母親に捨てられた子
おばあちゃんと
一緒にいらっしゃいました。
私の子どもになる!
と
いいまして
喜んでました。
おばあちゃんがダメだよ
この人にも
家庭があるんだよ
こどももちゃんといるんだよ
え?!!!!!
結婚してるの?
こどもいるん?
私は大笑い
相談者のこどもたちに
とても多い反応です。
お母さんになってほしい
あなたのこどもに産まれたかった
とても嬉しい言葉を時々もらいます
ふと、
※療育里親になろうかな?
とさえ思う瞬間です。
日本では里親のケースが少ないです
必ず
養子縁組を組まなくても
成長までをみてあげられる
療育里親は魅力的です。
こどもを捨てる親は
たくさんいます。
こどもは親からの愛情を強く求めます
それは
大人になっても
同じで
その心の穴は中々うまらないものです。
この世に産み出してくれた存在なのに
あんたはいらない
と、されたこどもは
この世に産み出されたのは間違いで
本当は存在すらいらない存在なのでは?
と、
生きる意味を探したり
自分はいらないものだと
定義つけてしまいます。
そして
定義を覆すために
1つの行動パターンの例として
悪さをしても本当に見捨てない?
悪さをしても本当に必要?
悪さをしても本当に生きる必要ある?
と、大人を試していきます。
大人は
悪さをする=ダメなこども
として
学校でも問題児として煙たがる存在扱いします。
もし、この子が自殺したら?
大人はなんというのでしょか?
(ここでは係わりのある大人のこと。)
目立つことにより
悪さをすることにより
自分という存在意義を証明しようと
必死です。
それは
勝手に動く
本能的なもので
死ぬか生きるか
のような切羽詰まったものです。
ですが、
周りの迷惑がかかる大人
や
評価をきにしている先生には
あの子がいなければ
あの、問題児め
と厄介者扱いにされ
保護者からは
そんな子が学校に、
くるのは大丈夫なんですか?
暴力しませんよね?
と、自分のこどもを守るのに必死です
さて、
今回の相談者は
母親に捨てられたお子様でした。
解離性同一
所謂、多重人格のような性格に
なっていました。
面倒をみてくださっている
おばあちゃんに
食事療法と生活習慣を正すことを指導し
そして
目を背けたくなるできごと
これを見る練習をしていきました。
目を背けたくなるできごと
それから
目を背けると
人格が分かれやすくなります。
逃げる担当
暴力をふる担当
いい子になる担当
のように
いくつもの性格が現れます。
先ずは
分かれてしまった
自分自身を1つにしました。
そして
再び
分離しないように
指導しました。
自分自身の味方は自分自身である
自分を好きになる
これは難しいけど
嫌いにはならないでほしい
と
分離した
その子自身をみつめさせ
嫌いにはなれないんだよ
という理由を教えました。
親の役割は偉大です。
ですが、
親も元はこどもであり
元こどもは
時が経てば大人になる
元こどもの心=埋まらないこどもの心
と、変化はないので
その元こどもの子育ては
時に
毒親、放任、ネグレスト、虐待、
に近いものになります。
何が言いたいのか
と言えば
親である存在も
こどもと同様
埋まってない心がある
それを
親だから、と押し付けるには苦しすぎる
子を捨てた親は確かに酷い
ですが
一方的にせめることもできない背景が
ソコには存在する。
出来る人が寄り添ってあげること
それは
大人、こどもに限らず
人として
個人として
寄り添ってあげてほしい。
そう感じます
地球への感謝をお忘れなく。
※養育里親 養子縁組を目的とせずに、要保護児童を預かって養育する里親です。 基本的には、実親の元で暮らすことができるようになるまでとなりますが、期間はまちまちで、長い場合は成人になるまで委託を続けるケースもあります。