ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

大雨直後の海沢谷を遡行しました

2016年10月18日 | 沢登り/多摩川本流

2016/8/31  YYDのK藤さんからお誘いがかかり、平日に沢登りに行くことになりました。
当日直前の4日間でトータル170ミリ以上の降雨量が奥多摩ではありました。沢の水量がかなり多いことが推測できます。まあ、それはそれで楽しいでしょうし、K藤さんにとってはいい経験になることでしょう。

 
▲海沢大橋から眺めた多摩川です。川の水色が白濁した苔色です。いわゆる“笹濁り”。少し下流に海沢谷の出合も見えていますね。8:57ころ。

途中のアメリカキャンプ村前の流れは濁ってはいませんが、勢いのある流れになっていました。いつもなら穏やかな流れでキャンプ場に来ている子供たちもここで遊ぶのですが、このような強い流れでは危険ですね。


▲海沢林道を進み、支流の井戸沢出合にかかる滝が見えました。いつも見る姿よりも白く太い滝でした。9:42ころ。

海沢園地で沢装備を装着しました。


▲いよいよ遡行開始です。10:18ころ。


▲本当にびっくりしました。この三ッ釜の滝には数え切れないほど訪れていますが、これほどの瀑流の姿は初めてです。最下段の下の流れを徒渉するにも緊張しました。10:23ころ。


▲三ッ釜の滝の最下段を左壁から登攀スタートです。通常はザイルを出すところですが、今日はK藤さんと二人ですし、ノーザイルで済ませてしまいました。10:25ころ。


▲三ッ釜の滝上部も平常時の数倍の水量で流れています。10:30ころ。


▲ねじれの滝2段10mです。ここをザイルを出して登りたかったのですが、今日の水量では難しそうです。写真の左からバンドを通って下段の落ち口へ行くのですが、そこを左から右へ徒渉するのが見るからに危なそうです。水勢に足が飛ばされそう。10:40ころ。


▲右岸についている巻き道を行きました。10:43ころ。


▲その先の小滝ではザイルが残置されていました。よくここではキャニオニングの遊びをしているパーティーを多く見かけます。10:46ころ。


▲沢全体が太い一本の白い瀑流になっています。10:52ころ。


▲大滝25m。釜だけではなく、10m以上離れていても滝の飛沫や風が襲って来ます。こんな激しい大滝の姿を初めて見ました。10:56ころ。


▲普段ならこの半分ほどの幅で流れ落ちるだけです。10:56ころ。


▲大量の落水のせいでしょう。波が四方に激しく広がっていました。10:56ころ。


▲K藤さんが滝のそばに向かいます。写真では想像できないほどの風圧と水飛沫なんですよ。10:57ころ。


▲K藤さんが滝横の穴に向かいました。滝の大きさが分かると思います。10:58ころ。


▲大滝は高巻くしか越えていく方法はありません。右岸を高巻きます。11:01ころ。


▲途中、岩茸石の滝15mが見えて来ました。ここから川床に降りることも出来るのですが、今日は濡れていて嫌らしそうなので止めました。11:04ころ。


▲巻き道をもう少し進むと、不動の滝10mも見えました。右が本流です。11:08ころ。


▲すべての滝の巻き終わりはこの懸垂下降。クライムダウン出来ないことはなさそうですが、無理する必要もありませんね。11:24ころ。


▲狭い場所の流れは勢いが強い! それでも弱点を突いて進みます。11:47ころ。


▲水の中を腰まで浸かって。11:52ころ。


▲「馬鹿な連中だなぁ」とヒキガエルも思っているでしょうね。11:57ころ。


▲こんな場所で足をさらわれたら大変です。11:59ころ。


▲枠木沢の出合付近だと思います。左の明るい方が枠木沢かな? 加藤さんはこの枠木沢も継続して遡行したかったようですが、枠木大滝の登攀はそれなりに難しいですから、今回はここらあたりで終了することにしたのです。でも、時間的にも順調ですし、枠木大滝を見物だけすることにしました。12:09ころ。


▲枠木大滝2段12mが見えて来ました。12:19ころ。


▲枠木大滝の上段は見えていませんね。今日は水量が多いので、上段部分の登攀が普通に可能なのかどうか心配です。今日は中止にして正解だったと思いますね。12:22ころ。

枠木大滝の登攀の様子は以下のブログ参照。
http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/90fa29a23172b8a64ec7d98b0fde698b


▲しばらく休憩して本流に戻ります。12:38ころ。


▲本流に戻り再び上流へ。12:51ころ。


▲すぐに山道と合流し、そこを下山することにしました。13:27ころ。


▲途中でキャニオニングを楽しむパーティーがガイドらしき人に連れられて行きました。13:45ころ。


▲三ッ釜の滝の上に戻ってくると、外国人ですが、恐らく先ほどのパーティーのガイドの一人なのでしょう、滝とその下の深い釜の上にザイルを張っていました。いつもなら滑り台になった滝を滑り落ちて深い釜にドボン! と楽しめる場所なんです。K藤さんが聞いたところによると、今日はそれは危なそうなのでザイルで宙吊りになって滑り降りるようですね。13:47ころ。


▲海沢林道を戻り、奥多摩駅へ向かいました。駅の裏山の氷川屏風岩がよく見えます。15:06ころ。


▲笹濁りは相変わらずですが、途中のアメリカキャンプ村前の流れは今朝よりも穏やかになっていましたから、明日になれば平水に戻るのでしょうか? 昭和橋から見下ろした多摩川。15:07ころ。


▲K藤さんが「ビールが美味しい店があって、そこでビールを飲んでから天益に行きませんか?」と言います。異議はありませんから天益の裏手にある『Beer Cafe VERTERE バテレ』へ。自家製のビールが美味しいお洒落な店でした。従来の奥多摩駅周辺の飲食店の印象とは大きくかけ離れたお店です。なかなかお薦めのお店。ただ、下山後の空腹を満たすにはどうでしょうね? 15:20ころ。

『天益』は閉まっていました。それで拝島の『ネパール・キッチン』へ行き、S子と合流して食事をすることにしました。『ネパール・キッチン』も僕の好きなお店のひとつです。決して高級だとか、料理が格別に美味しいとかではありませんが、カトマンズにそのまま在ったとしても違和感のない雰囲気が僕は好きなんです。薄暗さ、狭さ、安っぽさ、倦怠感、・・・・。インド人のお店は割と商売っ気があるのですが、ネパール人のお店にはそれも乏しい感じです。


青春18きっぷの旅/帰京編。三日目は京都の鞍馬と貴船を歩きました

2016年10月13日 | 帰省の途中旅

2016/8/22  今年の1月に大原を訪れて以来、次は鞍馬だとずっと思っていました。夏の暑い京都ですから、少しでも涼しい場所を、という気持ちももちろんありますけれど、季節に関係なく鞍馬は訪れたい場所でした。


▲阪急電車、京阪本線、叡山電鉄鞍馬線と乗り継いで、緑に溢れた鞍馬へ近づいて来ました。9:51ころ。


▲鞍馬駅は有名な割には意外と簡素な駅でした。でも、雰囲気だけは持っている駅ですね。9:54ころ。


▲鞍馬は天狗でも有名なところです。9:54ころ。


▲鞍馬駅前のお店で朝食をいただこうと考えていたのですが、ほとんどの店がまだ開いていないか、食事は出していません。角の小さなお店、『心天狗』が食事を出してくれることに。少し待つことにはなりましたけれど、のんびりした旅ですからいっこうに構いません。10:11ころ。


▲鞍馬寺への最初の入り口です。11:01ころ。


▲仁王門(山門)。明治時代に再建されたものですが、中に祀られている仁王像は湛慶作と伝えられているそうです。湛慶は鎌倉時代の仏師で運慶の嫡男です。11:02ころ。


▲のんびりと登って行きます。11:08ころ。


▲「放生池(ほうじょういけ)」です。亀や魚など、生き物を逃がしてあげて功徳を積み、滝に打たれて修行する。そんな意味ある池なのです。11:14ころ。


▲途中、鳥居に小石がたくさん載っていましたから、S子もチャレンジ。S子は駄目でしたが、僕が1個載せました。11:22ころ。


▲この由岐神社は940年に勧請されたのが由来ですが、この建物自体は1607年に豊臣秀頼によって再建されたものです。これは拝殿。11:30ころ。


▲由岐神社の本殿です。11:31ころ。


▲しばらくは静かな森に囲まれた山道です。11:40ころ。


▲中門に到着。質素な門です。11:43ころ。


▲再び静かな道。11:44ころ。


▲貞明皇后行啓御休息蹟で僕たちも少し休憩しました。また、静かな道が続きます。真夏ですが、日陰が多く、風もときおり爽やかに吹き、思いのほか心地よい山歩きです。11:58ころ。


▲ゴールが近そうな雰囲気がしてきました。12:01ころ。


▲翔雲臺。ここから京都を見守る北方守護の浄域です。中央の石は本殿後方から出土した経塚の蓋石だそうです。12:06ころ。


▲鞍馬寺の本殿金堂です。12:07ころ。


▲本殿隣りの光明心殿。ここでは護摩供養をするのです。12:08ころ。


▲本坊金剛寿命院。鞍馬寺の事務部門のような場所だそうです。ところで、この建物が4階建てと聞いても信じられませんよね。実は見えているこの階が4階で、後方で下に向かって3階、2階、1階とあるそうです。12:09ころ。


▲本坊の横から奥ノ院参道へ入りました。12:11ころ。

霊宝殿は残念なことに休館日でした。


▲義経公息つぎの水。牛若丸が毎夜ごと僧正ガ谷へ剣術の修行に通った際、この清水を汲んで喉を潤したと言われています。12:17ころ。


▲階段の山道が続きます。12:22ころ。


▲木の根道。けっこう有名で、写真でもよく見ましたが、ほんのわずかな広さなんですね。12:25ころ。


▲大杉権現社。大杉は昭和25年の台風で折れてしまったようです。12:28ころ。


▲今日初めて、どんどん下って行きます。12:37ころ。


▲僧正ガ谷不動堂。鞍馬天狗が牛若丸に会った場所だとか。12:40ころ。


▲義経堂。奥州の合戦で自害されたと伝わる義経の魂がこの山におられ、遮那王尊として祀られているのです。12:43ころ。


▲奥の院魔王殿。ここに祀られている魔王尊は650万年前に金星から鞍馬山に降り立ったと言われている。なにかしらとてもミステリアス! 12:51ころ。


▲急坂をどんどん下って行くと、シカがいました。人をぜんぜん怖がっていません。鞍馬山一帯は神聖な聖域ですから殺生は固く禁止されてるはず。そのせいで人間を恐れないのでしょう。13:02ころ。


▲まだ斑点が残っていますから、若いシカですね。13:03ころ。


▲鞍馬山の西門です。鞍馬山参詣終了。13:08ころ。


▲鞍馬山を降りると、そこはもう貴船でした。貴船神社もすぐでした。13:09ころ。


▲雰囲気がありますね。でも、やたら女性が多い。13:10ころ。


▲貴船神社には高龗神(たかおかみのかみ)が祀られています。日本の代表的な水の神様だそうです。水の供給を司る神様だとか・・・・ 13:12ころ。


▲そのせいでしょうか? 脇にはこのような水の流れが。女性がおみくじを水に浮かべています。
女性の前の説明板には日本語のほかに、英語、中国語、韓国語でおみくじでの占い方法が書かれていました。まずは水に浮かべ、次にQRコードを読み取り、その中で占いが進行していくのだそうです。日本の神社って進んでますね! 13:13ころ。 


▲この光景を見て、「あっ、そうだった! 貴船は川床料理だ!」と思い出しました。体験できるものなら、今日ここで体験したいなぁ、と思います。13:20ころ。


▲でも、料理メニューが書いてある看板とかを見ると、最低額でも6500円もします。それに、満席で、予約を入れてないと無理そうです。13:25ころ。


▲貴船神社の奥宮へ行きました。13:31ころ。


▲「反正天皇の時代(五世紀初頭)に、玉依姫命(たまよりひめのみこと:神武天皇の母)が黄船に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼって当地に上陸し、そこに祠を営んで水神を祀ったのが当宮の起こりである」と説明板にありました。13:36ころ。


▲奥宮を参拝後、また、貴船川沿いに帰りました。こんな感じで川床が続きます。14:06ころ。

バスもあるのですが、それほど遠くありませんから、駅までのんびりと歩きました。


▲貴船口駅に到着しました。駅のそばに喫茶店でもあれば入ろうと思っていたのですけれど、ありません。そのままホームへ。14:48ころ。

帰路、四条大橋のそばの和菓子屋「寛永堂」で東京へのお土産を買いました。

ホテルに戻り、今日こそは京都らしい料理を食べようと、近くで昨晩見つけていた(でも昨晩はすでに閉店していたのです)お店に向かいます。


▲湯葉料理のお店です。毎度そうなのですが、食欲の方が先走って、写真を撮るのを忘れてしまいます。この写真ももちろんもっと湯葉の量はたくさんあったのですよ。これは多分「生湯葉の刺身」。18:41ころ。


▲この写真も同上。「湯葉出し巻」かと思いますが、写真の4倍はあったかと・・・・ 18:56ころ。


▲これもだいぶん減ってしまっていますが、鱧(はも)の天麩羅が入っている天麩羅でしょう。18:57ころ。


▲これはなんだったか? サラダですけれど・・・・ 18:57ころ。

他にも美味しい料理をたくさん食べて、上等の日本酒も飲んで京都の料理を堪能しました。


▲ここが店への上り口。誰もいませんから、ちょっと躊躇してしまいますね。19:47ころ。


▲入り口からの通路。雰囲気があります。19:48ころ。


▲店の名前は『京料理 かめや本家』。19:48ころ。

やっと、京都らしい食事もいただけ満足です。同じホテルに連泊ですから、気持ちのゆとりもあります。連泊はいいですね。

翌日、この夏最後の青春18きっぷの旅は京都から東京の我が家まで、10時間ほどの旅です。
ただ、帰るだけですが、自分たちの家に近づくにつれ安心感というか、ゆったりとしたくつろぎ感が生まれてくるものですね。これが「我が家」というものです。


青春18きっぷの旅/帰京編。二日目は明石城と東経135度の天文科学館を訪ねて、京都へ

2016年10月02日 | 帰省の途中旅

2016/8/21  8月の土曜の夜はホテルの宿泊代が高騰します。本当は京都に泊まりたかったのですが、仕方なく都落ちして明石のホテルに泊まりました。今日もさっそく京都へ向かって、京都観光をしてもよかったのですが、せっかく縁あって明石に泊まったのですから、この明石を歩いてみることにしました。明石と言えば、東経135度の子午線が通っていて、日本の時刻を決める基準になっているということくらいしか思いつくことがありません。調べてみると、駅から近いところに東経135度線が通っていましたから、歩いて行けるようです。

今朝はのんびりです。ホテルをチェックアウトし、駅ビルの喫茶店でモーニングをいただきました。


▲駅前には明石城跡のお堀が広がっています。そこに何かが蠢いていました。カメです。よく見ると、あのアカミミガメ(幼名はミドリガメ)です。要注意外来生物に指定されていますから、こんなにたくさんいては駄目なんですけれど。10:00ころ。


▲お堀で囲まれた右が県立明石公園。左にすぐ明石駅があります。10:03ころ。


▲東から公園に入り、東のへりを北へ向かって歩きました。10:13ころ。


▲だんだんお城らしくなってきました。10:17ころ。


▲南側の眺望がよく見えるように、木の舞台のようなものが作られていました。10:22ころ。


▲遠くに明石大橋が見えますね。左にちらっと見えているのは巽櫓(たつみやぐら)。10:22ころ。


▲ヤマモモの見事な大木がありました。10:25ころ。


▲これは坤櫓(ひつじさる)櫓。ここは中へ入れます。10:28ころ。

明石城には天守閣がありません。焼け落ちたとかではなく、最初からないのだそうです。築城命令が下りたのが1617年だそうですから、結局、天守の土台だけしかできなかったのだそうです。ですから、この坤櫓が天守閣の代わりのような存在だったようですね。


▲昔の木組みがまだそのまま残っています。10:39ころ。


▲隣りの巽櫓が坤櫓の窓からよく見えます。10:45ころ。


▲柱の木の痛んだ部分が新しい木で継がれて修理されていました。10:47ころ。


▲これは白アリに喰われた跡でしょうか? 10:47ころ。


▲下に降りて来ました。中を見学した坤櫓。右には日時計が・・・・ 11:07ころ。


▲築城のころ、宮本武蔵がこの地に客分として留まっていました。明石の町割り(都市計画)や城内の樹木屋敷の設営に関わったのだそうです。この写真の庭園はその樹木屋敷の庭園を再現したものとか。でも、樹木屋敷がどのようなものだったか、資料はほとんど残っていなかったようですから、あくまでも想像して作った庭園です。そんな訳あって、この庭園の名称は「武蔵の庭園」なのです。11:10ころ。


▲ふたつの櫓と手前の武蔵の庭園を振り返りました。11:12ころ。

そろそろお昼をいただくことにします。実は昨晩のお店で隣りに座っておられたオハラさんという方から勧められた店に行くことにしたのです。お昼時間には満席になるかもと言われたので、少し早めに行きます。


▲このお店一番のおすすめが「明石海鮮丼」780円。明石名物の鯛、蛸、穴子がのっています。美味しくて、安い! 11:37ころ。


▲お店の名前は「藤原」。とっても狭いお店でした。もうお客さんが並んでいます。12:04ころ。


▲藤原を出て左へ少しで、魚の棚(うおんたな)商店街です。明石駅の少し南です。こんな商店街は、日本中探してもないのではないでしょうか? 12:05ころ。


▲昨晩の店がありました。新しいお店だそうですが、なかなか美味しくて安い店です。おすすめです。12:09ころ。


▲活きた蛸が売られています。12:10ころ。

そう。この魚の棚商店街はほとんど全部が魚関係のお店なんです!


▲この酒屋さん「たなか屋」も昨晩のオハラさんが教えてくださったお店。店の奥に立ち呑みのコーナーが隠されているのです。営業時間は昼の12時から。明石のビールや地酒、日本のワインもたくさん。酒の肴も地元の食材だそうです! ワオ~ッ! 入ってみたかったのですが、さすがにこの時間では。いつかまたここに来たら、夕方から入りたいものです。12:15ころ。


▲魚の棚商店街を通り抜け、北へ向きを変えました。明石公園の東端で「時の道」に入ります。この時の道は明石駅から山陽人丸前駅までの約2kmの散歩道です。
この写真は「亀の水」。12:56ころ。


▲「亀齢井(かめのい)と稱する霊泉あり 掬(きく)するに清冷氷の如し 昭和二十年六月八日 永井荷風」と彫られていました。「亀の水」のことでしょう。13:03ころ。


▲こんな自然の道もありました。13:04ころ。


▲トンボの標識が出て来ました。ここを東経135度線が通っているのです。日本の古称「秋津島」とトンボの意の「アキツ」を重ねて、日本の時刻の基準となる子午線の標識にトンボを飾ったのでしょう。13:10ころ。


▲明石市立天文科学館に着きました。13:20ころ。


▲館内の展示をじっくりと見て回りました。途中、プラネタリウムの公演があったので、見ました。僕にとっては初めてのプラネタリウムでした。よくは知らないのですけれど、おそらく古いタイプのプラネタリウムなのだと思います。終了後、機械だけを写しておきました。明石の街の夜空ですから、明石大橋も見えていますね。15:24ころ。


▲4階の日時計広場からだと思いますが、明石大橋が見えています。15:35ころ。


▲山陽人丸前駅と向うには淡路島が見えます。15:45ころ。


▲14階の展望室に上がってきました。S子の足元には日本標準時子午線と記された赤い線が。15:47ころ。


▲下を見下ろすと、先ほどのトンボの標識が。15:47ころ。

この後、明石駅まで歩き、京都へ向かいました。今夜の宿は阪急京都線の大宮駅そばです。ほんの少しずつですが、京都市内の交通網が分かりかけつつありますね。

ホテルで少し休憩後、夕食を食べに出ました。京都らしい食事を食べたかったのですが、思いのほか見つからず、結局、九州料理の店に入る羽目に。でも、それほどの店ではありませんでした。残念。