ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

登山禁止の星穴新道は荒廃が進むにつれ面白さも増す 1/3

2014年11月26日 | ハードハイク/妙義

U田君からお誘いのメールが入りました。僕としては最優先で彼の誘いに答えたいのです。
と言うのも、O橋君は山口県に行ってしまいましたし、僕にとって高いレベルでともに山行できるU田君のような存在はとても貴重で、大切なのです。
それに、僕自身の登山の総合力がどのレベルなのか、若くて今のりにのっているU田君のような山屋と一緒に行けば、それとなく客観的に判断できるのです。
当然のことですが、U田君自身が僕の実力を判断して、誘える山を考えてくれているはず。僕としては、彼の判断・期待に応えることが出来れば合格という訳。

もちろん、山行を楽しむことが何よりも大切なこと。楽しむためには余裕が必要です。
この星穴新道についてネットでいくつか記録を読んでみました。手ごたえありそうなルートだということは十分に分かるのですが、困難なのか、さほどでもないのか、分かりませんでした。
行ってみるしかないですね。

2014/11/8  前夜、U田君が僕の家まで迎えに来てくれ、車で妙義の道の駅まで急ぎます。
道の駅に到着し、テントを張ってすぐに就寝。夜中を回っていました。

早朝、僕はお湯を沸かしてカップちゃんぽんを食べ、U田君は菓子パン。


▲国民宿舎裏妙義まで行き、駐車場に車を停めさせてもらいました。国民宿舎にはちゃんと断りも入れておきます。6:55ころ。

妙義の山にはあまり来たことがありませんから、写真の岩峰も名前はよく分かりません。おそらく、鶴峯山でしょう。


▲林道を星穴沢橋まで進みます。7:17ころ。


▲橋の架かる星穴沢左岸の女坂登山道を進みます。右上には目指す星穴新道の尾根が見えていますし、どこからでも尾根上へ出られそうです。ちょうど写真の標識が出て来ましたから、ここから右上へと登ることにしました。7:27ころ。


▲上がったばかりの星穴新道はこんな様子です。奥多摩の尾根を歩いているような感じです。7:39ころ。


▲星穴岳方面が木の間から時折のぞきます。どれが山頂だか、P1だかP2だかP3だか僕には判別つきません。あの中に這入って行くと想像すると、緊張感が高まりますね。7:53ころ。


▲尾根地形が分かり辛くなっても、落ち葉に埋もれた踏み跡がかすかに分かります。8:20ころ。


▲小さな、なだらかなピーク(名前などあるはずもなし)を越えると、いよいよ星穴新道核心部が近づいている予感が強まります。8:28ころ。


▲ネットで調べると必ず載っている、黄色いペンキで書かれた道しるべ。「星穴」と矢印で示されています。8:32ころ。


▲ついに出現! 最初の核心部です。U田君が「ザイル出さなくてもいいですよね?」と聞きます。
見た目、大丈夫そうだったので、「いいんじゃない」と答えました。でも、なかなかシビア。
写真でもU田君の右後ろに鎖が見えますが、数十年前の信用できない代物なのです。8:34ころ。


▲続いて、ほぼ垂直の壁が出現します。U田君は信用ならない鎖は使わずに、岩と木だけを使って登ったみたいですが、僕はどうしても鎖にすがらざるを得ませんでした。もちろん、なるべく体重は預けないようにします。易しい岩場だとは言え、スタンスも遠くて、嫌らしいものです。8:39ころ。


▲いまU田君の立っている場所から左上へ、第一の核心部最後の岩場の登りです。8:41ころ。
RCCⅡで言えば、3級の範囲の岩場ですから難しくはないのですが、信頼できない鎖、脆いことで有名な妙義の岩、掴む木がときおり枯れ木である点などを考慮すると、落ちると大怪我や死に直結する数十メートルをノーザイルで進むのは、やはりとても緊張しますね。

いくらネットで他の記録を読んでも、しっくりとは理解できないのですが、これでどうやらP1は通過したようなのです。P1がどれなのやら? P1の天辺に立っていないことだけは確かなように感じますが・・・・


▲続いて、大きな岩場にぶつかりました。巻くしかないようです。右へと、岩の基部に踏み跡があったので、U田君が先に行ってみます。でも、その先、左を覗き込むと、行けそうにないようです。8:58ころ。


▲後方の山並みもひらけて来ました。中央にうっすらと見えている山は浅間山かと思うのですが・・・・ 8:59ころ。


▲少し戻ってルートを探しました。目の前の大きな岩場を少し上までは登れそうに感じますが、その先をどう行くのかは、そこまで登ってみなければ分かりそうにありません。それに、岩場を登るルートがいにしえの星穴新道であるならば、鎖などの残骸くらいはあるはずです。
それで、直登ルートは遠慮して、ここへ来たルートを振り返ってみました。すると、ありました!
それがこの写真の古い標識。何が書いてあるのかはまったく分かりませんが、指し示している方角だけは確かです。その方角を見てみると、細い踏み跡がありました。9:06ころ。


▲なだらかな林の斜面を少し横切ると、岩場の基部を巻くように踏み跡が続いています。9:10ころ。

いよいよこの先から星穴新道の本当の核心部が始まるようです。


日光橋公園ボウルダーでのトレーニング第3回―――ちょっとだけ

2014年11月19日 | 日光橋公園ボウルダー

2014/11/19  夕陽が傾いていました。沈みきるまでは練習しようと思ったのですが、30分ほどで打ち切り。右足の親指が痛かったのです。深爪でもしたせいなのでしょうか?

最初の1回だけ正式スタート地点からトラバースしてみましたが、3週間ほどブランクがありましたし、それほど進めません。行けなかった部分や、その先を重点的につなぐ練習をしてみました。


▲練習をスタートしたころはすでに陽はほとんど沈みかけていました。16:17ころ。

可能な限り、週に1回くらいは通いたいものですね。


タワ尾根の下段歩道が廃道化。初日は結局フォーストビバーク 4/4

2014年11月17日 | ハイキング/奥多摩

2014/10/26  ウトウノ頭でのんびりと休憩しました。S子が持って来たリンゴをむいて食べました。
ここまで来ると、あと心配することは今後の天候だけ。


▲山頂でのんびり休んでから、下山スタート。最初のうちだけ、岩っぽい箇所が連続します。巻き道も明瞭ですから、危ない場所はありません。10:29ころ。


▲いきなりトラロープが張ってありました。「こちらへは入るな!」という意味のロープです。
標高1560mあたりでしょう。尾根が東方向と南方向へ分かれて下っています。東へ行くと、鳥居谷の二俣へ下ってしまいますから、ここは南へ。10:33ころ。


▲日原方面を示す道標までありました。一般登山道並みの親切さですね。10:39ころ。


▲カエデの紅葉ですね。10:52ころ。


▲ブナ林です。気持ちの良い林です。10:54ころ。


▲何種類かの木の葉が見えます。光に溢れています。10:55ころ。


▲篶坂ノ丸(すずさかのまる)1456m。11:08ころ。
「篶」は音読みでは「エン」、訓読みで「すず」と読むのですが、意味は「すず竹」などの細めの竹のことのようです。笹の種類でしょうね。
東日原から北へヨコスズ尾根が上がっていますけれど、これも横篶尾根と書くようです。

すず竹とか笹が出て来ましたから、ここで昔のタワ尾根について書いておきます。
僕自身それほど昔のことを知っている訳ではありませんが、知っておいて欲しいことは、かつてのタワ尾根の笹の密度の超過密です。
30年近く前から、このタワ尾根には関心を持っていましたから、幾つかの文献を調べてみたことがあるのです。(当時はもちろんネットなんかはありません!)
すると、見つけることが出来たのは敗退の記録ばかり。その敗退の理由が笹藪に打ちのめされたからなのです。
30年以上昔に、僕も一石山1007mまでは登ったことがありました。平らな山頂だけに地面があらわれていて、山頂を取り囲むように笹の密藪が広がっていたことを覚えています。当時は山道ですらそこから先へはなく、完全に野生の世界でした。
僕が初めてタワ尾根を歩いた時も、結局は途中で引き返したのですが、か細い獣道を頼りに猛烈な笹藪漕ぎをしなければなりませんでした。
その後シカの増加によって、現在のような下草のまったくない悲惨な森になってしまい、反面、歩き易くはなっているのです。最近、ごくたまにしかタワ尾根ではシカの鳴き声を聞くことがありません。でも、10数年前だったでしょうか? もう少し昔だったでしょうか? 目の前を9頭のシカが走り横切ったことがありました。鳴き声は左右から引きも切らず。
早く、タワ尾根に豊かな下草が蘇えって、健康な森になることを願っています。


▲青空がまだ広がっています。カエデの紅葉が映えますね。11:11ころ。


▲また通せん坊のトラロープがありました。地形図で確認はしませんでしたから、確かな位置は分かりませんが、1430m付近で東へ下降している篶坂尾根分岐だと思います。11:39ころ。


▲金袋山1325mです。11:54ころ。


▲奇妙な幹。12:18ころ。


▲人形山1176mはどこがピークか分かりにくい山です。標識も見たことがありません。その東尾根にどうやら迷い込んだみたいで、登り返す羽目になってしまいました。
この尾根もむかし下りたことがありますから、そのまま下っていってもいいのですが、安全第一で元に戻ることとしました。12:52ころ。


▲元のルートに戻って来ました。ほんのちょっと真っ直ぐ行ってしまったようです。13:01ころ。
金袋山のミズナラですが、なぜ「人形山のミズナラ」と呼ばないのでしょうか? 金袋山とはかなり離れているのに。人形山のすぐ近くなのに。不思議です。
今日はルートミスしましたから、このミズナラは見ないで降ります。


▲一石山1007mです。13:13ころ。


▲昨日、日原鍾乳洞前の道路が通行止めになっていましたが、その影響でしょうか? 籠岩北に降りている登山道も通行止めになっています。13:22ころ。


▲その代わり、一石山神社へ下る道が推奨されているようですね。この道を歩くのは久し振りです。13:23ころ。


▲岩っぽい登山道が続きます。13:31ころ。
ずう~っと昔はもっと燕岩に近いルートだったように記憶しています。


▲一石山神社の敷地へ下って来ました。14:17ころ。


▲一石山神社。神社の後ろに燕岩、右後方に梵天岩が見えています。14:18ころ。


▲舗装道路に出て来ました。14:19ころ。


▲稲村岩より高い石尾根の稜線は雲の中に入ってしまいました。雨に遭うことなく、天候も持ってくれて助かりました。14:33ころ。

東日原バス停では14:50のバスにちょうど間に合い、奥多摩駅前の天益へ。いつも通りの癒される時間を過ごして、帰宅。
あ、そうそう! 天益で沢乃井酒造の季節限定のお酒を飲みました。『しぼりたて一番汲み』だったと思います。10月下旬に出たばかりの要予約のお酒。本醸造生原酒、新酒しぼりたての無濾過生原酒です。
実に美味い日本酒でした。

今回の山行は三又で焚火をすることが第一目標でした。それを達成することは出来ませんでしたけれど、充実して楽しい山行になりました。焚火は是非今年中に実現させたいと思っています。


タワ尾根の下段歩道が廃道化。初日は結局フォーストビバーク 3/4

2014年11月11日 | ハイキング/奥多摩

2014/10/26  昨晩寝る前にS子と確認済みだったことがあります。翌朝は三又を目指さず、タワ尾根に登ることにしよう。この辺りからならどこから登っても必ずウトウノ頭に出るはず。そこから下る山道は何度も通ったことがありますから、安心です。

朝食はワンタンを作りました。美味しかったです。朝は水気の多い食事がいいですね。
途中、水が足りなくなりましたから、水場で少し補給します。


▲長沢背稜が見えています。6:34ころ。
この時は山の同定は出来ませんでした。現在位置が不明ですからね。
帰宅後、いろいろ考えた結果ですが、中央は七跳(ななはね)山1651mかと思います。


▲テントの撤収後、水場の撮影もしておこうと、再度行って写して来ました。コップで受けて、ポリタンに注ぎました。この小さな沢の最初の水の流れ、地上に初めて流れ出る泉です。
この水場があったおかげで、早めのフォーストビバーク決定が出来たわけです。7:27ころ。


▲出発です。7:35ころ。


▲とにかく登るだけ。ときおり急登はありますが、昨日に比べると楽なもの。7:40ころ。


▲立派な踏み跡に出ました。この山道を日原方向へ進みます。7:48ころ。

写真の左上へと直上してもいいのですが、歩いている自分の右前方から右後方へと上がっていっている、なだらかな尾根が見えています。ですから、傾斜の緩い尾根部分まで行き、その尾根沿いに登ろうと思ったのです。


▲尾根部分に着くと、反対側は深い谷になっていました。この森の下からは沢音が聞こえて来ました。この沢は鳥居谷に違いありません。7:54ころ。

この瞬間にいろいろな疑問が氷解したのです。

その時に分ったことと、帰宅後に地図等を見直して理解が深まったことをまとめたものが次の地形図です。

←写真をクリックして拡大して見てください。
▲矢印の色に赤と紫と緑がありますね。その紫の矢印が緑の矢印へと変わる尾根上に現在いるわけです。テントを張った平坦地からここまで、まだ20分ほどしか歩いていませんから、テントの設営場所が推測できます。地形図にテントの絵を置きました。続いて、前日の道を失った場所も推測できます。それが赤丸のあたり。最初の自分の予測よりも直線距離で200mくらい手前だったのです。
昨日、道を失った後に登っている支尾根の方角をコンパスで調べていれば、自分の間違いに気付いたはずです。上の地形図に記した黒の破線が上段歩道ですから、三又へも明るいうちに着けたかもしれません。
いつも反省するのですが、コンパスをもっと活用しなければなりませんね。

ついでですから、ここでタワ尾根の下段歩道と上段歩道の紹介をしておきます。
ともに、タワ尾根の北東斜面につけられた山道なのですが、今は仕事道として使われているだけのようです。ですから、山仕事であまり入らない時期が長く続くと、廃道化してしまうようです。

← 写真をクリックして拡大して見てください。
▲下段歩道です。僕が1998年11月に調べた記録です。
この時も荒廃していたようですね。その後、見違えるように整備された時期があり、一般登山道と変わらないほどの歩き易さになりました。でも、再び手が加わることはなく、今回の様子は1998年当時よりも酷いです。

←写真をクリックして拡大して見てください。
▲上段歩道です。下段歩道調査の翌月に調べました。
この山道も何年か前に通った際は伏木窪手前が崩れていて、山道が消失。懸垂下降して登り返す必要がありました。その時は伏木窪を遡行しましたから、その先の様子は分りません。

どちらにせよ、これらのルートに入るのは危険です。
僕が言っても説得力ありませんが。


▲先ほどの矢印を入れた地図の緑色の矢印部分です。1388m標高点へ伸びている尾根上です。
紅葉が綺麗でした。8:16ころ。


▲足元には落葉がたくさんあります。コシアブラだと思います。8:27ころ。


▲青空に紅葉が映えて美しい! 8:31ころ。


▲カエデでしょうか。8:41ころ。


▲ずう~っとこんな感じの林が続いています。8:55ころ。


▲1388m標高点を通り過ぎたあたりでしょう。9:02ころ。


▲この大木はブナだと思います。この尾根の名前は四軒小屋尾根ですが、タワ尾根やそこから派生している各尾根にはブナ林がけっこう見られますね。過去、この尾根も歩いたことがあります。9:09ころ。


▲鮮やかな赤です! カエデですね。9:10ころ。


▲林の間から酉谷避難小屋が見えました。ここにも何度か泊ったことがあります。9:12ころ。
小さくて暖かい小屋。でも、狭い小屋ですから、すぐに満員になってしまいます。テントも必ず持って行くことをお勧めします。


▲山ではときおり天然の造形物が観賞できます。
これもサルスベリのたくさん生えた倒木とキツツキがあけたのでしょうか、たくさんの穴が並んでいました。9:15ころ。


▲時々、急登もありました。9:35ころ。


▲ウトウノ頭1588.0mです。この山名標識ですが、1587.9mになっていますね。僕の手元の2万5千図もそうなっています。でも、最新の電子国土Webでは1588.0mになっています。なぜ変ったんでしょう? 9:49ころ。
善知鳥と書いてウトウと読む海鳥で、北日本に多いそうです。どうして奥多摩の山名として付いているのかは分かりませんが、子を奪われると鳴く(泣く)という伝承もあると言いますから、そのような謂れもあるのかもしれません。
このふたつの標識は上が2010年9月、下が2011年5月に製作されたと書かれていますが、もっと昔からあったように思っているのは僕だけでしょうか?

朝聞いた天気予報では、大気の状態が不安定でところによっては午前中から雨が降る、そんな天気予報でした。ですから、出来るだけ早い時間によく知ったタワ尾根、そのウトウノ頭に着きたかったのです。
10時前に到着し、ひと安心。しかも、まだまだ天気が崩れる様子もありませんから、さらに安心です。


タワ尾根の下段歩道が廃道化。初日は結局フォーストビバーク 2/4

2014年11月09日 | ハイキング/奥多摩

2014/10/25  鳥居谷を過ぎてから道を失いました。
僕自身は次の地図のように理解していました。

←写真をクリックして拡大して見てください。
▲下段歩道は小川谷と並行して通っています。小川谷の川面の50~100mほど高い場所を通っているのです。
この地図の赤い丸あたりで僕たちは道を失ったのだと考えていました。ですから、赤矢印のように山の斜面を詰め上げていくと、ウトウノ頭から北東~東北東へ伸びている尾根に乗り上げるはずと、考えていたのです。その尾根は何度も歩いたことがありますが、明瞭な踏み跡が付いていて、三又(みまた)へとつながっているのです。


▲念のためにS子にはスワミベルトを装着してもらいました。無理してトラバースすることはありませんから、大きく高巻くことにします。いつも、20mのロープは持っていますし。14:16ころ。


▲僅かに尾根上の地形をどんどんと登って行きました。そして、右の浅いルンゼ状の場所が緩やかな傾斜になって来たところで、右の先に見えている尾根のコル状の場所目がけてトラバースしたのです。
獣道のような踏み跡があります。傾斜がなだらかですから、とても安全なトラバース。
沢の源頭のような地形の場所を二ヶ所通過しました。後の場所では水音も聞こえました。15:02ころ。


▲コル状の場所に出ました。コルというよりは、尾根の途中の肩状の平坦地でした。15:03ころ。

地図のところで説明した、明瞭な踏み跡の付いている尾根です。ですから、尾根沿いに下降しました。
BUT! おかしい! 尾根がすぐに急下降していて尾根型が消えてしまっています。
再び、上の写真の平坦地まで戻って来ました。周辺の地形、北東側が開けていますから、そちら側を見回します。
現在位置の特定までは出来ませんが、どうやら間違えたことだけは確かです。この場所がどこだか、確定できません。こんな状況で三又目指して進んでも日没前に到着できる保証はまったくありません。


▲というわけで、ここでフォーストビバーク決定です。何年かぶりかのフォーストビバーク。15:22ころ。


▲地面を少しだけ整地し、テントを張りました。15:39ころ。
今日は本当はテントとタープをコラボさせて張ってみたかったのです。焚火もタープの屋根の境目あたりでやってみたかったのです。でも、尾根上でタープはちょっと風の心配がありますから、シングルウォールのテントだけ。まあ、26年物のゴアライトですから(笑?)大丈夫でしょう。

その後、大事件、発生!! S子がダニに喰いつかれました!!! 
小用を足した瞬間を狙われたのです。お尻の右上、腰のあたり。
痛い! と言うので、僕が見てみると、ダニが喰いついています。マダニのようです。
まだ喰いついたばかりのようで、あまり深くめり込んではいません。
どう対処すればいいのか? 僕もあまりよくは知りません。事は急を要しますから、まずは手近にあった焼酎を口に含んで“あぶさん”のように吹きかけてみました。アルコールも一定の効果はあるはずなのですが、今は効き目なし。
その他の対処法も思い浮かびません。ライターで熱するというのも、S子だって火傷してしまいそうですしね。
で、結局は強引な手段に。良い方法でないことは重々承知なのですが、まだ喰いつき具合も浅いと感じていましたから、エイッ! と引っぺがしたのです。
二つの小さな点を肌に残して、ダニは無事離れました。でも、まだピンピンしています。可哀想ですが、石で叩き潰します。
そうこうしているうちに、もう1匹発見! これも石で叩き潰します。ご免ね。

ひょっとしてこの辺り、獣の休み場で、ダニだらけなのかなと心配しましたが、その後は見つけることはありませんでした。


▲すぐ近くで水も汲めました。テント入口の右に2リットルのポリタンが見えます。僕が汲んで来た水です。16:02ころ。


▲夕食の購入は全部S子まかせでした。これはおつまみ用の焼豚。17:23ころ。


▲あとは湯せんするだけでOKなレトルト食品ばかり。筑前煮。17:26ころ。


▲ロールキャベツ。2個入り。18:06ころ。

焼酎は家飲み用の「三岳」。


▲テント内の台所はこんな感じ。家ではS子にお任せなので、テントの中では全部僕がやります。18:40ころ。


▲もうお腹一杯になっていますが、せっかく持って来ましたから、ハンバーグも食べてしまいました。18:43ころ。


▲就寝です。20:20ころ。

S子はすぐに寝息を立てて眠りに落ちていました。山ではいつもそうです。
僕は二万五千図をながめたり、一体ここがどこなのか? さまざまな可能性を考えたりします。
それに、寝る前にS子と話していた、クマのこと。この時季ですから、クマはもっと標高の低い場所に行っているのでは? と思ったりもするのですが、万が一、この場所に現われた場合、どう対処すればいいのか? 頭を巡らしても名案は浮かびませんでした。
こんな場所でクマに襲われたりしたら、どちらか一人だけが無事だったとしても、連絡を取ることひとつとっても大変そうです。
いろいろなことに思いを巡らせ続け、眠りについたのは10時過ぎていたのではと思います。