置かれていました。これの方が見慣れた狼の狛犬です。

 

▲11:23。もう一体の古い狛犬が壊れてしまったんでしょうね。それで新しくしたのでしょう。何やら他にも石の欠片がありますけれど、何だったのでしょう?

 

▲11:23。灯篭も対になって置かれていました。

 

臼杵神社の由来は調べてもよく分かりませんでした。大分県臼杵市の臼杵神社などとの繋がりがあるかどうかも分かりません。臼と杵なので男女の神だとの説もあるようですが、説得力はありませんね。

そんな中、奥多摩登山愛好者にとってはバイブルとも言える宮内敏雄著『奥多摩』に次のような記述がありました。真偽のほどは僕には分かりませんが、僕に見つかる唯一の資料なので長くなりますが載せておこうと思います。

「三角点八四二米の鹿ン丸となる。一投足でお猫さんで有名な臼杵山だ。『風土記』に《臼杵山ハ村ノ艮(うしとら)ニアリ。登五十丁許リナル嶮阻ナル高山ナリ。巓ニ臼杵権現を鎮ス・・・・》とある社は養蚕の神で、もとは南秋川柏木野の機立(はたたて)という処にあったのを、馬の足音が喧(うる)さいとの夢告があったので、永禄三年(皇紀二二二〇年)に現在の位置に遷したものだという。お蚕を養うお百姓が毎年二月初午の日にのぼって守り神たる瀬戸物の猫の像をお借りするのである。――お礼には来年二つにして納めるのだ。ウスギ山の山名由来は月の世界の兎が山頂のお猫さんと明月の夜餅をついたからと昔話みたいなのがあるようだが、それは臼杵の模写にでも思いついた後世の説話であろう。実際はウスギは薄木(うすぎ)で、川苔山のウスバ尾根などと同じに、黒木立の茂った山の呼称たる黒山とか、大黒茂ノ頭などと対立する薄木の山に与えられた呼称と推われる。」

柏木野は臼杵山の西の麓の集落です。その辺りでは昔から養蚕が盛んだったようで、臼杵山の南隣りに市道山がありますが、そこへの登路はヨメトリ坂と呼ばれています。絹糸を絹産業の中心地だった八王子に運ぶ道すがら、若い男女同士、話が弾み、仲も良くなり、それが縁で結婚するに至ったことが多かったのでしょうね。いつしかその登路がヨメトリ坂と呼ばれるようになったんだそうです。

日の出山から東に延びる尾根上に琴平神社が建っていますが、そこには今でも数多くの猫の置物が奉じられています。琴平神社が養蚕の神でもあるからですね。

よく読むと、昔は臼杵神社のある北峰が臼杵山と呼ばれていて、三角点のある今の臼杵山は鹿ン丸と呼ばれていたようです。僕もその方に賛成しますね。標高もほとんど変わりませんし、臼杵神社がある方が山頂に相応しいと感じられます。

 

▲11:24。臼杵神社のすぐそばにある登山道分岐。とりあえず、三角点のある臼杵山へ行って来ます。

 

▲11:26。こちらの分岐は臼杵神社のある北峰を巻いています。

 

▲11:29。臼杵山842.1m山頂。見晴らしもよくなく、この標柱が立っているだけです。北峰も840mの等高線に囲まれていますから、この南峰とほとんど変わらないはずです。ひょっとしたら北峰の方が高い可能性だってあるかもです。三角点は必ずしもより高い地点が選ばれるとは限りませんから。

 

▲11:31。コウヤボウキ(高野箒)の仲間だと思います。果実の綿毛ですね。

 

▲11:35。山頂からはすぐにUターンして、さっきの巻き道の分岐まで戻って来ました。右の巻き道を進みます。

 

▲11:39。暖かそうな場所があったので、ここでこの日2回目の休憩をすることにしました。

 

▲11:44。温かな飲み物といつもの石窯パンのサンドイッチ。ハイキングの際、駅中のパン屋さんで買うものはいつも一緒です。発車までの時間が短い時もありますから、選ばなくてもいいように何を買うかは決めてしまっているんです。

 

▲12:12。臼杵山からは小さなアップダウンが繰り返される尾根道を歩きます。

 

▲12:18。南面が伐採されている場所に出ました。右のピークが刈寄山687.1mだと思います。左の採石場は棡葉窪(ゆずりはくぼ)出合ですね。刈寄山も臼杵山も戸倉三山の山です。もうひとつは市道山。

 

▲12:19。明るくて見晴らしのきく山道です。風もなく暖かです。

 

▲12:21。左手前から右向こうへの街並みは五日市線沿いの街々だと思います。写真右上に白い西武ドームが見えていますね。ドームの手前に左右に広がる街並みは青梅線沿線の福生市、羽村市、青梅市などではないでしょうか?

 

▲12:26。同じような明るい登山道が続きます。

 

▲12:36。空を見上げると、無風快晴の青空!

 

▲12:37。北側の山並みも枯れ木の隙間から見えて来ました。左の山は大岳山1266.4mですね。

 

▲12:45。北側が完璧に開けた場所がありました。中央に大岳山、それから延びる馬頭刈尾根が右に、左奥の山は御前山1405.0mでしょうか。

 

▲12:46。大岳山の右にはつづら岩も見えていました。少し色が白っぽい部分が岩です。高さ40~50mのクライミングゲレンデです。見えているのは南面の岩場ですが、他にも東面や西面などがあります。

 

▲12:48。大岳山と御前山の左奥には北秋川を囲む山々が見えています。写真の左も山は月夜見山1147.0mでしょうか、それとも三頭山1531mでしょうか? 写真左の山々を越えた先には奥多摩湖があるんです。

 

▲12:52。「戸倉山茱萸御前」と刻された石碑がありました。ここのすぐ近くの656m標高点茱萸(ぐみ)ノ木山と呼ばれているようです。この茱萸御前にしろ、茱萸ノ木山にしろ、由来はよく分かりません。茱萸ノ木山は登山道は山腹を巻いていますから山頂を踏んだことはありません。ただ、臼杵山から北東に延びているこの尾根の名前が茱萸尾根であることは昔から知ってはいましたけれど。

 

東京瓦斯山岳會編『秋川の山々』を読んでみました。すると、茱萸御前のところで次のような記述がありました。

「雑木の山道を登って行くとやがて茱萸の大木の處に出る、戸倉山茱萸御前の標識あり」

ただ、グミの木はそれほど大木にはなりそうにありません。本当にグミの木だったかどうかよく分かりませんね。

 

▲13:08。植林の中を歩きます。

 

▲13:11。冬枯れの明るい道も歩きます。

 

▲13:14。荷田子峠に着きました。この日はここから下っていきます。

 

▲13:29。植林の向こう側に里の情景が広がって来ました。

 

▲13:39。荷田子バス停です。次のバスの時刻まで時間があったので、先のバス停まで歩くことにしました。すると、次のバス停の手前の横道からバスが出て来ました。どうやら荷田子バス停の数10m手前の道を曲がって瀬音の湯に行き、荷田子バス停には寄らずに次のバス停に出て来たみたいです。その証拠に、荷田子バス停には載っていなかった時刻のバスが次のバス停の時刻表には載っていました。それを知っていれば、ほんの30秒も急げば、そのバスに乗れたのに・・・・

 

▲14:08。結局、3つ先のバス停まで歩きました。じっと待つことが出来ない性分なんです。

 

▲武蔵五日市駅の駅舎にある売店が新しくなっていました。地元の産品も分かり易く並べてあったので、この2つを購入しました。奥多摩町の獅子口屋のイノシシカレー(税込み648円)と御岳の吉川製菓の葉わさび入青葉佃煮(税込み540円)です。

 

この日はコースタイムの119%で歩きました。休憩時間も含めると136%です。それほどゆっくり歩いた訳でなないのですが、結構かかったんですね。ただ、写真を120枚くらい撮っています。1枚撮るのにかかる時間は分かりませんが、仮に10秒だとしても1200秒、つまり20分を費やしたことになります。でも、それを考慮しても108%ですから同じですね。それに昔も僕は写真を撮っていました。ポジフィルムでしたから枚数はずっと少ないですけれど、1枚1枚を撮るのに時間は掛けていたでしょうね。それでも100%以下で歩けていました。