北アルプスではスピードも重視せざるをえない山行をして来ましたから、ゆったりと高山植物を愛でたり、撮影したりも叶いませんでした。
片倉谷でも沢中では花は終わっていましたし、下山路では何故かあたふたと忙しく、写真を撮ることができませんでした。とりわけ、ヤマジノホトトギスが咲いていたのが気になります。ヤマジノホトトギスは好きな花のひとつなのです。
2014/9/19 そういう訳で、平日の休みにS子と二人で奥多摩を歩いて来ることに。
▲奥多摩駅でいつものバスに乗り、今日は水根バス停で降りました。
水根集落に着き、山の斜面を登って行きます。9:24ころ。
▲以前はなかった鉄網が設置されていました。昨年できた落石防護柵です。9:34ころ。
▲登山道(水根沢林道)自体も手入れが入っていて、山側の土を少し掘ってほんの少し広げて均したようです。ロープまで付ける必要はないと思いますが。9:39ころ。
▲さっそくお目当てのヤマジノホトトギス登場! 9:45ころ。
この花のフォルムは実に不思議ですよね。
それに、この花の斑点を鳥のホトトギスの胸の斑点になぞらえているのもいいですね。「鳴いて血を吐くほととぎす」との言葉のように哀愁も漂います。さらに「山路の」と畳みかけているのですから、この花は名前だけで素晴し過ぎる!
ついでながら、園芸品種化している、たくさんの花を付け、日の光をたっぷり浴びて咲くホトトギスは好みではありません。山の中、日陰で一輪、二輪、せいぜい三輪でひっそり咲くのが素敵です。
▲山道整備に使った道具が置いてありました。水根沢林道全般の整備をするようですね。9:48ころ。
▲ギンリョウソウです。9:53ころ。
ユウレイタケとも呼ばれ、昔はギンリョウソウの下には死人が埋まっているとか、動物の死体が埋まっているとかおどろおどろしく言われたりもしたものですが、そんなことはないようです。
ただ、寄生植物の代表のように教わっていた記憶があるのですが、最近ではそのように扱われていないとのこと。別の植物から栄養分を吸収したりする「寄生」は行なっていないそうなのです。
じゃあ、何をしているのかと言うと、光合成能力を失い自活できないために菌類と共生して栄養を得るのだそう。そこからはなかなか難しい学問なのですが、結局は、菌類に寄生しているようなものとも言えるようですね。
キノコも不思議な生き物ですが、粘菌なども加えると、摩訶不思議な生命ですね。
▲カシワバハグマです。柏葉白熊と書きます。柏の葉に似た白熊(はぐま)という意ですが、白熊とは仏具の払子(ほっす)に使われるヤクの尾の毛のことだそうです。10:08ころ。
▲山では3つも一緒に咲いているのは珍しいことです。10:12ころ。
▲水根沢谷左岸の支流である大堀沢には真新しい木橋が架かっていました。10:36ころ。
大堀沢には北アルプスの雪崩事故で亡くなったEさんと二人で遡行しました。出合すぐに出て来る滝が少し嫌らしかったことと、詰めで遭遇したスズメバチのことが印象に残っています。
大堀沢は石尾根の「大堀」に突き上げる沢です。六つ石山北西の鞍部が「大堀」。平将門の堀壕があったとの言伝えがあるそうですね。
▲登山道が水根沢谷本流を横切るところです。ここで休憩。10:45ころ。
▲新しい木橋を架けたり、路肩を補強したり、山道を均したり、本当にご苦労様です。11:06ころ。
▲右岸の支沢である三本ケヤキノ沢だと思います。これは易しい沢歩きの沢だったように記憶しています。11:19ころ。
▲ホコリタケ。てっぺんに穴が見えていますから、もう食用には適さないですね。若い時に皮を剥いて中身だけを食べます。白いハンペンのようですが味も香りもなく、料理人の腕次第のようなキノコです。11:55ころ。
▲よく手入れされた杉林が広がっています。そんな中に広葉樹の巨木が。12:22ころ。
▲水根沢林道が榧ノ木尾根から石尾根への巻き道と合流した場所にはトラロープが張ってあり、「この先、通行止め」の標識が出ていました。「大雪で桟橋等が損壊し、通行できません。補修を予定しております」と書いてあります。道標に付けられたものには「通行注意」としか書かれていません。こちらの方が後に出されたのでしょう。
もう、まったく問題なく歩ける状態になっていました。12:53ころ。
▲水根沢本流を2、3回詰め上げたことがありますが、このあたり、そことは全く雰囲気が違います。植生が違うのでしょうか? そんなこともあって、水根沢上流部の右俣(仁右エ門沢、左俣が本流)や右俣の支流である悪沢などをぜひ遡行したいと思っています。13:09ころ。
▲この写真は実に不思議な風景なのです。何が不思議か分かりますか?
9月なのに森に下草が生えていません。小灌木も生えていません。次世代の若木の姿も見えません。僕にはとても不健康な森に見えてしまいます。専門家ではないので、断言する資格はありませんが、心配ですね。13:15ころ。
▲ところどころですが、笹が残っている山肌に出くわします。枯れた笹が混ざっていたり、鹿に喰われたせいでしょう、背丈が低かったり、付いている葉の数が少なかったり、まばらにしか生えていなかったりはしますが、見ると嬉しくなります。13:25ころ。
昔は当り前だった、奥多摩沢登りの猛烈な笹藪漕ぎが復活して欲しいと願っています。
▲こんな雲の多い天気なのに、遠くに小さく富士山の天辺が頭を出していました。
写真をクリックし、拡大しないと分かりませんよね。13:33ころ。
▲シカが増え過ぎる以前の石尾根は夏の花が咲きほこる花の尾根でもありました。
ところが、シカがその花々を食べてしまったせいでしょうか、激減! シカが食べない花だけが残り、増え広がっています。
そのひとつがこのマルバダケブキ。有毒なのだそうです。毒と言うか、アクが強烈なのでしょうね。14:04ころ。
▲六ッ石山への分岐に着き、山頂への執着心の弱い二人ですから、寄ることはせずに、先へ進みます。すると、写真の半分埋もれた小さな祠が尾根上に現われます。この周囲にもたくさんの岩が転がっています。14:40ころ。
宮内敏雄氏の『奥多摩』によると、本来、六ッ石山はこの六ッ石祠(多分この写真の祠のこと?)のあたりの山名であり、現在、六ッ石山と呼ばれている山は小中沢ノ峰と呼んでいたのだそうです。
そして、以下同書から引用します。
「六ッ石山は七ッ石山の例と等しく、山名をなした数個の巨岩が六ッ石神社の背後の叢の裡に蹲っている。古えはこの岩塊が御神体だったのであろう」
▲日本のアザミの中では最大のフジアザミ。富士山周辺に多く咲いていたことからこの名前が付いたそうです。15:10ころ。
▲まだ今年の大雪の影響がそのままなのでしょう。15:11ころ。
▲シソ科のアキギリに似ているような気がするのですが、よく分かりません。15:23ころ。
▲トリカブトの種類は多く、その区別は僕には難しくて出来ません。写真のはヤマトリカブトでしょうか? 15:30ころ。
▲標高が下がって来たからでしょうか? 午前中に見たカシワバハグマです。15:56ころ。
▲ホコリタケの群生。この左右にも広がっていました。16:11ころ。
▲左の咲き終わった花は種になりつつありますね。ヤマジノホトトギス。16:20ころ。
▲山の古い社の脇に並んでいました。左のからは「侍」、「供養」、「享保」などの字が読みとれます。右は仁王様のような怒りの表情に見えますね。16:27ころ。
▲これまたよく分かりませんが、シラヤマギクではないでしょうか? 16:38ころ。
▲山道から舗装道路に10数分前に出て来ました。この集落は絹笠集落なのでしょうか?
僕の手元に残っている1989年と1992年の昭文社のMAP『奥多摩』には絹笠という地名が載っているのですが、その後の手元のMAPには載っていません。廃屋ももちろん多くあるのですが、まだ人々が生活しているのですから、集落名を記載しておいて欲しいものですよね。16:53ころ。
▲羽黒三田神社です。かなり古い由緒ある神社のようですね。17:02ころ。
▲奥多摩町の中心集落、氷川の街並みが見えてきました。17:19ころ。
▲あれ~~~ぇっ! 奥多摩町にクライミングウォール出現!
新しくなった氷川の派出所の裏手にこんな凄い、素晴しいものが出来ていました。
天益で聞いてみました。と、予想はしていましたが、一般公開はしていないとのこと。残念!
でも、さすがに山岳救助隊の本拠地ですね。羨ましい。17:29ころ。
S子は久し振りの天益でした。たまにはのんびり歩くのもいいものですね。