上、赤欄会大講演会 女社会主義(1921.4.12東京朝日新聞)
下左、1921年5月1日メーデー警官に挟まれ毅然とデモをする赤瀾会員橋浦はる子(読売新聞5月2日記事)
下右、赤瀾会旗、R(レッド)とW(ウエイブス)をデザイン
(Rは共産主義、Wはwavesの「波、押し寄せる、運動、攻撃」の意)
1921年の女性労働者 (読書メモ―「日本労働年鑑」第3集 大原社研編)
女性労働者
1、1921年女性労働者の主な闘い
①ストライキ
2月27日 市川紡績(山梨)百数十人が解雇され退職手当要求
4月28日 合同紡績(大阪)、150人夜業廃止による賃下げとなりスト
4月28日 日出紡績(姫路)、150人の朝鮮人女性労働者が、日本と朝鮮人女性労働者との間の賃金差別に怒りスト
7月19日 大日本紡績大和田工場(大阪)、200人賃上要求(160人解雇敗北)
7月28日 東京砲兵工廠麦稈(むぎわら)工場、1000人工場閉鎖で騒動
8月13日 東洋紡西成工場、741人賃上要求~8.15スト(22人解雇、敗北)
8月16日 大阪毛織会社、700人賃上スト(12%の賃上勝ち取り妥結)
8月22日 山十組製糸(福岡)、890人賃上スト(妥結)
8月- 岡山県藤田農場争議~27年まで続いた
9月7日 片倉製糸(下伊那郡)416人女工、スト
9月16日 大分紡績会社、2500人手当要求
12月13日 日本織布会社(愛媛宇和島市)、400人解雇反対でサボタージュ闘争
②社会主義女性団体<赤瀾会>の結成
「私たちは私たちの兄弟姉妹を窮乏と無智と隷属とに沈淪せしめたる一切の圧制に対して断固として宣戦を布告するものであります」
1921年4月24日、日本最初の社会主義女性団体<赤瀾会>が結成された。山川菊栄、伊藤野枝ら42名で、世話人は、久津見房子、堺真柄、秋月静枝、橋浦はる子の4名。
(メーデーと赤瀾会の闘い)
5月1日メーデーの大デモ隊が日比谷にさしかかるや路上にいた赤瀾会メンバー10数名が、突如会旗をひるがえしつつデモ隊の中央に参加し、赤色の紙に印刷した「婦人に檄す」なるビラを大々的に撒き、大いに気勢を上げた。たちまち警官が赤瀾会員約10名を検束し、秋月静枝、中名生いね子二人は東京監獄に収監された。
2、1921年女性労働者の状態
(1)長野県下の女性労働者の疾病検査
(長野県は製糸業が盛んで、製糸女性労働者の数も全国一位)
1920年(大正9年)健康診断施行工場数と労働者数
工場 423
労働者 80,789
病気別 女性 男性
結核病 50 3
脚気病 122 8
心臓病 238 12
トラホーム 1,111 103
その他目の疾患 164 12
肋膜炎 82 5
その他呼吸器病 358 26
消化器病 604 40
ロイマチス 37
生殖器病 48 1
皮膚病 60 3
感冐 186 10
その他 296 26
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合計 3,356 249
(2)長野県諏訪製糸女性労働者の年齢
(長野県諏訪郡平野村器械製糸工場の女性労働者19,301人の調査)
12歳 30人
13歳 840人
14歳 786人
15歳 2062人
16歳 2113人
17歳 2062人
18歳 2074人
19歳 2242人
20歳 1754人
21歳 1362人
22歳 1078人
23歳 825人
24歳 545人
25歳 396人
26歳 208人
27歳 173人
28歳 108人
29歳 89人
30歳 102人
31歳 51人
・
・
41歳 18人
3、過酷な「芸娼妓」の実態
鹿児島県府中町警察署長よりの忠告
①毎月1日の公休日を定めること(月に一度の休みすらない)
②公休日には自由に外出を許可すること(外出の自由すらない)
③毎月の揚代金の八分を与え、半額は貯金する事
④5圓以上の借金は警察署の許可を得なければ貸さない事
各楼主と警察署長の協議の結果、2月1日から上記が実施された。
島根県下14歳未満の少女の「芸妓・酌婦」禁止の協定締結
島根県警察部は義務教育未了の14歳未満の少女を「芸妓・酌婦」として使用することを禁じた。