*木履(ぽっくり、ぼくり、下駄の類)
組合結成よりストライキが先だった広島松永町の木履工場1千名争議 1924年主要な労働争議⑰ (読書メモ)
参照 「日本労働年鑑」第6集/1925年 大原社研編
広島県松永町の木履工場労働者約1千名のストライキ
1924年6月、木履製造同業組合は、昨年の震災後木履の需要が激増し工賃も1割値上げしたが、その後の復興により、事業は閉散となったことを理由に6月10日より工賃(一足18銭)を1割値下げすると決定し、それぞれの工場主から労働者に通告した。労働者は不当だとし日本労働総同盟に助けを求めた。総同盟から金正米吉ら3名が来松し、ついに11日より約1千名の木履製造労働者が一斉にストライキに突入した。
12日、工場主側が頑として労働者の要求を拒絶したので、労働者側は大示威行動を繰り広げ、松永町は上を下への大騒動となった。
14日、争議団は末広座で業者糾弾の演説会を開催し気勢を挙げた。
15日、示威行動をする労働者側に官憲が解散を命じたため、抗議する労働者は警官隊と衝突し大格闘となり、4名がその場で検束され、更に12名が争議団本部で検束された。17日、労資双方は無条件で握手することとなり、工賃は5分値下げで折り合いがつき、19日から一斉に就業した。
この争議で労働組合の必要を痛感した木履製造の労働者側は、労働組合を結成することを決め、日本労働総同盟松永支部とした。
(〈広島県史年表(大正) 1913 年(大正 2)~1926 年(大正 15)〉に、広島松永町の木履工場労働者のストライキ等の記述を見つけました。https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/nenpyou/nenpyou-taisyou.pdf
1923年
4月21日沼隈郡松永町の木履工,工賃値上げを要求しストライキ。24日解決。25日ふたたびストライキ。26日解決
1924年
5月12日 松永労働組合発会式挙行。木履工等 700 人出席
6月11日 松永労働組合,同業組合の工賃 1 割値下げに反対し 12 工場, 1000 人がストライキ突入
6月15日 デモで警官隊と衝突。 17日 5 分値下げで妥結
とありますので、1923年のスト時は労働組合はまだなく、1924年は労働組合結成の方が先ともとれます。)