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大日本帝国政府敗戦直後の植民地朝鮮の動き「4・3事件」と日本人官僚と進駐アメリカ軍

2024-06-03 09:21:00 | 朝鮮問題

 朝鮮民族は1945年8月15日(神聖天皇主権大日本帝国政府昭和天皇の臣民への敗戦放送日)、朝鮮建国準備委員会を結成し、9月6日には朝鮮人民共和国(主席:李承晩、副主席:呂運亮、内務部長:金九)を発足した。それに対し米国北緯38度線で分割占領する事をソ連に提案し、米軍を9月7日に南朝鮮に進駐させ、9月9日に朝鮮総督府を解体し軍政を開始した。日の丸を降ろし星条旗を掲揚した。南朝鮮の民衆は米軍を解放軍だと思ったが、占領軍でしかなかった。アーノルド軍政長官は朝鮮民族が独立のために準備した自治組織を認めず、建国準備委員会などすべて解散させ、10月10日には人民共和国を否認し弾圧した。上海臨時政府も認めなかった。米国の軍政は占領支配であり、大日本帝国による植民地支配の延長に他ならなかった。米軍は公用語を英語とし、朝鮮総督府に仕えていた日本人官僚たちを顧問として使った。官僚たちは日本へ帰るまで米軍の支配機構で服務し、それなりの処遇を受けた。その末端で、警察官教師を引き受けたのは、「親日派」と呼ばれる、大日本帝国の植民地支配に服務した朝鮮人たちであった。そして、米軍にとって頼りにできたのは、植民地支配をしていた日本人官僚であり、その下で服務していた朝鮮人であった。今日の韓国社会で「親日派」が影響力をもつのは米軍政(米国政府)が原因なのである。

 45年12月、米英ソ3国外相会議で、米ソ合同委員会管理下で臨時政権を具体化し、同政権を米英ソ中4カ国による5カ年間の信託統治下に置く事に合意(モスクワ協定)し、同月28日に発表した。それに対し、即時独立を求める朝鮮民族は信託反対運動を開始した。金九らは「信託統治反対国民総動員運動委員会」を結成。46年1月に朝鮮共産党が信託賛成方針を打ち出し、モスクワ協定支持集会を開催すると、呂運亮・許憲朴憲永らは「民主主義民族戦線」を結成。朝鮮民族は信託統治の賛成・反対で分裂した。米軍政庁はこの分裂を利用し、金九・李承晩・李奎植らに大韓民国代表民主議院を構成させ、米軍政の最高諮問機関とした。46年3月20日、米ソ合同委員会が開催されるが、朝鮮臨時政府樹立のための「協議対象団体」選定基準で対立。5月21日にも再開されるが10月20日再び対立した。

 1947年9月23日、米国政府はモスクワ協定を無視し、一方的に朝鮮独立問題を国連総会に持ち込んだ。ソ連は朝鮮問題の国連討議はモスクワ協定に違反している事、戦後処理問題を国連で討議するのは国連憲章違反である事などを理由として反対した。しかし、第2回国連総会は、国連の監視下で48年3月31日までに朝鮮で総選挙をする事、選挙後できる限り速やかに国民政府を樹立する事などを決議した。

 48年2月26日、米国は国連総会開催を提案し、国連臨時朝鮮委員会が接近できる地域(南朝鮮)だけでも選挙を実施する事(南朝鮮単独選挙)を決議した。3月1日には米国占領軍司令官ホッジは単独選挙を5月10日に実施する事を発表した。そのため、単独選挙に反対する朝鮮民族は4月3日、4・3済州島蜂起を起こした。また、4月20日には全朝鮮政党社会団体代表連席会議(平壌)を開催し、全朝鮮の56の政党社会団体の695人の代表者(うち南朝鮮から40団体、395人)が参加し共同声明を発表した。その内容は、

一、外国軍隊の即時・同時撤退

二、その後に民主主義臨時政府を樹立する事

三、同政府は秘密投票によって、統一的朝鮮立法機関選挙を実施する事

四、朝鮮憲法を制定し、統一的民主政府を樹立する事

五、南朝鮮の単独選挙に断固反対する、というものであった。

しかし、選挙は李承晩の大韓独立促成国民会ら一部の団体と無所属だけで強行した。

 48年5月31日、制憲国会を開催し、7月12日、憲法承認、20日李承晩を大統領に選出し、8月15日、大韓民国を成立させた。しかし、10月には麗水・順天で軍隊が反乱を起こし、智異山一帯でパルチザン闘争が起こり、民国政府は11月16日には国家保安法を制定してこれに応じた。

 北朝鮮では1948年6月、「南北朝鮮諸政党・社会団体指導者協議会」を開催し、「南北朝鮮代表者による朝鮮中央政府樹立」を決定した。7月10日、北朝鮮人民会議第5次会議で朝鮮民主主義人民共和国憲法の実施と全朝鮮朝鮮最高人民会議選挙の実施(8月25日)を決定し、572人(南朝鮮360人、北朝鮮212人)を選出した。9月2日、第一回朝鮮最高人民会議を開催し、8日憲法承認、9日朝鮮民主主義人民共和国を樹立した。

 最高人民会議議長  許憲(南朝鮮代表)

 内閣首相      金日成

 副首相       朴憲永(南朝鮮代表)

 

 上記のように、米国政府の戦後の冷戦の世界戦略により、朝鮮民族の即時独立の意志は大日本帝国の敗戦直後からすでに否定され、統一国家樹立の希望も狡猾で卑劣で残虐な暴力により粉砕されたのである。米国ははじめから朝鮮民族の解放者になるつもりはなく、新たな支配者となるために南朝鮮を占領したのであり、大韓民国政府とその国民は米国というくびきから抜け出せていないのである。日本政府とその国民も同様であるが。

(2019年10月14日投稿)

 

 

 

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