写真上1・2枚目・京成電車ストライキで労働者を弾圧・検束する官憲(1926.4)
3枚目・ストライキに立ち上がった京成電車の運転手と車掌(1926.4)
京成電車争議 1926年の労働争議 (読書メモ)
参照「協調会史料」
―京成電車争議沿線住民に支援を訴える地域ビラ—
京成電車の争議について
沿線の住民諸君に訴ふ
(略)京成電気軌道株式会社の社長本多貞次郎はもともとスカンピンから今や数百万の財産を擁し、政友本党の会計監督の地位にまで至っている。一方比例なき高い電車賃と電燈料金と京成で働く労働者は10数時間の労働を強い、驚くなかれ日給1円40銭也であるという冷酷の限りをもってしている。・・・
今や我々は正義が勝つか・・・邪が勝つか! の岐路に立っている。
・・・我々は正義の赤旗を捧げて共に叡れて後止むの意気をもって進む覚悟を決めた。親愛なる住民諸君! 我々の正義が勝利を占める為には諸君の声援を待つところ甚だ大である。正義の為にあらゆる援助を惜しまざることを。
市電自治会京成支部争議団
大正十五年三月十二日
(京成電車軌道株式会社)
1926年1月18日 東京市電従業員自治会(東京交通労組の前身)は京成電気軌道株式会社(京成電車) の社長*本多貞次郎宅のある千葉市川町において、「東京市電従業員自治会京成支部」の発会式を挙行した。会社側は狼狽した。会社は御用団体「親和会」を組織しつつ、組合切り崩しに全力を注いだ。
*本多貞次郎
京成電気軌道株式会社(京成電車) の社長本多貞次郎(立権政友会議員、のち市川町町長、民政党相談役、東京商工会議所代表、1930年には「労働組合法案反対」で政府、両院に陳情)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E8%B2%9E%E6%AC%A1%E9%83%8E
3月8日 一人の京成支部員と親和会員が職場で喧嘩をした。会社はこの京成支部員に辞職勧告をしてきたが、支部員はこれを拒否した。会社は京成支部員に書留郵便で解雇通知をしてきた。続いて3月11日、市電従業員自治会京成支部の幹部2名に突然遠方の群馬県渡良瀬水力電気株式会社への転勤命令をだしてきた。3月22日にも連続して3名の京成支部の組合員を解雇してきた。露骨な京成支部(労働組合)つぶし攻撃だった。
3月11日 京成支部約80名は京成線高砂で従業員大会を開催し、会社の不当解雇、不当配転などの組合切り崩し攻撃に対し、あくまで闘うことを決意した。また東京市電従業員自治会と京成支部は争議団本部を葛飾奥戸に設置し、連日非番労働者と応援部隊が集合し、炊き出しを行い参加者にふるまった。
東京市電従業員自治会の方針
一、毎日非番者を総動員して京成支部を応援すること
一、会社に抗議決議文を提出する
3月17日 京成支部は、解雇問題は一時保留扱いとし、待遇改善に力を入れる新たな要求書提出を決定。
嘆願書
(運輸課の嘆願書)
一、日本交通総連盟市電従業員自治会京成支部の承認
一、日給増額(精勤賞及び執務手当を本給に繰り入れ現日給の2割増額)
一、退職手当の増額
一、物日割増制度の制定(大晦日・正月三ヶ日など日給の10割増の支給)
一、夏季及び花見時の手当支給(日給の5割増の支給)
一、休暇券支給(3ヵ月精勤者に2日間の賞与休暇を与えよ)
一、軍務召集は日給支給
一、宿直手当増額
一、外套支給(今までは2カ年勤続者、今後は一年勤続者から支給せよ)
一、パンタグラフの改良
(信号人の嘆願書)
一、日給増額
一、乗務者待遇の改善(従来は乗務待遇となるには3ヶ年、今後は2ヶ年にせよ)
一、公休日支給(月2回の休暇券の発行)
一、賞与の増額(乗務員と同等の日数で支給すること)
一、退職手当も乗務員と同等の日数で支給すること
一、公出手当10割支給
一、服装の改善
(工務課の嘆願書)
一、日本交通総連盟市電従業員自治会京成支部の承認
一、日給増額
一、昇給を年2回
一、公休日を運輸課と同日
一、休暇券の発行(運輸課と同等に)
一、賞与を運輸課と同等に
一、退職手当を運輸課と同等に
一、出張旅費・宿泊料の増額
一、軍務召集は運輸課と同等な日給支給
一、被服の改善(外套を年1回支給し、運輸課と同質に)
一、花見時季等の警戒手当支給
一、工具改善
(電話交換手の嘆願書)
一、待遇改善(出札係より1割5分の増額をすること)
一、昼間は日勤者一人を増員すること
大正十五年三月
京成電気軌道株式会社運輸・工務一同
3月18日 京成支部は、会社に要求書を提出したが、会社は京成支部の要求書は頑として受理しない、京成電車従業員一同であるならばと課長個人が受けとった形にしてきた。京成支部は、全職場でサボタージュ闘争に入った。午後7時より約100名で従業員大会を開催した。
(会社)
3月20日 会社は本多社長以下重役会議を開き、共済組合から京成支部員を全員除名にすれば京成支部は生活苦で自然消滅するなどと組合切り崩し策を練った。あらためて会社は労働者の要求をすべて拒絶することを決定し、更に組合内強硬分子を解雇する方針を固めた。
3月22日 小松川警察は京成支部に介入を開始し、組合員を検束し厳重な取り調べをはじめた。
3月23日 会社は京成支部の一人の労働者が病気の為8日間欠勤したことを理由に、又もう一人の労働者が3日間の無断欠勤をしたとでっち上げて懲戒解雇にしてきた。一方で御用団体親和会の会員に対しては、多額な手当を支給するなど優遇する一層卑劣な手段をとってきた。
(市電自治会の決議)
3月23日 東京市電従業員自治会は以下の決議をした
決議
今回京成電車軌道株式会社の行った四名の不当解雇は明らかに組合切り崩しの陰謀であり、我が市電自治会に対する挑戦と認む。我らは尚今回京成支部において提出した待遇改善に対し会社が誠意を披歴せざる限り市電自治会全部を挙げて徹底的抗戦をする事を期す。
右決議す
市電自治会中央委員会
大正十五年三月二十三日
(会社糾弾演説会)
3月24日 京成線四つ木において会社糾弾演説会を500名で開催した。沿線地域住民も多数参加し会場は立錐の余地がなかった。22名の弁士が次々と壇上に立ち熱い演説をした。不当にも官憲は弁士二人に「弁士中止」を命じて弾圧を強めてきた。
3月26日 市電自治会は各支部を動員し千葉市川の本多社長宅に向かおうと行進をはじめたが、途中の押上で本所向島警察隊の部隊によって阻止された。
3月27日 市電自治会と京成支部争議団は、「京成電車の争議について 沿線の住民諸君に訴ふ」と題したビラを沿線住民に1万5千枚配布した。
3月28日 京成電気軌道会社従業員一同の名で会社に新たに「3月31日までに回答すべし」と要求した。その日の午後11時より争議団本部において京成支部争議団による従業員総会を開催した。
方針
一、3月30日の安全デーを機に「同盟怠業(サボタージュ闘争)」に入る
一、沿線住民への宣伝ビラの一層の配布
一、親和会会員宅への個別訪問を行う
3月29日 東京市電自治会中央委員会の開催
方針
一、自治会本部を京成電車会社付近に移転する
一、第一回争議闘争資金として、市電自治会各支部の全員から一人30銭を臨時徴収し、約4千円を確保する
一、争議団本部との連絡委員を各支部より一名選出すること
一、(官憲の弾圧対策として、)第一、二、三線の争議団指導部を選出する
(島上善五郎)
3月30日 自治会本部の幹部島上善五郎らは高砂駅の休憩室に潜行し、休憩中の労働者に向けて激励演説を行った。会社はサボタージュ闘争(同盟怠業)対策として、親和会を動員し、始発より各電車に数名の監視者を乗車させ厳重なる監視・警戒を敷いた。その結果京成支部争議団員の4名にサボタージュ闘争を行ったとして出勤停止命令を出し、更に2名を解雇してきた。
(スト決議)
3月31日 争議団本部で約150名が徹夜で協議した結果、「4月1日より185名全員の一斉スト決行」を決める。
一、4月1日の帝釈天の祭りを利用し、全面ストライキを決行する
一、この日、市電自治会は各支部を総動員して大々的な示威行動を行う
(スト決行)
4月1日 185名がストライキに突入した。京成電車運転手20名、車掌22名、信号手23名、軌道工夫120名総数185名のストライキ決起だ。市電自治会などの応援部隊約400名は押上、両国、曳舟、向島等の電車停留所において示威行動を行ったが、これに対して、官憲は大量部隊で厳重な示威行動阻止の弾圧を加え、寺島警察署が労働者40名を不当検束した。午後6時、争議団本部に約400名の応援部隊が結集した。
会社はスト参加者185名全員の即時解雇を決めたが、労働者の怒りの爆発を怖れてこの日は出勤停止だけを命じてきた。
(応援部隊)
4月3日 1日からのストライキに市電自治会各支部250名と東京合同労働組合、出版労働組合、純労働者組合、関東金属労働組合など約350名が応援のため押しかけた。その夜、約100名が重役私宅をに押しかけて「争議円満解決」を要求した。一方約200名は徒歩で千葉市川町の本多社長宅に向かおうと出発し、江戸川橋を渡ろうとしたが、所轄警察官部隊により阻止された。
4月5日 争議団本部前にはかつてない程多数の応援部隊が続々と集結した。市電自治会約400名の他に日本労働総同盟も駆けつけた。友好労組などその数は500名を越えた。
(全員解雇)
4月5日 午後6時、会社が書留郵便で147名に一斉解雇通知を発送したと伝わるや憤激した約300名が重役私宅に押し寄せたが、途中警官隊に阻止された。解雇者147名(運転手19名、車掌23名、電路工夫28名、軌道工夫37名、雑役夫25名、信号手4名、車両工6名、工務5名)。
会社の大株主の一人が調停者として登場。社長は「ひとまず罷業労働者全員を解雇するが、その後改めて復職させる」と内ち明ける。
(持久戦の覚悟)
4月6日 争議団本部に約450名が集合、演説、労働歌を高唱。争議団は持久戦を覚悟する。争議団代表団が本多社長と面会し全員解雇に徹底抗議した。その最中約60名が「社長交渉を傍聴させろ」と叫びつつ、社長室前の廊下にまで押し寄せ所轄警官隊とぶつかり大騒ぎになった。一人が検束された。
同日、関東労働組合会議懇談会が開催され、京成電車争議支援の緊急動議を満場一致で採択した。
4月7日 争議団本部前に約400名が集結。
(千名の大結集)
4月8日 労資交渉と会社回答の日。争議団本部前には、京成支部争議団、自治会各支部、関東地方評議会、東京合同労組、機械労働組合聯合会、日本労働総同盟、官業労働総同盟、江東自由労働者組合など評議会系も総同盟系も、そしてアナ系も総計1000名もが大結集した。
(妥協反対の労働者の決起と弾圧)
4月8日 労資交渉が開かれている建物の外では妥協に反対し、持久戦で断じて闘い続ける事を主張する京成支部内の労働者と応援部隊約100名が集結した。小松川警察が弾圧に入り、この場で労働者3名が検束された。
午前10時頃から京成支部と応援労働者約200名が業平町市電自動車裏空き地に集結した。午前11時、江東自由労働者組合、黒旗社などアナ系の団体の三つの旗を先頭に、喚声をあげつつ労資交渉中の会社事務所の中に押しよせた。所轄本所向島警察の弾圧でその場で20名が検束(上写真)された。
午後1時、評議会の東京合同労働組合員多数が押上から電車に乗車し、車中で熱烈なスト支援の演説をはじめた。官憲が東京合同労組組合員7名を次々に検束した。
(労資交渉開始)
4月8日 労資交渉が開始された。争議団交渉委員より「第三者の公平なる判断を求める為、各新聞社記者と所轄警察署長を立合人としたい」と申し入れたが、会社は新聞記者の立ち合いは拒絶し、警察署長の立ち合いには同意したが所轄本所向島警察署長は立会を拒絶した。
交渉の結果以下の妥協(協定)の合意が成立した。
一、待遇改善は3ヵ月の間に改善するとの重役の声明を信頼する
二、会社は金壱万円を支給する
三、自治会は京成従業員に対し、今後入会の勧誘はしないこと
四、自治会京成支部は即時に解散すること、同時に親和会も即時解散する
五、4月1日から休業した行為について、会社に謝罪状を提出すること
六、147人の解雇者は全員4月10日より復職する(秘密条項)
七、右解雇者以外の解雇者は会社において極力就職先を斡旋する(秘密条項)
八、10日間の欠勤者(スト?)に昇給賞与の差別はしない(附帯条件)
九、元自治会員と元親和会の待遇差別はしない(附帯条件)
十、転勤命令を取り消す(附帯条件)
(自治会中央委員会協議)
4月8日 午後4時半から、京成支部事務所において東京市電自治会中央委員会を開き、妥協(協定)を受け入れるか反対、賛成両派が約2時間に渡り激論した。妥協反対派はあくまで持久戦で闘い続けることを主張したが、最後には自治会中央委員会として妥協(協定)を承認することと決した。
4月9日 争議団と自治会京成支部は解散した。
4月10日 高砂停留所で正午から全員の入場式。自治会幹部と各支部員約80名が見送った。
4月11日 147名全員が就業につく。
(拘留処分)
自治会中央委員会は弁護士布施辰治に、いまだ検挙・拘束されている労働者20名の弁護を依頼した。4月9日、20名に拘留処分25日間が出された。