五月ですゴールデンウイークに乗り遅れてはいけないって気分で
好天の1日は花の都東京へ
先ずは電車で渋谷へ
義理の娘が働いている渋谷ヒカリエの建物見物
でも駅(東横線)から地上に出るのに地下をグルグル移動
十年いや十五年ぶり位「ここは渋谷は分かる私は誰も分かるしかしどっちへ行けばいいのか?」
地上へ辿り着いてハチ公の銅像を見つけた時は思わず「ホッ」
駅周辺何処もかしこも工事だらけ交通整理員さん聞いてヒカリエを確認
そして明治通り探し次の目的地『明治神宮』を目指す
この通りは道路幅と言い街路樹の大きさと言い「ヤッパ花の都」って感じ
でも道端の公園にはナンか薄汚い人とゴミ(これも都会の証なのか?)
そして神宮前交差点ここで左折仕事中の若いお姉さんに行き先確認
JR原宿駅に辿り着きました(ここまで順調)
その先に一の鳥居(南門)ここまでで結構汗ばんでしまったがこの先は森の中
日陰を楽しみながら進むが思った以上の人出
一見明らかな外国人も沢山いるがビックリするのは
日本人だと思っていると突然ここは養鶏場かって勘違いしそうなケタタマシイのがモット沢山
これ献上品のワイン樽
何とものん兵衛なこと・・・
本殿まではず~っとこんなニギヤカナ調子
ホントに場違いな観光客
金にさえなれば何でも御座れの姿勢
ヤッパリこの国は変
馴染めないこっちが変なのかナ~
これ自慢の大鳥居
高さ12m幅17.6m柱の太さ1.2mですってさ
夫婦楠と本殿
本殿から先西参道へ入ると歩く人もぐっと減り
森の中木漏れ日のさす道を楽しめました
そして宝物殿前の芝生広場で冷めた身体に15分ほど暖をとり休憩
最後は北参道入口から雑踏の下界へ
次は3歳か4歳頃中耳炎の手術を受けたと聞いている旧鉄道病院(現JR東京総合病院)へ
記憶には病院の屋上から新宿駅が眺められたこと(終戦直後で焼け野原だった為)
外国映画などに出てくる檻のようなエレベターに乗せられたこと
父親が見舞に来るのを待ちきれずに暑い陽ざしのなか駅に向かってトボトボ歩いたこと
結局この日は祭日の為病院はお休みだったので・・・・
そう70年近くも昔のことですからネ~
病院から新宿駅まで歩きましたが500メートル弱
見通しが効いた当時であれば幼児でも可能か?
でも駅に辿り着く前に出勤途中の看護婦さんに拾われたって聞いてます
ここで4月にオープンした地方への路線バスの発着所のビル(JR新宿ミライナタワー)へ
ニュースで聞いた時新宿の何処って思っていましたが納得
JRの線路の上空などここなら鉄道事業者の知恵の使い方次第
取りあえず下から屋上まで立入可能なところは見せて頂きました
線路の上の公園広場のようなスペースはボ~と時間を過ごすには絶好の場所
何とか甲州街道を見下ろせる所は無いかってあっちこっちウロウロ
最後は具体的計画も煮詰まらないうちに素早く取り壊されてしまった国立競技場を目指す
途中メーデーの行進を見かけるそう言えば大昔組合の動員で参加したことがあったっけ
50年近い昔のこっとでした・・・・・
千駄ヶ谷の駅を左に見て進むと右に東京体育館
そして右側は「アッあの重厚な見上げるばかりの建物はなく」
仮囲いの中は・・・・・・・・・
全体が見やすい東京体育館の東側敷地内へ
そこからはただ意味なく壊されたとしか言いようのない競技場跡地
何たって我がデジカメでは一画面に収まりきらないほど広いのですぞ
ひとり眺めていたら不満が出てくる出てくる
①東日本震災復興を後回しにするがごとき事業の競合
②特に福島の原発事故収束の具体的ビジョンすら持たない現状(安全安心の言葉ばかり)
④新国立競技場の白紙撤回
⑤エンブレム問題
⑥競技施設の変更や見直しなど続出
⑦都知事の海外への大名視察
⑧次から次へと噴出するトラブルの当事者たちの責任感の無さ
こんな出鱈目な事業これから着手する訳で一体どの位のお金がかかるのか?
今年オリンピック開催予定のブラジルでは政治問題化してゴタゴタしていますが他人事とは言っていられないのでは?
世界最悪の地震列島あちこちでの災害発生と無責任な政治屋さん達国を滅ぼすようなことにならなければよいのですがネ~。
ゴールデンウイーク前半最後はグチグチになってしまいました。
後半は幸せ探しにまた別の東京へ行ってみましょうかね。
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