次の節目は継続断酒18ヵ月後にありました。自助会Alcoholics Anonymous(AA)のミーティングで「プラス思考で生きる」がテーマの日のことです。私の長話のせいで閉会時刻が大幅に超過してしまいました。
その場で私がメンバーと是非とも共有したかったのは、“言語化” の効用のハズでした。“言語化” を実践したことで、アルコールの囚われから脱することができ、初めてプラス思考のまともな精神状態に戻れたことが話の眼目だったのですが、それが・・・。久々の指名なので気が急いてしまい、残り時間までは気が回りませんでした。
生煮えの構想のまま、こともあろうにアルコール依存症と初めて診断された現役サラリーマン時代の話から始めてしまいました。プラス思考になれた道筋を話すには、ともすればマイナス思考になりがちだった時代の話から始めるのが筋という単純な発想だったと思います。気忙しい気持ちのまま話し始めたため、話の切り出しから完全に失敗してしまったのです。誰が考えてみても、“言語化” の実践事例に辿り着くには遠回りな話です。
46歳時から63歳時まで、ほぼ17年間の話ですからエピソード満載です。いくら話を端折ったとしても、よほど要点を絞らなくてはまとまる話ではありません。案の定、途中からどんどん話が脇に逸れてしまい、なかなか目標地点に辿り着くことができませんでした。(今になって思えば、明らかな思考プロセス障害の特徴を示しています。核心部分へ単刀直入に切り込めず、遠回りな話し方になってしまうのは思考プロセス障害の特徴の一つです。)熱意を込め詳しく話しさえすれば真意はきっと伝わるはずと、無邪気に思い込んでいたので始末に負えません。
無我夢中で話していたので、一体どれほど時間が経ったのか分かっていませんでした。話している内に微妙な空気の変化を察し、端折りに端折ってどうにか話し終えました。消化不良気味で少し空回りしていた感じがありましたが、久々にスッキリしたことは覚えています。
この長話で司会者の顰蹙を大いに買ったことが2日後に分かりました。別の会場で開かれたAAのミーティングで、2日前の司会者がわざわざ私の席までやって来ると、時間超過を咎めるやら時間厳守を厳命するやら、でした。私は、体験談を語ることが単に悩みや不安の捌け口としてばかりでなく、アルコールの残渣でモヤモヤしている脳の活性化に有効だと確信していました。ですから、体験を語る際は時間制限など設けるべきでないとさえ考えていました。取り敢えず、次回からは途中で打ち切っても構わない旨を返答したのですが、彼は何も言わずに席に戻って行きました。こんな彼の応対と、まったく噛み合わない考え方に内心収まりがつかなくなりました。「このオッサン、何も分かっちゃいない!」
やがて次第に憤りが募りに募って、一時はAAを退会しようとまで思い詰めるに至りました。さすがにこれでは危ないと、専門クリニックのソーシャルワーカーに相談してみることにしたのです。するとさすがに手慣れたもので、丁寧に話を聞いてくれたのですが、
「内部対立は自助会でよくある話と聞いていますよ」と軽くいなされてしまいました。
余りに軽い言い方だったので、却って大事なことに気づかされました。それは、アルコール依存症者は皆が皆、認知障害(“認知のゆがみ”)の持ち主で、変な思い込みから可笑しな反応をしがちな人々ということです。こんな大事なことをすっかり忘れていました。内部対立が起こったとしても至極当り前のことなのです。“認知のゆがみ” が原因で人間関係を崩壊させてしまうのはアルコール依存症者によくある話の一つです。
私は自説に拘ったままで、司会者の立場に何の配慮もしていませんでした。司会者も当然アルコールの囚われから脱した経験の持ち主で、胸の内を語リ尽くすことがどんなに大事か、その効用を十分に理解しているものとばかり思い込んでいました。
当然のことですが、司会者は会を円滑に運営する責任を負っています。人それぞれ立場が違えば考えも違うのです。司会者は立場上当たり前の注意をしただけなのに、そんな言葉に過剰なストレスを感じてしまったのです。冷静になってみて、立場の違いにやっと思い至りました。自分勝手な思い込みの危うさに改めて気づかされた事件でした。
この事件を契機に、“認知のゆがみ” を初めて意識するようになりました。当時、まだ “認知のゆがみ” という言葉を知りませんでしたが、言われて当然の言葉に過剰に反発してしまったのは、まさしく “認知のゆがみ” だったのです。遅発性の離脱障害(PAWS)としては、それまでに記憶障害、想起障害、情動障害の順で自覚できるようになっていたのですが、新たに “認知のゆがみ” もはっきり自覚し始めた時期だったようです。
この新たな障害は、自分のことだけで精一杯の状態ならあり得ないことで、対人関係に積極的に取り組んでいる過程でしか自覚できない障害です。これ以降、対人関係を積極的に広め、少しでも深めようとする中で、新しい課題にも向き合うことになりました。
この事件以降、現在に至るまでモットーとしてきた言葉たちを挙げてみます。共通しているのは人との “間合い” をどう取るかです。対人関係に欠かせない処世術ですが、言うは易く、行うは難し・・・。
● ありのままの自分を ありのままに受け容れる
● ありのまま事実を ありのままに受け止める
● 一息ついて 一歩引いて
“ありのままを ありのままに受け容れる” AAでよく取り上げられるテーマの一つです。上の一番目と二番目(通算7番目と8番目)のモットーはこれを発展させた言葉です。この言葉には、たとえ対立する考えであっても受け容れる意味も含まれ、その違和感から上述した事件まではどうしても馴染めませんでした。事件を経験し、人は考え方が固定観念に囚われやすいことを単に戒めているのだと理解できました。
固定観念で雁字搦めとなった状態が “認知のゆがみ” です。アルコール依存症者である限り、たとえ回復したとしても固定観念に囚われやすい性格から逃れられないのです。「ありのままに受け容れる」とするのなら「ありのままの自分を」と上の句を置き換えればいいし、「ありのままの事実を」とするなら「ありのままに受け止める」と上下共に置き換えればよい、こんな簡単なことにやっと気づけました。
三番目(通算9番目)のモットーは、気忙しい話の切り出し方と感情の暴走から自分を戒めるための言葉です。上述した事件の発端は、せかせかした気持ちで話を切り出したことにありました。「話し急ぎ」とでも呼べばいいのでしょうか、考えがまとまる前に口から先に言葉が出てしまうことをこう呼んでみました。
私は、元々「話し急ぎ」の傾向が強かったのですが、断酒後は想起障害と思考プロセス障害が加勢して、話がハチャメチャになることが多くなりました。そもそも上述した事件の原因も、この「話し急ぎ」にあったと考えたのです。あやふやな考えのままで口にしては伝わるものも伝わりません。「一息ついて一歩引いて」にはこんな反省が背景にありました。
「一歩引いて」は、実はAAのミーティングで仕入れた言葉です。「話し急ぎ」に困っていた私にとって渡りに船で、これ幸いとこの言葉に飛びつきました。すでに「一息ついて」が頭にあったので、これを加え「一歩引いて一息ついて」としてみたのです。ところが実際にやってみると順番が逆の方が実践的と分かりました。恐らく、ミーティングでは「一息ついて一歩引いて」と元々言っていたのでしょう。自分では思い付けなかった分だけ耳に新鮮に響き、「一歩引いて」だけが記憶に残ったのだと思います。
「話し急ぎ」対策としてはまだゝゞうまくいっていませんが、このモットーは感情のコントロールにもよく効きます。感情に任せて即反論などしていては危なっかしいことこの上なしです。リアルタイムでその兆しを自覚できたら、駄目押しのつもりで黙って唱えることにしました。こうすると周りの情況までよく見え、一層無難にやり過ごせるようになりました。
人との “間合い” をどう取るか、その実践がこんなふうにして始まりました。(次回につづく)
「再びアルコール急性離脱後症候群(PAWS)について(中)」(2016.2.19投稿)
「“思い込み”の逸らし方 “ありのままに受け容れる”」(2015.11.20投稿)もご参照ください。
記憶の微妙な違いに気づかれると思います。
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生煮えの構想のまま、こともあろうにアルコール依存症と初めて診断された現役サラリーマン時代の話から始めてしまいました。プラス思考になれた道筋を話すには、ともすればマイナス思考になりがちだった時代の話から始めるのが筋という単純な発想だったと思います。気忙しい気持ちのまま話し始めたため、話の切り出しから完全に失敗してしまったのです。誰が考えてみても、“言語化” の実践事例に辿り着くには遠回りな話です。
46歳時から63歳時まで、ほぼ17年間の話ですからエピソード満載です。いくら話を端折ったとしても、よほど要点を絞らなくてはまとまる話ではありません。案の定、途中からどんどん話が脇に逸れてしまい、なかなか目標地点に辿り着くことができませんでした。(今になって思えば、明らかな思考プロセス障害の特徴を示しています。核心部分へ単刀直入に切り込めず、遠回りな話し方になってしまうのは思考プロセス障害の特徴の一つです。)熱意を込め詳しく話しさえすれば真意はきっと伝わるはずと、無邪気に思い込んでいたので始末に負えません。
無我夢中で話していたので、一体どれほど時間が経ったのか分かっていませんでした。話している内に微妙な空気の変化を察し、端折りに端折ってどうにか話し終えました。消化不良気味で少し空回りしていた感じがありましたが、久々にスッキリしたことは覚えています。
この長話で司会者の顰蹙を大いに買ったことが2日後に分かりました。別の会場で開かれたAAのミーティングで、2日前の司会者がわざわざ私の席までやって来ると、時間超過を咎めるやら時間厳守を厳命するやら、でした。私は、体験談を語ることが単に悩みや不安の捌け口としてばかりでなく、アルコールの残渣でモヤモヤしている脳の活性化に有効だと確信していました。ですから、体験を語る際は時間制限など設けるべきでないとさえ考えていました。取り敢えず、次回からは途中で打ち切っても構わない旨を返答したのですが、彼は何も言わずに席に戻って行きました。こんな彼の応対と、まったく噛み合わない考え方に内心収まりがつかなくなりました。「このオッサン、何も分かっちゃいない!」
やがて次第に憤りが募りに募って、一時はAAを退会しようとまで思い詰めるに至りました。さすがにこれでは危ないと、専門クリニックのソーシャルワーカーに相談してみることにしたのです。するとさすがに手慣れたもので、丁寧に話を聞いてくれたのですが、
「内部対立は自助会でよくある話と聞いていますよ」と軽くいなされてしまいました。
余りに軽い言い方だったので、却って大事なことに気づかされました。それは、アルコール依存症者は皆が皆、認知障害(“認知のゆがみ”)の持ち主で、変な思い込みから可笑しな反応をしがちな人々ということです。こんな大事なことをすっかり忘れていました。内部対立が起こったとしても至極当り前のことなのです。“認知のゆがみ” が原因で人間関係を崩壊させてしまうのはアルコール依存症者によくある話の一つです。
私は自説に拘ったままで、司会者の立場に何の配慮もしていませんでした。司会者も当然アルコールの囚われから脱した経験の持ち主で、胸の内を語リ尽くすことがどんなに大事か、その効用を十分に理解しているものとばかり思い込んでいました。
当然のことですが、司会者は会を円滑に運営する責任を負っています。人それぞれ立場が違えば考えも違うのです。司会者は立場上当たり前の注意をしただけなのに、そんな言葉に過剰なストレスを感じてしまったのです。冷静になってみて、立場の違いにやっと思い至りました。自分勝手な思い込みの危うさに改めて気づかされた事件でした。
この事件を契機に、“認知のゆがみ” を初めて意識するようになりました。当時、まだ “認知のゆがみ” という言葉を知りませんでしたが、言われて当然の言葉に過剰に反発してしまったのは、まさしく “認知のゆがみ” だったのです。遅発性の離脱障害(PAWS)としては、それまでに記憶障害、想起障害、情動障害の順で自覚できるようになっていたのですが、新たに “認知のゆがみ” もはっきり自覚し始めた時期だったようです。
この新たな障害は、自分のことだけで精一杯の状態ならあり得ないことで、対人関係に積極的に取り組んでいる過程でしか自覚できない障害です。これ以降、対人関係を積極的に広め、少しでも深めようとする中で、新しい課題にも向き合うことになりました。
この事件以降、現在に至るまでモットーとしてきた言葉たちを挙げてみます。共通しているのは人との “間合い” をどう取るかです。対人関係に欠かせない処世術ですが、言うは易く、行うは難し・・・。
● ありのままの自分を ありのままに受け容れる
● ありのまま事実を ありのままに受け止める
● 一息ついて 一歩引いて
“ありのままを ありのままに受け容れる” AAでよく取り上げられるテーマの一つです。上の一番目と二番目(通算7番目と8番目)のモットーはこれを発展させた言葉です。この言葉には、たとえ対立する考えであっても受け容れる意味も含まれ、その違和感から上述した事件まではどうしても馴染めませんでした。事件を経験し、人は考え方が固定観念に囚われやすいことを単に戒めているのだと理解できました。
固定観念で雁字搦めとなった状態が “認知のゆがみ” です。アルコール依存症者である限り、たとえ回復したとしても固定観念に囚われやすい性格から逃れられないのです。「ありのままに受け容れる」とするのなら「ありのままの自分を」と上の句を置き換えればいいし、「ありのままの事実を」とするなら「ありのままに受け止める」と上下共に置き換えればよい、こんな簡単なことにやっと気づけました。
三番目(通算9番目)のモットーは、気忙しい話の切り出し方と感情の暴走から自分を戒めるための言葉です。上述した事件の発端は、せかせかした気持ちで話を切り出したことにありました。「話し急ぎ」とでも呼べばいいのでしょうか、考えがまとまる前に口から先に言葉が出てしまうことをこう呼んでみました。
私は、元々「話し急ぎ」の傾向が強かったのですが、断酒後は想起障害と思考プロセス障害が加勢して、話がハチャメチャになることが多くなりました。そもそも上述した事件の原因も、この「話し急ぎ」にあったと考えたのです。あやふやな考えのままで口にしては伝わるものも伝わりません。「一息ついて一歩引いて」にはこんな反省が背景にありました。
「一歩引いて」は、実はAAのミーティングで仕入れた言葉です。「話し急ぎ」に困っていた私にとって渡りに船で、これ幸いとこの言葉に飛びつきました。すでに「一息ついて」が頭にあったので、これを加え「一歩引いて一息ついて」としてみたのです。ところが実際にやってみると順番が逆の方が実践的と分かりました。恐らく、ミーティングでは「一息ついて一歩引いて」と元々言っていたのでしょう。自分では思い付けなかった分だけ耳に新鮮に響き、「一歩引いて」だけが記憶に残ったのだと思います。
「話し急ぎ」対策としてはまだゝゞうまくいっていませんが、このモットーは感情のコントロールにもよく効きます。感情に任せて即反論などしていては危なっかしいことこの上なしです。リアルタイムでその兆しを自覚できたら、駄目押しのつもりで黙って唱えることにしました。こうすると周りの情況までよく見え、一層無難にやり過ごせるようになりました。
人との “間合い” をどう取るか、その実践がこんなふうにして始まりました。(次回につづく)
「再びアルコール急性離脱後症候群(PAWS)について(中)」(2016.2.19投稿)
「“思い込み”の逸らし方 “ありのままに受け容れる”」(2015.11.20投稿)もご参照ください。
記憶の微妙な違いに気づかれると思います。
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