組曲- 地底(じぞこ)のうた - 荒木栄
三井三池炭鉱争議を謳った組曲「地底(じぞこ)のうた」です。いつの世も素晴らしい闘いは人々に感動を与え、そして素晴らしい音楽を生みだします。ぜひぜひ聞いてください。労働歌「がんばろう」の三池労働者38歳で亡くなった荒木栄さんの作詞/作曲です。
三井三池争議
三井鉱山は三池炭鉱労働組合攻撃を開始します。1959年(昭和34年)1月、6000人の希望退職を含む会社再建案を提示し、同年8月には4580人の人員削減案を発表。続いて12月には1492人に退職を勧告し、これに応じない1278人に対し指名解雇を通告してきました。
三池炭鉱労組は無期限ストに突入し、労働者側は家族ぐるみで闘います。会社側は鉱山のロックアウトと組合員の坑内立ち入り禁止で弾圧してきます。政府・財界が三井鉱山と一体となり、日本労働組合総評議会(総評)は三池労組を全面的に支援し、全国から続々と労働者の支援部隊が押しかけ、三井三池争議は「総資本対総労働の対決」となります。1960年(昭和35年)3月会社は、第二組合(三池炭鉱新労働組合)を結成しスト破りをはじめます。3月29日ピケを張っていた久保清組合員が暴力団に刺殺されてしまいます。スト破りとの海上での攻防は有明海戦と呼ばれ、7月ホッパーを占拠する組合員に警官隊が大量に動員され対峙が続きました。
1960年新日米安保条約締結と岸内閣が7月15日に総辞職し、池田新内閣が主導権を取り、8月10日中央労働委員会において「あっせん案」が提出されますが、その中身は、指名解雇された労働者の総退職という労働者側には圧倒的不利な内容でした。11月11日三池労組は無期限ストを解除し、三井三池争議は労働者側の敗北で終わります。
争議終結から3年後の1963年11月9日三池炭鉱で炭じん爆発の大事故が起きます。炭坑労働者の死者は458人、一酸化炭素中毒被害患者は839人をだす戦後最悪の大労災事故でした。労働組合の力が弱まったため、会社が職場の安全・防止策を平然と手をぬいていた結果でした。
荒木栄さんは、1924年に生まれ、三井鉱山で働いていた父が解雇され苦しい子供時代を送ります。小学校を卒業後三池製作所で働きます。海軍に徴兵され終戦後、47年バプテスト教会で洗礼を受け、49年三池製作所混成合唱団に入団、50年独学で音楽を学び、労働者のための歌を作り始めます。56年大牟田センター合唱団結成。熱心に三池闘争を闘いながら有名な「がんばろう」を作るなど多くの労働歌・抵抗歌を生み出しました。1962年10月26日胃がんのため38歳の若さで亡くなりました。