治安維持法⑥ 獄死した若きプロレタリア詩人陀田勘助(だだ かんすけ)
参照 「日本プロレタリア文学集・38 プロレタリア詩集(一)」新日本出版社
1902年栃木県に生まれ開成中学中退、1923年松本淳三らと『鎖』を創刊。のちに本名の山本忠平として熱心な労働運動活動家となり数々のストライキに駆け付ける。この間一切詩は書いていない。1928年日本共産党に入党、検挙。1931年8月22日豊多摩刑務所でなぞの獄死を遂げる。当局は陀田の自殺と発表したが、多くの仲間たちは信じなかった。小林多喜二に先立つ虐殺説が根強い。享年30歳。
【陀田勘助作品】
ある日
砂糖のような安逸が
おれの感覚をにぶらしている
鍋底で倦怠だ! 憂鬱だ! と小声でつぶやいている
若い熱情が下駄の歯のようにすりへりそうだ
残火が火消壺で喘いでいる
短気な意志が放心した心臓をつかんでいる
そいつは滓かすだ
おれの食慾がめしを喰ってる
おれの性慾が女を恋しようとしている
オブロモフ! オブロモフ! オブロモフ!
倦怠をつぶやきながらも安逸は砂糖のように甘い
憂鬱の霧を逃れようともしないでおれはうずくまっている
だがそこを突きぬけようとする意志!
沈頽した牢獄に投げられた
やり場のない憤怒!
内抗する病菌だ!
月蝕だ!
月蝕だ!
熱情がむしばまれようとしている
月蝕が煙突の上にはいのぼる
(『鎖』1923年6月創刊号に発表 1963年8月国文社刊『陀田勘助詩集』を底本)
手をさし延べよう!
食慾が針のように
空らっぽの胃を刺激する
かつての日の満腹は夢のようだ
生きるために食うのか?
食うために生きるのか?
どちらでもいい ここで議論は胃を満たさない
おれたちは飢え渇えている
凧! 糸の切れた凧だ!
生存が切断される 同志よ
おれたちは要求する 一握のめしを! 麺麭パンを!
おれたちは食物を乞うのでない
生きてるゆえに 飢え渇えている者の要求だ
おれたちは団結しよう! 生存を脅かされている同志よ
力は団結の上に!
生産者は飢え貧困は骨を肉をそいでいる
搾取者は満腹し豚のように喘いでいる
飢えたる同志よ 要求しよう 俺達の生存を!
反抗し 幕をたたっきれ!
鎖を! 重い鍵を!
覆える白き手を!
自動車の爆音が
美装した貴婦人の着物が 指環が
おれたちの頭上で舞踏している
ダンス・マカーブル、……グルルル……
ロンド!
その足踏が!
おれたちの胃の腑を空らっぽにしたんだ
慾望が忍従を棄てて生長した
燃える食慾 空らっぽの胃の腑は夢をみる
何?……何!
団結! その力の勝利!
おれたちの手に麺麭!
誰から? おれたちの握り合った手だ
神 僧侶 寺院 政府 資本家
そいつらからめしが麺麭が来たか?
いや、おれたちの手で おれたちの力で
同志よ! 掠奪された麺麭を握ろう
恩恵の一滴は過去の夢だ
慈善の報告が誇らかに巷に伝わっている
だが
ああ 日々おれたちは食慾に追跡されて
空らっぽの胃をたずさえて都会の街路を彷徨する
無数の慈善院 養老院 孤児院 施設病院
そいつらは高い看板を都会から始って地方に立てている
搾取者の寄付金か? くそ!
いかめしい施療病院の煩雑な規則に
貧しい病人が殺されているんだ
敗残者の手が橋の上で食物を乞うている
疲れ 餓えた老人と子供の目が
芥箱ごみばこを探り 街路にうつむいている
工場で蒼白い女工が死んだ 男工の自殺だ
かれらの遺族がヒステリックに泣いている
都会へ密集した田舎の失業者は
狼――人夫請負業者に遠い北海道の雪の中に虐殺されている
無宿者は公園の露台の上に!
そのむさぼる夢は警官の剣に脅えている
肥った人は肥ってゆき
瘠せた人は死んでゆく
この対照 この事実!
ああ食慾は針のようだ
食物を求めて開いたおれたちの口は塞がらない
満腹の期待は空しく裏切られて 空腹だ
餓えた胃は食物をかつ望する
旱魃の[#「旱魃の」は底本では「早魃の」]土地は水分を期待する
おお あの倉庫には食料品が充満している
路傍の商店には食物が陳列されている
だがおれたちは日々に餓えている
餓えたる同志よ! 団結だ! 生存の主張だ
団結こそ力の原動力だ
無数のおれたちの手をさし延べて倉庫に積まれた食料を握ろう
(『鎖』1923年7月号に発表 『陀田勘助詩集』を底本)
断片
(ノスケ万歳!
プロレタリアは武装を解かれた
――ゲオルグ・グロッス――)
むくれあがった傷口から白い蛆虫は這い出した
蠅は飛び出した小腸を喰べている
風が吹く
転がっている銃殺死体!
ほんとうに射撃された心臓は歪んでいた
兵隊の靴の音は飢えた群衆の中から
ピストル!
奴らの銃剣は!
切断された太陽の注ぐ光の下にひかり
おれらの脳髄を 心臓を指さしている
掘立小屋から瘠せ細った手
充血した瞳は考えている
バラバラになったかれらの死骸!
風が吹く
蠅が飛ぶ
生ぐさい草いきれ
――奴らは爆弾を持っていたんだ
――ゆうべ 小銃の音が!
――どこに爆弾が!
――ビラがはってある
歩哨の肩はひろく 勝ちほこっている
だれが殺されたんだ
奴らさ!
*******
放心した群衆の足は不安にうろついている
何処へ行こう!
風が吹く
蠅が飛ぶ
転がっている銃殺死体!
粉微塵の頭蓋骨!
死体になってかれらの瞳は一点をみつめている
飛び散っている手!
おれは知っている
太陽は切断された
萎しなびた心臓の傷は真赤にひかる。
(『無産詩人』1924年7月創刊号に発表 『陀田勘助詩集』を底本)
たんぽぽとおれの感傷
春の訪れをまっ先に知らせてくれた
黄色に輝くたんぽぽの花よ、
いま恍惚と夢見るように
まっしろな球形の頭を微風になびかして
音もなくふっわりと羽蟻のごとく飛びゆく数々の種子は
青空の彼方へ
飛び行く種子よ!
周囲に呻吟するおれの希望を、思想を
雁のごとく伝波せよ
そして来たるべき春に
雨・風・嵐に打ち勝って
工場の屋根に、野原に、ビルディングの窓に
鮮やかな黄色な花を開け!
(獄中から鶴巻盛一宛書簡1930年5月14日付 『陀田勘助詩集』を底本)
二人の子持ちになった労働者のおッ母あに贈る
子持ちとなった労働者のおッ母あよ!
数万の大軍を率いてアルプスの険を突破した若いナポレオンには不可能がなかった。
エルバの孤島で不可能の浪に弄もてあそばれつつさびしく憤死した
だがプロレタリアートには不可能がない
労働者のおッ母あが絶えず子供を生んで育てているから
――乳をのませ、めしを喰わせ、おしめを洗い、内職をして親父を元気づける
労働者のおッ母あはこの上なく忙しい
――合理化の中の機械のように
過労の疲れから失望するな!
日一日とプロレタリアートの子供は力強く生長しているんだ!
労働者のおッ母あが子供を持ったと聞いたとき
牢獄に投げ込まれているおれは
骨を削られるような苦しさを想像しつつも新しい力を加えられた
二人の子供を持った労働者のおッ母あよ!
おれは元気で失望しない
地球がまるく、太陽の周囲で楕円形の弧を描きつつ有限の宇宙を進行している限り
おれは日一日と希望を喰って失望を便器の中に投げ込んでいる
(獄中から松田解子宛書簡1931年1月28日付 『戦旗』1931年9月号に発表 『陀田勘助詩集』を底本)
おれの飛行船
おれは白蟻のように噛み切ることはできない
おれは飛行機のように軽快に空を飛ぶことはできない
だが脳髄の中の空間に飛行船を遊歩させることはできる
現在の頁を空白に削りとられた者の前には
明日の希望が堂々と逍遥し始める
のぞき窓からのぞき込む鋭い二つの目も
希望の青空を漂泊するおれの飛行船を
のぞき得ないし、捕らえ得ないし、投獄し得ない。
おれの希望の青空に昇るのは
工場の烟突と凍え飢えた野良にかがやく太陽だ
(獄中から大沼渉宛書簡1931年2月4日付 『陀田勘助詩集』を底本)
春がふたたび牢獄にやってきた!
牢獄の春はふたたびおれの上にやってきた!
一年以前、この赤煉瓦の建物の中に投げ込まれたときには
あのトルコの王様の退屈を慰めたというアラビアンナイトの人喰鬼の宮殿のように
おれにはこの巨大な赤煉瓦の沈黙した建物は摩訶不思議なものであった。
だが 一年の月日は流れ去り、
春風の中を自由に軽快に飛行機の飛ぶ二度目の春がきた今日!
そして、奇蹟や素晴しい精神では何事も解決つかない今日!
相変らず灰色のコンクリートの壁に包囲されているが、おれの前には、一沫の不思議も存在しない!
コンクリートの廊下に響く靴音も、麦飯を運ぶ車の音も、それは毎日の平凡な出来事となった!
そして、把むことのできない世の中の激しい変化は、ただ脳髄の中で考えるだけだ!
しかし、おれにとって、把み、見ることのできない彼方の世界こそ思惟する土台であり、神を質に入れても触れてみたいものだ
春が、春がふたたび牢獄にもやってきた
(獄中から山本喜三郎宛書簡1931年3月7日付 『陀田勘助詩集』を底本)
全体の一人
独房の中にたった独りでいるおれは決して孤立したものでない
全体の中の部分だ!
おれはどこから生れてき、また何を背負っているか!
両親のまた両親とおれの系統をたどってゆくとき、
おれの前には数万人の祖先が立っている
独房の中にいるたった独りのおれの身体は数万人の祖先の血と肉で組織されているのだ
そして、物質の組織――神経系統に花咲いた精神も、それゆえに数万人の――いやもっともっと多数の知識の集積と結論できよう!
たったひとりのおれでさえ永いながいそして複雑な歴史の結果であり将来の原因となり得るのだ
たったひとり独房の中で考えているおれでも
全体の中の部分だ!
だがこの推理は至って抽象的で、おれのすべての現実でないのだ!
おれは投獄されたプロレタリアートの一人だ!
ここからあらゆる思索を出発させなければならない
おれの前に確乎として峙立つコンクリートの壁!
ここからあらゆる思索を出発させなければならない
おれの前に確乎として峙立つコンクリートの壁!
このかなたにある
複雑きわまる対立をもつ全体の中の部分だ!
(獄中から松田解子宛書簡1931年3月19日付 『陀田勘助詩集』を底本)
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陀田勘助作品(青空文庫)
https://yozora.main.jp/cgi-bin/inp/kokai.cgi?p=001624
(次回予定)
暴虐の嵐! 治安維持法「検挙者数」