ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

ウェストンの槍ヶ岳登頂横尾本谷ルートの解明―――大喰峠はどこだ!? 3/4

2014年10月01日 | ハードハイク/北アルプス

今回でこの「ウェストンの槍ヶ岳登頂横尾本谷ルートの解明」も最終回です。
ウェストンの2回におよぶ横尾本谷をアプローチとする槍ヶ岳登頂の記録ですが、何度読みこなしても次の写真で示しているルート以外、僕には考えられません。

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でも、「何故、天狗池から槍沢へのルートが一般に流布しているのだろう?」と疑問に思ってしまいませんか? それには何か訳があるのではないでしょうか? 勘ぐり過ぎだとは思いますが、僕が考えているルートを歩かれては困る理由があるのかもしれません? そんなことまで思ってしまいます。
もし理由があるとすれば、危険なルートだからでしょう。それは考えられます。
でも例えそんな訳があるのだとしても、ウェストンの記述を普通に読めば、誰しもが分かるルートだと、僕は思うのですけれど・・・・

2014/8/13  横尾のコルまでは予定以上に順調に来ました。コルではのんびりと大休止。同行してくれている3人に、眼前の景色を指し示しながら、これから採るルートの説明をしました。そして、僕たちの山行の核心部へと足を踏み出したのです。

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▲登山道を少し右へ進み、適当なポイントからハイマツと岩の斜面を少し下りました。すぐに雪渓となり、高度を下げないようにしながら、槍ヶ岳へ向かって進みます。9:25ころ。

横尾のコル直後のウェストンの記述はこうです。
「のぼりを続けるとともに」と記しているのです。
天狗池へ向かうには標高差200m近く下降しなければなりませんから、天狗池へ向かっていないのは明らかだと思います。横尾本谷をずうっと登り続けて来て、横尾のコルに着いたのに、下降することなく、なおも「のぼりを続け」たことが、ウェストンにとっても印象深かったのでしょう。
「ここから先は雪の上を歩くことになる」とも書かれています。僕の数少ない体験ですが、8月に横尾のコルと天狗池の間の登山道で広い雪渓があった記憶はありません。

ところで、今回もウェストンの文章からの引用をします。それを赤字で記しますが、引用文献は以下の通り。
『日本アルプス 登山と探検』(岡村精一訳 平凡社ライブラリー)
『日本アルプス再訪』(水野勉訳 平凡社ライブラリー)
『日本アルプス登攀日記』(三井嘉雄訳 東洋文庫)
ただし、上記三冊のうちのどれなのかは記載を省きます。悪しからず。
上から1891年、1912年、1912年の山行記録です。
三井氏はウェストンの手書きのフィールド・ノートを直接翻訳したものです。水野氏の本はそのフィールド・ノートをもとにウェストンが山行紀として再構成してまとめた本なのです。
ウェストンは1913年にも槍沢経由で槍ヶ岳へ登頂しています。その際の文章も、一部引用させてもらいました。

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▲僕は「秘密の※」を確認するために、少しだけ標高の低い場所を歩きました。「秘密の※」はありました。写真中央にO橋君とK松さんがいます。その後ろにY根君もチラッと見えますね。9:30ころ。

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▲いま僕たちが目指しているのは、この矢印のコルです。ツバメ岩西端のコル。写真の左に3人が写っていますね。9:41ころ。

これから歩こうとしているルートを地図上で確認します。

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▲横尾のコルからツバメ岩西端のコルまで標高差は僅か100m。効率的なルートを選びながら進みます。

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▲ハイマツの小尾根を乗り越え、写真のような石の重なりをトラバースします。9:43ころ。

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▲ツバメ岩西端のコルがすぐ上方に見えて来ました。10:00ころ。
中央のコルがそれですが、直接向かわずに、右へと斜上するようにひとまず尾根へ出ました。それから、左へ戻ります。

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▲見ての通りの痩せ尾根です。両側とも斜面ですから、一列に並んで座るしかありません。10:15ころ。
ウェストンの記述も的確です。「まもなく痩せ尾根を越える」。そのまんまですね。痩せ尾根と表現出来るような場所が横尾のコルと坊主岩小屋の間のどこにあるのでしょうか?

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▲ツバメ岩西端のコルから眺める槍ヶ岳です。10:15ころ。
先ほど横尾のコルから眺めた槍ヶ岳ではこの写真の下半分は隠れていました。この光景を実際に目にすると、ここからの行程の大変さが予想され、心が引き締まりますね。
ウェストンも同様に感じたようです。
「まもなく痩せ尾根を越えると、遥か左に槍ヶ岳の鋭い峰が、雨のなかにぼんやり浮んでいるのが見えた。けれども、その峰はなんと恐ろしく遠いかなたに見えたことだろう!」

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▲足元を覗いてみると、急傾斜でガレのルンゼが落ち込んでいます。これから標高差100m近くをこのルンゼ沿いに下降するのです。10:15ころ。

これ以降のウェストンの記述はあまり明瞭なものではありません。このルンゼの下降を思わせる記述もありません。唯一頼りになるのはコースタイムです。1912年の記録では横尾のコル到着は11:35、その後、「1:15に、私たちは大変急で滑りやすい登りをやりとげて、草におおわれた大喰の頭にたどり着いた。今日の道中でも一番てこずった斜面だ」となっているのです。横尾のコルから1時間40分かけてどこに辿り着いたのでしょう。「大喰の頭」と記録されている地点は、ウェストンが「大喰峠」と呼んだ場所のことだと思います。

僕たちは、横尾のコル~ツバメ岩西端のコルが50分、ツバメ岩西端のコル~大喰峠(僕の予想地点)が1時間48分かかっているのです。
ウェストンたちが1時間40分かかったコースを僕たちは2時間38分もかかっています。58%増しの時間がかかっているのです。
ただ、横尾のコルまでの道中もウェストンたちの方がスピーディーに歩いています。しかも、僕たちはこのツバメ岩西端のコルからの、とりわけガレルンゼ下降のルートファインディング等とても慎重に時間をかけて下りました。ウェストンには猟師などの案内人が同行していましたから、その点は有利でしょう。

さらに、雪渓が今年よりはかなり多く残っていたと思われます。
1891年8月6日は大喰峠からの下降でしょうが、「鞍部の北側の雪の斜面を駆けおり」とあります。こちらのガレルンゼも雪渓で覆われていた可能性があるのです。そこを駆け降りることが出来れば、時間はかなり短縮できます。今回、どの北側のルンゼにも雪渓は残っていませんでした。
1912年8月20日は「槍ヶ岳の胸部からは、雪がかなりある斜面がずっと広がっていた」となっています。8月の下旬になろうかという時期に、そう言う表現が可能なほどの雪渓が残っていたのです。
1913年8月7日には次のような記述があります。坊主岩小屋の情報です。「洞穴の床面、特に寝室部分は雪に深く覆われている」との話を近藤氏から得て、当初予定していた坊主岩小屋泊を赤沢岩小屋泊に変更したのです。翌日、実際に坊主岩小屋を見てみると、「雪が半フィートも積もっていて、これでは寝場所にならないと感じた」と記してあります。
当時は最近の夏の残雪状況と比較すると、残雪量がすごく多かったようです。
雪渓が多く残っているほど、歩き易く、スピーディーに行動できるでしょうから、1時間40分も可能かもしれません。

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▲横尾のコルを振り返ってみました。屏風岩の垂壁と重なっている辺りがコルです。10:15ころ。

ちなみに、

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▲この写真は2008年7月12日の同位置からの写真です。この年は訳あってここまでしか到達しませんでした。

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▲同じく2008年7月12日、ツバメ岩西端のコルから撮影した大喰カールです。槍ヶ岳は雲の中。

この2枚の写真とも、7月中旬ですから、ウェストンが歩いた8月とは1ヶ月前後早い時期です。でも、雪が多い年であったか、もしくは100年以上昔が温暖化の影響激しい最近よりも残雪が多いとしたら、8月でもこの2枚の写真に近い状況があるのかもしれません。

気象庁のHPで松本の8月の月平均気温を調べてみました。1898年からしか記録はないのですが、1912年まで15年間の平均が22.5度なのです。一番高かった年で24.0度、一番低かった年は20.4度なのです。最近15年間の8月の平均気温は25.0度です、7月の平均気温も24.3度ですから、ウェストンの頃の松本の夏は今と比べるとずいぶん涼しいようですね。
この記録だけで残雪状況は何とも断定はできませんが、最近の状況よりは多く残っているだろうと推測しても、あながち間違いではないと思います。
2008年7月には、このコルから見下ろしたガレルンゼにも少し下った辺りからは雪渓があったのを記憶しています。雪が多いと、下降に関してはスピードアップが大いに期待できるのです。

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▲O橋君が先陣を切って嫌らしいガレルンゼへと入って行きました。浮き石だらけですから、一歩一歩を慎重に進みます。10:31ころ。

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▲どの辺りを歩くのが一番楽で安全なのかまだ分かりません。先頭になっている僕は落石を気にせず、ザラザラと小規模な岩雪崩を起こしながら降りています。あまりいいことではありませんが。10:33ころ。

結局、写真で一番右の草付を歩いているK松さんのルートどりが最も歩き易いことが分かって来ました。

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▲草付には若干の土もありますから、ガレよりは安定している地面です。とはいえ・・・・ 10:47ころ。

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▲ガレルンゼを下り切りました。30分以上かかっています。標高差100mちょっとですから、普通なら15分もあれば下れるはずですよね。11:07ころ。
僕がウェストンの文章だけから推測している大喰峠の場所です。

この付近の記録もウェストンの文中にはひとつも出て来ません。

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▲高度を上げも下げもしないように、トラバースしていきました。11:10ころ。

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▲振り返ると、写真左にツバメ岩の岩壁が立っています。写真中央には弓状にへこんだツバメ岩西端のコル。そこから左下へとガレルンゼが落ち込んでいます。そこを下降したのです。11:15ころ。

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▲この雪渓は1mほどの厚さがあるようですね。11:20ころ。
傾斜が急になると、ちゃんとした登山靴を履いて来たY根君にトップを任せ、ステップを作ってもらいます。

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▲写真中央に見えている槍沢の河原は大曲付近でしょうか? そのすぐ背後には赤沢山や西岳が。さらにその後ろには常念岳から大天井岳の稜線が見えています。11:23ころ。

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▲大喰カールの直下です。11:30ころ。

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▲大喰カールに這い上がりました。しばし大休止。11:42ころ。

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▲大喰カールを左から順に撮影しました。11:43ころ。
「最後は大喰という大きな馬蹄形の崩壊した岩壁になっている」とウェストンが表現した場所がこの大喰カールだと、僕は考えています。
ただ、この文章の段落分けというか、前後関係のようなものが翻訳文では不明瞭で、他の場所の表現とも受け取れるのです。

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▲後ろを振り返ると、ツバメ岩西端のコルがよく見えました。あのコルからルンゼを下降して、ここまで登って来たのです。コルの右には屏風ノ頭がちょこっと頭をのぞかせています。左は横尾尾根でしょう。奥にはたおやかな蝶ヶ岳の稜線が見えています。11:59ころ。
ちなみに、写真左へ下って行くと槍沢ですから、万が一の際はここからエスケープ可能なようですね。

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▲再び大喰峠目指して雪渓を登り始めました。12:06ころ。
僕が大喰峠だろうと推測している地点は、写真の赤の実線で到達する場所です。何故なら「私が名づけた大喰峠の標高は約3000メートルである」と書かれているからです。ただし、ウェストンはフィートで表示していますから、「約10000フィート」と書いたのですが、意訳をして「約3000メートル」としたのでしょう。
ですから、9500フィート以上10500フィート未満なら該当する訳ですね。メートル表示では2896m~3200m、中央値が3048mなのです。
赤の実線で到達する場所の標高が2995m(9852フィート)ですから、地形図上で目星をつけたという訳です。
赤の破線ですが、破線沿いに右に登ると、傾斜も緩くて楽そうだと、感じたルートです。ここまでも一番歩き易そうなコースどりをして来ましたから、破線コースも気にはなりましたが、僕の最初の仮説を尊重することにしたのです。

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▲Y根君にトップを譲っています。と言うことは、雪渓の傾斜が急なのですね。Y根君だけがちゃんとした比較的硬めの登山靴を履いていますから。12:25ころ。
だんだんですが、前の写真の赤い破線コースを登った方が良かったかなぁと感じ始めています。

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▲大喰カール上の稜線に到着しました。眼前近くに再びの槍ヶ岳です。
このショットを僕は撮り忘れていましたから、この写真はO橋君撮影です。

続きは http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/18541d368370daa34d4e017277b8df20


久し振りの後山川片倉谷はひどく長く感じてしまいました

2014年10月01日 | 沢登り/多摩川・丹波川本流

丹波川支流の後山川片倉谷は初級の沢としては手頃な沢ですから、これまでにも数回は入渓しています。2010年にはU田君とI泉さんと、2004年にはS子と二人で来ています。
今回はこのブログを通じて知り合ったY山さんと初めての沢登り。かなりの登山経験と実力のある方のようですから、あまり易し過ぎても失礼ですし、かと言って、実際の実力は一緒に歩いてみないことには分かりませんから、沢の選択は難しいところ。
片倉谷はまあまあ妥当なところでしょうね。

2014/9/13  電車の中でY根君と合流。彼が参加してくれ、本当に助かります。
Y山さんとは奥多摩駅前で初顔合わせ。お互いすぐに分かりました。

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▲鴨沢西行きのバスに乗り、終点下車。9:10ころ。

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▲お祭バス停まで車道を歩きます。写真は後山川林道の入り口。9:27ころ。

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▲片倉谷出合付近には車がたくさん停まっていました。この先に車止めのゲートがあるので、路幅の広いこの辺りに停めているのでしょう。9:56ころ。

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▲沢装備を身につけたり、朝食を食べたりしてからスタートです。先頭はY根君、次にY山さん。僕はラストでのんびりです。10:21ころ。

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▲ワサビ田跡や堰堤なども現われます。如何にも典型的な奥多摩の沢。森の中を流れる沢床にも光が入って来ています。10:45ころ。

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▲作業服を着た方々が沢沿いの山道を降りて来られました。何やら僕たちに伝えたいことがあるようです。近づいて聞くと、「400mほど先が危ないから・・・・」と、具体的にはよく分かりませんが、あまり奥には入って欲しくないような雰囲気です。「気を付けて行きますから」と、一応、敬意を払い、せっかくの山道ですし、沢沿いもこの辺りは平凡な沢歩きでしたから、この道に上がって歩くことに。10:49ころ。

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▲ちょっと先に行くと、工事現場っぽい材木が置かれていました。10:54ころ。

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▲僕の考えではここで沢を横切る木の橋を架けるのだと思います。10:56ころ。
でも、ここは注意するほどの場所ではありませんね。

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▲ゴヘイクボ出合でしょうか。11:01ころ。

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▲F1の10mです。今日は平水よりは水が多いようです。あまり水に濡れる気分でもなかったので、右の壁を巻き気味に登ることにします。11:08ころ。

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▲8ミリ×30mザイルを使って、Y根君がリード。途中、灌木でプロテクションをとりますが、上部の核心部ではピンがないようです。岩角を利用して、プロテクションを作ろうとしているようですが、すぐに外れてしまいます。結局、ノーピンで核心の回り込みをこなし、木の根っこで確保。
二番手でY山さんが簡単に越えて行き、三番手の僕は中間部まで付いて上がって待っています。11:21ころ。
左下へ降りるのも嫌らしい箇所ですから、Y山さんは確保された状態で降ります。
続いて僕ですが、回り込む箇所が確かに嫌らしい! 体重をかけ過ぎたせいでしょう。ボロボロの岩が取れそうでした。

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▲中央の出っ張った岩の基部を右から左へ回り込むところが核心部です。回り込んですぐのあたりの岩がボロボロ。左上の木の根がビレイ点です。11:27ころ。

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▲右下の木でトップを確保し、左上の根でトップが確保。11:29ころ。

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▲こんな小滝が続くのが僕は大好きですね。11:31ころ。

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▲左岸高く見えていた山道が、沢に近づいて来て、この木橋で右岸に渡りました。11:36ころ。

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▲水と岩、光と影が次々と沢の景色を形作っていきます。
Y根君はほぼ全ての小滝を直登し続け、Y山さんは巻きを選択。僕はと言えば、気分次第。でも、基本楽そうな方を選びます。12:03ころ。

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▲今年の奥多摩の沢はどこへ行っても倒木だらけ。Y山さんは「今年の大雪のせい」と言います。確かにそうですね。12:06ころ。

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▲この小滝をどうやって越えて行こうかと、考え、探り、決断する、この一瞬一瞬が楽しいのです。12:14ころ。

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▲水量が少ないと、この写真で水が流れているところをトコトコと歩いて行けるのでしょうけれど、左上からバシャバシャと水が降りかかりますから、全身びしょ濡れは免れません。
右の岩をへつって、今Y根君がいる場所へ降ります。僕もそうしましたが、Y山さんはさらにその上を巻きました。12:22ころ。

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▲僕が参考にしたルート図は『奥多摩・大菩薩・高尾の谷123ルート』ですが、けっこうザックリとした作図で滝の特徴の表現がありませんから、ルート図と照らし合わせての位置確認がほとんど出来ませんでした。
写真の場所も「そろそろここが二俣かなぁ?」と希望的観測だったのでしたが、水量は右が圧倒的に多いのです。後から考えると、ここは1:3の支流だったのでしょう。そこだとしても、出合にかける滝の表現がありませんから、ルート図が分かりにくいのです。12:51ころ。

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▲出合の滝を登ります。初心者がいると、ザイルを出す滝ですね。13:02ころ。

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▲また倒木帯です。沢の側壁も崩れています。13:16ころ。

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▲先ほどの分岐が二俣だろうと思っていましたから、なかなか大滝が出現しないので、そろそろ間違いに気付き始めています。13:22ころ。

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▲大滝は現われませんが、なかなかの滝が連続して綺麗です。13:28ころ。

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▲沢のすぐ横の斜面に嫌なものが見えました。いろいろ悪い想像をしてしまいます。13:32ころ。

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▲グラナイトギアのシルコンプレッサーSです。中身までは確認しませんでしたけれど、シュラフでも入っているのではと思います。

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▲右からサーマレストのエアマット、真ん中もエアマット、左にチェーンアイゼンが見えます。

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▲ノースフェースとモンベルのレインウェアですね。

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▲ザックのようです。

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▲サーマレストのエアマット。13:36ころ。

周辺だけは探してみましたが、ヤバいものは見つかりませんでした。ホッ・・・・
でも、これだけのものがここにある理由があるはずです。
身元を証明するようなものがないか探してみましたが、それもありません。そのことも不思議ではありますね。

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▲写真の右には太い根っこ、中央下には細い根がたくさん伸びています。水は吸い放題! 13:38ころ。

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▲すでに上流部ですが、気持ちのよい小滝が続きました。このナメ滝もなかなかです。14:18ころ。

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▲F2大滝20mです。直登困難。14:25ころ。

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▲大滝を右岸から高巻きました。14:31ころ。

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▲けっこう高くまで高巻きます。大滝の落ち口の高さはとっくに超えています。14:38ころ。
普通なら、落ち口方向を目指して高巻くものですが、僕はこの斜面の上に立派な山道が通っていることを知っていますから、真上に登って行きました。参考にしたガイド本には「慎重に落ち口に回り込む」となっています。

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▲山道に到着すると、その山道を辿って片倉谷を横切る木橋まではすぐです。14:42ころ。

いつもそうなのですが、時間があればさらに上流まで遡上したいと思っているのです。しかし、18:38のバスで帰るのでは遅すぎますから、どうしてもそのひとつ前の16:48のバスに乗ることになってしまいます。鴨沢までは1時間30分~2時間かかりますから、ここで遡行は打ち切り。

木橋を渡り、右へ続く山道を山腹をトラバースするように進めば、登山道に合流するのです。

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▲登山道へ出て来ました。右の立札に「通行止 登山道では有りません」と書いてありますが、そこから上がって来たわけです。15:01ころ。

僕の下山は基本的にはゆっくりのんびりです。膝を痛めているせいもあり、登りより数段膝に負担がかかる下りには注意を払っているのです。
Y山さんが「自分は遅いから」と、数分先に出発しました。
すぐに追い付くのだろうと思って、普通に下り始めましたが、影も形も捉えることができません。ちょっと本気になって、スピードをアップ。それでもなかなか後ろ姿が見えて来ません。Y根君と「Y山さんすごく速いね」と言い合いながら、休まず下ります。林道手前の廃屋が見え始めるあたりで、やっと後ろ姿を見ることができました。安定したピッチ歩行で、速い! 速い! 
追いつくと、僕たちに対して「やっぱり速いですね」と言うのですが、違います。Y山さんが速いのです。(断言)
バスの時間まではまだまだずいぶん余裕がありましたから、「もうゆっくり行っても大丈夫ですね」と言っていたのに、やっぱり、速いのです。
途中で今年初めて見たヤマジノホトトギスを写真に撮ろうと思ったその直後に、僕の足はY山さんを追いかけてヤマジノホトトギスの可憐な花の横を猛スピードで通り過ぎてしまいました。

結局、バス停までは1時間15分くらいで到着しました。30分くらい待たなければなりません。

・・・・・・・・そんな未練があったからなのでしょう。6日後にS子と行った山では花の写真ばかり撮っていましたね。

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▲今年の7月にオープンしたという丹波山村の「東部ふれあい館」。定食や飲料、村産のキュウリや刺し身こんにゃくを食べられるそうです。近いうちに立ち寄ってみたいですね。16:19ころ。

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▲中央にバス停とその待合室、白っぽい建物はトイレです。16:20ころ。

奥多摩駅前の天益では久し振りの座敷でした。もっと久し振りだったのはマーフィーと遊べたこと。

今回の沢登りは初対面のY山さんと初山行だったことが何よりの収穫&事件でした。沢の中でもしっかり歩き、しっかり登り、しっかりとルートファインディングする、立派な沢屋さんでした。
今後も僕程度の力量の人間と同行していただけるのでしたら、ご一緒してもらいたいものと思っています。