ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

お盆山行3日目 ――― 最初の予定通り横尾本谷右俣を登りました。でも、僕の脚の筋肉は大ダメージ!

2022年09月09日 | ハードハイク/北アルプス

前日の天気予報から判断して、この日は雨の中、涸沢から徳沢へ降りるだけの日だと考えていました。ですから、前の晩は夜中まで楽しく語り合い、僕なぞは無制限に飲み続けていました。朝早く起きた僕は、涸沢ヒュッテのトイレへ向かいます。懐電で足元を照らしますが、僕は石畳の道をフラ~リ、フラリと歩きます。完全なる二日酔いです!

 

2022年8月13日(土) 横尾本谷右俣~ババ平

▲5:24。意外や意外! 吊尾根や奥穂の斜面には陽が当たっています。

 

▲5:41。北穂は明るく輝き、青空も広がっています。

 

▲5:47。こんな天気なら前穂北尾根も登れるんじゃないかと思いました。でも、その時点での予報は午前中は霧、昼からは雨も降るというもの。今の晴れ間も何時雲の中に隠れてしまうか信用できません。天気予報には翻弄され続けていますからね。それに、前穂北尾根の登攀には僕たちにとってはそれなりの覚悟が必要ですから、一旦緩んだ緊張感はそう簡単には戻りません。

 

という訳で、この日の計画を横尾本谷右俣に変更しました。変更というよりは、当初の計画通りに戻したのです。午前中が霧程度なら雨が降る前に横尾本谷右俣を登り切ることが出来るでしょうからね。という訳で、6時1分、K野さんから会に対しての山行計画変更のメールを次のような文面で送りました。「少し雨にふられそうですが、本日、横尾本谷右俣、天狗池経由で徳沢を目指そうと思います」

 

6時ころには涸沢を出発しました。天気は凄くいいですね。ただし、僕は二日酔いでフラフラしています。でも、僕はこんな経験は何度もしていますから、1時間も歩けば回復すると分かっています。でも、これまでいろんな件で高齢の影響か、予想通りに行かなかったことが多々ありましたから、二日酔いに関してはどうだろう? と一抹の不安はありましたけれどね。

 

本谷橋への急な下りが始まる手前で横尾本谷へ下降しなければなりません。それも涸沢出合に下降できればベストです。その下降点は山行初日に確認しておきました。この日僕は二日酔いですから、先頭を歩いていたんですが、足元ばかりしか見ることが出来ていませんでした。ベストな下降点を通り過ぎてしまっていました。K野さんもS﨑くんも気付いていたそうですが、僕に別の考えがあるんだろうと、思っていたんだとか。あまりどんどん下って行くので、僕に声を掛け、僕自身も気付き、適当な場所から横尾本谷に下降しました。

 

▲7:26。この写真が下降地点の横尾本谷の景色です。僕が知っている涸沢出合とは違う景色でした。K野さんがGPSの地形図で確認してくれ、涸沢出合より300mほど下流だということが判明。まあ、本谷橋から横尾本谷を歩いたこともありますから、問題はありませんけれどね。ここで小休止。朝食を食べたりしました。僕の二日酔いもほぼ回復しています。ホッ!

 

▲7:50。横尾本谷を涸沢出合に向かって進みます。

 

▲7:58。ここが涸沢出合(写真の左から涸沢が始まっています)ですね。僕たちはもちろん横尾本谷を進みます。

 

▲8:14。横尾本谷の遡行と言っても沢装備は特別に必要ありません。ヘルメットを被っているだけです。

 

▲8:57。横尾本谷左俣です。ここはまだ歩いたことがありません。一度は歩きたいですね。大キレット付近に詰め上がります。例年ならこの手前で雪渓が少し残っているはずなんですが、今年はありませんでした。

 

▲9:11。こんな滝も時々出て来ます。

 

▲9:25。一ヵ所、直登が嫌らしい滝が出て来ます。滝の直下までは行ったのですが、引き返して左岸に回り込みました。古い残置のロープが垂れ下がっていました。重荷を背負っていると、ロープを掴んでいても、思いのほか嫌らしい登りです。S﨑くんも苦労したようですね。僕はS﨑くんの腕も掴んでやっと登れました。

 

▲9:57。写真ではちょっと分かりにくいと思いますが、が湧きだしています。冷たくて美味しい水です。ここで小休止。

 

▲10:05。ベニヒカゲ?(撮影:K野)

 

▲10:14。こんな感じの急登をぐいぐいと登って行きます。青空のもと、快感を伴う易しい登攀が続きます。

 

▲10:21。水も転がり落ちて行ってます。

 

▲10:22。こんな傾斜。

 

▲10:25。突然傾斜が消えて、平坦な地形に飛び出します。

 

▲10:26。ここからが黄金平です。後ろには屏風ノ耳、屏風ノ頭が見えています。

 

▲10:38。ミヤマリンドウ? あちこちでたくさん見ました。小さいですけど、とても可憐で綺麗な花です。(撮影:K野)

 

▲10:42。3人ともこの情景の中、横尾本谷右俣黄金平の自然に酔い痴れています。素晴らしい大自然です。

 

▲11:02。黄金平と上部カールの間にはモレーンがあります。そのモレーンの斜面には灌木が生い茂って僕たちの行く手を阻んでいます。S﨑くんがルートファインディングして先行します。僕は途中で別のルートを辿ろうとしましたが、あえなく密な灌木に敗北して、断念。S﨑くんの辿ったルートに戻りました。

 

▲11:20。灌木に覆われたモレーンを抜けると、岩だらけのカールに出ます。

 

▲11:36。写真の右上のコルのような場所は、昔、穂高お池巡りをした時に、横尾本谷左俣から右俣に抜けた際に通った場所です。

 

▲11:38。この場所に来るのは5、6回目ですけれど、雪がまったく無いのは初めてです。雪渓がないと、歩くのが大変です。(撮影:K野)

 

▲11:44。写真中央の最低コル付近に突き上げる予定です。右の尾根は横尾尾根。

 

▲12:03。雪渓が全く無いばかりでなく、伸びている草の背丈が高くなっています。そのせいで足元がよく見えません。浅い溝があったり、岩があったりしますから、見えないととっても歩きにくいんです。雪渓が融けたのが早かったんでしょうね。

 

▲12:12。前穂北尾根から屏風ノ頭、右にはすぐ近くに北穂高岳が見えています。北穂の小屋もよく見えました。それはともかく、僕の頭頂部は薄くなっていますね。(撮影:K野)

 

▲12:37。最後の急なザレ場を登ります。手前は僕、向こうにS﨑くんが見えます。S﨑くんはここは2度目(S﨑くんは穂高お池巡りでここのカールから上には訪れたことがあるのです)ですから、もっと左から登ろうとしています。(撮影:K野)

 

▲12:49。写真では分からないと思いますが、かなりの急登で、注意深く歩かないと落石を起こすどころか、自分自身がずり落ちて行ってしまいます。

 

▲13:21。稜線直下の岩場を登るK野さん。

 

▲13:22。写真中央に僕の姿が見えていますね。最低コル目指して右上しています。(撮影:K野)

 

▲13:29。僕が先に最低コルに着きました。さすがのK野さんも彼の重いザックでの急登はきつかったのでしょう。

 

▲13:39。S﨑くんはもっと前に着いていました。本来ならガスの中に槍ヶ岳が見えるはずなんですけどね。(撮影:K野)

 

最後の急登は毎回きつく感じます。今回もそれは同様ですけれど、とりわけ登高スピードが遅くなるわけでもなく、K野さんよりも先に登り切ることも出来ました。ところが、どの時点でだったかは忘れましたけれど、僕は自分の肉体、脚の状態の異変に気付いたんです。おそらく、登山道を下り始めてすぐだったと思います。どのような異変かと言うと、脚が疲労困憊していて踏ん張る力が残っていないんです。ちょっとでも躓いたりすると、体勢を立て直す余力がなくて、そのまま転んでしまいそうなんです。ですから、一歩一歩足を出すのではなくて、半歩半歩恐る恐る出す感じですね。こんな経験は初めてです。

 

▲13:59。横尾のコルから天狗池へと登山道を下りました。途中、雪渓が少し残っていて、S﨑くんが大の字に。

 

▲14:20。天狗池です。槍ヶ岳のガスも晴れて、逆さ槍を見ることが出来ました。

 

▲14:54。岩礫の斜面を下って行きます。(撮影:K野)

 

▲14:58。槍沢の岩礫の登山道が続きます。僕の脚は弱り切っています。

 

この日は横尾キャンプ場までは降りたかったのですが、僕の歩く様子を見て、K野さんとS﨑くんは相談をしたようです。無理をせず、ババ平の槍沢キャンプ地で泊まることにしたようです。その決定を聞いて、僕はホッとしました。

 

▲16:37。K野さんは途中先行して、テントを張る場所を探し、確保してくれました。涸沢では石がゴロゴロの天場でしたから平らで砂地のこの場所は天国のようです。僕も疲労困憊の肉体に鞭打って、テント設営を少しは手伝いました。

 

僕の脚の状態は最悪でしたけれど、それでも天狗池からここまではほぼ標準コースタイムで歩けていました。転ばないように丁寧に足を運び続けていましたからね。でも、さらに2時間先の横尾まで歩く気力は残っていませんでしたね。

K野さんはテントを張り終えると、30分ほど下の槍沢ロッジまでビールとかを買いに行きました。体力にまだまだ余裕があるんですね。羨ましい限りです。でも途中で、雨がかなり激しく降りだして、傘は持って行ってなかったはずだし、びしょ濡れになってるんじゃないかと心配になりました。そんなに濡れ鼠になることもなく、戻って来ました。

 

▲17:49。K野さんは体全身を汗拭きシート(僕はこの方面まったくの無知なので、よく知りません)みたいなので綺麗に拭き、着ていたものを全部(パンツも)着替えて、超サッパリとなりました。S﨑くんもそれなりに。着た切り雀の僕だけが汗まみれの臭いまま。古い山屋は下山するまで1週間でも10日間でも着替えるという発想はないのです。

 

3日目の夕食はS﨑くんの担当です。1日目の食当は重荷を背負うK野さんにお願いしました。いちばん食が進むはずの2日目は僕、でも2日目もまだ涸沢のままです。3日目のS﨑くんは食料を背負って歩かなければなりません。必然的に軽くて乾燥した食材になりますよね。軽量食材での工夫が要求されます。α米、高野豆腐+切り昆布、麻婆春雨だったかと思います。

この日の夜の記憶は、僕にはほとんど残っていません。疲れていたからだと思います。会話中も身体を横にしていました。早めに寝たんだと思います。

夜の間、時々雨が降っていました。トイレに行った時も、雨が降っていましたが、トイレまで遠くて、途中迷ったりしながら、向かいました。

 

この日は最上部のカールに到着するまでは青空の広がる良い天気でした。幸運に恵まれたと思います。横尾本谷右俣も青空のもとでこそその美しさが際立ちますよね。S﨑くんは右俣を完全遡行して、とっても感動していました。「秋に黄金平で泊まりたいね」と言っていました。


お盆山行2日目 ――― 天候悪く、涸沢で停滞。北穂高岳には登りました。夜は飲み過ぎて大丈夫かな?

2022年09月05日 | ハードハイク/北アルプス

夜はあまりよく眠れませんでした。でも、肉体的には疲労もなく、高度馴化も問題なさそうです。夜中には途中で雨も降っていたようですし、強い風も時折吹いていたみたいでした。

 

2022年8月12日(金) パノラマコースと北穂高岳

▲5:10。朝起きて、テントから出ると、涸沢岳や奥穂高岳の中腹に朝陽が当たっていました。稜線は厚いガスに覆われています。このままガスが上がって行き、天候が回復してくれることを願うばかりでした。

 

▲5:13。でも、すぐに東の空からは太陽の姿は消えてしまいました。予報でもこの日の天気はあまり良いものではありません。無理をして前穂北尾根を登るのは危険ですから、早々に前穂北尾根は断念しました。

 

▲7:15。目的喪失の無為な朝の時間が過ぎて行きました。稜線にガスはかかっていますが、この程度のガスの状況なら、登ることも出来たかもしれない、そんなことを思ったりもします。いっそのこと雨が強く降ってくれれば、諦めもつくのですがね。そんなことを思っていたら、ガスが次第に降りて来て、小雨も降り始めました。

 

▲9:57。テントの中でじっとしているのも退屈ですから、9時半くらいだったでしょうか、傘を差して涸沢カールのパノラマコースを散歩しに行きました。K野さんはα米にお湯を注ぎ入れたばかりだったのですが、そのままにして出かけました。ちょっとの散歩のつもりでしたから。写真はパノラマコース途中の見晴岩。もちろんこの日は見晴しゼロ。

 

▲10:24。霧雨の粒を綿毛に纏ったチングルマがとっても綺麗でした。

 

▲10:41。軽い散歩のつもりがパノラマコースを一周して、涸沢小屋まで来てしまいました。僕とS﨑くんはここで昼食を食べました。(K野さんはテントに戻ればα米があるので)

 

涸沢小屋ではWi-Fiの試験運用中だったようで、スマホが使えました。涸沢のテント周辺でも弱い電波は届いているようでしたが、あまり快適ではありませんでした。小屋の中で休憩しながら、明日以降の行動予定を3人で話し合いました。明日も天気予報はあまりよくありません。明日も前穂北尾根は無理そうですし、雨の中、横尾本谷右俣を歩くのも快適ではありません。

話し合った結果、明日は雨の中、徳沢まで下ってテントを張る。そして、明後日にひょうたん池ピストン。そう決めて、会にも山行計画の変更をメールしたのです。

 

▲11:11。涸沢小屋ではこの日の午後の予定も計画しました。その計画も会に報告しておきます。ネットが繋がると、山中での行動変更も連絡できて安心できますね。涸沢小屋を後にするころには雨も止んでいました。テントへ戻ります。

 

▲11:55。テントで少しだけ休憩すると、僕たち3人は北穂高岳へ向かいました。まだガスっていて、時々霧雨も降ったりしていますが、それほど悪天候にはならない予報なので、じっとしているのも退屈ですから出かけることにしたのです。

 

▲12:45。北穂南稜に付けられている登山道には何ヶ所かこのような岩場が出て来ます。

 

▲12:53。谷に溜まった霧の上に出て来ました。曇っていますが、前穂北尾根の下部が見えて来ました。(撮影:K野)

 

▲13:06。1本休憩を取りました。

 

▲13:31。鉄梯子も出て来ます。

 

▲14:32。稜線ではありませんが、縦走路登山道に出ました。

 

▲14:44。ガスの中、北穂高岳山頂です。

 

▲14:45。僕も。(撮影:K野)

 

▲14:58。北穂高小屋で美味しいコーヒーを飲みました。40年近く昔に泊まった時の雰囲気が今も漂っていました。まったく変化がない訳ありませんけれど、この食堂と椅子やテーブルの様子が僕の想い出と重なります。(撮影:K野)

 

▲14:59。最近はどこの山小屋も食事のレベルが上がっているようですが、40年前とかは北穂高小屋の食事の美味しさは有名でした。これだけ標高の高い場所にある小屋なのに、山小屋定番のカレーライスやレトルトハンバーグではなくて、手作り感のあるおかずでした。しかも連泊の客には違うメニューで出してくれていました。食堂にはいつも静かにクラシック音楽が流れていたものです。

 

▲15:34。小屋での休憩を終え、再び山頂に来ると、晴れ間から陽光が山頂に当たります。嬉しいプチ奇跡です。

 

▲15:35。僕たちだけの静かな山頂。(撮影:K野)

 

▲15:35。北穂東稜にも陽が当たっています。その向こうには屏風ノ頭。

 

▲15:44。北穂高岳山頂から少し降りて来ました。

 

▲16:00。登山道を降りて行くと、前穂北尾根のガスがほんのりと薄らいでいきます。全貌が見えるのではないかと、期待を抱かせてくれます。

 

▲16:06。少し薄っすらとガスが残っていますが、ほぼ全貌が現われました!

 

▲16:42。急な岩場を降りて行きます。(撮影:K野)

 

▲16:44。天場も見えて来ました。(撮影:K野)

▲17:03。涸沢と前穂北尾根。

 

▲19:09。この日の夕食担当は僕です。メインディッシュはロイタイのマサマンカレースープ。鶏肉や野菜などを入れて煮るだけで出来上がりです。野菜は家に残っていた野菜を切って来ました。それら全てを冷凍して持って来ました。完全に自然解凍していましたが、悪くはなっていませんでした。他には水でふやかす海藻サラダ高野豆腐でした。毎度、写真を撮るのが遅くなってしまいますね。

 

その夜は、テントの中で大いに楽しい時を過ごしました。 山の話はもちろんですが、映画やアニメや歴史やら、蜿蜒と話題は尽きません。 博識なS﨑君が場を引き締めています。

S﨑君が夜のテントの中で語っていましたが、「吉永小百合とオードリー・ヘプバーンと前穂北尾根」青年の三大憧れなんだとか。 奇妙な説ですが、不思議と納得できる主張ですね。 

その後、S﨑くんが上記の出典を教えてくれました。『日本のクラシックルート』(山と渓谷社)の中で書かれている遠藤甲太氏のコラムです。一部だけ引用します。

「吉永小百合、オードリー・ヘプバーン、前穂北尾根―――1960年代初葉、ぼくらの思春期において、彼女たち(?)は同列だった。ひとしい美への讃仰、憧憬の、はかない恋の対象にほかならなかった。」

前穂北尾根に恋い焦がれた遠藤氏自身、16歳の夏に単独登攀し、前穂高岳山頂ではあまりにも精神が高揚し、鼻血が止まらなかったそうです。残念なことに遠藤甲太氏は2020年5月に病没。享年71歳。幾多の初登記録も持つ優れたクライマーであったばかりでなく、文筆家、登山史研究者としても才能溢れる方でした。

 

僕はと言えば、前夜のアルコール禁止の呪縛が解けて、際限なしに飲み続けています。 赤ワイン、梅酒、ウイスキーを飲み続けています。

気が付くと、真夜中を過ぎていたようで、そろそろ寝ようかということに。 僕はそのまま寝てしまったみたいで、2時ころ目覚めるとシュラフに潜らずにそのまま寝ていました。