(写真)
ポスター(上)ファシスト労組 東電愛国同盟本部「日本精神の宣揚」「天皇政治の徹底へ!」1935.12.11
ポスター(中)ファシスト労組 中部労働聯盟「非国民存在を撲滅せよ!」1935.10.9
ポスター(下)葬れ! 松谷与二郎 労働者農民無産市民の裏切者(ファッショ撃破同盟)1931年
治安維持法⑨ 転向思想史年表 (読書メモ)
参照
「転向(下)」思想の科学研究会編 平凡社
「市川房枝自伝戦前編」新宿書房
「戦後65周年の明治学院の取り組み」明治学院・国際平和研究所
1923年(関東大震災・朝鮮人虐殺・亀戸事件、大杉事件)
・日本労働総同盟鈴木文治会長、朝鮮総督府に朝鮮人対策の資金提供の要請手紙
・日本労働総同盟、内務省から委託金6万円受け取り労働者宿泊所開業
1924年
・日本労働総同盟方向転換大会
1925年(治安維持法、普選法、京都学連事件)
・日本労働総同盟右派、左派労組を排除、除名(第一次大分裂)
1926年(労働農民党結成)
・総同盟は労農党へ左翼三団体(評議会・水平社・無産青年同盟)排斥を要求。拒否されると総同盟など右派5団体は労農党から一斉に脱退
・総同盟らが結成した社会民衆党内で赤松克麿ら国家社会主義派が台頭し脱退
・総同盟、麻生久除名、第二次分裂
1927年(山東出兵)
・日農分裂
・日本プロレタリア文芸連盟分裂
・労農芸術家連盟分裂
1928年(3.15事件、第二次三次山東出兵、労農党、日本労働組合評議会等に結社禁止命令、治安維持法改正死刑の追加、
渡辺政之輔惨死)
・全国の各大学、政府の圧力のまま<左傾>教授を一斉に排斥、辞職の強要
1929年(世界恐慌、山本宣治暗殺、4.16事件、新労農党結成)
・総同盟第三次分裂
・水野成夫「日本共産党脱党に際し、党員諸君に」
・赤松克麿「中央公論」紙上でマルクス主義批判を展開
・島木健作獄中にて転向声明
1930年(労働争議頻発、小林多喜二、中野重治、三木清ら検挙)
・赤松克麿日本国家社会党結成にむけての動き
1931年(満州事変)
・自由法曹団弁護士で無産政党議員だった有名な松谷与二郎が満蒙視察から帰国して満州侵略擁護の「意見書」を発表、全国労農大衆党内に排外主義台頭。翌年松谷は赤松克麿とファシスト政党「日本国家社会党」結成
・吉野作造「民族と階級と革命」(中央公論)で民族社会主義肯定の立場に立つ
・ナップ解散
・曹洞宗
「宗達甲第四號
今般滿洲事燮ニ對シ本宗寺院住職及一般僧侶ハ左ノ件々ヲ體得シ各自忠君報國ノ志ヲ発揮シ此國家重大ノ時局ニ際シ其ノ本分ヲ完ウスルコトニ努力スへシ
一 各寺院毎朝特ニ 天皇陛下ノ玉體康寧聖壽無疆ヲ祝祷シ派遣軍人ノ身體健全武運長久ヲ祈念スヘシ
二 各寺院借侶説教若クハ法話ヲ爲スノ際檀信徒ニ對シ其職務ヲ勵ミ且ツ奉公ノ精神ヲ以テ節約ノ美風ヲ養ヒ切ニ派遣軍人ヲ慰恤スルコトヲ奨ムへシ
三 各寺院僧侶ハ此際各自ノ衣資ヲ節シテ十一月十五日ノ宗達ニ準シ應分ノ恤兵金ヲ寄附スヘシ
四 前項恤兵金ノ募集締切期日ハ第一回ヲ本年十二月十五日トシ第二回ヲ本年十二月末日トス」
(曹洞宗『宗報』第827号)
1932年(5.15事件、日本ファシズム連盟結成、国体擁護連合会結成、岩田義道虐殺)
・社会民衆党<反ファシズム・反共産主義・反資本主義>の「三反綱領」作成。しかし、満州事変支持の社民党なので実際は<反共主義>のみが焦点
・日本労働組合会議(総同盟、全労、日本海員組合などで結成)、表向きは三反をかかげたが、次第に国策協力
・社会大衆党結成、三反をかかげたが次第に軍部に接近
・赤松克麿・松谷与二郎ら「日本国家社会党」結成、綱領「一君万民の国民精神に基づき搾取なき新日本の建設を期す」
・共産党労働者派全員自首解体する
・日本主義労組「国防献金労働協会」を結成
・全国の新聞社等132社「満州国」独立支持の共同宣言
1933年(ドイツでナチス政権成立、国際連盟脱退、小林多喜二虐殺、長野教員赤化事件、北海道全協再建運動大検挙、滝川事件)
・佐野学・鍋山貞親「転向声明」発表
(共産主義者の大量転向が起きる。この年獄中共産主義者の3割以上、35年末までにほぼ9割が転向)
・三田村四郎・高橋貞樹転向声明
・日本主義労働組合の連合体「日本産業労働倶楽部結成」、のちに愛国労働組合全国懇話会に参加
・総同盟「産業及び労働の統制に関する建議」
・皇国農民同盟結成
・総同盟東京鉄工組合川口支部「産業協力方針」を決定
・日本農民組合(平野力三派)皇道政治確立の綱領決定
・国防献金労働協会陸軍機労働号の献納、メーデー撲滅愛国労働祭挙行
1934年(野呂栄太郎獄死、思想検事設置、陸軍省パンフレット発行)
・社大党の麻生久「陸軍パンフレット」を支持する声明発表
・松谷与二郎らファシスト政党「勤労日本党」結成
・ファシスト労組「大日本労働組合協議会」(日本逓信同盟・大阪一般労働組合・関東新聞労働組合・中部労働聯盟等)結成
・メーデー反対の日本労働祭第一回開催<皇道日本の建設を期す><赤色メーデーの粉砕>がスローガン
・佐野・鍋山ら獄内・獄外で「一国社会主義グループ」を作る
・プロレタリア作家同盟(ナルプ)解散宣言
・プロレタリア演劇同盟解散
・ソビエト友の会解体宣言
・如是閉「批判」を廃刊
・亀井勝一郎ら「現実」創刊、政治から文学への転向
1935年(美濃部達吉の天皇機関説への攻撃、国会が「国体明徴」決議)
・日本労働組合総連合「日本主義的宣言」を発表
・新日本海員組合結成、国体の遵守をうたい極右団体や愛国労働団体と連携を強めた
・東電愛国同盟会結成
・豊川鉄道争議(警察の主導のもとで日本主義労働組合の組織化)に続いて、東三河地方にファシスト労働組合が相次いで結成
・総連合、満州事変を支持
・官業労働総同盟、国家主義的新綱領
・愛国労働組合統一促進関東地方懇話会委員会開催
・津久井竜雄『日本社会主義運動の理解と実際』
・亀井勝一郎、浅野晃、太宰治ら「日本浪漫派」創刊
・日本ペン・クラブ成立
・田辺元『種の論理と世界図式』(「哲学研究」)
・曹洞宗「本宗寺院並ニ檀徒信徒ハ自他相戒メ斯カル異説ニ惑サルルコトナク進ンテ吾カ國體観念ヲ明徴ニシ政府声明ノ趣旨ヲ徹底セシムルコトヲ期スヘシ」(曹洞宗『宗報』第917号)とする、国家統治の主体は万世一系の現人神天皇にありとする政府の「国体明徴」声明の趣旨を徹底するように指示
1936年(2.26事件、メーデー禁止、日独防共協定)
・浅原健三、無産運動訣別感想文「無産運動ヲ去ル日」発行
・全日本労働総同盟「労働国策に関する決議」内務省に提出
・麻生久、人民戦線闘争を拒否
・愛国労働組合全国懇話会結成(メーデー排撃、国体明徴、人民戦線排撃など)
・大河内一男「社会政策と福祉施設」で労働者概念を勤労者と変えた
・カトリック教会の指針「祖国に対する信者のつとめ」(布教聖省)が信者の神社参拝を「単なる愛国心のしるし」と認める方針転換の根拠となった)
1937年(日中戦争勃発、日独伊三国防共協定締結、南京大虐殺)
・全農3名の検挙ですぐさま、「進んで産業組合、農会その他大衆団体とも提携する」との「転換声明」発表。合法左翼の全面崩壊、「産業報国運動」が一斉に生まれた
・社大党戦時革新委員会設置と国民意識昂揚の新綱領採択(満州事変の支持。神戸市電従業員1,200人不当解雇に抗議スト、500人が淡路島にろう城闘争。社大党、日中戦争開戦を理由に争議打ち切り方針で争議の完全敗北)
・海員組合、日中戦争協力を指示。総連合も戦争協力声明
・赤松克麿「日本革新党」結成し総選挙で代議士になり、国会内に「親軍派」を作る
・愛国労働農民同志会、日中戦争で国民思想の総動員、応召家族の救援を組合員に指示
・合法左翼の中心の「全評」、日中戦争勃発で賃上げ闘争を中止、労資紛争の極小化の綱領採択
・総同盟「罷業(スト)中止と戦争支持」決議
・鈴木文治、組合会議の遣米使節として「日支事変は赤化排日激化のためやむをえぬ聖戦」と全米各地で宣伝
・市川房枝「国民精神総動員中央聯盟調委員」となる
・岩佐作太郎『国家論大綱』
・有馬頼寧、近衛内閣の農相に就任
・保田予重郎「白鳳天平の精神」(「新潮」)
・林房雄ら「新日本文化の会」結成(浅野晃、長谷川如是閉ら参加)
・島木健作『生活の探求』
・風早八十二『日本社会政策史』
・徳永直『太陽のない街』絶版宣言
・真宗大谷派「日支事変陣中すごろく」
・曹洞宗
「諭達
今般北支事変ニ関シ政府ハ本月十一日緊急閣議ヲ開キテ帝国政府ノ根本方針ヲ決定シ別記ノ通声明ヲ発セラレタリ
依テ本宗僧侶タル者ハ宜シク其ノ檀徒信徒ヲ教導シ正シク時局ヲ認識セシムルニ努メ以テ国民タルノ本分ヲ守ラシムルト共ニ協力一致一層国民精神ノ振作しんさくト仏教報国ノ実ヲ挙揚セラルヘシ」
(曹洞宗『宗報』第962号)
1938年(近衛内閣声明「蒋介石政権を相手にせず」、国家総動員法)
・麻生久、この頃から積極的に近衛に接近
・全総幹部33名、明治神宮に「皇軍の武運」を祈願
・全総「銃後3大運動」方針決定
・海員組合「日本主義」に綱領改訂、皇国海員同盟結成
・日本労働組合会議、産報運動への参加決定
・全国水平社「大アジア主義の国策にともない、人民戦線絶対反対」決定
・関東水平社解散宣言
・左翼転向者自発的に国民思想研究所創立
・市川房枝「国民精神総動員中央聯盟の非常時国民生活様式委員会委員」となる
・萩原朔太郎「日本への回帰」
・荻原恭次郎『亜細亜に巨人あり』
・山田清三郎「耳語懺悔」(「文学界」)
・佐々木邦ら大衆作家、国策協力団体「大日本文学研究会」結成
・三木清「東亜思想の根拠」(「改造」)
・風早八十二「強力統制下の労働運動」
・蝋山政道「東亜協同体の理論」(「改造」)
・林房雄、満州国建国物語『青年の国』
・斎藤茂吉戦争賛美の作品を多く発表したことで、帝国芸術院会員に
・小林秀雄「戦争について」(「改造」)
・日本基督教団初代「統理」冨田満牧師は、自ら伊勢神宮に参拝し、朝鮮のキリスト者を平壌神社に参拝させる
(日本基督教団は、その後戦闘機「飛べ日本基督教団号」献金、教団機関紙で「殉国即殉教」を信者に呼び掛ける)
・国民精神総動員中央連盟に仏教連合会も加盟(各仏教団体「皇軍感謝・銃後後援・忠霊顕彰・軍人援護」等の体制確立、また日本精神の宣伝「日本仏教徒より中華仏教徒へ」のパンフレット・ラジオ放送)
1939年(ノモンハン事件、第二次世界大戦勃発、大学軍事教練必修化)
・労働総同盟分裂、脱退派「産報クラブ」結成
・市川房枝「婦人時局研究会」「国民精神総動員委員会」の幹事となる
・転向者の大陸進出のための「ロシア語講座」に多くの転向者参加
・労働国策と総同盟 1939年(昭和14年)(国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1441456/2
「総同盟は共産主義排撃に幾多の犠牲を捧ぐ」と題して、「我らは當時共産主義が我が国産業労働の前途に恐るべき禍害を招来すべきを観取し、當時政府当局すら尚黙視放任せるの時、之が排撃に猛進し、ついに大正14年5月、我が同盟より共産主義影響下の27組合(後に日本労働組合評議会を組織す)約半数の組合員を除名するの犠牲を払うに至った。」
「反共の旗を高く掲げ、・・更に日本労働組合会議を結成し、我が国の労働陣営より共産主義を一掃し、これが健全化を図るために多くの努力と犠牲を捧げ来った。現在我が国の産業労働界のみならず、一般国民の間に幸に共産主義を絶滅し得たる所似のものは、一は政府当局の取り締まりと其の弾圧検挙と矯正なる防共対策の然らしむところなるが、一は産業労働の当事者たる我らが率先始終一貫共産主義排撃のために幾多の深刻なる犠牲と努力を払いつつ奮闘し来り賜なると信じる」
「総同盟は、昭和8年9月、(一)労働行政の一元化、(二)大産業の国家管理、中小産業の組合組織化とこの国家の指導課監督などの国家統制、(三)産業協力委員会の産別地方別並全国的設置による産業協力等を骨子とする『産業及労働の統制に関する建議』を決議した。」
(罷業絶滅宣言と労働奉公銃後三大運動)
「かくて日支事変の勃発するや、我が同盟は昭和12年(1937年)秋の大会においては「罷業絶滅宣言」を可決しその実現を図り、続いて労働奉公銃後三大運動を起こし、各職場に産業協力委員会愛国貯金委員会、銃後委員会(出征遺・家族の生活保障、慰問救援運動)を組織してその徹底に努力し、越えて昭和13年(1938年)の建国祭には東京を始め全国各地に銃後産業協力大会を労資協力の下に開催、続いて・・・資本、経営、労働の三者を打って一丸とする三協倶楽部を結成して・・・国民精神総動員中央聯盟と協力し、・・・戦時下における労働報国と銃後の守りに万全を期し来ったのである。」
「なお近来労働組合は、自由主義民主主義の所産であって、労働者の利己的欲望のみを追究する事のみ目的とするものなりと断定し、その存在の要を否定せんとするの傾向極めて顕著なるものあるも・・・我らは徒らに労働者の利己的欲求に追随迎合することなく、正義と公正に立脚して常に国家産業全体の健全なる発展のために努力し来ったのである。」
(産業報国会)
「産業報国会の目的とする所は、・・・皇国の興隆に寄与貢献せねばならぬとするにある。・・・政府が今日産業報国会運動に依って、未組織の労働大衆に一の組織を与えやがて之を産業労働統制の基準たらしめんとすることは、我らも又これを諒解しえる所である。」
・藤原藤男『日本精神とキリスト教』
・尾崎秀実「東亜共同体の理念とその成立の客観的基礎」(「中央公論」)
・島木健作、渡満
・蝋山政道「世界新秩序の展望」(「中央公論」)
・菊地寛情報部参与に就任
・倉田百三『日本主義文化宣言』
・キリスト教の明治学院学院長矢野貫城は、宮城遥拝、靖国神社参拝、御真影の奉戴を積極的に進める
・賀川豊彦、ガンジーから詰問される。ガンジーは口先だけの賀川になぜ獄につながれても銃で殺されても戦争反対で闘わないのかと厳しく問う。賀川は「友達に止められているから」と見苦しい言い訳をする
1940年(日独伊三国同盟締結、大政翼賛会結成、大日本産業報国会成立)
・赤松克麿ら国会内の「親軍派」、斎藤隆夫代議士のいわゆる「反軍演説」を問題化し斎藤代議士を除名にまでした。赤松は大政翼賛会の企画部長に就任
・麻生久、大政翼賛会に協力宣言。社大党解党
・東交など労働組合の解散相次ぐ
・総同盟自発的解消を決議
・全国水平社解消・君民一体論の部落厚生皇民運動全国協議会準備会結成
・日本労働組合会議解散
・大日本農民組合解散
・昭和研究会解散
・政友会解党
・市川房枝、2月から4月中国各地へ
・文芸銃後運動班全国行脚
・田辺元『歴史的現実』
・文壇新体制、新演劇団体結成
・島木健作『ある作家の手記』
・大河内一男「転換期の経済思想」
・仏教団体、「仏教報国」へ強化。財団法人仏教連合会を「財団法人大日本仏教連合会」、41年に「財団法人大日本仏教会」と改称)
・曹洞宗「皇軍の慰問文つのる 本宗の日曜学校・子供会は振るって応募せよ」(『曹洞宗社会課時報』創刊号(1938/2/10発行))
・「紀元二千六百年式典」を大日本仏教連合会も大々的に祝賀行事
・賀川豊彦「顧みるに全能者は不思議なる摂理を日本に傾け皇統連綿御仁慈の限りを尽くして、民を愛し給うた世界に比類なき統治者(天皇)を日本に与え給うた。・・・我国は奴隷制度の蛮風なくカースト・システムの桎梏なく、・・・いや創造の苦闘を持つのみならず、世界修繕の大使命をも荷はされている。欧米に愛と正義が亡びるとき、我々日本の国より世界救済の手を延ばして、人類社会再建の福音をのべ伝えるべきである。」(「皇紀二千六百年」『全集』第24巻)
1941年(治安維持法改正、東条内閣成立、太平洋戦争勃発、ゾルゲ事件)
・市川房枝「大政翼賛会」の調査委員
・日本青年文学者会、純文芸雑誌の自主統合
・保田与重郎『近代の終焉』
・田辺元「国家の道義性」(「中央公論」)
・小林秀雄「宣戦の御詔勅捧読の放送を拝聴した。僕等は皆頭を垂れ、直立してゐた。眼頭は熱し、心は静かであつた。畏多い事ながら、僕は拝聴してゐて、比類のない美しさを感じた。」(「三つの放送」)
・政府によりキリスト教各団体を一つに統合させられた「日本基督教団」の成立
・曹洞宗「愛国機『曹洞号』献納
・曹洞宗「(宣戦ノ大詔奉戴ニ関スル)告諭」(『曹洞宗報』第62号)
告諭 (昭和16年12月8日発行号外再録)
性海湛然トシテ常ニ動揺ナシト雖モ時ニ業風ノ波浪を激翻スルコトアリ
畏クモ 天皇陛下本日宣戦ノ大詔ヲ渙発セラル 恭シク聖旨ヲ拜シ下情激切ノ至リニ堪へズ
惟フニ支那事変ヲ完遂シ大東亜共栄圏ヲ確立シ以テ世界平和ニ寄与シ人類ノ福祉ニ貢献セントスルノ大業ハ帝国不動ノ国是タリ然ルニ米、英両国之ヲ解セズ徒ラニ世界制覇ノ非望ヲ逞ウシ猥リニ与国ヲ藉リテ禍乱ヲ助長シ帝国ノ存立ヲ危殆ニ頻セシム謂ツベシ正ニ皇国ノ隆替東亜興廃ノ岐ルル秋ナリト
本宗ノ緇素宜シク其ノ総力ヲ挙ゲテ国難ニ赴キ率先垂範挺身奉公姐先ノ遺風ヲ顕彰シ雄渾ナル皇謨ヲ翼賛シ以テ皇恩ニ報ヒ奉ランコトヲ期スベシ
衲茲ニ虔ミテ仏祖ノ照鑑ヲ仰ギ敢テ闔宗ニ告諭ス
昭和16年12月8日
管 長 秦 慧昭
総 務 谷口乕山
庶務部長 西澤浩仙
教学部長 森 大器
財政部長 槇 東海
・曹洞宗報国会の結成(この組織の指導と関与のもとで、後に「勤労報国隊」「曹洞宗尼僧護国団」「曹洞宗戦時報国常会」等が組織され戦時活動を展開)
1942年(学徒勤労報国出動命令、本土初空襲、ミッドウェー沖敗戦)
・大日本婦人会創立、市川房枝審議員となる
・市川房枝「大日本言論報国会」の唯一の女性理事に選ばれる
・三木清・清水幾太郎ら陸軍報道班として外地へ
・尾崎士郎、菊池寛、高村光太郎、山本雄三ら大政翼賛会中央協力会委員として陸軍宣伝部員となり、石坂洋次郎、三木清らとフィリッピンへ派遣される
・京都学派「世界史的立場と日本」(「中央公論」)
・長与善郎「大東亜戦争と日本文化建設」
・日本文学報国会創立、愛国百人一首の選定
・シンポジウム「近代の超克」(「文学界」)
・大東亜文学者大会開催
・大日本言論報国会結成
1943年(ガダルカナル敗退、カイロ宣言)
・京都学派「総力戦の哲学」(「中央公論」)
・三木清「比島人の東洋的性格」(「改造」)
・大東亜文学者決戦大会
・山田孝雄「神国日本の使命と国民の覚悟」(「中央公論」)
・佐野学満期出獄して完全なる天皇主義者へ
・日本基督教団「大東亜共栄圏にある基督教徒に贈る書簡」を各国へ送る
・賀川豊彦、憲兵隊に逮捕された後、国際的平和団体である「国際戦争反対者同盟」から脱退
・賀川豊彦、讃美歌「大東亜共栄圏の歌」を寄稿
・真宗大谷派『門徒手帳』冒頭に「(天皇の)開戦の詔勅」を掲載
・東西本願寺合同で「必勝信念昂揚会」開催。正力松太郎が「この覚悟ありや」の講演
・「大東亜仏教青年大会」開催(タイ、ビルマ、フランス領インドシナなど日本仏教会も南方侵出の文化工作として協力)
1944年(疎開命令、サイパン全滅、東条内閣総辞職)
・大日本言論報国会ヒトラーに激励電報を送る
・大串兎代夫「天皇御法治の精神」(「中央公論」)
・出版人決起大会
・日本文学報国会の生産激励運動
・三木清「現代民族論の課題」
・日本基督教団新報「日本基督教団の皇国的性格」(「皇国の道に従いて信仰に徹し各その分を尽くし以て皇運を扶翼し奉るべし」)
・賀川豊彦【反米ラジオ宣伝放送】
・賀川豊彦、詩『天空と黒土を縫い合わせて」発表
「ルーズベルトの国民のみが、自由を持ち、アジア民族のみが奴隷にならなければならぬという不思議なる論理に、太陽も嘲う。・・・。アジアを自らの保護国の如く考えたチャーチルとルーズベルトは、ついに血を以って、太平洋を永遠に赤く染めた。血潮の竜巻は起こった! 真珠湾の勇士らの血潮に、ソロモン列島の尽忠烈士の熱血に、義憤の血潮は、天に向かってたぎり立った。『——大君のへににこそし死なめ、省みはせじ――』私心を打ち忘れ、生死を超越し、ただ皇国のみ仕えんとするその赤心に、曙の明星も、黎明の近きを悟り得た。・・・・。ああ、アジアは目覚めた! インドは解放を叫び! 中華民国は米英に向かって呪いの声をあげた! ・・・大和民族の血潮は竜巻として天に沖する。されば全能者よ、我等の血潮を以て新しき歴史を書きたまへ(序文)」
・大日本戦時宗教報国会結成(仏教・神道・キリスト教30万人組織)
・大日本仏教会は解散し、宗教全体を統制する「財団法人大日本戦時宗教報国会」を設立
・真宗大谷派白金供出運動「形見も家賃も決戦へ!」
1945年(ヤルタ会談、硫黄島全滅、米軍沖縄上陸、ドイツ降伏、ポツダム会談、広島・長崎原爆、敗戦)
・林房雄「神機到るの年」(「東京新聞」)
・高村光太郎「琉球決戦」
・芳賀壇「古代の楯もて彼の屍を担え―ヒトラー総統を悼む」(「読売」)