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関東大震災下、朝鮮人暴動のデマ「流言蜚語」発信の主導的役割を果たした海軍船橋送信所

2023-09-12 16:14:49 | 関東大震災

 関東大震災下、「朝鮮人暴動を起こしている」というデマ流言蜚語」の発生で、主導的役割を果たしたのは海軍船橋送信所からの発信であり、そのデマを全国に広め、「厳密な取締を指示」したのが、内務省警保局長・後藤文夫であるという。

〇9月2日午後8時20分 船橋 発電

「騎兵20名、7時半警戒の任につきつつあり、附近鮮人不穏の噂。」

〇9月2日午後8時28分 海軍大臣宛  横鎮長官発

「本日午前11時横浜着警備艇の状況報告の要領左の如し。

一、1日午前11時58分激震防波堤税関を破壊し全市の家屋倒壊し、爆発所々に起り不逞鮮人の放火と相俟て全市火の海と化し、死傷数知れず。」

〇呉鎮副官宛打電  9月3日午前8時15分了解  各地方長官宛  内務省警保局長 出

「東京附近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地において十分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし。《この電報を伝騎にもたせやりしは2日の午後と記憶す。当時の衆人の印象はかくの如かりしなり。事後又は他地方の人には考えも及ばざるべし。》

〇鎮海要副官宛  9月3日午前8時30分了解  朝鮮総督府警務局長宛  内務省警保局長 出

「東京附近の震災を利用し、在留鮮人放火、投擲等、その他の不逞手段に出んとするものあり。既に東京府下には、一部戒厳令を施行せるを以て、この際朝鮮内、鮮人の動静については厳重なる取締を加えられ、且内地渡来を阻止する様、御配慮相煩度。」

〇呉鎮副官宛  9月3日午後0時10分了解  山口県知事宛  内務省警保局長 出

「東京附近震災を利用し、内地在留鮮人不逞の行動を敢てせんとし、現に東京市内においては放火をなし、爆弾を投擲せんとし、頻に活動しつつあるを以て、既に東京府下に一部戒厳令を施行するに至りたるが故に、貴府においては内地渡来鮮人についてはこの際上陸を阻止し、殊に上海より渡来する仮装鮮人については充分御警戒を加えられ、適宜の措置を採られ度。 

 9月3日午後4時30分船橋発電

 船橋送信所襲撃の虞あり至急救援頼む、騎兵1ケ小隊応援に来る筈なるも未だ来らず。

(2023年9月12日投稿)

  

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関東大震災下に東京日日新聞が流言報道

2023-09-12 10:47:29 | 関東大震災

 東京日日新聞は1872年2月創刊。74年に福地源一郎が入社し、新聞論調は政府支持へ。81年に福地が社長となり完全な御用新聞となり、政府系新聞として終始した。1911年に大阪毎日新聞社に買収され、43年には政府の新聞統合政策により毎日新聞となった。

 吉野作造『朝鮮人虐殺事件』には、東京日日新聞(16867号)の、関東大震災下における流言飛語の原型の例証として東京日日新聞(16867号)の記事を挙げている。以下に紹介しよう。

『「火をのがれて生存に苦しむ牛込」「雨と火と朝鮮人との三方攻め」という題下にて、次の如き記事が載せてあった。「火に見舞われなかった唯一の地として残された牛込の(9月)2日夜は、不逞鮮人放火及び井戸に毒薬投下を警戒する爲め、青年団及び学生の有志達は警察、軍隊と協力して、徹宵し、横丁毎に縄を張って番人を附し、通行人を誰何する等緊張し、各自棍棒、短刀、脇差を携帯する等殺気立ち、小中学生なども棍棒を携えて家の周囲を警戒し、宛然(まるで、の意)在外居留地における義勇兵出動の感を呈した。市ヶ谷町は麹町6丁目から、平河町は風下の関係から……、又3日朝2人連れの鮮人が井戸に猫イラズを投入せんとする現場を警戒員が発見して直ちに逮捕した。」    

また、東京日日新聞1923年9月3日版は以下の記事を掲載しているので紹介しよう。

不逞鮮人各所に放火し 帝都に戒厳令を布く 三百年の文化は一場のゆめ ハカ場と化した大東京

 1日正午の大地震に伴う火災は帝都の各所より一斉に起り、2日夕刻までに焼失倒壊家屋40万に上り、死傷算なく、同時に横浜横須賀等同様の災禍に会い、相州鎌倉小田原町は全滅の惨を現出した。陸軍にては昨深更災害の防止すべからざるを見るや、出動の軍隊に命じて、焼くべき運命の建物の爆破を行わしめた。この災害のため、帝都重要の機関建築物等大半烏有(火災で何もなくなる事)に帰し、避難民は隊を組んで黒煙たちこめる市内を右王左往して、飢えに瀕し、市民の食料不安について、鉄道省は各地を購入方を電命し、府市当局は市内各所に炊き出しをなし、三菱地所部も丸の内で避難民のために炊き出しを行った。

 一方、猛火は依然として止まず、意外の方面より火の手あがるの点につき疑問の節あり、次で朝鮮人抜刀事件起り、警視庁小林警務長係外、特別高等刑事各課長、刑事約30名は5台の自動車にて現場に向った。当市内鮮人、主義者等の放火及び宣伝等頻々としてあり。2日夕刻よりついに戒厳令をしき、これが検挙に努めているうちに、2日未明より同日午後にわたり、各署で極力捜査の結果、午後4時までに、本郷冨坂町署で6名、麹町署で1名、牛込区管内で10名、計17名の現行犯を検挙したが、いずれも不逞鮮人である。

 鮮人いたる所 めったぎりを働く 二百名抜刀して集合 警官隊と衝突す

 今回の凶変を見たる不逞鮮人の一味は、避難せる到る所の空家等に、あたるを幸い放火しておることがわかり、各署では2日朝来、警戒を厳にせる折から、午後に至り、市外淀橋のガスタンクに放火せんとする一団あるを見つけ、辛うじて追い散らして、その1、2を逮捕したが、このほか、放火の現場を見つけ、取り押え、または追い散らした者数知れず。政府当局でも急に2日午後6時をもって、戒厳令を下し、同時に200名の朝鮮人抜刀して目黒競馬場に集合せんとして、警官隊と衝突し、双方数十名の負傷者を出したとの飛報、警視庁に達し、正力主事山田高等普通課長以下30名、現場に急行し、一方軍隊側の応援を求めた。なお、一方警視庁備え付けの鉄道省用自動車を破砕すべく、爆弾をもって近寄った一団20名を逮捕したが、逃走したもの数知れず。

 鬼気全市に漲る

 不平鮮人団は、いずれも帽子をまぶかにかぶっているので、普通の男子はすべて帽子を脱ぎ、左手に白布をまとう事とし、もしウサンな男に出会った際は、まず生国を問い、答えの濁る者は追究し、ソレと窮する時は直ちにの雨を降らす有様で、殺気は次第に宮城前広場、日比谷公園より丸の内一帯、同日午後9時頃鮮人の一団30余名、避難民をもって充満した二重橋前の広場に切り込んだとの報に接し、江口日比谷署長は部下を率い、警戒に任じ、10時半頃になりその一味を発見すると、彼らは日比谷公園に逃げ込み、10数名の一団は、鬨の声をあげて、ここに避難している老若男女を脅かし、各所に悲鳴起り、相いましむる声と思う呼笛の声鳴り響き、おどろくべき呪いの世界を現出した。東京駅前の大通りで執務している本社出張所附近に怪しき影の出没さえ見え、社員は極度に緊張、殺気立った。目下警戒に主力を注いでいるのは、渋谷方面で、鮮人などは、この方面が焼け残っているので、放火しようとたくらんでいる。

 軍隊全動員 警官隊総かり出し

 秩序の維持については、軍隊は全動員を行い、近県宇都宮方面はもちろん、新潟高田方面よりも来援をもとめ、警察官も来て近県よりできるだけの応援を求めた。

 日本人男女10数名を殺す 本部は世田ケ谷

 目黒競馬場をさして抜刀のまま集合せんとし不平鮮人の一団は、横浜方面から集まったものらしく、途中出会わせし日本人男女10数名を斬殺して後、憲兵警官隊と衝突し、三々五々となり、姿影を消したが、彼らは世田ケ谷を本部として、連絡をとっておると。

 横浜を荒し 本社を襲う 鮮人のために東京はのろいの世界

 横浜方面の不逞鮮人等は、京浜間の線路に向って鶴嘴をもって線路をぶちこわした。1日夜中火災中の強盗強姦犯人は、すべて鮮人の所為であった。2日夜焼け残った山の手及び郊外は、鮮人のくいとめに全力をあげられた。』

(2023年9月10日投稿)

 

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