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E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

「グリーンブック」ってどうなん?の巻

2019-03-03 23:44:35 | 映画
前評判の高かった映画「グリーンブック」。
じゃあ行こうか、と老夫婦でトコトコ。

って、ココから思わぬ長文になります(^^)



で、サロンシネマに、お昼過ぎからの会を狙って。

するとまあ、全然入れなくて、次の4時からのも最前列のみなのさ。
諦めの早い私たちは、じゃあやめよ、ご飯、ご飯!と。

立町の味家です。







うん、まあまあかな。



このご飯の皿?が韓国だよね。



で、おばあちゃんたちのお見舞いに行って、競馬の弥生賞をテレビ観戦。
これもまあまあの結果ですな。

とかしてたら、バルト11での上映がちょうどいい感じに。
訪れてみました。




いい映画だったな。

知り合いからは「ちょっとライト風味じゃない?」って声もあったけど、アメリカ国民には🇺🇸刺さると思う。

1962年当時を描いた作品。
「風と共に去りぬ」とかの南北戦争の時代じゃないんだからこそのライト風味で、それがリアル。

鎖で繋がれた黒人が綿花を摘み、時折白人が鞭打つ、なんてステレオタイプなイメージを持ちがちだけど、それは西欧人が日本にニンジャやゲイシャを求める感覚と同じなんだろう。



そこからみんな変わってきてるし、でも60年前はまだまだカラーにより生活圏が違ってたって現実もあって。



黒人への差別、イタリア系への偏見や決めつけ、カラーの中での格差や差別もそこかしこにある。

プアホワイト、アメリカファーストって言葉が世の中を左右し、トランプを生み、そして少し後悔してるように思える、今のアメリカならではの作品だと思う。


この日、サロンシネマで会った知人によると、わざわざチケットを前日に買いに来たのだそう。そして、その場にいた別の知人は朝イチで来て、最初の上映には入れずお昼過ぎにようやく鑑賞できたとか。



凄い人気だね。

「分断」がキーワードになりつつある現代だからこそ、より普遍的な作品になり、日本でも衆目を集めるんだろうなぁ。

今週から、この映画を取り上げたコラムや論説が目白押しだと思うよ。
そのためにこの週末、これを見たマスコミ人はめっちゃ多数でしょう。
元ギョーカイ人は断言いたします(笑)

てなことを考えながらロビーに出ると、あら、このバカブログでもお馴染みのド失礼なあるブチョーさんが!

マジメにいろいろ思いを巡らせてたんだけど、コイツの顔を見たらつい「おい、やっぱ最後は腕っ節っちゅうことじゃのう!」って。

いや、違う!
そんなことを考えてたわけぢゃない、ワシ(笑)

しかもそういい放った瞬間、近くに彼の奥様が佇んでらっしゃるとゆー。
頭悪いにもほどがあるな、ワシ(^^)

ついでだから少しプチエピソードを記すと、この作品の主人公の一人である黒人ピアニストのドクがスーツの試着を断られる街、俺、よく知ってるのよ。

アメリカ南部のジョージア州アトランタから100キロぐらいだったかな、そう、メーコン市。

四半世紀ほど前、それこそ今、なぜか(笑)責任者をやってるひろしまフラワーフェスティバルの特集取材のために訪れたのさ。

http://www.geocities.jp/alsterm/america/atlanta/atlanta01.html

吉野桜を愛でる桜祭りってのがあってね。

ゴリゴリのサツ回りだったワシですが、なぜか取材のお鉢が回ってきたもんで、「めんどくせえから、直行便があるトコに行こっ!」って、2年後かなんかにオリンピックが開かれるアトランタ近くのここにしたわけ。

とゆーか、当時は世界どこでも、自分が思うところに取材に行けたわけで、それはそれでありがたかったとゆーかアホな組織とゆーか。しかも俺、20代だったような(笑)



この街は黒部市の友好都市。それとゆーのも黒部市にゆかりの深いファスナーのYKKの巨大工場があったわけ。

もう完全な企業城下町。YKKの影響力ありまくりなわけで、まあ、若くして狡猾なボクは「取材が楽だろう」とそれを狙ってこの地を選んだ節もある(^^)

運転手付きの黒塗りのキャディラックで祭りの取材地を廻り、アポなしで市長に会い、まあ、かつてない天下無敵な取材をした記憶もかすかに残りますなぁ。

その際、俺は祭り取材の傍ら、警備してる向こうのサツ官に話を聴いた。

「日本では、事件の話を聞くために夜回りって習慣があるだけど、こっちでもある?」って。



それは何だ?ってそれこそ黒人警官が言うから、「だからさあ、夜に訪ねて行くのよ、突然!」って、ガンガンドアを叩く素ぶりも交えて説明すると、彼は言ったね。

「撃つ」って。

そりゃ、そうだよなぁ。銃社会ってそーゆーことだよな。

ここまで書いて思い出してきた。当時、日本人留学生射殺事件があったんだ。
「服部くん事件」。

そうそう、その直後かなんかに訪れ、事件現場のルイジアナと同じディープサウスのジョージア州にいて、「shooting!」なんて感じの返答を聞いたから、四半世紀経った今も覚えてるんだな。うんうん。

そして大名取材なんか続くもんじゃなくて、その後、俺はアトランタに転戦します。夕刊用の記事を書くためにね。

で、五輪契機に沸くアトランタって記事を書こうとスタジアム🏟建設現場に車を走らせるわけ。

フツーに降車し、その辺のあんちゃんたちに話を聞こうとするわけだけど、取材コーディネーターがビビるのよ。「ここ、危ないから」って。

いやいや、俺、ずっと危ないことしてきたし、と。
なんならカラダ張る仕事しかしてないし、と(笑)

強引に降ろしていろいろ話を聞くわけですが、まあ、多少トラブルはあっても気迫ってのは万国共通なんで、ほぼほぼノープロブレム。

ただ、ほかの日本マスコミは絶対にやらないやり方だったそうで、かのコーディネーターの心には若干29歳のボクの姿が深く刻まれたとか。


その後もほかの日本マスコミを紹介してあげたりして、ずっと細々ながら親交は続いてたんだけど、彼、昨年、亡くなっちゃった。「アトランタにおいで〜〜」って言うから、定年後の夢にしてたのにな。

そう言えば、アトランタから直行便で帰国する機内で訴状やらなんやらを読み込み、休むまもなく裁判所に直行し、でかい裁判の社会面アタマのサイド記事を書いたなぁ。
いやあ、働き方改革の真逆にありますな(笑)

なんだかいろんなことを思い出す作品でした。
俺、必死のパッチで、それでも楽しくやってきたなぁって、こんなこと書いててちょっとシミジミしますた(^^)


そしてその後、こんな子を連れて帰ったよ。



ころっけそっくり。カレラくんのマスコットにしましょう。



ずっと一緒。後ろから見守っててね。



リボンしてます、女の子だからね。


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