ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

奥多摩の秘密の場所で焚火キャンプ 1/3

2014年12月08日 | ハイキング/奥多摩

2014/11/22  このブログのタイトルに“焚火”とあるのに、今年はまだいっぺんも焚火をしていません。
というわけで、無性に焚火をしたくなり、とにかく焚火だけをするためのキャンプに出かけました。

本当は10月末のタワ尾根下段歩道の時にも、三又で焚火をするのが目的のひとつだったのです。ですが、あんな状況に陥ってしまいましたから、焚火は出来ずじまい。

焚火をするのなら、その必然性がある山の奥深くまで行くのが本筋なのですが、今回はあくまでも気楽に、とにかく焚火だけをしに行きました。

ですから、すごく近間です。ですから、そんな場所はあまり大っぴらにはしたくありません。秘密にします。

駅を出発したのは正午頃。どこの駅かも秘密です。


▲林道を歩いて行きます。12:38ころ。


▲同じ林道ですが、土の道になりました。12:47ころ。


▲林道は終わり、山道に入りました。沢の脇を通っています。13:07ころ。


▲小さな堰堤が続けて現れました。13:13ころ。


▲大きな堰堤も出現して、その脇を巻いて行きます。13:21ころ。


▲大きな堰堤の上は土砂や砂礫が堆積し、広い平坦地が広がっています。ここが目指していた天場です。13:29ころ。


▲水場に近く、地面に凹凸が少ない幕営適地を選び、テントを張りました。14:08ころ。


▲タワ尾根下段歩道では出来なかったテントとタープのコラボです。14:37ころ。


▲今回は木の枝を支柱にしました。ハトメに入るよう、木の先をのこぎりで切りました。


▲そして、いよいよ焚火です。15:08ころ。
太い流木を両サイドに置き、火床には太い木を敷きます。


▲新聞紙を丸めて何枚か並べ、メタ(固形アルコール)をところどころに忍ばせ、極細の枝を積み重ね、ついでに最上部には杉の枯れ葉を置きました。それから点火! 15:49ころ。


▲箸くらいの太さの枝をさらにのせていきます。ときおり、景気づけに杉の枯れ葉ものっけます。15:52ころ。

まだこの段階では手を緩めるとすぐに火は消えてしまいます。さらに太い木が燃え始めるともちろんいいのですが、燃料の木の状況次第ではそんなに簡単には燃えてくれません。
比較的よく燃える細い木や杉の枯れ葉などがあるのなら、とにかくたくさん燃やして、熱くてすぐには冷めない火床を作ることがいいようです。


▲少しずつ太い木もくべ始めました。小さなビリーカンも火のそばに置きました。16:20ころ。


▲天場はこんな感じ。16:32ころ。


▲今晩の飲み物はホットワインです。コッフェルに少しずつ移し熱して、S子と二人で酌み交わしました。16:42ころ。

二重になっているマグカップは寒い夜の必需品。蓋も付いていますから、なかなか冷めません。

ワインはフルボトル1本持って来ました。ただし、ビンはプラスチック容器に入れ替えて持って来ています。このプラスチック容器はニュージーランドで購入し、日本に持ち帰ったものです。プラスチック容器はまだニュージーランドでも珍しいようです。こんな使い方をしようと、大切にとっておいたのです。

ホットワインですが、沸騰する直前で火を止めなければなりません。アルコールが飛んでしまうからでしょう。ボトルの中に何か入っていますが、お茶用紙袋です。家にあるスパイスをいろいろ入れて来ました。八角、シナモン、クローブ、カルダモン、コリアンダー、などなど。もちろん、ホール(種のまま)で、適当に。今朝入れました。


▲焼いているところは撮り忘れてしまいました。牛ステーキです。安い肉ですが二人にとっては山でステーキとは! って感じですね。16:51ころ。


▲今度は野菜。ジャガイモとニンジンを焼きました。17:06ころ。

夜は長いので、少しずつ焼いては食べ、飲んでは焼き、そしてワインを温め、そんな風に時が過ぎて行きます。


▲食事をするS子。17:13ころ。
フラッシュを焚くとこんな感じ。


▲フラッシュを焚かないとこんな感じ。ただし、S子には懐中電灯で光を当てています。17:13ころ。

焚火の写真はフラッシュを焚いたら面白くありません。


▲ニンジンとエリンギ。17:20ころ。

味付けはニュージーランドで買って来た、2種類の味付きソルト。


▲牛タンです。アメリカ産だったかな? 17:32ころ。


▲こんな焚火の写真が僕は好きです。17:52ころ。


▲ステーキを焼いているところを撮り忘れていたことを思い出しました。切れ端ですがフライパンにのせて撮影。2枚目です。18:02ころ。


▲焚火を前に、飲み、食べ、語る。こんな時間は最高です。18:31ころ。


▲残っている野菜を炒め、この後、残っている牛タンも一緒に炒めて食べました。19:04ころ。


▲この辺りの木はあまり火持ちの良い焚き木ではありませんでした。集めておいた木はどんどん燃え尽きてしまい、近くの倒木の細い枝を追加で燃やしました。19:47ころ。

食べ尽くし、飲み尽くし、そろそろ夜陰の寒さも身に浸み始めたので、テントの中で寝ることにしました。

風もない夜ですから、焚火の残り火の心配はあまりしなくてもすみそうです。燃え残りの太い木を少し離して置き、灰白色の灰に覆われた熾きの残り火には10個以上の石っころをのせて、風で火が煽られる危険性を防ぎます。


▲テントの中から覗いた光景です。20:40ころ。

起きている時から聞こえていましたけれど、シュラフの中に身を横たえると、なおさらに周囲で啼くシカの声が闇夜をつんざきます。同じ個体の啼き声のようです。警戒音に近い啼き方です。いつもは自分の過ごす場所なのに、余所者が侵入して来ていて、腹立たしく思いながら啼いているのでしょうか?

S子のシュラフは3シーズン用。僕はまだ意地を通して夏用です。S子はすぐに寝息をたて始めますが、僕は長い時間、頭が冴え続けます。
いつもそうです。
でも、いつ知れず意識は周囲の闇夜と紛れて・・・・


平日に散歩気分で日和田での岩登りトレーニング

2014年12月06日 | 岩登りトレーニング

2014/11/14  朝も普通に起床し、朝食に、朝ドラも観て、それから準備して出かけます。

今日は目いっぱいするつもりは毛頭ありませんし、早く帰ってくるつもりです。


▲今日は平日の金曜日。という訳で、いつもは混雑している日和田もご覧の通り。10:55ころ。


▲いつも通り、1本目のウォーミングアップは男岩南面左側のⅢ級ルート。S子が最上部の核心部付近をフォロウして来ました。11:24ころ。


▲懸垂下降は西面へ。下降しながら自分で撮っています。靴はムーンスター(旧・月星化成)のジャガーシグマです。11:41ころ。


▲2本目は男岩南面中央部分の上部チムニーに抜けるルート。最上部だけがⅢ級+はあるでしょうか。そのチムニー部分に近づいて来たS子。チムニーと言っても、内部には入り込まず、外側を登ります。12:12ころ。


▲南面を懸垂下降。今日は穏やかな快晴です。見えているのはS子。12:31ころ。

ここでもう、昼食休憩。あくまでものんびり。


▲昼食後の3本目。左は2ヶ所からのセルフビレイ、右のはボディービレイ用の折り返し用プロテクション。男岩の上はとても暖かい。13:24ころ。


▲3本目は男岩南面の左端。1本目より少しさらに左です。写真中央にS子が見えます。13:40ころ。


▲最上部の核心部、少し前傾している岩をガバを掴んで直上します。Ⅳ級-くらいでしょうか? 13:46ころ。

←クリックして拡大して見てください。
▲1本目から最後の4本目までのルートの説明です。


▲4本目は左下から右上へと斜上するルート。今日のようにクライマーが少なくて、遅い時間になって、本当に男岩南面に誰の姿もなくなって初めて可能なルートです。右下から左上へのルートは以前やったので、今日はその逆。
本当はさらに右上のフレークまで行けばもっと面白いのでしょうが、S子には無理でしょうから、今日のルートです。14:23ころ。



▲S子が右上へ現われました。14:39ころ。

今日はこれで終了。普段より1時間以上、早いお開きです。なにしろ、今日は散歩ですから。


▲この駅から歩いて家路につきます。陽も落ちて、山がシルエットになりました。真ん中の山が、もちろん、富士山。17:04ころ。


日光橋公園ボウルダーでのトレーニング第4回―――昼食と夕食の合間に

2014年12月04日 | 日光橋公園ボウルダー

2014/12/3  天気も良く、予定もないポッカリと空いた平日。S子と二人でハイキングに出かけようか、外岩で岩登りのトレーニングをしようか、心悩ませました。でも、何となく出不精な心持ちになっていましたから、結局は日光橋公園だけになってしまいました。

朝ものんびり、午前中ものんびり、お昼からものんびりと、家の中で過ごし、結局午後も2時を過ぎてから家を出ます。

そして、日光橋公園そばのインド料理店へ。AランチとBランチを頼み、二人で遅めの昼食です。


▲S子も2度目の日光橋公園ボウルダー。右下スタンスのスタート地点からトラバースをします。
S子はまだ、この緩斜面のトラバースも未完成。怪我の後遺症や年齢の影響もかなりあると思います。
でも、楽しそうに頑張っていました。15:49ころ。


▲僕の写真も撮ってもらおうと、S子に頼みました。でも、シャッターを押そうとすると、落ちてしまいます。で、こんな写真ばかり。ここは左手で左上に隠れるようにあるホールドを掴まなくてはいけないのです。16:00ころ。


▲前傾壁と言っても、これくらいなのですが、今の僕には耐えられない傾きなのです。チクショー!! 16:02ころ。


▲おそらくS子の方がパンプしにくい腕の筋肉なのだと思います。最後まで楽しそうにトレーニングしていました。それに比べると、僕の方が辛そうに見えるでしょうね。16:06ころ。

いつもと同じように、1時間くらいで終了です。これくらいの気楽なトレーニングを週一回のペースで続けられればと思います。

今回も緩斜面右下のスタート地点から、左へトラバースし、垂直面を通過、前傾壁面までは楽に行けます。前傾壁面での持久力がやはりまだ圧倒的に不足していますね。
今回、その前傾壁面左端から、最後の垂直面へ移るムーブが分かりました。早くここまで行けるようになりたいものです。

家路への帰路、イトーヨーカドーへ少し寄り道し、夕食の食材を買いました。今晩は珍しく、僕も一品作ります。「鳥の手羽と大根のさっぱり煮」、お酢を使った煮ものです。少し酢が多かったように感じましたが、まずまず美味しかったですね。


登山禁止の星穴新道は荒廃が進むにつれ面白さも増す 3/3

2014年12月04日 | ハードハイク/妙義

2014/11/8  星穴岳山頂では昼食を食べたり、ゆっくり過ごしました。最悪でも女坂の登山道に明るいうちに到着すればいいと思っていましたから、山頂に午前中に着き、時間的には余裕です。つまり、気分的にも余裕ということ。


▲先ほどノーザイルで登って来た岩場を今度は懸垂下降で降ります。11:59ころ。

下山コースは幾つか考えられます。
最短コースは金洞山の西岳を過ぎ、南へ降りて、中之岳神社へ行くコースでしょう。
他にも、金洞山~鷹戻しを通過して、女坂を下るルート。
そして、僕たちが選んだのが星穴沢を下降して、女坂の登山道へ合流するルートです。


▲隣りのピーク・金洞山です。近いピークが西岳なのだと思います。それ以外はまったく分かりません。歩いてみないと、本当に全然分かるものではありませんよね。12:00ころ。


▲しばらくは登って来たルートを戻り、星穴岳とP3との間のコルまで来ました。
来るときに確認していた、懸垂下降の支点となる太い木があります。12:32ころ。

ここからの懸垂下降は50mザイル2本で行ないます。そのためだけに、僕もザイルを1本背負って来ていたのです。1本だけでも、途中で切りながら懸垂下降できるのでは、と思ったりしたのですが、念のために、やっぱり2本持って行くことにしていたのです。


▲星穴沢源頭へ向けて、U田君が下降して行きました。12:37ころ。

ただの懸垂下降にしてはずいぶんと時間が経過しています。僕のところからはU田君の姿は見えません。予想外に時間が経過しても、僕に対する「続いて下降してもよし」とするコールが掛からないのです。
さすがの僕もしびれを切らして、どうなっているのか下へ向かって叫びます。4、50mも離れていては、返事があっても詳細が聞き取れる訳もありません。しばらくあって、僕が懸垂下降できるようになり、降りて行ってみると、U田君の時間がかかった理由がすぐに理解できました。

沢床にいるものと思っていたU田君が、左岸側壁にいるではないですか! 沢床には枯れ葉が厚く積もっていて、立てるような場所はおそらくないのでしょう。明らかなバンド状でもない限り、立つのは無理そうな傾斜です。しかも、支点になるような岩や木も一切ないのです。
ですから、側壁の木が生えている場所まで登り返して、その木を支点にするしかなかったのでしょう。

まあ、僕はその状況を見ながらU田君の方向へ行けばいいだけですから、側壁をへつるようにしながら、彼のもとへと行ったわけです。


▲懸垂下降で1ピッチ下降した場所から見上げました。12:53ころ。


▲2ピッチ目もザイル2本での懸垂下降です。沢床は写真ではなだらかそうですが、実際は嫌な急傾斜です。12:54ころ。


▲2ピッチ目の支点がこれ。13:04ころ。


▲2ピッチ目の懸垂下降も1ピッチ目ほどではありませんが、通常より時間がかかりました。最初の経験もありますから、僕も「やっぱり2ピッチ目も複雑なんだろうなぁ」と構えています。でも、それほどでもなく僕の順番となり、ザイルも回収して、写した写真がこれです。このトイ状の滝を降りて来たのです。13:20ころ。


▲3ピッチ目の懸垂下降支点です。実際は右へ60度ほど回転させた角度の傾斜です。
ザイル1本での懸垂です。13:27ころ。
それにしても、この灌木へのめり込み具合はどうでしょう!? 幾歳の歴史がここまでの形を作るのでしょう!?


▲1ピッチ目も2ピッチ目もそうでしたが、上から見ると左へ左へと回り込むようにして懸垂下降して行きます。ここも同様で、U田君はすぐに岩の陰に消えていきます。13:27ころ。


▲ここは問題なく下降し、僕もすぐに続きました。3ピッチ目の懸垂下降ルートを見上げています。13:34ころ。


▲もうクライムダウン出来そうと判断して、懸垂下降3ピッチ終了後は歩いて星穴沢を下りました。
僕が先頭で歩き、僕が落石に対処できる十分な間隔をあけて、U田君が後ろから続きました。写真中央に彼の姿が小さく見えています。13:43ころ。


▲U田君が接近して歩いても、落石の危険がないほどの傾斜になって来ました。13:54ころ。
後方に見えている岩峰のどれかひとつがP3なのでしょうか?


▲広葉樹の美しい森が広がるようになって来ました。14:05ころ。


▲右から沢が合流するたびに、沢の右岸に移ります。そんなルートどりをしてさえいれば、女坂の登山道と合流するはずだからです。写真のこの小支尾根でしばし休憩しました。
右下にも別の沢がありますから、また沢を渡って、右岸に移動です。もうそろそろ登山道が出て来ると思っています。14:38ころ。


▲なんとなく登山道っぽく見えるようになってきました。14:46ころ。


▲登山道はとても不明瞭で道を失いそうになることもあります。この辺りでも分からなくなってしまいましたが、右岸を外さないように探すとありました。中央にU田君がいますが、手前に向かって薄っすらと踏み跡があるのです。14:52ころ。


▲しばらくは比較的明瞭な登山道が続き、そして、分かりにくくなります。そろそろ左岸へと登山道が移るころあいなんでしょう。注意して歩いていれば、沢を渡る箇所は分かるはず。
沢を渡り、明瞭な登山道を進むと、見覚えのある標識が現れました。15:02ころ。

星穴沢橋のある林道にはすぐに到着します。徐々に薄れ始めていた緊張感も、林道で雲散霧消しました。


▲朝は看板の文章などは読みもせずに無視して通過していました。一般的には「鷹戻し」は登山道なのですが、星穴新道は登山禁止の廃道なのです。15:08ころ。


▲よく読んでみると、この星穴新道で死亡した二人の女子高生は僕と同い年なんですね。すごく活発で冒険心のある素晴しい女の子たちだったんでしょう。
僕が高校2年生の2月にこれほどの冒険的登山を実行するかと思うと、絶対にしなかったと思います。もし彼女たちが事故死しなくて、その後も登山を続けていたら、実力ある山屋になっていたことでしょう。尖鋭的なアルパインクライマーになっていたかもしれませんし、総合力あるヒマラヤニストになっていたかもしれません。群馬県の女子高生ですから可能性はありますよね。15:09ころ。


▲枯れ葉の積もった林道を国民宿舎へ帰ります。15:13ころ。


▲国民宿舎でお風呂に入りました。400円ですから、安いですね。15:26ころ。

最初の予定では、翌日に国民宿舎裏の木戸壁右カンテルートにも行く予定でした。しかし、翌日の天気が良くないということで、U田君本命の星穴新道だけ行くことになったわけですに
ちなみに、30年ほど前のことですが、木戸壁手前の木戸前ルンゼを登ったことがあります。スラブっぽい滝がずう~っと続く沢で、ザイルは特に必要ありません。

でも、若いU田君が星穴新道などというこんな渋いルートを行きたく思うとは不思議な感じがします。
他にもこの妙義の山域では相馬岳北稜へ行きたいのだそうです。長い尾根なので、1泊2日かかるようです。行く際には、僕もぜひ誘って欲しいものですね。

最後に、昭文社のMAP『西上州 妙義』について。
U田君も僕も昭文社のMAPを持っていましたけれど、見比べると、なんと! 僕のMAPには星穴新道に登山道が記載されているのです。もちろん、赤の破線でもなく、黒い破線でしかないのですけれど。
発行年を調べてみると、1999年。
帰宅して、もっと古い昭文社の地図がないかを調べてみました。すると、ありました! 1990年です。
なんと! そのMAPには星穴新道が赤い破線で記載されているではありませんか! 女坂は赤い実線。相馬岳北稜も赤い破線で記載されていました。天狗岳~白雲山~相馬岳~金洞山中之岳までの表妙義主稜線は赤い実線になっています。

僕は出来るだけ古い昭文社のMAPも捨てないで取っておきます。最新のMAPには載っていないようなルートも古いMAPに載っていれば、そこをルートとして利用できることが分かるからです。
(尾根筋のルートは比較的変化しないようですが、山腹のルートの崩壊は激しいですから注意が必要です)
その逆のこともあります。低山でのバリエーションルート流行りの影響で、昔はただの藪山だった尾根に、しっかりした踏み跡がつくことがあります。それがMAPに記載されるに至ることもあるのです。

古いMAPのそんな活用価値が僕は好きですね。


登山禁止の星穴新道は荒廃が進むにつれ面白さも増す 2/3

2014年12月01日 | ハードハイク/妙義

2014/11/8  どうやらP1はさっきの鎖場の岩登りで通過したようです。そして、目の前の岩峰がおそらくP2なのでしょう。これは巻くしかないようですね。


▲この木ではありませんが、すぐ右、1mくらいにある木に残置の懸垂支点がありました。セルフビレイを取って、これから懸垂下降です。9:15ころ。


▲20mくらい懸垂下降します。下の場所が安全に立てるような傾斜地なのかどうか、心配です。
残置のロープも下へ向かっています。9:23ころ。


▲U田君に続いて僕も降り立ちました。残置のロープにセルフビレイを取ります。
セルフビレイは当然とりますけれど、思ったよりも安定した場所でした。
U田君は回収したザイルをザックにしまいます。9:29ころ。


▲降りて来たのと反対側の斜面がこれ。残置のロープも上がって行っています。ザイルなしでも大丈夫と判断して、U田君はザイルをしまったわけです。これから登ります。9:29ころ。


▲真上を見上げると、こんな岩壁が広がっています。最初はこの中央部分などに弱点があれば、トラバース出来るのではとも考え、ルートを探して見たのですが、無理そうでした。9:29ころ。

この場所がどうやら「コップ状岩壁」と呼ばれているところのようですね。谷川岳の一ノ倉沢コップ状岩壁にちょっとだけ似ているからこの名前で呼んでいるのでしょう。P2の東側を巻いています。P2もやっぱりその頂上は踏みません。

これが星穴新道・第2の核心部ですが、通過してしまえば、そんなに困難だったという印象は抱かなくてもすむ箇所です。懸垂下降をし、普通に登り返すだけですから。
でも、ネットなどで見ると、昔の鎖をつなげて岩場をトラバースしたり、振り子トラバースをしたり、大変だったようです。
僕たちも最初、鎖や鉄杭の残置を探したのですが、見つかりませんでした。懸垂下降がいちばん易しくて安全だと思いますね。
ただし、これは結果論。ネットである程度の予備知識を仕入れて行っていても、現場に着くと、予備知識はどこかに吹っ飛んでしまいます。ネットの知識と、眼前の情報とはほとんど一致しないものです。まあ、不安感を抱きながら、ひとつひとつを解決していく、それが快感なんですけれどね。

今こうやってブログに書いているのも、帰って来てから自分の写真と他の方のネットの記録を照らし合わせて、だんだんと整理され理解が進んで書けているのです。
歩いているときは、どこがP1だか、P2だか分かりませんでした。P3だけは姿もそのトラバースも特徴的なので、通過したことが理解できたのですが・・・・


▲斜面を慎重に登り詰め、来た方角を振り返って写したのがこれです。中央に右向きの顔のような岩がありますが、その開いた口の少し左の木が懸垂下降の支点です。この写真の下へはみ出すように懸垂下降したわけです。9:33ころ。


▲P2を巻いて通過して後、休憩したと思います。すでに10:00ころ。
P3の基部に到着する手前です。


▲これがP3! これまでのピークはどれがどれだかよく分かりませんでしたけれど、P3は一目瞭然!
天気も穏やかな快晴で、文句のつけようもありません! 10:09ころ。
写真左に、灌木に透けてU田君の姿も見えています。


▲枯れ木の間から左を望むと、表妙義の峨々たる岩峰が連なっています。どれがどの山なのか、僕にはさっぱり分かりません。この尾根をいつか歩いてみたい気持ちにはなりますね。10:12ころ。


▲なんとなく踏み跡らしきところを辿って行くと、残置のロープや鎖が垂れている場所に出ました。ロープや鎖もあることですし、クライムダウンできないこともないでしょうが、U田君は懸垂下降することに決定。
足場が落ち葉などで見えにくいので、その方が良かったですね。10:17ころ。


▲懸垂下降で降りた場所から、U田君がリードして行きました。写真は僕がフォロウしている際に、振り返って写したもの。鎖の鉄杭に頼るしかないトラバースです。10:39ころ。
鉄杭に足を置いて進む箇所もありました。小柄な女性には大変な箇所だと思います。目いっぱい左足を伸ばさないと届きませんから。


▲U田君が確保してくれています。10:47ころ。


P3大トラバースの2ピッチ目です。U田君は写真中央コル状のところで、顔をのぞかせ確保してくれています。10:57ころ。


▲振り返って写した写真。鎖の錆はどれくらいの深さまで鉄を苛んでいるのでしょう? 右下は星穴沢まで落ち込んでいます。11:06ころ。


▲P3と星穴岳とのコルを過ぎ、尾根筋通しに、あるいは緩いルンゼ状の場所だったり、とにかく弱点を選びながら星穴岳へ向かいます。11:22ころ。


▲山頂到着です。振り返って見える、顕著な岩峰がP3。その右下をいまトラバースしたわけです。11:26ころ。


▲U田君、快心の笑み! 11:26ころ。

でも、すぐ隣りにもほぼ同じ高さの山頂があります。あちらの方が星穴岳なのかもしれません。


▲という訳で、隣りの頂きへ。岩峰の北側の下部を巻いています。11:33ころ。

尾根に出ると、男女の二人パーティーがいました。金洞山の方から来たようです。そして、そちらへ帰って行きました。


▲隣りの山頂の基部に到着しました。どうやらこちらの方が本当の星穴岳のようです。
その証拠に、ほぼ垂直の岩場が出て来ました(ネットにそう出ていましたから)。残置のロープもぶら下がっていますが、利用するまでもないくらいです。3級レベルですね。11:37ころ。


▲U田君が登っているのを待っている場所からはこんな風景が見晴らせました。岩峰も紅葉も見事です。11:37ころ。


▲U田君もほぼ登り切りました。11:39ころ。
僕は残置ロープの2本を末端で結び合わせておき、ハーネスの安環に念のため通しておきました。万が一、滑落しても途中で止まるように・・・・


▲お隣りの金洞山です。西岳なのでしょうか? 山頂に登山者が二人見えます。先ほどの二人ではないようです。11:49ころ。

星穴岳山頂に立って、それなりの充実感は当然ありました。でも、もっと大変なのではと想像していましたから、ほんの少し拍子抜けの気持ちがあることも確かです。
もちろん、すべてU田君がトップで歩き、ルートファインディングをし、ザイルをセットし、リードしましたから、僕自身の出る幕が、二人で協力するような、よりシビアな場面がなかったことも影響しているでしょう。
「U田君に美味しいところを任せ過ぎたかなぁ?」とも思いますが、この星穴新道はU田君思い入れのルートですから、仕方ないですよね。
ひとつだけ確実に言えることは、U田君のルートファインディングやザイルを出す出さないの判断がとても的確で、すべて不安感なく順調に対処できたからだということ。それに尽きますね。