旧家では「神棚」を供え、「神宮大麻」(伊勢神宮から授与する天照大神の神符)を祀っているのを見かける事がある。一見すると、その事が長い歴史をもっているかのように思えるが、実はそうではないという事を知っているだろうか。
神聖天皇主権大日本帝国政府は、帝国臣民の精神的基盤として国家神道(国教としての神道)を作り上げ、学校教育(教育勅語発布など)をはじめあらゆる手段を使って、強引に浸透受容させ洗脳する事を試みてきたが、昭和の時代に入って帝国政府は、さらにその徹底を期するため、各家庭で必ず「神棚」をそなえ、「神宮大麻」を祀るという家庭祭祀を奨励したのである。その事が最大の契機となっているのである。そして、それが当たり前の事のように、そのまま今日まで旧家では伝えられてきているという事なのである。
帝国政府は、国家神道の教義(記紀に基づくもの)を帝国臣民に強制的に受容信仰させるために、儀礼における祝詞の文体から奉仕者の服装、所作、用語、奏楽などあらゆる面で古式を強調した。そして、帝国政府が新しく作り出した儀礼をも、いわゆる神代の昔から継承してきたかのように帝国臣民を欺いたのである。
国民学校(1941年~)の教材『よみかた四』では、
「もうすぐお正月なので、おじいさんは、神だなをおかざりになりました。
新しいしめなわをはったり、さかきをあげたりなさいました。中略
夕方、神だなにあかりをあげて、みんなで拝みました。」