蔵書目録

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「表尾根縦走」 (『丹沢山塊』より) (1944.9)

2021年05月05日 | 趣味 1 登山・ハイキング


    

 ・ヤビツ峠 丹澤林道札掛道
 ・二ノ塔から東に大山を見る 右方の低部がヤビツ峠
 ・雲の中は塔ヶ岳 木ノ俣大日 新大日
 ・塔ヶ岳頂上

    

 ・大倉尾根の堀山(905米)附近
 ・前尊佛を前景に函根足柄連嶺を展望
 ・大倉尾根花立附近から東望,中景の突起は表尾根行者ヶ岳,其右遠きは大山

  表尾根縦走  

(地圖 秦野)

 東部丹澤の槪念を理解するに最良の地域であり、又實に素晴しい展望臺として先づ第一に表尾根山稜を推薦したい。
 快適な山稜縱走と明快な展望とは、此の相當アルバイトを要する山行を充分に償つて餘りあるものがある。
 季節的に云つて最も興味の深いのは冬期であり、そして春の綠の茅戸と秋の孤色に輝やく茅戸の山肌は各々捨て難い味ひを持つてゐる。
 秦野から蓑毛行のバスに乗ると、以前は蓑毛の第一鳥居上の停留場迄我々を運んでくれたのであるが、大東亞戰の始まる頃より寺山の藤棚迄しか車は行かぬ事になつた。此れはバスに乗つても十分以内の處であるから登山者は成可く秦野から歩く樣にすべきである。
 蓑毛迄先づ一時間十分と見れば充分である。が盡きると金目川に掛かる蓑毛橋で、此れを渡らず指導標の導くまゝに右手に入れば間もなく大山裏參道と柏木林道との分岐點である。左手金目川添ひの靜かな柏木林道を辿れば登るにつれて蓑毛、秦野の街々が明るく開けて來る。かくして蓑毛橋から約一時間の後ヤビツ峠に立つ事が出來る。
 峠に立てば此れから辿る表尾根の前衛三ノ塔が尨大な茅戸の山肌を蒼穹におほらかに擴げて親し氣に迫って來る。瞳を右に移せば龍ヶ馬場、丹澤山、更に走ってラクダの背に似た三ッ峯の山稜が望見される。一息入れて峠と別れ、幅廣い丹澤林道をやゝ下り氣味に行けば布川最上流に掛かってゐる富士見橋である。此の橋は名前と實際と異なり此處からは富士は望見されない。此の附近は一面の茅戸の高原狀をなして春から初夏へ掛けてはしきりに鶯が登山者の耳を樂しませてくれる。尚ほ登山者に耳寄りな話として最近此の附近に東京急行で山小屋建設の計畫がなされたが、血戰下の爲め一時見合はされた。
 此れが建設された曉には表尾根及此の附近の登山に取っては誠に絶交な根據地とならう。
 峠から眺めた三ノ塔は其の餘りにも尨大な山容に少々面食ふけれど、登るにつれて南方の視野がぐんぐん開けて脚下の菩提峠、二又峯、岳ノ臺と連亙する和やかな高原狀の山容に私は時折り山中湖畔の大出山、大平山邊りの山容に良く似てゐるのに氣付き、ともすると湖畔の此れら曾遊の山々に遊んで居る樣な錯覺を起すのである。
 歩一歩と樂しい登りを續ければ、新綠の候にはシドメの薄紅白色の花が開き、ワラビのすくすくと伸びてゐる長閑さである。やがて山徑は廣々とした防火線に合流して鷹休も眉間に迫つて來る。ローム狀の暖かな土にコイハザクラの群生が見事に開花してゐるのも見られる。一汗かいてやがて一一四四米の獨標を有する鷹休に到達する。
 此處から三ノ塔は指呼の間で、一寸した痩尾根を渡れば間もなく廣々と南北に長いローム狀の山頂に立つ事が出來る。三等三角點は山頂の南寄りに立つてある。
 山頂の展望は塔ノ岳にも劣らぬ素晴しさで、これから辿る表尾根の山稜が巨鯨の背の樣に連なつてゐるのも興味が深い。晴れた日は西方に秀峰富士が其の裾を限りなく廣々と展開してその左手に愛鷹、箱根、伊豆の山々を慴伏させ、軈てそれの尽きる邊り漂渺たる相洋に連らなって行く。富士の右手に銀鞍の樣に輝やく南アルプスの望見されるのは晩秋から冬へ掛けての一段と視野の利く季節である。
 烏尾山へは百米餘りの急峻な赤土の崩壊狀の山徑を下るのであるが、此れは雨の直後等には徑が完全に消えてゐるから充分注意して掛からなければならない。さて下り切つた處は極度の痩尾根で、ヒゴノ澤とヤゲン澤との分水嶺にあたつてゐる。烏尾の圓やかな山頂はそれより一投足である。山徑は山頂を走らずに北側の腹を捲いて續いてゐる。それより二、三の小突起を過ぎると行者山の前山たる無名のピークで、此のピラミット形の急な突起を越せば次の岩峯が一一八八米の獨標記號の有る行者山である。此處から少し下つた一岩峰に昭和十三年迄は行者を刻んだ立派な石像と石造の卷物迄も安置してあつたのだが、其れ以後姿を見せない。心無い登山者の悪戲であらうか。行者山附近は表尾根コースの内で最も変化に富んだ箇處で、岩間にはコメツツヂ、イハカガミ、ウテフラン等が可憐な花を開いて登山者を喜ばせてくれる。特にイハカガミの群生は美事である。それより岩峰を一つ越せば前後二十分餘りの興味ある緊張したルートから開放され、これから愈々新大日への急登行が開始される。
 ローム狀の廣い防火線狀の山徑を登り切つた處がカラヒゴノ頭である。其處から急なアゴ出しの登りを暫次續けると目指す新大日である。振り返ると三ノ塔も大山も最早脚下に続いてゐる。塔ノ岳へは垂直高度にして餘す處百五十米足らずである。一息入れて橅や雜木の茂る心良い落葉深い徑を二、三度の上下を繰り返せば木ノ俣大日の山頂である。山頂と云はんよりは木ノ俣平と呼びたい平坦廣濶を極めた茅戸の山頂である。
 大震災前は山頂の橅の巨木の俣に大日如來の像が安置されてあつたのでかく名付けられたのだと云はれてゐる。復もゆるやかな登行を暫らく續けると無名の茅戸の平へ辿り着く。橅の樹林を透して龍ヶ馬場、丹澤山、三ツ峯が一望の内に眺められる好展望地である。
 塔ノ岳への最後の登りを一気に押し切れば不意に西部丹澤の豪壯な展望が開け續く山頂に到達する。
 先づ瞳を南方から漸時西へと廻點させてゆかう。
 箱根山塊に續いて愛鷹山の端麗な孤峯が中空に冴えゝと聳立し、更にその右手に秀峯富士が耀いてゐる。良く腫れた日は南方の主峰赤石連峰の白雪の山々が遙かに連らなり、雪山への思慕をそゝらされるのである。
 此れらの外劃の山塊から瞳を轉じ、脚下に淙々の響きを立てゝ白々と輝く玄倉川流域に移せば丹澤の核心をなす無數の急峻、惡絶な谷を秘めたドウカクノ頭、ザンザ洞ノ頭、檜洞丸等々が石英閃綠岩の山肌を殘雪の樣に光らせ乍ら鋭峰を聳立させてゐる。其の背後に西部丹澤の山々が和やかに打續いてゐるのも面白い對稱である。
 充分に山頂の景觀を樂しんだら孫佛小屋で休息し、それより歸路は大倉尾根を辿らう。
 山頂を辭し熊笹地帶の下りを續けると軈て徑は二岐し鍋割山への山徑に出逢ふ。それを見送り左手を執れば馬ノ背となり、此れを渡ると花立である。一三七七米の獨標記號が有り、石像が安置されてゐる。それより明快な茅戸の尾根を只管に下るのである。水無川をへだてゝ對岸には今朝辿り来た表尾根の山稜が多角的な山容を示して蒼穹を劃してゐる。軈て名物の一本松跡に來る。今では此れも枯れ朽ちてしまつたが其の跡に新に第二世を植ゑ付けてある。最早目指す大倉はもう脚下である。
 黄昏に程近い頃一日の縱走を終り、一路澁澤驛へと靜かな山麓徑を心行く迄で味はひ乍ら今日の山行を終る。

  參考時間

 大秦野(バス十五分)ー寺山(五十分)ー蓑毛(一時間十分)ーヤビツ峠(二十分)ー三ノ塔登山口(一時間)ー鷹休(十五分)ー三ノ塔(二十分)ー烏尾山(二十分)ー行者山(五十分)ー新大日(二十五分)ー木ノ俣大日(二十分)ー塔ノ岳。
 塔ノ岳(一時間三十分)ー一本松(三十分)ー大倉(一時間)ー澁澤驛。

 上の写真と文は、昭和十九年九月二十五日発行の 『丹沢山塊』 日本山岳寫眞書 塚本閤治 生活社 に掲載されたものである。

 下の写真は、最近撮影したものである。

    

 左からから一枚目  :三ノ塔から富士山を望む、手前は大倉尾根。(十一月)
 同  二枚目、三枚目:塔ノ岳から富士山を望む。そのままと拡大。(十二月)



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