印象的だった過去(1927年迄)のガラス工場労働争議の抜粋
1927年の労働争議(読書メモ)
*感想 !
1923年旭硝子牧山工場争議の記述の中で、会社に言われて最初はスト破りにきた父兄たちが子供たちの話をきいて逆に争議に味方する。立場を変える。このくだりを見つけた時はうれしかったです。私達が大久保製壜闘争で経験した全く同じ場面がここにあったからです !。1975年のキリスト教会ろう城闘争の時、こん棒などで武装した御用組合幹部たちが団体交渉をしている亀戸労政事務所を取り巻く一方で、会社は知的障害者組合員の東北の田舎の多くの父兄を会社に呼びつけます。父兄たちは労政事務所や日本基督教団堀切教会礼拝堂に押しかけ無理やり子供たちを連れ去ろうとします。しかし、組合員の必死な訴えを聞いた父兄は涙を流し、また子供たちの真剣な闘いを直接見て、最後には頑張ってくださいと言い残し全員田舎に帰っていきました。父兄たちは立場を変えたのです。会社の卑怯な目論見は完全に失敗しました。キリスト教会ろう城闘争の勝利に大きく近づいた瞬間でした。戦前の女工哀史・紡績女性労働者のストライキでも、会社側が田舎の親を呼び出し、親たちが娘を無理やり拉致同然に田舎に連れ出す場面は当たり前のように出てきます。日本中の会社側のスト攻撃の常套手段だったことがわかります。親を使う! 戦後も多くの労働争議の現場で良く聞く話です。(会社の圧力もありますが、親自身が先に忖度して労働組合運動や争議から手を引けと率先してやってくる場合も多そうです。)
それにしても100年も前の資本家のスト破りのやり方を現代の資本家や親たちも今でも忠実にやってきているのですね。
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/683481e579e238f50e80f1e5878ea91c
1919年の大阪製壜所、200名ストライキで勝利
9月4日大阪北区大阪製壜所労働者200名は連署して賃上げ3割増を要求した。しかし、会社は頑強に賃上げを拒否してきたため、労働者側は6日ついに同盟して全員で辞表を叩きつけた。あわてた会社は即座に1割5分の賃上げを回答をしてきた。労働者側はこれを受け入れ7日から全員復職した。
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/4ec7c4d9bf3caaf8341d388abb08d433
100年前の先輩ガラス工、製壜工のビラ
1923年の大阪製壜所争議団のビラです。
〈焼け付くような熱火の前で汗を流して皆が骨と皮になるまで親方に搾(しぼ)り取られたのだ〉
〈不景気だ、そら機械ができたという調子でいつ首が飛ぶかわからない。〉
現代の、今の製壜現場、ガラス製造現場そのものではないか。
〈不安でならないので私たちは色々考えた。そして弱い私たちも団結すれば力ができる事を知った。すなわちガラス労働組合を設立したのです。〉
そうなのです。99年前も今も働く労働者は団結すれば力を持てるのです。
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/65ef0462ec1bd683dd5a988f98d4d8c2
1923年の旭硝子牧山工場(三菱資本)争議
(父兄が味方に!)
〈しかし事態は会社の汚らしい狙いとは正反対に動いた。会社の卑劣な脅迫手紙で驚いて駆け付けた父兄たちは会社に来て息子と会うやいなや、実際は会社の言い分とは真逆な事実であることを知り、なんと争議団の側についたのだ。12日父兄と労働者120名は会社を相手取り、毀損罪等で小倉検事局に告訴したのだ。また12月25日農民組合は会社が販売している肥料を全国の農民あげて不買運動を起こすと声明し、白米50俵を争議団にカンパした。水平社も争議団の応援をはじめた。父兄の決起と農民、水平社の支援で争議団の気勢が一層あがった〉。
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/683481e579e238f50e80f1e5878ea91c
1926年 「文句があるなら会社をやめろ」と脅す横暴監督をストで職場から放逐! 旭硝子牧山工場ガラス労働者の決起
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/f4fc530c1b0db6797ced87c8aa3f603e
1926年11月東京ガラス工組合発会式
朝鮮人労働者との団結を強調した東京硝子(ガラス)工組合結成大会 1926年の労働運動(読書メモ)
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/5d00b518f3bfe4a9a355b2b5d41a20e7
(1927年の島田硝子工場争議などの報告は次回からの予定)