2013/3/30 右膝の具合を検査するため、とにかく歩いてみなければと出かけました。天候もいつ雨が降っても可笑しくないような様子で、花冷えの寒さ。初めは「行かないっ!」とごねていたS子でしたが、「こんな僕を一人で行かせるの?」との脅しが功を奏したか、一緒に来てくれることになりました。
ホームグラウンドの奥多摩を歩こうと思っていたのですが、2011年の暮れから利用禁止になっていた天覧山の岩場の現況が気になって、奥武蔵を歩くことにしたのです。
▲東飯能駅から街中を歩き天覧山登山口へと向かいました。登山口はパスして、能仁寺前を通り、天覧山最下部岩場の下に行きます。下の写真の植林の奥にその岩場はあります。手前の植林は伐採されていました。9:13ころ。
以前はなかった看板が立っています。予想はしていたのですが、やっぱりこの土地は能仁寺の土地だったようです。
家で調べてみると、能仁寺のHP上に天覧山の岩場使用について記されています。JFA(日本フリークライミング協会)のHPも読んでみましたが、今年の3月10日から天覧山の岩場使用が再開されたそうです。よかった! よかった!
ただし、岩場使用の際は能仁寺にFAXで届け出をしないといけないようです。
詳しくは http://noninji.com/ 能仁寺のHPを参照してください。
▲天覧山へはほとんどクライミングの練習で来ることばかりでした。多峰主(とうのす)山の神社前岩に行くことはありましたから北西方面の登山道は歩いたことがあります。でも、北の高麗峠へと向かう登山道には入ったことがありませんでした。
途中、西武線を渡ります。10:03ころ。
▲ゴルフ場を右に見ながらアップダウンのほとんどない登山道を歩きます。スミレや山桜が満開です。晴れていれば楽しいお花見なのですが、今日は歩き初めから上下のカッパに雨傘。ゆっくりとお花を愛でることもなく、ひたすらリハビリ山行です。
高麗峠に到着しましたが、峠といった雰囲気は全くありません。その前後、どこを峠と名付けても問題がないような地形だらけでした。10:32ころ。
▲高麗峠を下ると、再び里です。民家のお庭に、雨に濡れそぼった背の低い桜の若木がありました。みな下を向き、この寒さが通り過ぎるのを耐えているようです。10:50ころ。
▲巾着田が見えて来ました。高麗川を渡っているこの橋が「ドレミファ橋」のようです。僕のむか~しの記憶では丸いセメントの飛び石状に並んでいるところをポンポンと跳んで渡った橋だったような記憶があるのですが・・・・ 10:55ころ。
▲巾着田の中の水路に水車小屋がありました。中を覗くと、下の写真中央に石臼がありました。大きな木の歯車を連結すると、この石臼が動いて、麦や蕎麦が粉になっていくのでしょうね。このような小規模動力を現代的に高機能にして活用できればと思います。11:08ころ。
▲粒の大きな霧雨のようにしとしと雨が降り続いています。晴れていれば輝いている春の光景であるはずの巾着田ですが、これはこれで風情を楽しみましょう。
手前に広がるのは菜の花、遠くに横一列に並んでいるのは桜並木です。ほぼ満開状態に近いのですけれどね。11:11ころ。
▲巾着田を後にして、日和田山へ向かいました。鹿台橋のすぐ東を上流へ行く道を普段は通るのですが、今日はクライミングではありませんからもう1本東隣りの道を進みます。日和田の岩場へは数えきれないくらい通っていますが、この登山口から日和田山へ登るのは初めての体験でした。
途中、男坂をチョイスしましたが、写真のような岩場が連続しています。S子の傘と赤いザックカバーだけが見えています。濡れた岩は滑り易いので要注意! 11:51ころ。
▲日和田山305.1m山頂です。この大きな塔は宝篋印塔(ほうきょういんとう)と呼ばれるもので、1725年に作られたものだそうです。12:09ころ。
▲日和田山から高指山方面へ向かいました。駒高の集落に近づいたあたりで、キブシの花が咲いていました。僕の好きな花です。12:39ころ。
▲物見山375.4mを13:19ころ通過。北向地蔵に13:51ころ到着しました。
このお地蔵さんは江戸時代の18世紀後半に流行した悪疫を追い払うため、野州(今の栃木県あたり)岩舟地蔵尊から分身として譲り受けたのだそうです。その本家の方向(北方)を向いているものですから、北向地蔵と呼ぶようになったのだそうです。
▲北向地蔵までは比較的尾根筋に登山道がありました。どの方角へ向かっているかが、分かり易い登山道です。でも、そこからは峠のような地形を越えたり山腹を巻いたりを繰り返しますから、方角がまったく分からなくなってしまいます。
そうこうしていると、大きなコブシの満開の木が見えて来ました。山中に小広い平坦地が突然現れたのです。ここが“ユガテ”でした。ずいぶん変わった名前なので、以前から気にはなっていたのですが、初めてユガテを訪れました。
ユガテという不思議な名前はいったいなぜ付いたのでしょう? ネットで調べても確証は掴めませんでしたけれど、どうやら温泉にまつわる由来があるようです。湯勝手、湯ヶ手、湯が天など、さまざまな言い伝えからユガテとなったと言うのです。本当に温泉が湧いていたのでしょうか? アイヌ語や朝鮮語との関連を語る人もいるようですから、意外とその筋が正しいのかもしれませんよね。14:53ころ。
▲ユガテからは東吾野駅へと下山します。里に降りるとあらゆる花が満開でした。雨はまだ降り続いていますから、ちょっと残念ですけれど、それでもこの時季の山里は素晴らしい! 白と紫の木蓮も雨粒をまとっていっそう艶やかに見えます。15:32ころ。
東吾野駅には15:45ころに到着しました。
右膝は別に問題はありません。まあ、それも当然で、捻ることさえなければ大丈夫なのです。ただ、6時間ほどの歩きに取り立てての痛みが出なかったことが収穫でした。
まあ、これからは山を歩いて徐々に直していくしかありません。
今日は打ち上げもせずに帰宅します。家に着いたらシャワーを浴びて、用事に出かけました。本当は今日は山へは行ける日ではなかったのですが、ちょっとだけ歩いて来たという訳です。
翌日、翌々日の右膝の状態ですが、いつもよりは疲労が膝にたまった感覚はあります。その程度の疲労は当然でしょう。治っている訳ではありませんが、ひと安心ということでしょうか?