西洋音楽の理解について
東京音楽学校教授 小倉末子
西洋音楽を聴いて解 わか るやうになるには何 ど ういふ用意をしてゐたら好いか、何ういふ心懸でゐたら西洋音楽が解るやうになるか、と申しますと、矢張管絃楽 オーグストラ を聴き馴れるのが第一だと思ひます。解らうとして、色々な書物など読むより、出来るだけ多く聴いて、耳を敏 さと くするより外にないと思ひます。それから、上流や中流の家庭の方は、ピアノでも、ヴアイオリンでも自から稽古することが好いでせう、自分で弾奏して見ますと、音色の微妙なところまで気が付くやうになつて、自然と味 あじは ひが判 わか つて来るだらうと存じます。
オーケストラは多くの楽器を用ゐて、器楽の総合演奏をいたしますから、あれを聴いてゐて、音 ね の区別が耳敏 さと く解るやうになつて来ると好いのです。ヴァイオリン、井゛オラ、井゛オロン・セロ、ダブルベースのやうな絃楽器と、横笛 フリユート 、縦笛 オボワ 、クラリネツト、バツズウン、角笛 ホルン のやうな木製の管楽器と、喇叭 トラムペツト 、大喇叭 トロンボーン 、金属角笛 ホルン 、チユーバなどの金属製の管楽器と、太鼓 ドラム 、釜太鼓 チムパニー 、鐃鉢 サンバル のやうな打楽器に立琴が加はつて、少なくも八九十人から多くは四百人位の音楽者が一団になつて演奏するのがオーケストラです。その光景が見てゐるだけでも面白いものだと思ひます。オーケストラを聴いてゐて、各々の楽器の音の区別が解るやうになつて来ると、馴れるに随つて、またその音の高低が解つて、それに依つて情緒を喚 よ び起されるやうになります。同じ太鼓 ドラム の音でも、螺旋 ねぢ の締め方や打ち方で音が一々異 ちが つて来ます。その外の楽器に就いても同じことです。初めに、楽器の区別が出来るやうになり、それから、その楽器の音の高い低いが解つて来ると、自然にその音楽の表はす情緒や感情が胸に通つてまゐります。そして、後には余程複雑な思想や感情を含んだものでも理解が出来るやうになつてまゐります。私は、音楽を味つて見たいと思ふ方には、出来るだけオーケストラをお聴きなさるやうに勧めたいと思ひます。
それから、音色と言つて、音にも色彩がございますから、詩や絵画のやうな姊妹芸術を理解するやうに努めることも必要でせう。画布に絵具を置く時に、その色の置き方がまづいと、見られないやうに、音楽でも、音色の配置が悪いと立派な音楽でないことになります。田園の光景や牧場の景色、低い丘や小川のありさま、嵐の日や穏かな海の喜びなどを描写したものなども沢山あります。かういふ風に唯だ自然を描写しただけのものも短いものには沢山ございますから、詩に親しんだり、絵画を見たりして、感情を養つて置くと音楽も早く判るやうになります。教育が立派に出来た方ですと、余り度々音楽を聴いてゐないでも、或る程度までは解るものです。外国にゐました頃、お目に懸つた方で、これまで音楽を本当に聴いたことがないと云はれる方が、同じ曲を二度聴いて、その三回目の演奏で違つてゐたところを知つてゐられたことがありました。それですから、自然や芸術に依つて感情を養つて置くことも、間接に音楽を理解する助けになると思はれます。
耳敏く音色が判るやうになるには、オーケストラを聴くのが第一であると、前に申しましたが、日本では未 いま だ本当の立派な管絃楽が出来てゐないので困りますが、日比谷公園の音楽堂で日曜などに陸軍と海軍の軍楽隊が交替に管絃楽の演奏をいたしてゐますから、東京に住まつてゐられる方は、涼しい秋の散歩の序 つい でなどに、立寄つて聴くと好いと考へます。仲々好いものを演奏してゐられます。あゝいふ演奏会が芝にも上野にもあるやうになると、大変好いだらうと思はれます。亜米利加 あめりか では、何んな都会の公園にでもあゝいふ演奏会があつて、仲々好いものを演奏します。そして、誰でも自由に聴くことが出来るやうになつてゐます。それですから、一般の方の耳もよく音楽に聰 さと くなつてゐるやうです。これは音楽を解るやうになる個人的な用意ではございませんが、一般の人々に音楽を解る機会をなるべく多く與へられるやうに、社会に愬 うつた へたいと思ひます。
管絃楽演奏団 シムフオニイ・オーケストラ でも、亜米利加には、何れの都会にも、好いのが二つや三つはあるやうです。ボストンには、ボストン管絃楽演奏団があつて、これは米国第一だと云はれてゐますし、紐育 ニューヨーク には、紐育管絃演奏団といふ立派なオーケストラがございます。日本でもオーケストラが澤山出来てまゐりますと、西洋音楽の理解を求めてゐられる方の為めに大変好いことだと思ひます。
かういふ点では、政府の力が、篤志家の保護をねがひたいと思つてゐます。そして、東京にも大阪にも、京都にも名古屋にも、立派なオーケストラが出来るやうになつて、公園の自由演奏所なども多く出来るやうになることを待ち望みます。
それから、初めに、上流か中流の家庭の方は自からピアノでもヴアイオリンでも稽古なさるのが、西洋音楽を理解する第一の道だと申しましたが、やさしい好い曲から、何れ先生につかれるでせうから、その先生に随つて習つて見ると、音色の捉へがたい味はひなども自然と会得してまゐります。うまく弾奏の出来るやうになるには、容易でないが、解るだけには直 す ぐなるだらうと思はれます。
この文は、大正八年 〔一九一九年〕 九月一日発行の『女学世界』 第十九巻 第九号 に掲載されたものである。